少女の事情その6
「そんな、悪いよ。
このくらいの時間に帰った事なんて何回もあるし、大丈夫だよ」
やっぱり悪いと思ったのと、恥ずかしい気持ちととでそう口にしたら、真剣な眼差しが返って来て益々ドキドキしてしまう。
「それでも心配なんです。
ダメでしょうか? 嫌でしたら勿論無理にとは言いません」
真摯な彼の言葉に嬉しく思うと同時にずるいなぁって思う。
貴方にそんな事言われちゃったら、これ以上断れないよ。
「……じゃぁお願いします」
そう口にすると微笑んでくれて、思わずこちらも笑顔になっちゃった。
ああ、なんか……張り詰めていた物が少しずつ解かれて行くような感覚を覚えると同時に、胸の中が温かい何かで満たされていく。
「はい、ありがとうございます」
「ううん、それは私のセリフだよ。
それじゃぁ校門で待ってて、すぐ行くから」
「はい、待ってますのでゆっくりで大丈夫ですよ」
田中君はそう言ってくれたのだけど、私がはやる心を抑えきれなくて小走りになってしまう。
「ごめん、待たせちゃったね」
「いえいえ、寧ろ無茶なお願いを聞いて下さってありがとうございます」
校門でと言ったのだけど気を遣ってくれたのか、3年の昇降口の前まで来てくれていた田中君にそう言えば、にっこり微笑んで頭を下げながらそんな事を言ってくれる。
その行動も言葉も嬉しくて、ついニヤニヤ顔になりそうでそれを取り繕うのに苦労しちゃう。
ああ、もう私ばかりドキドキしているみたいで、ほんとずるいなぁ。
道中私を急かすこともなく、さりげなくエスコートしてくれる田中君にまた心が温かくなると共に、なんか慣れてる? と少し嫉妬してしまう。
会話も私の話を楽しそうに聞いてくれるものだから、とても話しやすくてついつい私ばかりが喋ってしまった。
普段明美達と話す時は聞き手になる事が多いのだけど、田中君って本当に聞き上手で本当に話しやすいの。
その事も物凄い嬉しいのだけど、何だかとても余裕があるように感じてまたずるいと思ってしまう。
私なんて緊張で何喋ったかあんまり覚えてないくらいなのに。
「ありがとう、送ってくれて。助かりました」
「いえいえ、こちらこそお役に立てたのなら何よりですよ」
楽しい時間はあっと言う間に終わっちゃうもので、名残惜しい気持ちで一杯になるものの何とか笑顔で別れの言葉を口にする。
ニッコリと微笑んでくれている田中君に手を振ったら、控えめに振り返してくれて、それがまた嬉しくて家に入る直前まで手を振って別れを惜しんだ。
ああ、心がこんなに軽くなったのって本当にいつぶりだろう?
足取りも軽くなったように思えて、元気よくただいまと口にする。
と、返事がなくて不思議に思うと同時に嫌な予感が胸を過ぎってしまう。
そんな事は無いと思いたいのだけど、さっきまで軽かった足取りがまた妙に重くなったように感じて、何もありませんようにと祈りにも似た気持ちを抱く。
ガシャンと何かの割るけたたましい音が聞こえ、すぐにお父さんの怒鳴り声が響いてくる。
さっきまで胸を満たしていた温かいものはすぐに四散して、泣きたくなってしまう気持ちにまた包まれてしまう。
お母さんのお父さんに語りかける声も聞こえ、今回はすぐにお父さんも落ち着きを取り戻したみたいだけど……どうしても恐怖が胸に残る。
それでも勇気を出してリビングに入ると粉々になったグラスと、抱きしめ合うお父さんとお母さん。
「ただいま」
「ああ、帰ってきたのね。お帰りなさい」
「お帰り。
ああ、すまない、また取り乱してしまったようだ。ほんとごめんなぁ」
笑顔を向けてくれるお母さんと、情けないと言う様に肩を落とし暗い表情のお父さん。
「ううん、私は大丈夫だよ。
それよりもお腹減っちゃった。お母さん、ご飯何?」
「今日はポトフよ。すぐに温めるから少し待っててね」
努めて明るく言った私に、同じく明るく返してくれるお母さん。
手伝うねと口にしてそのままお手伝いに入る。
お父さんは、散らかした物を片付けないとなと粉々になったグラスの処理を始めた。
食事もそのまま始終明るい感じで終えたのだけど……ふとした折に真顔になるお父さんが怖くて……美味しいはずのお母さんの手料理の味が全く分からなかった。
そのまま私は自分の部屋に戻ったのだけど……何だか体も怠いし熱っぽいような気がする。
もう幸せだった気持ちなんて欠片も残ってなくて……また田中君と話したいななんて思ってしまう。
彼と話しているとまたきっと幸せな気持ちになれるから……。
机に向かって勉強をしていたのだけど、体調はどんどん悪くなる一方だし、明日また学校に行く為にも少し早目に休もう。
全然進まなくてそう決めた私は、フラフラしながらベッドへと潜り込む。
多分感情に体調が引っ張られているだけで、明日また起きれば元気になっているよね。
そう思って眠りにつく。
目が覚めて起きようと思ったのだけど、頭がボーっとするし体はキツいしで起き上がれない。
なんとか上半身を起こしたのだけど、それで精一杯でズキズキと痛む頭を抑えてじっとするので精一杯になっちゃう。
しばらくするとお母さんが心配そうにやってきて、私の姿を見るや今日は学校を休みなさいと言われてしまう。
ああ、出来れば田中君と会いたかったのにななんて思ってしまって……あの短い時間でどれだけ依存しちゃったのだろう。元々ずっと忘れずにいたのだけど……そうか、だからかもしれない。
物凄い鈍い頭でそんな事を考えつつ、ありがとうと口にして再び横になる。
学校には連絡入れておくからねとお母さんが言った言葉に頷くのが精一杯で、そのまま何とか寝て回復しようと試みる。
あまりにキツくて眠れないでいると、電話を終えたのかお母さんが薬とお水を持ってきてくれる。
何も胃に入れないのは悪いからと、一緒に持ってきてくれたヨーグルトを数口無理矢理口にして、薬を流し込む。
すぐに効くわけじゃないだろうけど、効いてくれば眠れるだろう。
私が眠れるまで傍に居てくれるみたいで、椅子に腰掛けたお母さんに何気なく昨日本当は聞いて欲しかった事を口にする。
「お母さん、私ね、あの男の子と再会出来たんだよ」
ボーっとした頭で言ったのだけど、真剣に聞いてくれるお母さん。
「ああ、いつも言っていたあの男の子ね。
良かったじゃない」
「うん……彼ね……田中君って言うんだけどね……凄く格好よくなってて……優しくて……ずるいの」
「そうなの、嬉しかったのね。
でもずるいの?」
「そうなんだー……私ばっかりドキドキしてて、彼余裕なんだもん。
今度は絶対ドキドキさせてやるんだー……」
「そう、頑張らないとね」
「うん……頑張る……」
徐々に薬が効いてきたのか、それとも薬を飲んだ安心感とお母さんと話して安らいだ所為か眠気が襲ってくる。
何を口にしていたか殆ど分からなくなっていたのだけど、眠らなきゃいけないのはわかっていたから、お休みなさいとだけ口にしてそのまま眠気に体を委ねた。
「愛実ー! 学校の後輩君がお見舞いに来てるわよー!」
お母さんの大きな声に目が覚める。
薬が利いたおかげか、それともぐっすり眠れたお陰か大分体調は良くなっているみたい。
ボーっとする頭でそれだけ確認すれば、お母さんがわざわざ招き入れるなんて珍しいなと思う。
私が起きていればともかく、寝ていたらいつもなら寝ているからと帰す筈なのに。
「後輩ー? 誰ー?」
とりあえずそう声を上げてみれば、少しの間があって返事が返って来る。
「田中君って子。そっちに行かせるわよ!」
「んー? はーい」
田中君と言われてドキっとしたのだけど、昨日話していない以上お母さんが田中君の事なんて知るわけないし。
となると、誰だろう? 田中君なんて言われると彼の事ばかり頭に浮かんじゃって他が全然思い当たらない。
「田中田中田中……」
まだボーっとしてて頭が働かないから、呟いて少しでも回転を早めようとしてみる。
と、ノックの音がしたので返事を返す。
「はーい、開いてるからどうぞー。
田中田中田中田中?」
ダメだ、どうしても彼の事しか頭に浮かばない。
失礼しますと言う声も昨日聞いた彼の声にソックリで、もう少しだけ思い当たらないか考えてみたけど、やっぱりダメで諦めて視線を入口の方へ向けて――まさに今思い浮かべていた人がそこに立っていた。