プロローグ-Ⅱ
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狩原 蒼甫、二十五歳。日雇いバイトで生計を立てるフリーター。
それが、あっちの世界での俺の最終的なステータスだった。
特に勉強は嫌いじゃなかったけど、進学する気が起きなくて就職の道を選んだ。ところがどっこい、これが見事に失敗で、就職先が決まらずに高校を卒業。
とりあえずフリーターとしての生活を始めて、日雇いの肉体労働で日々の生活費を稼いでいた。
高校はバスケ部に所属していたから、体力には自信アリだった。実際、他の奴より作業量を多くしてもへばったりはしなかった。
道路工事やら引越しの荷物運びやら、週に幾つも掛け持ちして働いてたおかげでそれなりの金は手に入ってた。それらは、貯金や生活費を除けば、大体全部ゲームにつぎ込んだ。
ゲームは昔から結構好きで、色々とやっていた。特にRPGが好きで、こんな世界に行けたらなーと夢想してたもんだ。
そんな昔の妄想が現実になるなんて思ってもいなかった六月のある日。俺は交通事故に巻き込まれ、ぽっくり死んでしまったのだ。
かなりのスピードで車が突っ込んできて、避ける暇もなかった。俺の周りにも何人かの人がいたから、もしかしたら彼らも巻き込まれたかも。即死(たぶん)の俺には確認する術はなかったので、分からない。
轢かれた瞬間、俺は自分でも呆れたことに、「あー、俺の人生これで終わりかぁ」なんて気楽に考えていた。ここまで来るといっそ病的なまでの楽観さだけど、それが俺なのだから仕方がない。
そこそこ楽しかったなぁ、なんて思いながら気を失ったのまでは、覚えてる。
次の瞬間、俺は目を開いていた。起きた、というのが正しいのだろうか。ただ、とにかく、俺は死んでなかった。
いや、そうじゃなかった。俺は、赤子になっていたのだ。それに気づくまでかなりの時間を要したのは、仕方がないと思う。
自由に動かせない身体や思うように発声できないことにややもどかしさを感じつつ、俺はもしやこれが転生というやつか? とまたも楽観さを発揮していたのだが……。
ようやっと歩けるようになった頃、俺は衝撃の真実を知った。
俺を拾ってくれた、鍛冶屋を営んでいるらしい爺さん、ジークハルトの話と俺がその目で見た事実を統合するならば、俺は異世界に転生したらしい。
もちろん、爺さんが『お前は異世界に転生してきたのだ……』などと語ったわけじゃない。ただ、話が噛み合わないなぁ? とは思っていたのだ。テレビやケータイという単語が通じなかったり、逆に聖王国がなんだとか、爺さんの話が理解できなかったり。
しかし、爺さんの家である丸太小屋を一歩出た瞬間、何となくだが察したのだ。
極彩色の、見たこともない大きな鳥。猿のようで猿じゃない生き物。巨大な甲虫に人よりも大きな草花。
見たこともない景色。ありえない風景。
それは、この世界が、俺の住んでいた現代日本ではなく異世界フリージアという世界だからなのだと、知ったのは三歳になった頃だ。
こうして前世の記憶を持ちながら異世界に転生した俺は、人里離れた小屋に住む爺さんに育てられながらすくすくと育っていった。
前世の教訓を活かして、俺は子供の時から自己鍛錬を怠らなかった。適度に肉体を鍛え、爺さんに教わりながら勉強をした。
世界の歴史と読み書き計算を主に教わりながら体を鍛える日々。娯楽がなかったのも、精進に励めた要因の一つだ。
そうして十歳になったある日、俺は唐突に『森の外へ出てみよう!』と考えた。ただの冒険心というか、興味に抗えなかったのだ。
日課のトレーニングを終えた俺は、さっそく意気揚々と出発した。
そして死にかけた。
森と平原の境界線に、巨大な怪物がいたのだ。人型のそれは【巨人族】という名なのだ、とあとで爺さんに教わった。
ギガンテスの容赦ない一撃で、誇張ではなく十メートル以上も吹っ飛ばされた俺は、そのまま気絶してしまった。次に目が覚めた時には、もう爺さんの家の中だった。
『お前は馬鹿だ』
爺さんにはそう説教された。前々から森から出るなと忠告されていた分、俺は言い返せなかった。それと同時に、あんな化物の一撃に耐えられる俺は、一体何者なのだ? という疑問が湧いてきた。
その疑問に答えたのは、やはり爺さんだった。
ギガンテスに襲われてから急に体術や剣術を教えてくれるようになった爺さんが、ある日突然俺を呼び出して、俺の存在について語りだしたのだ。
爺さんによれば、俺は竜人という種族なのだそうだ。黒い髪と金色の瞳、浅黒い肌、逞しく成長を続ける俺の身体には、普通の人間とは違う部分がある。
耳の少し上から、後方に向かって角が生えているのだ。つるつるした黒い石のような質感のそれが、竜人の証なのだという。
竜人は大昔に何かをやらかして絶滅危惧種になったとかで、フリージアの世界じゃ嫌われ者らしい。差別的な扱いをされる、とも言われた。
その上、俺は竜人の中でもかなり特殊なんだとか。
竜人は種族的に、肉体が丈夫で近接戦闘に長けているのだとか。それを考慮した上で、俺の強さは異常だ、と爺さんは渋い顔で語っていた。
確かに、やけに頑丈な体だとは思ってた。木から落ちても怪我をしなかったり、変な猿っぽい生き物に石を投げつけられても痒い程度だったり。
幼いと形容しても差し支えない年齢でこれなのだから、将来はとんでもない化物になる、と爺さんは言っていた。事実、斧でぶっ叩いても浅い切り傷が出来るだけという、恐ろしい耐久力を手に入れた。
さらに魔力の総量も尋常ではなく、呆れた顔の爺さんにオメェドラグーンじゃなくてドラゴンだろ、と何度言われたことか。
そんなこんなで十八年。俺はジークハルト爺さんの世話になった。鍛冶屋を自称してるくせに客が一人も来ない意味の分からん爺さんだったけど、感謝は尽きない。
爺さんに「十八になったら出て行く」と伝えたとき、『そうか……』と呟いて俺に餞別としてくれたのが、黒竜骨の大剣だ。
鍛冶場の裏、物置の奥に仕舞われていた大剣を俺に見せながら語った話によると、この剣は世界でも至高の一品なんだとか。
あの時の爺さんの話を再現するなら、こんなことを言っていた――
『この剣は、竜の中でも一際強大な力を持つ黒竜の骨を、その牙と爪で削って鱗で研いだ大剣だ。あまりの生命力の強さに今でも魔力を引き寄せ続け、生半可な奴が持てば扱えないどころか、命を奪われかねないまさに魔剣。世界でも屈指、至高の一品だ』
――とまぁ、そういうことらしい。実際、爺さんも造り上げたは良いものの扱える人が居らず、しかも並大抵の輩では触っただけで魔力を吸われ、持ち上げることも叶わない化物級の代物だったせいで、物置まで運ぶのに一週間かかった、らしい。
それを、俺に寄越すというのだ。
『オメェのブッ飛んだ強さなら、こいつを扱えるだろうよ。いいか、くれぐれも間違えんな? こいつはまだ生きてる。生きた魔剣、それがこの黒竜骨の大剣だ』
恐る恐る握った魔剣は、一瞬だけ脈動した気配を見せた。おっかなびっくり持ち上げてみれば、なんのことはない、むしろ斧の方が重いんじゃないかというくらいの軽さだった。
『そりゃオメェ、選ばれたんだよ。その剣にな』
そう言ってにかりと笑っていた爺さんは、嬉しそうだった。
そうして手に入れた魔剣【黒竜骨の大剣】を背負い、俺は十八の誕生日に小屋を出た。
「……おっ」
これまでを回想しつつ歩いていた俺は、その音に気がついて声を上げた。ズシン、ズシンと地面を揺らすこの音は……
「グォォオオオ!!」
木々の間からのっそりと姿を表した巨人、【ギガンテス】。
「よぉ。懐かしいなぁギガンテス。八年ぶりか?」
親しみを込めて挨拶すると、大きな咆哮が返ってきた。
白樺みたいな色の肌に、苔が生えている。腕が異様に長くて地面まで届きそうだ。それでいて足も太いのなんの。青白いゴリラみたいな姿だが、サイズはまるで違う。
目測、おおよそ五メートル。化物だね、やっぱ。
「けど、俺だって今じゃ化物級なんだぜ? 八年前と同じだと思うなよッ」
「グオオオオオオ!!」
俺の声に呼応して、ギガンテスが叫ぶ。イイね、分かってるじゃねぇか。
ガツン! と右拳と左拳を打ち付けた俺は、ニヤリと口を歪めた。
旅立ちの景気づけに、雪辱を果たさせて貰うぜ、なぁ!?
「行くぜ――ッ!」
俺は叫んで、飛び出した。
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