22-従者たちの苦戦-2
互いに背中を預け合いながら、アリシアとルベッタは荒い息を吐く。
二入がぎっと鋭い視線で見詰める先では、一人の男がどこか軽薄そうな笑みを浮かべて立っている。
彼の手にしているのは突剣。二振りの突剣を左右の手でゆらゆらと振る。
その二つの刃は赤黒い血糊で汚れていた。言うまでもなく、それはアリシアとルベッタの血だ。
「……どう見る?」
「……限定的な瞬間移動……『転移』の異能かしら……?」
「俺もそう感じたが……果たして、本当に『転移』なんて出鱈目もいいところな事ができるのか?」
「出鱈目と言えば、リョウト様の異能こそ出鱈目でしょ? だったら他にどんな異能があっても不思議じゃないわ」
「……違いないな」
全身から出血しつつも、それでも二人の闘志は尽きていない。
今も目の前の男の能力を暴くべく、必死に考えを巡らせている。
軽薄そうに見えて、この男は間違いなく強い。その異能の力もあって、アリシアとルベッタがまるで手も足も出ないのだ。
今、二人が立っていられるのは、偏に男が手を抜いているからに過ぎない。
男がその気になっていれば、もう何度も二人は殺されているだろう。
では、なぜ男は手を抜いているのか。
その答えはこれだ。
「考え直す気になりやせんかね? 俺、姐御たちのことは気に入っているんですよ。できれば、殺さずに俺のモノにしたいんでさぁ。こう見えても俺、エーブル伯爵の側近の一人でしてねぇ。伯爵が天下を取った暁には、俺も貴族にしてもらうと確約してあります。どうです? 俺のモノになれば、楽な暮らしをさせてあげますぜ?」
にやにやとした笑みを顔に貼り付け、男は二人を籠絡しようと試みる。
だが、それに対する二人の答えは画然とした否だった。
「断ると何度も言ったはずよ。私はあなたのモノになんてならないわ」
「おいおい。そこは『私たち』と言え、『私たち』と。まるで自分だけがあの人のモノみたいに言うな」
軽口を叩きながら、それでもルベッタは男から目を離さない。
どんな些細な事でもいいから、彼の異能の正体を見極める情報を得ようと、じっと鋭い視線を注ぐ。
もちろん、アリシアも同様に男を見詰め続ける。
そんな二人が見詰める中、またもや男の姿が掻き消えた。
「くっ!!」
「気をつけろ! どこから来るか判らんぞっ!?」
二人は視覚だけではなく、嗅覚や聴覚、そして肌に感じる空気の流れ──触覚──の全てを動員し、男の現れる場所を特定しにかかる。
アリシアは左手の楯を顔が下半分が隠れるほどの高さに掲げ、右手の飛竜刀を前方に突き出す。
対してルベッタは、この敵に弓では不利と早々に悟り、愛用の合成弓を投げ捨てて右手に短剣、左手に剣鉈を装備して襲い来る敵に対して身構える。
そしてアリシアとルベッタの耳が僅かな物音を拾うと同時に、敵がその姿を見せた。
現れたのはルベッタの左。現れると同時に男が突き出した突剣が、ルベッタの左腕の上腕部分を浅く切り裂く。
アリシアよりも肌の露出部分の多い魔獣鎧を装備しているルベッタを、男は重点的に狙っているようだ。
新たな傷から滴る血をルベッタは乱暴に右手の甲で拭いながら、炎のような視線を一瞬で距離を取った男へと向ける。
「……いつまで嬲るつもりだ?」
「もちろん、姐御たちが俺のモノになってくれるって言うまでですよ」
「そんな事は未来永劫、ないと何度も言っているだろ────」
不意に言葉を途切れさせたルベッタを、アリシアは肩越しにちらりと眺める。
見れば彼女は、じっとどこか一点を食い入るように見詰めているようだった。
そんなルベッタの様子に不審そうな素振りを見せつつも、男の姿が再び消える。
次に現れたのはアリシアの真っ正面。
アリシアは咄嗟に右手の剣ではなくて左手の楯を真っ直ぐに突き出した。
「うわっとっ!!」
まさか楯で殴りかかってくるとは思っていなかったようで、焦ったような様子を見せた男の姿が再び掻き消え、五メートル程離れたところに現れる。
「うーん、エメリィの姐御は思ったより手癖が悪いなぁ。見た目は貴族の令嬢でも通りそうなのに」
「悪かったわね、手癖が悪くて。それに楯は時として立派な武器になるのよ。覚えておきなさい」
「ご高説どうも。忠告としてありがたく聞いておきやす」
にやにやとした笑みを絶やす事なく、男は飄々と軽口を叩く。
そんな彼にアリシアが付き合って応じたのは、何かに思い当たったらしいルベッタが考えを纏める時間を稼ぐためだ。
離れた場所で、構えらしい構えも見せずにただ立っているだけの男。
その男を、ルベッタは何も言わずにじっと見詰める。
そして。
そして、ルベッタの口角がきゅっと持ち上げられる。
アリシアもまた、背中越しにその事を敏感に察した。
二人の雰囲気がどことなく変わった事を、男もまた敏感に感じ取っていた。
「……どうかしやしたか? 何か、雰囲気が変わったような……」
男はにやけた笑いを消し、初めて突き刺さるような視線を二人に向けた。
「……まさか、俺の異能の正体に気づいた……?」
「さて、どうだろうな?」
男が零した呟きに、ご丁寧にルベッタが答える。
途端、男から飄々とした雰囲気が消え、代わりに明確な殺気が立ち昇る。
「ふーん……それが本当かはったりかは知らねえが、俺の異能の手がかりを掴んだ以上、生かしておくわけにはいきやせんねぇ……」
男が低く腰を落とし、両手の突剣を目の前で交差するように構える。
それはこの男が初めて見せる明確な構え──攻撃体勢だった。
「異能は俺の切り札だ……誰にも話していないし、誰も知らねえ……それこそ、エーブル伯爵にも教えてねえんだ……」
男の瞳に明確な光が宿る。
光が意味するものは必殺。ただ、それのみ。
「その俺の異能の片鱗だけでも姐御たちが掴んだというなら……もったいねえ……本当にもったいねえが仕方ねえ……今度こそ本当に死んでもらうぜ!」
男の言葉が言う終わった瞬間、男の姿が消える。
そして、男の姿が消えると同時に、ルベッタもまた動いた。
地面の一点──先程まで男が立っていた場所──を凝視していたルベッタは、明かな笑みを浮かべるとそのまますとんと腰を落とすように身体を沈み込ませる。
そして長く形の良いその足を、すっと地面より僅かに上、何もない空間へ差し込むように伸ばした。
途端、驚いたような声と同時に、空中につんのめったような姿勢で男が姿を現す。
男はそのまま受け身を取る事も適わず、しばし空中を滑空するとそのまま手近な木の幹へと頭から激突した。
「…………………………え?」
その余りに突然過ぎて、滑稽でさえあった光景にアリシアが思わずぽかんとした表情で固まる。
そんなアリシアを無視して、ルベッタは木にぶつかった衝撃で気を失っている男へと近づくと、右手の短剣を男の右の太股に容赦なく突き刺した。
「ぐああああっ!!」
痛みで意識が覚醒したのか、刺された太股を押さえながら男がのたうち回る。
ルベッタは素早く引き抜いた短剣を、今度は左の太股へも突き入れた。
そして、おまけとばかりに首筋に短剣の柄頭を叩き込んで男の意識を刈り取った。
「──もうこれで消えるような動きはできないだろう」
「どういう事?」
「なに、こいつの異能は『転移』なんかじゃなかったのさ」
にやりと勝利の笑みを浮かべたルベッタは、この男の異能の正体をアリシアに明かした。
「……『超速』の異能……?」
「ああ。おまえの『強力』の異能と同じく、単純だがそれ故に強力な異能だな」
「超速」の異能とは、文字通り素早く動く事のできる異能である。その速度はこの男が見せた通り、一瞬で視界から消えるほど。
そのため、人の目には男の姿が消えたように見えるのだ。
「とはいえ欠点もあるのだろう。その速度ゆえに、ほぼ真っ直ぐにしか進めないのではないか?」
ルベッタは男の姿が消えると同時に、男のその進路を予測して男が通りそうな場所へと足を伸ばした。要は足を引っ掻けたのである。
正に目にも留まらない速度で走ったいたものが、不意にその足元を掬われれば。
男はその速度が裏目に出て、宙へと放り出されて物凄い勢いで木へとぶつかって行ったのだ。
「でも、よくそれに気づいたわね」
「言ってしまえば単純な事さ。ほら、周りの地面をよく見てみろ」
言われたアリシアは、素直に自分たちの周囲を見回す。
森の中らしく足元は枯れ葉が積もっている。所々に地面が露出している場所もあるが、その殆どは枯れ葉に埋まっていると言っていい。
「こいつが移動すると同時に、僅かだが枯れ葉が転々と舞い上がる事に気づいたのさ。もしもこいつが本当に転移をしているのなら、枯れ葉が舞い上がったとしても最初に男がいた地点だけだろう? おそらくだが、足音を極力立てずに移動する修練を相当積んだのだろうな。こいつが高速で移動しても足音は殆ど聞こえなかった。だが……足元に積もった枯れ葉は別だ。地面を蹴る拍子にどうしても枯れ葉は動くからな」
もしもこの男と戦ったのが、今のいるような森の中でなければ。
例えば石畳が敷かれている町中であったなら、ルベッタも男の異能の正体に気づく事はなかっただろう。
そしてされるがままに殺されていたに違いない。
ルベッタが男の進路を予測できたのも、もちろん舞い上がった枯れ葉に注意を払っていたからだ。
「……偶然とはいえ、地形が私たちに味方したのね」
「そういう事だ」
二人は倒れている男に簡単な止血だけを施すと、持っていた綱で拘束し、その場に捨て置く事にした。
この男はセドリックの腹心だと言っていた。ならば、敵の総大将であるセドリックが今どこにいるのか──三つに分けられた陣のどこに本陣が置かれているかなど、重要な情報を握っている可能性が高い。
二人がこの男にとどめを刺さなかった理由はそれだ。
このまま放置しておくと魔獣などに襲われるかも知れないが、今はこの男を連れていく余裕がない。もしも魔獣に襲われるような事があれば、それはこの男に運がなかっただけの事だ。
「さて、思わぬ所で時間を取られた。早く魔獣を探さないと」
「そうね」
荷物を担いで準備を整え、再度移動を開始しようとした二人の耳が物音を捉えた。
どうやらそれは足音のようで、しかもこちらへと近づいてくるようだ。
二人は互いに一瞬だけ視線を絡ませ合うと、先程担いだ荷物を再び地面に下ろし、身軽に動けるようにする。
そしてそれぞれの得物を構えて体勢を整えたところへ、森の奥から数人の人間が近づいて来た。
二人は得物を構えたまま、手近な木の幹へと身体を寄せる。そして、そのままその人間たちが近づいて来るのを待ち構える。
アリシアは思わず手にした棹斧を握る手に力を込め、ルベッタは弓を構えたまま足音を立てずに徐々に距離を取る。
先程遭遇した敵があれほど強敵だったのだ。二人が必要以上に緊張するのも無理はない。
だが、結果的に見れば二人の警戒は無用なものだった。
なぜなら、森の奥から現れた人物こそ、彼女たちが再会を夢にまで見た人物だったからだ。
本拠地であるモンデオを発って数日。
今、セドリック・エーブル伯爵は、腹心のリガルを引き連れて王都ユイシークを攻めようと待ち構える自軍の本陣へと足を踏み入れた。
これまで、セドリック軍が王都を半包囲しながらも攻撃を仕掛けなかった理由はただ一つ。
総大将たるセドリック・エーブルが本陣に到着していなかったからだ。
本陣へ入ったセドリックを、彼の幕僚たちが頭を垂れて迎え入れる。
「閣下。王都を攻める準備は整っております。後は閣下のご命令次第にて──」
幕僚の一人が頭を垂れたままそう告げるのを、セドリックは鷹揚に頷きながら耳にする。
そして、それに続いて別に幕僚もまた、同じ姿勢で報告する。
「して、例の男──竜の封印を宿す者ですが……」
「捕らえたのか?」
「は。事前の報告よりも腕が立ちまして、こちらも数人負傷致しましたが、何とか捕らえる事に成功しました」
その幕僚が配下に目で示せば、本陣に張られた天幕の一つから、縄で縛られた一人の男が引き摺り出されて来た。
どうやらその男は手酷い暴行を受けたようで、身体のあちこちに傷を負い、顔も嫌な色に腫れている。
「ほう。おまえが竜の封印を宿す者……リークス・カルナンドか?」
「ぐ……な、何者だ……?」
酷く腫れた目蓋を無理に押し開け、男──リークスは地面に転がったままその男を見上げる。
「私が誰でもいいさ。それより、おまえに封印されているという竜……暗黒竜バロステロスは本当におまえに封印されているのだな?」
「そ、それを聞いてどうする……?」
「決まっている。封印を解くのさ」
にやりと笑うセドリックを、リークスは憎々しげに睨み付ける。
「そ、そんな事をすれば……この世界に再び地獄が甦るのだぞ……っ!? そのような事……ふ、封印を宿す者として許すわけにはいかん……っ!! そ……それが封印を宿したこの俺の宿命なのだから……」
地面に無様に転がるリークスの様子から、どうやらこの男に封印されているのは本当らしいと判断するセドリック。
正直言えば、本当に封印があってもなくても構わないのだ。精々、本当に封印があれば儲け物程度にセドリックは考えている。
「それで? 封印とやらはどこにある? どうすれば封印が解ける?」
「だ、駄目だ……っ!! 俺の右手にある封印を傷つけるな……っ!! そんな事をすれば、本当に暗黒竜が甦るのだぞ……っ!!」
「ほう。右手の封印を傷つければいいのかね?」
セドリックはにやりと会心の笑みを浮かべると、配下に命じてリークスの戒めを一時的に解き、彼の右手だけを自由にする。
その彼の右手の甲に何やら模様のようなものを見つけると、セドリックは興味深そうにそれを眺めた。
「ふむ。これが封印とやらか……で、これを傷つければいい、と」
セドリックはおもむろに腰から短剣を引き抜くと、それをリークスの右手の甲へと突き立てた。
「ぐ……おおおおおっ!! き、貴様、自分が何をしたのか判っているのか……っ!!」
激痛に弾かれたように動くリークスの身体を、セドリックの配下が数人がかりで押さえ込む。
その時であった。
それまで眩しいばかりの陽光が降り注いでいたセドリックの本陣。
その本陣に、急に影が差したのだ。
何事かと空を振り仰ぐセドリックとリガル、そして幕僚たち。
そこに彼らは見た。
禍々しい程に黒くてとてつもなく巨大な生き物が、王都の上空に忽然と姿を現したのを。
『魔獣使い』昨日に続いて本日も更新です。
さて、『辺境令嬢』同様こちらも佳境に入ってきました!
そして一部のコアな人たちのお待ちかね! イタい人ことリークスくんが哀れな姿で登場しました。
そして……ついに明かされた彼の秘密! いや、全然秘密でも何でもないですが!
これより先は次回のお楽しみということでひとつ。
では、次回もよろしくお願いします。