07-奴隷商人の館
「昨日、元貴族の娘という奴隷が売られてきたと思うんだけど」
リョウトはにこやかに受付の男性に告げた。
対して受付の男性は、慇懃にリョウトに対応する。
「これは驚きましたな。確かに昨日、元貴族の令嬢だという娘を買い取りましたが……一体どこからその話をお聞きに?」
まだ、どこにもそのような案内は出していないのですが、と続ける男性に、リョウトはその娘を見せて貰えないかと切り出した。
男性は一瞬だけリョウトに値踏みするよな視線を向けるが、すぐにそれを引っ込めてではこちらに、とリョウトを館の奥へと案内する。
その途中、男性がふと思い出したかのようにリョウトに振り返ると頭を下げた。
「申し遅れました、お客様。わたくし、当店の主人を務めております、ローム・ロズロイと申します。どうぞ、以後ご贔屓に」
どうやら男性はただの受付係ではなく、ここの主人だったようだ。
そしてリョウトは、主人であるロームに案内されて館の廊下を進む。
ロームはリョウトを一つの扉の前まで案内すると、懐から鍵を取り出して開錠し、その扉を押し開く。
扉の中には格子で区切られた小部屋がいくつもあり、その中にたくさんの人間が押し込まれていた。
ざっと見たところ、下は10歳にも満たない子供から上は40代ぐらいまで。小部屋ごとに年齢と男女で区別されて入れられているようだ。
部屋に入って来たリョウトとロームに、格子の中から視線が向けられる。
媚を含んだような視線から、直接的な敵意の視線、そして何の感情も含まれていない無機質な視線まで。様々な視線が自分たちへと向けられる中、リョウトはゆっくりと歩きながら小部屋の中を見て回る。
途中、20代の男性が入れられている小部屋の中に、リョウトは見知った顔を見つけた。
それはアリシアと一緒に魔獣の森に来た、三人の魔獣狩りたちだった。
「おい、おまえ! すぐに俺をここから解放しろ!」
「そうだ! 俺は貴族なんだ! 奴隷として扱われていいはずがない!」
「今すぐ俺を解放すれば、おまえを騎士として取り立ててやろう」
リョウトを見るなり口々に勝手な事を抜かす三人を一切合財無視して、リョウトは歩みを進める。
そしてとうとう彼女を見つけた。
「リョウト……」
リョウトに気づいたアリシアの目が驚きに見開かれる。その目元には明らかに涙の跡と思しきものも見て取れた。
彼女は胸と腰回りだけを覆い隠すといった、必要最低限の衣服しか与えられていなかった。
いや、それは彼女だけではなく、全ての奴隷が最低限の布きれで身体を覆い隠していた。
別れた時には綺麗に三つ編みに編み込まれていたアリシアの赤味の強い金髪は、今は解かれて緩やかなウェーブを描いて腰の辺りまで流されている。
リョウトは驚いたままじっと自分を見つめるアリシアに、小さく頷くと背後に控えていたロームに向き直った。
「彼女はいくら?」
リョウトがアリシアを指差しながら尋ねると、ロームはにこりと奴隷商人とは思えない品のある笑みを浮かべた。
「お目が高いですな、お客様。こちらの娘は元貴族の娘で、しかも乙女というとても稀少な奴隷でして。ですから競りにかけようかと思っていたのですが……お耳の早いお客様に敬意を表して銀貨30万枚でいかがでしょう?」
一般庶民の一家が一日生活するのに銀貨が約五枚必要だと言われる。これは最低限の生活レベルではなく、充分に豊かといえるレベルでの話だ。
そしてリョウトは知らない事だが、アリシアと同じ年齢の少女の奴隷の相場が大体銀貨5万枚から10万枚。これは容姿や身に付けている技能など、そして処女か否かによって値段が上下する。
それでもどんなに高くて銀貨10万枚ほど。アリシアにつけた銀貨30万枚という値段は途方もなく高値であった。
実はロームには、リョウトにアリシアを売るつもりがない。
いや、正確に言えば、リョウトにはアリシアを買えるだけの金がないと判断した。
アリシアは元貴族というだけあり教養もあり、見た目も悪くはない。十分美しいと呼べる器量の持ち主である。
競りにかければ安くても銀貨10万枚。高ければ20万枚まで行くかも知れない。
ロームにとって、アリシアは久し振りの高値で売れる商品であり、ここでリョウトに売るわけにはいかないのだ。
どうやらアリシアとリョウトは知り合いらしい。ひょっとすると恋人同士なのかも知れない。
何らかの理由で奴隷として売られた少女を、その恋人が助けに現れた。
いかにもよくありそうな事情。そして、ロームはそのような事情に、実際に何度も出くわしていた。
だから敢えて相場よりも遥かに高い値段をリョウトに告げた。どう足掻いても払えないような大金を提示すれば、大抵の場合は諦めてしまうものだからだ。
そしてもちろん、リョウトは銀貨30万枚などという大金を持ち合わせていない。
しかし、リョウトはロームが予想もしていなかった条件を提示した。
「残念だけど、銀貨30万枚なんて大金、持ち合わせていなくてね。代わりにこれでどうかな?」
リョウトは腰の後ろに差していた、二振りの紫水竜の剣の一振りをロームに突き付けた。
ロームは差し出された剣を確かめる。そしてそれが紫水竜の剣であり、同じ拵えの剣がもう一振りリョウトの腰にあるのを見て、今までずっと慇懃だった態度が初めて崩れ、明らかな驚きを浮かべた。
「……二振りの同じ拵えの紫水竜の剣……ま、まさかこれは……かの竜斬の英雄、ガラン・グラランが愛用していた剣では……」
掠れるように呟かれたロームの言葉に、それまでざわめいていた奴隷たちが一瞬で静まり返る。
竜斬の英雄、ガラン・グララン。
それは暗黒竜バロステロスからカノルドス王国を守った、三人の英雄の一人。
その名はこの場にいる誰もが知っており、そしてその英雄が愛用したという剣に皆の視線が集まる。伝説の英雄が竜と対峙した際に使用した、正真正銘伝説の名剣に。
「あなたこそ目が高いね。これは間違いなく、ガラン・グラランが愛用していた剣だよ」
よく判ったね、というリョウトの声を、ロームは興奮冷めやらぬといったまま尋ねた。
「そ、そんなもの、見る者が見れば容易に判ります。紫水竜の剣は只でさえ珍しい。しかし、全く存在しないわけでもありません。ですが、全く同じ拵えの紫水竜の剣など、普通は存在致しません。それが存在するとなれば、それはかつてガラン・グラランが愛用していたとされるもののみ。して、お客様。どこでこの剣を手に入れられたので?」
「爺さんから譲り受けたのさ」
「そ……それでは……あなたは……」
「僕の名はリョウト・グララン。ガラン・グラランは僕の祖父だ」
リョウトの口からでたその言葉に、アリシアは信じられない思いでいた。
彼女もガラン・グラランの名は知っている。いや、この国に住む者で、ガラン・グラランの名を知らない者などいないと言っていいだろう。
魔獣の森の魔獣などに負けるような柔な爺さんじゃない、とリョウトは言っていた。
確かにかの英雄なら、いくら魔獣の森の魔獣が強くても負けるようなことはないだろう。
アリシアが驚きながら見つめる先で、リョウトとこの館の主であるロームは会話を続けている。
「竜斬の英雄、ガラン・グラランの孫……」
「本人は自分は竜斬の英雄ではなく、竜倒の英雄だと言い張っていたけどね。それでどう? あの娘を買うのにその剣で足りる?」
「も、もちろんですとも! 足りないどころかお釣りが必要なぐらいです!」
この世界で一般的に流通しているのは銀貨だ。人々は銀貨で何枚といった具合に物の売り買いをする。
一部の大商人や王侯貴族の間では、銀貨100枚分の価値のある金貨が使用される時もあるが、一般市民には金貨など縁がない。金貨を一度も目にする事なく死んでいく者が殆どである。
町や村の露店や商店での少額の買物なら直接銀貨で支払うが、時に高額な取引きをする場合、銀貨では嵩張って重いので宝石や装飾品を銀貨の代わりに支払う事がある。
その際、お釣りが出ても支払わないのが通例となっている。
リョウトも銀貨30万枚の代わりに紫水竜の剣を指し出したが、もちろんお釣りが返ってくる事など期待していない。
しかしこのロームという人物は、本当に奴隷商人なのかとリョウトが疑いたくなるような人物であった。なぜなら、ロームはリョウトにこんな提案を出してきたのだから。
「お釣りは出せませんが、代わりにもう一人、奴隷をお連れください。どのような奴隷をお望みですか?」
「え?」
これに驚いたのはリョウトだ。
彼はアリシアを助けるためにここに来た。別に奴隷が欲しくて来たわけではないのだ。
それなのに、まさかもう一人奴隷を連れていけと言われるとは思いもしなかった。
「い、いや、僕は奴隷が欲しかったわけではなくて……えっと……」
困惑するリョウト。彼は思わずアリシアへと視線を向けるが、当の彼女も戸惑っているようだった。
そんなリョウトに、ある人物が声をかけた。
「なあ、少年。だったら俺を買ってくれないか?」
その口調はまるで熟練した傭兵か魔獣狩りのよう。積み重ねられた経験が、思わず滲み出すような深みのある口調。
リョウトもその声の主が、苦みばしった渋い中年の男性であるかのように感じただろう。
その声が高く澄んだものでなければ。
思わず振り返ったリョウトの視線の先。そこには一人の女性がいた。
年齢は自分やアリシアよりは少し上。おそらく20代前半といったところだろう。
細くしなやかな身体は鍛えられており、この女性がただの庶民でないことは一目で判った。
そして胸元を押し上げる二つの大きな隆起と、細くくびれた腰。そこから描き出された豊かなカーブは、臀部を頂点にして滑らかさを失うことなく二本の形の良い足へと続いている。
アリシア同様胸と腰のみを布で隠したその肢体は、どこか少女の趣を残すアリシアとは違い、完全に熟した女性のそれ。
青みの強い艶のある黒髪を真っ直ぐに腰まで伸ばし、蒼玉のような輝く瞳は、まさに妖艶という表現がぴたりと嵌まる女性だった。
ちなみに、アリシアの胸だって決して小さくはないが、この女性の胸は明らかにアリシアを上回っている。
「えっと……」
戸惑うリョウトに、ロームがその女性についての説明をする。
「この者は、見た目はこのように美しいのですが……なにせ口調が少々その、乱雑でして。見た目で気に入ったお客様も何名かいらしたのですが、彼女が口を開いた途端購入意欲をなくされまして……」
恐縮しながら説明するロームに、リョウトは溜め息混じりに尋ねる。
「どうしても、もう一人連れていかないとだめかい?」
「いえ、どうしても、というわけではありませんが……紫水竜の剣は一本でも銀貨50万枚の価値があります。しかもこの剣はかつての英雄が使用したもの。その価値はおそらく銀貨100万枚を超えるでしょう。そのような物を代金として差し出される以上、銀貨30万枚の奴隷一人では割が合いませんよ?」
「あなた、本当に奴隷商人? 奴隷商人っていえば、もっとがめつくて意地汚い人たちだと思っていたんだけど?」
「ははは。奴隷商人といえども商人は商人。商人としての矜持がございますゆえ」
「低い元手で高く儲ける。それが商人の矜持じゃないのかな?」
「もちろん、基本はそうでございます。ですが、ここはかの英雄の血縁者と縁を結ぶ事を重視しようかと愚考します」
「英雄は爺さんであって、僕じゃないよ?」
「それでもです。商人にとって縁は時に商品以上に価値のあるものとなります」
リョウトにアリシアを売るつもりのなかったロームだが、彼が英雄の孫だと知った今ではもうそんな考えはない。
逆に、ここはどうしても彼と何らかの形で縁を結びたかった。
それは単なるロームの直感に過ぎない。しかし、彼はその直感を信じた事を後に神に感謝する事になる。
そして、どうしてもロームが引かないつもりだと悟ったリョウトは、先ほどからじっとこちらを見つめている黒髪の女性へと向き直る。
「君、名前は?」
「俺の名はルベッタ。かつては姓があったが、奴隷となった時に捨てた。だから今はただのルベッタだよ」
どうしても彼女と会話していると、熟練の傭兵や魔獣狩りと会話しているような気分になってくる。
「どうして僕に買って欲しいんだ?」
「少年はいい人のようだからな。いくら知り合いとはいえ、奴隷一人のために大切な祖父の形見をぽんと差し出すくらいだ。しかも、相当な値打ち物にも関らず、な。だからかな? 俺は不意に君のものになりたくなったんだよ。それに少年のその左右で色が違う瞳も気に入った。実にミステリアスだ。それにな? 俺はそっちの小娘のように乙女ではないが、逆にベッドの上での技に自信があるぞ? きっと少年をそっちでも満足させてやれると思うが?」
とルベッタは、乙女だと言われて真っ赤になっているアリシアをちらりと横目で眺め、ふふふと妖艶な笑みを浮かべた。
『魔獣狩り』更新。
同時に更新した『辺境令嬢』の方は第1部が終了したのに、こちらはその素振りもありません。
一体いつになったらおまえたちは動き出すんだ、と私はリョウトたちに言いたいです。
こんな按配ですが、気楽に気長にお付き合い願います。
今後もよろしくお願いします。