26-獣舞空雷駆地-2──魔獣乱舞
王都南部。
こちらに展開したセドリック軍は素早く城壁に辿り着くと、すぐに工作兵たちが破城槌の準備に取りかかる。王都の正門はこの南面に存在するからだ。
セドリック軍が梯子をかけて城壁を超えようとしたり、王国軍がそれに対応している間に、破城槌の準備が整った。
セドリック軍の工作兵たちが数人がかりで巨大な巻き上げ器を巻き、振り子の要領で破城槌を振り下ろす。
どん、と腹に響く轟音が響き渡り、固く閉ざされた王都の正門が悲鳴を上げる。
だが、一撃で崩されるほど、王都の正門は柔ではない。
続けて、二度、三度と破城槌が振り下ろされ、その度に正門が軋みを上げる。
そして、堅牢を誇る正門も、数度の殴打を受けて徐々にその姿を歪めていく。
合わせて、後方より十発ほどの岩弾が飛来し、城壁にがつんがつんと激突する。
正門を破城槌で揺さぶられ、城壁も投石器からの岩弾が少しずつだが確実に削っていく中。
王国軍の兵士たちは、足元の揺れにも負けることなく、城壁から攻城兵器を操作する工作兵を狙って矢を射かけているものの、攻城兵器部隊は敵軍の最奥に位置していて、城壁から矢を射かけてもなかなか届かない。
そして再び正門を襲う、破城槌の重い重い一撃。
正門に用いられている太く頑丈な木材に、ついに亀裂が入る。
それを見たセドリック軍の兵士たちが歓声を上げた。
「もう少しで正門が破れるぞ!」
「王都に入っちまえば、やりたい放題だぜ!」
セドリック軍の兵士──それも傭兵たちの間から、欲望の滲み出た声が各所で上がる。
彼ら傭兵の中には、最初こそ契約した内容と違うと文句を言う者もいた。彼らがセドリックと契約した時、王都を攻めるなどとは聞かされていなかったのだ。
もちろん、一部の傭兵たちは最初から王都を攻める事を聞かされていた者いる。だが、大多数は王都攻めなど聞いていなかったのだ。
しかし、王都に残る兵数が極めて少ない事と、攻め込んだ王都で好きなように略奪してもいいという約束を取り付け、彼らはこの王都攻めに参加する事を決意した。
正門さえ破れば、彼らを阻むものはない。
傭兵たちは瞬く間に暴徒と化して、王都の家々を荒し、そこに住む者たちを手にかけていくだろう。
そんな待ちに待った時間が目の前に迫っている。
傭兵たちの士気は嫌でも上がり、欲望にぎらついた目を輝かせた。
そして、再び正門と破城槌がぶつかる激しい音が戦場に響く。次いで、めきめきという何が裂ける音も一緒に。
今の一撃で、ついに正門が破られたのだ。
更なる歓声を上げ、開かれた正門へと殺到するセドリック軍。
だが。
我先に正門へと殺到するセドリック軍の、横っ腹を突いてそれは現れた。
一陣の風と共に、正門前に群がるセドリック軍の兵の中に飛び込んだそれは、兵たちを易々と蹴散らしながら真っ直ぐに正門前の破城槌へと向かう。
それは容易く破城槌まで到達すると、その頑強な後肢で破城槌を掴み上げ、両の翼を羽ばたかせて破城槌ごとふわりと舞い上がる。
そして、城壁より僅かに上まで上昇すると、そこから無造作に破城槌を放り捨てた。
城壁の高さから落とされた破城槌は、大地に叩きつけられて粉砕する。加えて、ご丁寧にも炎を吐きかけて破城槌を完膚なきまでに破壊した。
しかし、本来ならここで歓声を上げるはずの王国軍の兵士たちは、城壁よりやや高い位置で滞空するそれを呆然と凝視するばかり。
いや、それに注目しているのは王国軍だけではない。今まさに正門から王都へと雪崩れ込もうとしていたセドリック軍もまた、じっとそれを見上げていた。
「……ひ、飛竜……?」
そう呟いたのは、王国軍の兵士かセドリック軍の兵士か。
業風を孕んで滞空した飛竜は、その呟きに応えるかのように宙に留まったまま咆哮を上げた。
「失礼だが、この場の責任者はあなただろうか?」
城壁の上に展開していた王国軍の弓兵隊の隊長は、至近から聞こえたその声に我に返った。
見れば、そこにはいつの間にか三人の男女の姿がある。
赤褐色の魔獣鎧に身を包んだ黒髪で隻眼の男性一人と、同じ素材の魔獣鎧を着た赤味の強い金髪と黒髪の女が二人。
「お、おまえらは何者だ……? ど、どこから現れた……?」
隊長がそう尋ねたのも尤もだろう。
ここは戦場であり、敵に攻められている真っ最中の城壁の上なのだ。無関係の者が入り込んでいい場所ではない。
それともこの三人は敵だろうか? 敵ならなぜ、こうして自分にわざわざ声をかけたりするのだ?
不審そうに顔を顰める弓兵隊の隊長の質問に対し、三人の内のただ一人の男がついと視線を逸らす。
「あそこからです。あそこから今さっき飛び降りました」
「は……はあっ!?」
そう言う男の視線の先には、いまだに滞空し続ける飛竜。
「あなたがこの場の責任者ならば、これをご覧いただきたい」
ぽかんと飛竜を見上げる隊長に、男は羊皮紙を取り出してそれを彼に見えるように掲げた。
そして、それを見た隊長の目が驚きに見開かれる。
「こ、これは……これはユイシーク国王陛下からの……っ!?」
「はい。陛下からの指令書です」
その羊皮紙にはユイシークの直筆で、彼の指示に従うようにとの命令が記されていた。もちろん、国王の署名もしっかり入っている。
そして、その指令書には目の前の男たちが何者なのかも記されていた。
「……ま、『魔獣使い』……」
「魔獣使い」。その名前はこの隊長も耳にしていた。
恐るべき魔獣を自在に操る異能の持ち主にして、稀代の英雄。いまやその名声は国王であるユイシークに並ぶとも劣らないほど。
そして、目の前の隻眼の男こそが、その『魔獣使い』だと国王直筆の指令書に書かれていた。
それに疑うよりも何よりも、空に滞空したままの飛竜の存在が、彼が正真正銘『魔獣使い』である事を雄弁に語っている。
「はっ!! 失礼しました、『魔獣使い』殿! この場の指揮権を陛下の命令に従い貴殿に預けますっ!!」
一部隊の隊長に過ぎない彼に、国王直々の命令を無視できるような権限があるはずもなく。ましてや、例え国王の字を見たことがなくても、国王の署名の入った司令書を疑うなど以ての外。
そういう意味では、この隊長は実に優れた軍人であった。
びしっと敬礼した弓兵隊の隊長は、直ちにその事を部下たちにも通達する。
そしてこの時こそ、数日前にランバンガの反乱軍を恐怖のどん底に落とし込んだ悪夢が、再び幕を開けた瞬間であった。
「じゃあ、行って来るわね」
「気をつけて」
「ええ」
アリシアはそっとリョウトの頬に口付けると、リョウトの指示に従って高度を下げた飛竜の背へと再び飛び乗る。
その際、彼女は口元を覆うように布を巻き付けていた。
アリシアを乗せたバロムは、再び咆哮すると滑るように飛翔を開始する。目標は押し寄せているセドリック軍の最奥に陣取っている数基の投石器である。
いくら王都を囲む城壁が頑強でも、今後岩弾を続けて当てられればどこかで崩壊しかねない。
だからアリシアはリョウトの指示の元、バロムと共にこの投石器を黙らせに行くのだ。
アリシアは敢えて敵兵たちの頭上すれすれを進路に選ぶ。
一万という数はやはり膨大である。混乱している今、少しでもその数を減らそうというのが彼女の、いや、彼女の主の狙いである。
巨大な飛竜が自分たちへと向かって飛んで来る。
その光景に、セドリック軍の兵士たちは瞬く間に恐慌に陥る。しかし、これまでに何度も場数を踏んで来た傭兵たちは、徐々にだが統制を取り戻していく。
しかし、完全に統制を取り戻す前に、バロムはその巨体ごとセドリック軍へと突っ込んだ。
巨体そのものを超質量の武器として、並み居るセドリック軍を蹴散らしていく。
その背の上で、アリシアもまた愛用の棹斧を振るって敵兵を打ち倒す。
中には、果敢に反撃を試みる勇敢な敵兵も何人かいた。
己の得物を振りかざし、迫る飛竜へと絶妙の時期を見計らって渾身の力で振り下ろす。
だが、相手は超重量の飛竜である。その飛竜が勢いをつけて飛び込んでくるのだ。人間がどうこうできるようなものではない。
事実、振り下ろした得物はあっさりと弾かれ、逆に飛竜の巨体に兵士の方が跳ね飛ばされる。
そうやって敵兵をなぎ倒しつつ、バロムは最奥の攻城兵器部隊へと辿り着いた。
「バロムっ!! 遠慮はいらないわっ!! 思いっ切りやりなさいっ!!」
口元を覆う布のせいでやや不鮮明だが、その指示は間違いなくバロムへと届いた。
バロムはそれに応えて一声咆哮すると、口から灼熱の炎を吐き出して投石器に襲いかかった。
先程、バロムによって破壊された破城槌。
それは今、正門の脇で盛大に炎に包まれていた。
そんな破城槌の残骸のすぐ横、すなわち破壊された正門の正面。
そこに小さな岩山が出現していた。
それは確かに岩のようだった。
みるからにごつごつとした固そうな鱗に全身を包まれた、小山の如き巨大な魚。
それが破壊された正門の前にどっかりと陣取り、セドリック軍の侵入を阻んでいる。
それでも、セドリック軍の兵士たちは果敢にこの岩山のような魚に挑んでいく。
なんせ、この巨大魚の向こうには、彼らが望んでも止まない王都の街並みが広がっているのだ。
それを黙って見ているだけで収まるはずがない。
しかし、セドリック軍が近づくと、巨大魚は口から水を散弾のように飛ばしてそれを阻む。
撒き散らされた水の弾は、その一つひとつは人間を仕留める程の威力はない。だが、人間を吹き飛ばすぐらいの威力はあるのだ。
水の散弾をくらい、後方へと吹き飛ばされてる兵士たち。
吹き飛ばされた兵士たちは、背後にいた他の兵士たちをも巻き込んで将棋倒しのように次々に倒れていく。
そんな敵兵の様子を、巨大魚は鰭を四肢のように使って身体を支え、ぎょろりとした魚眼で無表情に見詰める。
無理に敵兵の命を奪う必要はない。敵をここから後ろへと通さなければいい。
それがリョウトから岩魚竜に与えられた指示なのだから。
一万人もの人間が一同に集まるには、それなりの面積が必要になる。
もちろん、王都の周囲に広がる平原部は広大で、一万の部隊が三つ展開しても十分なほどの面積を持っている。
そしてそれは、そんな部隊の一つが押し寄せる、王都南部も同様である。
とはいえ、一万人全てが城壁や正門に取り付けるわけもなく、城壁や正門付近には多くの兵士たちがひしめき合う事になるのは明らかだ。
そして、それはそんなセドリック軍の兵士たちがひしめき合っているど真ん中に突然現れた。
どぱん、という何かが弾けるような大きな音と共に、真っ黒い巨体がセドリック軍の真ん中から突き出すように出現する。
その地点にいた十数人の兵士たちを吹き飛ばしながら、天を突くように地面から飛び出したそれは、次にそのまま横倒しに倒れ込んでいく。
突如現れた真っ黒い巨大な何か。地面から空へと真っ直ぐに突き出したそれが、ゆっくりと倒れ始めた時、倒れる方角にいた兵士たちは慌てて逃げ出そうとした。
だが、一万人もの人間がひしめいている中、それは容易なことではない。
周囲にいる多くの仲間たちが逆に邪魔となり、逃げるに逃げられない兵士たちは、倒れてくるその巨大な何かに押し潰されてしまう。
巨大な何かは、倒れたままずぶずぶと地面へと潜っていく。
巨体が完全に地面に消えた後、そこには巨体に押し潰された何人分もの兵士たちだった「沁」が残されるばかり。
その事に顔を青ざめさせつつも、兵士たちは不安そうに辺りを見回す。
先程の黒い何かが、もう一度現れるかもしれないからだ。
そしてその予想通り、再び突き出すように現れる黒い何か。
それは再び数十人の兵士たちを「沁」へと変えて、またもや地面へと姿を消した。
今、セドリック軍の兵士たちは、いつ現れるかもしれない黒い何かに怯え、王都を攻めるどころではなくなってしまっていた。
「ま……『魔獣使い』……」
城壁の上、弓兵隊を率いていた隊長は、隣に立つ隻眼の男へと畏怖の篭もった視線を向ける。
この隻眼の男は、まさに自分の手足の如く魔獣を操り、一万もの敵の大軍と対峙している。
そう、まさに。
セドリック軍、南方展開部隊一万は、城壁に立つ一人の男が操る数体の魔獣に完全に翻弄されていた。
本日もまた、『魔獣使い』更新しました。
今回は主人公の活躍。いや、正確には主人公が使役する魔獣たちの活躍ですが(笑)。
さて、前々回にあと5回ぐらいで完結かなーと後書きで零したりしましたが……無理だっ!!
残り3回ではとても書ききれない! ということで、残りの回数は不明ということでひとつ(笑)。
でも、さすがに10回は続かないと思うけど……はてさて。
では、次回もよろしくお願いします。