23-暗黒竜
今回、後半にちとグロい描写あります。ご注意されたし。
ユイシークとジェイク、そしてサイノスは、上空で力強く羽ばたく巨大な漆黒の身体を呆然と眺める。
二枚一対のその黒い翼は、飛竜であるバロムの翼よりも倍は大きい。
宙に浮かんでいるのが信じられない巨体もまた、バロムが子供に見えてしまうほどだ。
ジェイクの大剣ほどもある爪は鋭く、口腔にぞろりと生えそろった牙も、そこらにある剣よりもよほど剣呑。頭から後ろへと伸びた角は、どんな強固な鎧や楯も容易く貫くだろう。
神と呼んでも誰もが納得するであろう、見ているだけで思わず身体が震え出す圧倒的な存在感。それは人間や魔獣などを遥かに超越した存在だった。
「あ……あれが……」
「……かつてこの国に、破壊と殺戮を撒き散らしたという……暗黒竜……バロステロス……か……」
今にも折れそうになる膝を必死に支えながら、ユイシークとジェイクは空を見上げる。
そんな彼らを、リョウトは大地に這い蹲りながら呆れまじりに感心する。
あれだけの存在感を前にして、二人は今なおしっかりと立っている。それだけでも大したものだとリョウトは思う。
現にサイノスは自分でも気づかないうちに、その存在を前に腰を抜かしてしまっているのだから。
リョウトは顔の左半分を血に染めながら、空に滞空するその巨体をじっと見上げた。
「血の匂いがするぞ」
時間は少し遡り、リョウトたちとアリシアたちが邂逅する少し前。
もそりとフードから這い出したローが、いつものようにリョウトの肩へと留まる。
王都を囲む平原部に展開するセドリック軍から発見されるのを嫌ったリョウトとユイシーク、そしてジェイクは、平原部の外周にある森の中へとバロムを降下させた。
そこから森の中を徒歩で進んでいた途中、ローが突然血の匂いがすると言い出したのだ。
「敵……か?」
「判らんな。セドリックが背後からの急襲を警戒して、この森に斥候を放っている可能性はある」
三人は警戒しつつ、森を進む。
しばらく行くと、前方に人影が見えた。
人影の数は二。それぞれ武装し、手にした得物をこちらへ向けて警戒しているようだ。
「……やはり、敵の斥候か?」
ジェイクが背の大剣の柄に手をかけながら、いつでも飛び出せるように腰を落とす。
だが、リョウトが彼の行動を遮った。
「いえ、あれは敵の斥候じゃありません。あの二人の得物を見てください」
「なに? 得物だと?」
興味を引かれたのか、ユイシークがおもしろい物でも見つけたような顔つきで前方を注視する。
人影たちが手にしている得物は、棹斧と弓のようだ。
弓はともかく大振りな棹斧という武器は、斥候が持つには不向きな得物である。
それに、ジェイクにはその武器に心当たりがあった。
「棹斧に弓だと? それじゃあ、あの二人は……」
「ええ。僕の従者たちです」
ジェイクの言葉にそう答えたリョウトは、無警戒にその二人へと近づいて行った。
男が目が醒めた時、目の前には五人の人間がいた。
その五人は、縛られたまま地面に転がされているその男を、様々な表情で見下ろしている。
五人の内、二人は彼も良く知っている。彼が目付として配置された傭兵隊を実質取り仕切っていた女たち。
彼が秘かに自分のものにしたいと、暗い欲望を抱いていた女たちだ。
先程彼自身がつけたはずの傷が全く見受けられない。その彼女たちはじっと憎々しげに睨み付けている。
残る三人は全員が男。
一人は明るい茶髪に黒い目。腰の凝った意匠の小剣と、煌びやかな彫金の施された鎧を纏っている事から、それなりに身分の高い人物だろう。
この人物は、まるで新しい玩具を与えられた子供のような表情で自分を見ている。
もう一人は金髪に碧の瞳。背に大剣を背負い、装備した鎧の胸には、彼でも知っている近衛を現す紋章。
そして最後の一人は、女たちと同じ魔獣の素材を用いた魔獣鎧を身につけた黒目黒髪の男。だが、どういうわけか左目だけが紅い。
最後の二人が自分を見る目に特定の感情らしきものはない。警戒こそしているものの、無表情に見下ろすのみだ。
そして、男は自分を見下ろす三人のそれぞれの特徴から、彼らが何者なのかを理解した。
「ら……『雷神』ユイシークに、近衛隊長の『大剣』のジェイク……そ、それに『魔獣使い』……」
セドリック・エーブルの腹心として、王国の中枢人物の特徴は頭に入れてあった。そして、彼の主であるセドリックの勧誘を撥ね除けた『魔獣使い』の事は、セドリックの部下ならば誰もが知っている。
「俺たちの事を知っているのなら話は早い。おまえの知っている事を教えてくれねえか? そうすりゃ──」
「命だけは助けてくれる……ですかい?」
ユイシークの言葉の先を取る男。そんな男を見て、ユイシークは悪戯小僧のような顔で告げた。
「いや、俺の部下にしてやる。聞いたところによると、おまえはおもしろい異能を持っているそうじゃねえか」
「はあっ!? 正気ですかい? そっちの姐御たちにも言ったが、俺はエーブル伯爵の腹心ですぜ? 敵の腹心を部下にしようなんてどういう魂胆だよ?」
訝しそうに目を細める男に、ジェイクが呆れたような声で告げる。
「こいつは昔からこういう奴なんだよ。人材収集癖ってのか? おもしろそうな奴がいると、すぐに自分の部下にしたがンだ。それこそ、敵だろうがなんだろうがな」
ユイシークが持つ、人を惹きつけて止まない何か。
それは今まで、様々な有能な人材を彼の元へと惹き寄せてきた。かつては敵だったのに、今では彼に絶対の忠誠を誓っている者もいるほどに。
『銀狼牙』討伐の際にリョウトたちと同行した近衛のジェイナスとその仲間たちも、ちょっと前までは敵だったのだ。そんな彼らも、様々な理由から今ではユイシークの忠実な部下となっている。
かく言うジェイクもまた、幼い頃にそんなユイシークに惹かれた一人である。
ぽかんとユイシークを見上げる男と、おもしろそうな顔で男を見下ろすユイシーク。
どれぐらいそうやって見つめ合っていただろうか。男の表情からぽかんとしたものが消えると、代わりににんまりとしたものが浮かび上がった。
「本当に部下にしてもらえるんで? ところで一口に部下って言ってもどれくらいの地位です? まさか、一兵卒とか言いませんよね?」
「そうだな……とりあえず、近衛でどうだ? ここにいるジェイクの部下って事にもなるが」
また俺に丸投げかよ、というジェイクの愚痴を無視して、ユイシークは男にどうするかを尋ねる。
「俺を部下にしたら、後ろからぶすりといくかもしれませんぜ?」
「おう。やれるものならいつでもやってみな。遠慮する必要はない」
それまでの悪戯小僧のような表情から、一変して凄みのある笑みをユイシークは浮かべる。
そのいっそ獰猛と呼べる彼の顔を見た時、男は自分が様々な意味で敗北した事を悟った。
「………………サイノス」
「ん?」
「サイノス・キャバリエ。それが俺の名前でさぁ。これからよろしくお願いしやすぜ、陛下」
ユイシークに降ったサイノス──ルベッタが刺した両足の傷はユイシークが癒した──の情報を元に、リョウトたちはその場で今後の行動を相談する。
「……なるほど。セドリック軍が攻撃を開始しないのは、総大将のセドリックがまだ本陣に入っていないからか」
「ええ。ですが、俺が知る限りセドリックはもう本拠地を発ってるはずです。そろそろ本陣入りしていてもおかしくはありません」
「という事は攻撃の開始は時間の問題か……で、その本陣は東西南のどこにある?」
「予定では王都の東に展開している部隊の最奥に本陣を置くはずです」
「そうか……さて、どうする?」
ユイシークは腕を組みながら、残る五人を順に見回す。
「三つの敵部隊の内、一つは俺とジェイクとサイノスが、もう一つをリョウトとアリシア、ルベッタが受け持つとして……問題は残る一つだな」
「どうやらセドリックの奴、おまえとリョウトの事を考えて部隊を三つに分けたっぽいしな」
リョウトとユイシークの異能。そして王都に残された戦力。
それらを把握しているからこそ、セドリックは王都を完全に包囲する事なく部隊を三つに分けて東西南に配置した。
三つの内二つをリョウトとユイシークが撃破したとしても、残る一つの部隊が二人が戦っている間に王都を襲う。
一万という兵力は、五百の守兵しかいない王都を落とすのに十分な戦力である。
と、真面目な顔でとんでもない事をさらりと言ってのけた国王と近衛隊長に、きょとんとした顔のサイノスが恐る恐る口を挟む。
「あ、あの……陛下? 今、敵の部隊の一つ……一万の敵を陛下とキルガス隊長、そして俺の三人だけで受け持つとか……言いませんでした?」
「おう、言ったぞ? ついでに、別の一万もリョウトたち三人に任せるつもりだが?」
「僕もそれで異存はありません。アリシアとルベッタもいいね?」
「ええ。リョウト様と一緒ですもの。例え敵が一万の大軍でも恐くはないわ」
「ふふふ。一万の大軍をたった三人で相手取る、か。まるで安っぽい英雄譚だな」
異様な会話を平然と交わす自分以外の五人に、サイノスは開いた口が塞がらない。
「いや、あんたら、絶対頭おかしいだろっ!? どうしたら一万を三人で受け持つとか思えるんだっ!? 普通、そんな事考えもしねえってっ!?」
「生憎と、ここにいる連中はみな普通じゃないのさ。いや、普通じゃない事に慣れちまったンだな」
ジェイクの言葉にルベッタが苦笑する。
この場にいる六人の内、彼女とジェイクだけが異能を持たない。いわば「普通」の人間である。
だが、「普通ではない」者たちと接している内に、いつの間にか「普通ではない」ことが「普通」になってしまった。その事に彼女は思わず苦笑してしまったのだ。
「それより、残りの一万の部隊だ。こいつをどうするか……」
森の中で地面が見えている場所に簡易的な地図を書き込み、ユイシークは再び腕を組んで唸る。
「王都の五百の兵力じゃ勝てない事は明らかだし、鎮圧軍が王都に戻るのは待っていられない……くそ、どっかに傭兵隊でもいないもんかな? それこそ、一万以上の大部隊の傭兵隊が」
「俺たちが連れてきた傭兵隊なら近くにいるが……所詮、百人程度じゃ意味がないしな」
五百が六百になっても一万の前では大差ない。
それが判っているからこそ、アリシアとルベッタはカロスの傭兵隊を動かす気になれないでいた。
「くそっ!! 本来ならここでこうやって言い合っている時間も惜しいってのによ! おい、リョウト。何かねぇのか? 実は他にもっと強大な魔獣を隠していた、なんて都合のいいこ──っ!?」
苛立った声で、リョウトを振り返りながら尋ねるジェイク。
そのジェイクは言葉の途中で息を飲む。
なぜなら、その時のリョウトの表情を見てしまったからだ。
リョウトは今、波一つない穏やかな水面のような落ち着いた表情をしていた。
だがジェイクは、いや、アリシアも、ルベッタも、ユイシークも、そしてサイノスまでもが彼の顔に確たる決意が浮かんでいる事に気づく。
「ま……さか……いる……のか……? 他に魔獣が……?」
絞り出すようなジェイクの声。
だがリョウトはその声には応えず、肩に留まっている昔からの相棒へと目を向けた。
「ロー」
「…………良いのだな?」
「ああ」
小さな黒竜は、ふわりとリョウトの肩から舞い上がると彼の顔の正面へと移動する。
「おい、リョウト様? ロー?」
「な、何をするつもりなの?」
従者たちが不審そうに主とその相棒を見詰める。一人と一体の間に流れる独特の雰囲気に、只ならぬものを感じて思わず彼女たちは主の元へと駆け寄る。
だが、二人が主の元へ到達するより早く、ローはその小さな前肢をリョウトの左の眼窩へと突き刺した。
「ろ、ローっ!! 何をするっ!?」
「リョウト様っ!!」
従者たちがせっぱ詰まった悲鳴を上げる。先程は自分たちがどれほど傷つけられようとも、悲鳴一つ上げなかった彼女たちが、まるでこの世が終わるかのような悲痛な思いを露にして叫んでいる。
もちろん、ユイシークもジェイクもサイノスも、この突然の暴挙に驚きを隠そうともせずに立ち尽くす。
そんな各人たちの耳に、何か湿ったぐにゅりという何とも怖気をふるうような音が響く。
そして同時に上がる苦悶の声。
湿った音の正体は、ローがリョウトの左の眼球を抉り出した音であり、苦悶の声は激痛を噛み殺すリョウトの喉の奥で発せられたものだ。
顔の左半分を血に染めながら、リョウトが地面に倒れ伏す。
地に倒れたリョウトに駆け寄る従者たち以外の三人は、小さな黒竜が抉り出したリョウトの眼球をぱくりと喰らい込み、そのまま嚥下するのを見た。
「…………頼むぞ、ロー……いや────」
リョウトは激痛に耐えながら癒蛾を呼び出しつつ、空へ上昇していく小さな相棒へと微笑みかける。
「────僕と爺さんの相棒、バロステロス」
その小さな身体が空へと舞い上がる。
普通ならすぐに見えなくなるはずのその小さな身体。
だが、地上から見上げるユイシークとジェイク、そしてサイノスの目は、いつまでもその黒い身体を捉え続けていた。
「……お、おい、シーク……あのチビ竜……」
「ああ……大きくなっていくぞ……」
空へ舞い上がった小さな身体は、見る間に大きくなっていく。
その大きさは猫を超え、犬を超え、牛や馬の大きささえも超えていく。飛竜など一般に大型と呼ばれる魔獣の大きさも瞬く間に超え、まるで空全てを覆うような巨体となる。
数十年前、このカノルドスに大いなる厄災をもたらしたと言われる破壊の化身。
今でも数多くの吟遊詩人が題材にする、最悪最凶の災神。
その漆黒の巨竜が今、甦ったのだ。
この時、セドリック軍の本陣でセドリックがリークスの右手の甲に短剣を突き立てたのだが、リョウトたちがそれを知る事はこの戦いが終わった後であった。
今日もまた『魔獣使い』更新しました。
はい、そういうわけで、封印を持っていたのは某イタい人ではなくて主人公の方でした。
連載開始当初からリョウトの左目だけが紅いと何度も言っていたので、これを予想していた人はきっとたくさんいた事でしょう。
もしも一人でも予想外だと驚く人がいたら、それだけで自分の勝ちだと勝手に勝利宣言します(笑)。
それから、昨日の更新分で「アリシアとルベッタがセドリックの目付を殺さないのはおかしい」との指摘をうけました。
言われてみれば尤もなので、昨日の更新分のその辺を少々改訂。合わせて、あのまま退場するはずだった彼をユイシークの部下にする事になりました。しかも、本来なら名前もないはずだったのに、名前までついて!
いやー、まさかあいつがこんなに出世するとは(笑)。自分でも思ってみなかったよ。
でもまあ、「超速」の異能は書いてておもしろいので、最後にもうひと働きしてもらいましょう。
本来なら『怪獣咆哮』の方を進める予定でしたが、煮詰まってしまったのでこちらを先に。
『辺境令嬢』は、こちらの展開の関係で少々後回し。でも、今日の更新で『辺境令嬢』の方も進めらるようになりましたので、次の更新は『辺境令嬢』の予定。
さあ、あと少しですががんばっていきます。
では。
 




