21-従者たちの苦戦-1
王都を囲む城壁を遠目に眺めながら、アリシアとルベッタは途方に暮れた。
「どうする……?」
「どうする、と言われてもな……どうする?」
「私に尋ね返さないでよ」
アリシアは背後を振り返った。そこには、カロスを隊長とする百人の傭兵たち。彼らは皆、一様に真面目な表情で彼女たちからの命令を待っている。
彼らはモンデオの町を出発し、数日かけてここまで来た。
あらかじめ合流地点を決めておき、数人単位で移動して来たのだ。百人もの人間が一斉に移動すればどうしても移動速度が落ちるし、王国側の人間の目にも留まる。
だが少人数で移動すれば、移動速度の問題も解決でき、あまり人目も引かない。
今の王都では反乱の鎮圧のために傭兵を募っていた。鎮圧軍そのものはもう出立していたが、常備軍から人数を割いて鎮圧軍は編成されたので、その穴埋めに引き続き傭兵を募っている。王都へ向かう傭兵が多少多くても、それほど不審には思われないだろう。
その辺りを考慮して、彼らの雇い主であるセドリック・エーブルは、配下の傭兵たちを少人数に分けて王都を目指して送り出したのだ。
無論、アリシアとルベッタが所属しているカロスの傭兵隊も同様で、合流地点であるここ──王都近隣の森の中──で全員が合流し、これから王都を攻める軍勢に参加する事になる。
だが。
それはもちろん、彼女たちの本意ではない。その事は既に、カロスを始めとする隊の傭兵たちには伝えてあるし、彼らもまた、アリシアやルベッタたちの意に従う事を表明してくれている。
それほど、彼女たちは傭兵たちに受け入れられていたのだ。
無論、傭兵たちにも打算はあるだろう。このまま成功するかどうか判らない反乱軍に荷担するより、無敵と名高いカノルドス現国王のいる王国側に付いた方が有利と考えているからこそ、アリシアたちの意に従ってくれている。
「とりあえず、このままここで大勢で突っ立っていても仕様がない。リョウトとは連絡が取れないのか?」
カロスの質問に、アリシアはその形の良い眉を顰めさせた。
「それがここ数日、マーベクがいないのよ。最後にリョウト様から来た手紙によると、ランバンガの反乱の鎮圧に手を貸すとの事だったけど……」
「おそらく、リョウト様がそちらでマーベクを使役したのだろうな。役目を終えれば──反乱軍の鎮圧が終われば、マーベクもその内こちらに戻って来ると思うが……」
ルベッタの表情もまた、今一つ冴えない。
カロスはそんな二人を目にして、余程リョウトが心配なのだろうと推測する。
いつも彼の傍にいた二人。その二人が離れている間に、主人であるリョウトが戦場に赴いたのだ。彼女たちでなくても不安になるだろう。
「……カロスの言葉にも一理ありだな。ここでぼうっと王都を眺めていても始まらん。まずは移動する。とはいえ、王都を攻めるエーブル伯爵の軍に合流はしない。俺たちはこのまま森の中を移動して様子を見つつ、王国側に取り入るぞ!」
ルベッタの命令に、百人の傭兵が一斉に応える。
そう。
現在、カノルドス王国の王都ユイシークは、セドリック・エーブル率いる軍勢に包囲されようとしていた。
カノルドス王国の王都であるユイシークは、北面に険しい山地を背負っている。その山地から流れ出るルクラ大河を中心に、王都ユイシークは栄えて来たのだ。
残る三方はルクラ大河が育んだ肥沃な平原に囲まれており、そこでは各種農業や酪農が営まれ、王都の住人に食料を供給している。そして、その平原の向こうには豊かな森林が広がっていた。
北面の山地は冬ともなるとその殆どが雪に覆われ、その雪解け水がルクラ大河の源である。
そして今、王都を囲む三方の平原にはそれぞれ多数の軍勢が見事に整列し、王都を攻める命令を待っていた。
一か所に集まっている手勢はざっと一万。合計して三万という大軍だ。
その光景をリョウトとユイシーク、そしてジェイクは、飛竜の背から眺めていた。
「……くっ、王都の手勢が少ない事をきちんと理解してやがる。ったく、面倒だな。一か所に集まってくれていれば、一気に殲滅できるものを」
「向こうだってシークの力を理解しているンだろ? そこまで馬鹿じゃないってことさ」
背後で交わされているユイシークとジェイクの会話を聞きながら、リョウトはバロムに降下するように指示を出す。
このまま飛びながら王都へ近づけば、向こうからも発見されてしまうからだ。
現在、セドリック軍は王都を完全には包囲せず、一万の軍勢をそれぞれ王都の東西と南の三方から押し寄せるように展開していた。
この目的は唯一つ。ユイシークの異能を怖れての事だ。
ユイシークの「雷」の異能の恐ろしさを、セドリックは『解放戦争』の結果から学んでいた。
また、現在の王都に残されている兵の数は約五百。この数では打って出ては敗けるのは明白であり、王国軍は王都に立て籠もり、籠城をする構えのようであった。
だが、その籠城も保って数日。いや、それだけ保たない可能性の方が高い。
五百対三万。その数はそれ程の戦力差なのである。
「姐御ぉっ!! 何か、でっかい魔獣が飛んでますぜっ!!」
傭兵の一人の言葉に、アリシアとルベッタが振り返る。
「魔獣が飛んでいるだとっ!?」
「ど、どんな魔獣だったのっ!?」
二人の顔はこれまで見たこともないほど期待に輝き、その頬はに僅かながら朱が散っている。
普段の彼女たちとはまるで違う、まるで恋に焦がれる乙女のようなその様子に、その傭兵は若干引き攣りながらも答えた。
「い、いや、ほら、あそこ……あれ?」
傭兵は木々の間から見える空を指差すが、そこに魔獣らしき姿は見られない。
どうやらその傭兵は、たまたま上を見上げた際に、飛んでいた魔獣を見たと言う。
森の中を移動中であり、彼以外にその魔獣に気づいた者はいない。そのため、周囲からは何かを見間違えたのではないかという囁き声もちらほらと上がり出す。
「み、見間違いじゃねえよっ!! 本当に魔獣が飛んでたんだっ!! それもでっけえ奴がっ!! 信じてくださいよ姐御ぉっ!!」
必死に弁明する傭兵を余所に、アリシアとルベッタは互いに顔を見合わせる。
「……どう見る?」
「おそらく、セドリック軍に見つかるのを警戒して降りたのではないかしら?」
「なるほど。慎重なリョウト様ならあり得るな」
二人が相談していると、彼女たちの元にカロスもやって来る。
「魔獣を見た奴がいるそうだが、もしかしてリョウトか?」
「判らないわ。野生の魔獣の可能性もあるしね」
「とりあえず、俺とアリシアで様子を見てくる。もしも野生の魔獣なら、狩る必要があるかもしれないしな」
傭兵が見かけた魔獣がリョウトの魔獣──おそらくバロム──であるか、偶然遭遇した野生の魔獣かを見極める必要がある。
仮に野生の魔獣だとすれば、進軍中に襲われる可能性もあるからだ。
魔獣狩りとしての経験もある二人なら、その任務に最適であるとカロスも判断した。
「判った。こっちは俺が面倒を見ておく。無理すんなよ?」
アリシアとルベッタの二人は、カロスの言葉ににっこりと笑って応えた。
傭兵隊から離れ、移動を開始したアリシアとルベッタ。
二人は今、いつもの飛竜の魔獣鎧と愛用の棹斧と合成弓を手にしている。
特にアリシアは、腰に飛竜刀を佩いて背中には楯も背負い、正に完全装備とも言える状態だ。
彼女たちは、傭兵が魔獣を見かけた方へと慎重に移動する。彼が見かけたのがリョウトの魔獣ならばいいが、野生の魔獣だった場合に備えて十分に警戒する必要がある。
足音に気をつけて慎重に、それでいて速やかに移動する二人。その二人の耳に、不意に人の声が響いた。
「どこへ行こうってんですかい、姐御? 判っていると思いますが、行軍中の逃亡は傭兵と言えどまずいですぜ?」
弾かれるように声のした方へと振り返る二人。
そこに、傭兵隊の隊員である一人の傭兵の姿があった。
「……あなたは……」
「……そうか。おまえ、エーブル伯爵の目付だな?」
「ご名答」
傭兵は口角を釣り上げる。
ルベッタの言う目付とは、傭兵の中に紛れ込ませる密偵の事である。
傭兵の中には前金を貰っただけで逃亡する者や、目前に迫った戦場に恐れをなして逃げ出す者もいる。
そのような者が出ないよう、雇い主が直接の部下を傭兵として傭兵隊に潜り込ませるのだ。
つまり、この男はセドリック・エーブルの直接の手下であり、アリシアたちの傭兵隊に見張りとして紛れ込んでいたのである。
そして、戦場を前にして別行動に出た二人の後を付けて来たのだ。もしも彼女たちが敵前逃亡するのならば、それを粛正するために。
それを悟ったアリシアとルベッタは、それぞれの得物を構える。
アリシアは棹斧を腰の高さで水平に構え、ルベッタは素早く数歩下がると矢を弓に番えて狙いを定める。
対して彼は、煮固めた革鎧と両の腰に突剣を下げている。その装備からどうやら速度重視、しかもリョウトと同じ双剣の使い手のようだとアリシアとルベッタは判断した。
彼とアリシアたちの距離は約五メートル。男との間合いは十分にある。
そう二人が判断した瞬間、男の姿が煙のように消え失せた。
「え──?」
「なん……っ!?」
そして次の瞬間には驚くアリシアの眼前、正しく鼻と鼻が触れ合う程の距離まで近づかれていた。
「ははっ、やっぱり姐御はいい女だなぁ。近くで見るのは初めてだが、前からずっと近くでその顔を拝みたいと思ってましたぜ?」
男は戯けたようににへらっと笑うと、そのまま何もせずに数歩後ずさった。
「ねえ、姐御? 今のところ、姐御たちの企みは伯爵に知らせていない。いや、知らせる暇がなかったというのが正しいかな。なんせ、合流地点で落ち合った途端、王国側に寝返るときたもんだ。さすがに俺もびっくりしたぜ」
彼女たちの企みを知っていたのは、カロスを始めとした信頼できる数人だけだ。
それ以外の傭兵たちにはモンデオを発ち、王都近隣で合流した際にその企みを告げた。そのため、この男も主であるセドリックに知らせる方法がなかったのだろう。
「だから、このままあんたたちが伯爵と共に戦うと言ってくれれば、俺も伯爵には黙っていますぜ? 俺としては結構、あんたたちの事は気に入っているんだ。どうです? 考え直しちゃくれませんかね?」
言葉そのものは軽薄な口調だが、男の目は鋭くアリシアとルベッタを睨め付ける。
その視線は獲物を狙う鷹のようだ、と彼女たちは同時に感じた。
「……折角のお誘いだけど、私、自分の主を裏切るつもりはないのよ」
「俺も同意見だな。なんせ、俺たちの本来の主は、裏切るなんて気持ちさえ起こさせないほどいい男だからな」
アリシアは不敵に笑い、ルベッタが惚気紛いながらも断言する。
そんな二人の態度から翻意は不可能と見た男は、やれやれとばかりに肩を竦めた。
「仕方ねえなぁ。だったら……もったいねえけど、二人にはここで死んでもらうぜ!」
言うや否や、男の身体が再び消える。
先程もその光景を見たアリシアとルベッタは、互いに背中を預ける格好で周囲を警戒する。
消えた時と同様、忽然と男の姿が現れる。今度はルベッタの目の前だった。
男は両手に突剣を構え、右のそれを真っ直ぐに突き出す。その狙いはルベッタの心臓。
だが、突剣の切っ先はルベッタの身体を捕らえる事はなかった。代わりにその切っ先は、ぎりぎりと金属同士を擦り合わせたような不快な音を奏でる。
アリシアが間一髪で背中でルベッタを押しのけ、突剣の切っ先がアリシアが背負っていた楯の表面を削ったのだ。
「……く、誰かさんの尻がでかくて助かったな」
「ちょっと! 誰のお尻が大きいですって? 私よりよっぽどあなたのお尻の方が大きいでしょっ!!」
不意に背中を押され、蹌踉いたルベッタが体勢を立て直しながら零せば、それにちゃっかりとアリシアも応じてみせる。
そんな二人を前に、再び距離を取った男が喉の奥でくぐもった笑い声を上げる。
「じゃあ、俺に二人の尻を見せてくださいよ。どっちが大きいか客観的に判断しますぜ?」
「断る。俺の尻を見ていいのはこの世で一人だけだからな」
「私も同じね。その人なら、お尻と言わず全てを見せてもいいわ」
もうとっくに全てを見せているだろう、というルベッタの突っ込みを無視して、アリシアは手にしていた棹斧を地面にどかりと突き刺した。
代わりに腰から飛竜刀を抜き、背中の楯も左手に装備する。
不意に消えたり現れたりする男の謎の技──おそらく異能だろう──に対し、取り回しの悪い棹斧よりも飛竜刀の方が有利と判断したからだ。
謎の技を振るう男。その実力を前に、アリシアとルベッタの背中を冷たい何かが滑り降りて行った。
『魔獣使い』更新。
三日ほど間が空いたので、急いで執筆しました。今週もできる限りの更新をする予定です。
さて、リョウトと合流する前に、思わぬ強敵と遭遇したアリシアとルベッタ。果たして彼女たちはこの危機をどう切り抜けるのか? そして、一部から強い要望のある、某イタい人は今どうなっているのか?
特に某イタい人の事は次回かそのまた次回ぐらいには明かにできるかと。
その辺りも踏まえて、次回もよろしくお願いします。