08-奴隷に落ちたアリシア
アリシアが魔獣狩りの仲間と待ち合わせている酒場に入ると、そこにはリーダーのリガルの姿があるだけで、他の三人の姿は見えなかった。
「ア……アリシア……おまえ……無事だったのか……」
アリシアの姿を見たリガルは、驚愕を隠すこともなく呆然と呟いた。
確かに、魔獣の森の長に急襲されたあの状況で、その後ベーリル村の宿屋で合流できなかったのだから、命を落としていると思われても不思議ではない。
だからこそ、アリシアは急いでこの酒場に来たのだが。
「ええ、この通り無事よ。森で気を失っているところを、ベーリル村の村外れに住んでいた人に助けられたの。私が目を醒ますまで時間がかかったから、ベーリル村の宿屋で合流することはできなかったけど。」
まさか、もう私の財産を山分けしたりしていないでしょうね? と続けるアリシアに、リガルはにやりとした笑みを浮かべた。
「もちろん、そんな事はしていないさ。する必要もないしな」
リガルは懐から折り畳まれた羊皮紙を取り出しながら続ける。
「こいつを覚えているな?」
「ええ。私たちの財産を一旦この酒場に預けて、誰かが命を落とした場合、残りの者がそれを山分けするって約束の念書ね」
「そうとも。そいつが判っているなら話は早え。着いて来な」
リガルはそう言ってアリシアに背中を向けると、彼女を伴って酒場を出た。そしてそのままゼルガーの町中を歩き、辻を幾つか曲ってやがて裏通りのあまり雰囲気の良くない辺りに差しかかった。
元々この町の地理に明るくないアリシアは、もう既に表通りに戻る道もよく判らなくなり、不安ながらもリガルの後を付いていくしかなくなっていた。
やがてリガルはとある館の前まで来ると、その館の中に入って行く。仕方なく、アリシアも彼の後に続いて館に足を踏み入れる。
アリシアが館に入ると、入ってすぐの受付らしき場所で、リガルが中年の男性に先程の羊皮紙を見せながら何やら話をしていた。
しばらく話し合っていた二人だが、やがて受付の男がリガルに袋を幾つか手渡した。
その際に袋からじゃらり、とした音が聞こえ、アリシアはその袋の中身が銀貨であろうと察する。しかし、なぜ受付の男はリガルにあんな大金を渡すのか? そもそもここはどこなのだろう? という疑問が今さらながらアリシアの脳裏を掠める。
彼女は気づかなかったのだ。この館の入口に、「ロズロイ奴隷商」と刻まれた看板が掲げられていた事に。ここが奴隷商人の館だという事に。
袋を受け取ったリガルは、にやにやとした笑みを浮かべながらアリシアの元へとやって来る。
「ありがとよ、アリシア。おまえらのお陰で狩りには失敗してもいい稼ぎになったぜ。ま、おまえはてっきり死んだとばかり思っていたからな。生きていたのは運がいいのか悪いのか。おっと、おまえにしてみれば悪いに決まってるか」
「どういう意味っ!? 私にも判るように説明しなさいよっ!!」
意味を成さない言葉を並べるリガルに、段々といらいらが募ってきたアリシア。だがリガルはそんなアリシアの心境を理解しているのかいないのか、相変わらずにやにやした笑みを浮かべながら、先程の羊皮紙を彼女の前にかざし、とある部分を指差した。
「こういう意味さ」
リガルが指差した場所の文章を読み進めていくアリシア。やがてアリシアの身体ががくがくと細かく震え出した。
「そ……そんな……」
両手で口元を押さえ、驚愕に目を見開きながら食い入るように羊皮紙を見詰め、やがてその場でぺたりと座り込んだアリシアに、リガルが上から死刑の宣告にも等しい言葉を投げ下ろした。
「おまえはたった今、奴隷として売られたんだよ。この念書にある通りにな」
先ほどリガルが提示した念書。そこには次のように書かれていた。
『今回の狩りに際し、一旦所持している全ての財産を「燃え盛る暖炉」亭に預けることに賛同する。
同時に、万が一今回の狩りで命を落とした場合、その時は「燃え盛る暖炉」亭に預けた財産は生き残った者で分配することに合意する。
そして万が一、今回の狩りが失敗に終わった場合、その時は自身を奴隷とし、その代金でもって損失の補填を行うものとする』
そしてその下には、アリシアを始めとした三人の仲間たちの署名。
確かにこの羊皮紙に署名した覚えはある。財産を預ける事も、死んだ場合の分配の件も承知した。
だが、奴隷になる事まで承知した覚えはない。
そもそも、この念書にサインした時、そのような約束事は念書には書かれていなかったなずなのだ。
「何よこれっ!? こんな条件、念書にサインした時にはなかったわっ!!」
「ん? そりゃ、おまえが見落としたんだろ? どっちにしろ、奴隷になることを承知する文書におまえのサインがあるんだ。こいつはもう言い逃れできねえよ」
精々、いいご主人様に買って貰えるよう祈っててやるよ、と言い残してリガルは最後までにやにやと笑いながら館を後にした。
後に残されたアリシアは、館の受付の男──後にここの主人だと判った──に、館の奥に連れ込まれ、そこで着ていたものを全て剥ぎ取られた。
全裸にさせられたアリシアは、そこで様々な仕打ちを受ける事になった。
身体全身各所を隅無く調べられ、生い立ちや身に付けている技能や実技を尋ねられ、男性経験の有無まで聞かれる始末だった。
しかも、それらを行った館の人間は全員が男性だった。
異性の前で無理矢理全裸にさせられ、身体中の至るところを触られ、幾つもの屈辱的な質問に答えさせられて、アリシアの精神はあっという間に擦り切れて行く。
いつしか頭の中に霞がかかったような状態に陥りながら、アリシアは全裸のまま男たちに連れられて館の廊下を歩く。
やがて一つの扉に行き着き、その扉を潜った先で、アリシアは幾つもある格子で区切られた小部屋の一つに入れられた。
小部屋に入れられる前、男から胸と腰を隠す程度の布を与えられたが、頭がよく働いていないアリシアはそれを呆然としたまま受け取ると、それを身に纏うこともせず裸のまま小部屋に入った。
幾らか時間が経ち、ぼんやりしていた頭が次第にはっきりして来ると、アリシアはいまだに自分が裸でいる事に気づき、慌てて手にしていた布で胸と腰だけを覆う。
そして改めて周囲を見回せば、そこには自分と同じような幾人もの奴隷たちの姿があった。
様々な年齢の男女が、数人ずつ小部屋に押し込まれている。
そしてアリシアは、その中に一緒に狩りに行った三人の仲間の姿を見つけた。どうやら彼らも自分同様奴隷として売られたようだ。
彼らはしきりにアリシアに罵詈雑言を浴びせかけて来たが、アリシアはそれらを全て無視した。
その後、更に時は進み、アリシアは睡魔に襲われた。
周囲を見回せば、既に床でそのまま寝ている奴隷たちが何人かいる。
不意に自分を襲った余りにも酷い出来事。それらに心身共に疲労しきっていたアリシアは、いつの間にか睡魔に我が身を委ねていた。
今日あった出来事が夢であればいい。そう思いながら。
しかし、翌朝目覚めたアリシアは昨日の出来事が夢でなかった事を悟り、改めて涙した。
確かに自分は奴隷に落ちた。これは紛れもない事実。
しかし翌朝、救いの手はあっさりと彼女の前に現われた。その救いの手は、彼女が自分では気づかずとも、淡い想いを寄せている少年の姿で現われたのだ。
手の込んだ細工の入ったテーブルと椅子。そして高価な美術品が並ぶ応接室。
ここは貴族の館か王宮かといった趣の部屋に、現在リョウトと正式に彼の奴隷となった二人の少女はいる。
結局、リョウトはルベッタを奴隷として連れて行く事にした。
あそこまで正面からリョウトのものになりたいと言った彼女を、リョウトは置いて行く気になれなかったのだ。
そして先ほど彼らをここまで案内したロームは、奴隷購入諸々の手続きのために一時この場を離れている。
そしてその部屋でロームが手ずから入れてくれたお茶を飲みつつ、リョウトはアリシアにどうして奴隷として売られたのかその経緯を聞いていた。
「おまえは騙されたようだな。あのリガルという男に」
その言葉を発したのはリョウトではない。もちろん、アリシアでもルベッタでもなかった。
驚いたアリシアとルベッタが周りをきょろきょろと見回していると、リョウトの外套のフードの中からローが姿を現わした。
「りゅ、竜……っ!?」
「え? もしかして、今、喋ったのって……ロー……なの……?」
ローの姿を見て、ルベッタの身体が凍りついたように固まる。
アリシアはと言えば、ローを指差したままぽかんとしている。
「ああ。おまえには我が喋れることを伝えてなかったな。だがリョウトの奴隷となった以上、教えても差し支えあるまい」
「只でさえ、ローは小さいけど本物の竜って事で目立つしね。それなのに更に言葉まで喋れるのが判ると大騒ぎになりかねないから。アリシアには悪いと思ったけど黙ってたんだ」
ごめんね、とアリシアに謝りながら、改めてルベッタにローを紹介するリョウト。
ローを紹介され、まだ若干呆然としていたルベッタだったが、改めてリョウトとローを何度も見比べてにやりと口角を曲げながら呟いた。
「いやはや、まさか小さいとはいえ本物の竜を従えているとは……どうやら俺のご主人様は中々に底が知れない人物のようだな」
「別に従えているわけじゃない。僕たちは友達なんだよ」
「そうとも。我とリョウトは友だ。リョウトの祖父であるガランとも友であった」
ローによると、リガルの使用した詐欺の手段は実に初歩的な詐欺の手口だという。
念書を作る際、余分は空白をわざと空けておき、後からそこにリガルにとって都合のいい事を書き加えたのだろう。
今回の場合、財産を預ける事ともしもの場合の分配の件だけを念書に書いておいて、アリシアたちがサインした後から奴隷の件を書き加えたのだ。
ローの説明を聞き、ルベッタもそれで間違いないだろうと頷く。
聞けば何とも単純な手口だが、その手口にまんまと引っかかったのだ。引っかかった自分が間抜けだったとしか言い様がない。
「念書を交わす場合、人数分の念書を作るのが基本さ。そして一枚ずつ念書を所持する。そうすれば誰かが後から何か書き加えても、その他の念書と比較すればすぐに判る」
渋く、深みのある言葉が澄んだ音色で語られる。
どうもルベッタの外見と口調に違和感があるなあ、とリョウトは場違いな事を考えていた。
そんな時、不意にローがぴくりと首を動かすと、もそもそとリョウトのフードの中に潜って行く。どうやら誰かが近づいているようだ。
「お待たせ致しました、リョウト様」
ノックをして入室の許可を得、扉を開けたロームは相変わらず慇懃に頭を下げる。
彼の後ろには使用人らしき男が一人。その男は何やら手に荷物を抱えていた。
「そちらの娘がこの館で売られた際、身に付けていた物でございます。もっとも、武具に関しては、その娘を売った男が持ち帰ってしまいましたが」
後ろに控えていた男が進み出、リョウトにアリシアのものらしき衣服を指し出した。
「後、これは無料で提供致します。できましたら、今後とも当店をご利用いただきますよう」
「もう、僕は奴隷を買うつもりも、資金もないよ?」
「いえいえ、当ロズロイ商会は奴隷だけでなく、様々な商品を扱っております。何かご入用な際は是非、お声をおかけください」
そう言いながらロームが差し出したものは、女物らしき簡素なワンピースが一着と、二つの革製の首輪だった。
アリシアにはここに来る時に着ていた服があるだろうから、このワンピースはルベッタのためのものだろう。まさか今の胸と腰だけを申し訳程度にしか覆っていない姿──下着さえ着けていないのだ──で、町中を連れて歩くわけにもいかない。
では、この首輪は? そう思いリョウトがロームへと視線を向ける。
「奴隷の身には、主の名前──所持印を刻みます。そうして初めて、奴隷の所有を主張できるのです。一般的には、このように首輪に主の名前を刻みますが、中には直接奴隷の身体に入れ墨する者もいます。その場合は奴隷を転売できなくなりますので余りお薦めは致しません」
そう言われてリョウトは革の首輪を一つ手に取る。
よく見れば、既に首輪にはリョウトの名前が刻まれていた。
「首輪の件は了解したよ。それで一つ質問があるのだけど──」
リョウトは首輪を弄びながら、ロームに向かって改めて尋ねた。
「奴隷を解放するには、どうしたらいい?」
『魔獣使い』更新しました。
ようやくメインメンバーが揃いました。
今後はこの三人をメインにして話を展開させていきたいと思います。
王都に向かって出発するまで、あと2、3話かなぁ。
今後もよろしくお願いします。