20-悪夢の終わり、野望の終焉
「な……なぜだっ!? なぜ、こうなったっ!? 今頃この私は、あの国王を僭称する小僧を打ち破り、あ奴に変わって玉座に座る権利を得ていたはずだったのに────っ!!」
無様に大地に転がり、兵たちが流した血や泥に塗れながら、ランバンガは目の前で展開されている光景を受け入れられなかった。
目の前にまで迫っていた栄光。それが、あっと言う間に消えてしまったのだ。ランバンガでなくても取り乱しもするだろう。
やがて、ふとランバンガが気づいた時、それまで辺りに響いていた喧騒がすっかり静まっていた。
「お……お、終わったのか……?」
改めて辺りを見回せば、既に動いている味方の兵は殆どいなかった。
大地に臥せ、血を流す兵たちの弱々しい苦悶の声。
陣内に積み上げられていた糧食などの物資は殆どが燃え、黒い煙が何本も空へと立ち昇っている。
周囲に漂う物凄い血臭。
それはまさに、悪夢のような光景だった。
「……わ、私は生き残ったのか……」
ほんの少し前まで、彼の栄光を象徴していたような煌びやかな鎧は見る影もない。
血や泥、灰や砂埃に塗れて、すっかりその輝きを失ってしまった。
そしてそれは、鎧だけではなくボゥリハルト・ランバンガという人物の終焉も意味していた。
一千の兵と同数の伏兵を率いて、迫る王国の鎮圧軍を華麗に打ち破る。
その後は、輝ける玉座が彼を待っているはずだったのだ。
それなのに。
今のランバンガは、血や泥に塗れたまま大地に動物のように這い蹲っている。
彼が思い描いた未来は、こんなものではなかったのだ。
それでも、悪夢の時間は終わりを告げた。
どうにか、自分は生き残ったのだ。ならば、再起する事も可能なはずだ。
そう思い、動かぬ身体に無理を強いて、何とかランバンガは立ち上がる。
その時だった。
突風がランバンガを襲う。
吹き飛ばされないように、再び大地に臥して必死に頭を抱えたランバンガの身体を、ずしんという震動が襲う。
恐る恐る視線を上げる彼の目の前。そこに赤褐色の巨大な飛竜が着地していた。
思わず息の飲むランバンガ。
そんな彼の前に、一人の青年が飛竜の背からひらりと飛び降りた。
その青年を、ランバンガは確かに見た覚えがある。
「お、おまえ……おまえは……片紅目の吟遊詩人……」
「あなたの負けです、ボゥリハルト・ランバンガ伯爵──いえ、今では元伯爵ですか」
彼はかつて、その噂を聞いて自宅に招いた吟遊詩人だった。
ランバンガはその時、彼の演奏や唄よりも彼が連れていた美しい奴隷の方が気に入り、彼に金を掴ませてその奴隷を一晩買おうとしたのだ。
だが、その奴隷を一晩買うことは適わず、結果的に彼は大恥をかいたのだった。
彼に恥をかかせた憎むべき吟遊詩人。その彼が今、目の前にいて自分に敗北を突きつけている。
「な……なぜ……なぜ、おまえがこの戦場にいる……?」
「ユイシーク国王陛下の命により、あなたを反乱の首謀者として拘束します。ルルード」
ランバンガの目の前に黒い亀裂が走り、そこから真っ黒な粘塊が溢れ出る。
溢れ出した粘塊──ルルードは、そのままランバンガの身体をあっさりと包み込む。
「ひ……ひいいいっ!?」
「判っているね、ルルード? その男は溶かして食べたらいけないよ?」
リョウトの言葉に応え、ルルードはランバンガを取り込んだままぶるりと身体を震わせた。
「……ま、魔獣使い……?」
黒い粘塊から顔だけ出したランバンガが、何かを思い出したように呟いた。
「お、おまえが……おまえがそうだったのか……? 魔獣を自在に操るという噂の『魔獣使い』……そ、それがおまえだったというのか……」
驚愕を面に浮かべながら呟くランバンガを、リョウトは一瞥しただけで後は一切無視した。
そしてこの瞬間、ボゥリハルト・ランバンガが起こした反乱は終わりを告げた。
反乱軍であるランバンガ軍はほぼ殲滅。逃げ出した者は尽く鎮圧軍に捕らえられ、首謀者であるランバンガもまた、リョウトの手によって拘束された。
ランバンガに賛同した貴族たちも、中には戦死した者もいたが、生き残りは全員取り押さえられている。
ランバンガ率いた実質二千の反乱軍は、たった一人に僅かな時間で壊滅させられたのだった。
捕らえたランバンガをルルードと一緒に引き連れ、リョウトはユイシークたちが待つ鎮圧軍の本陣へと帰還した。
そのリョウトを、鎮圧軍の兵士たちが歓声を以て迎える。
そして彼を出迎えたのは兵士たちの歓声だけではない。国王ユイシークと近衛隊長ジェイク、そして将軍のラバルドといった面々が、にこやかな笑顔を浮かべて──ラバルドだけはいつもの仏頂面だったが──リョウトを迎え入れた。
リョウトは三人の前まで進み出ると、そこで片膝を着いて頭を下げた。
「国王陛下、並びに将軍閣下、親衛隊長殿。反乱の首謀者、ボゥリハルト・ランバンガを捕らえました」
「よくやったリョウト・グララン。カノルドス王国国王、ユイシーク・アーザミルド・カノルドスの名において、貴様の手柄を称えよう。正式な報賞などは王都に戻ってから、宰相と相談して決めることとする。今はまず、身体を休めるがよい。本当にご苦労だった」
王として、ユイシークはリョウトを褒め称えた。
それに合わせて、再び兵士たちが歓声を上げる。
兵たちの中には、自分たちの活躍の場を奪われた事でリョウトをやっかむ者もいないではないが、それでもたった一人で反乱軍を鎮めた彼に、純粋な称賛をおくる者が殆どだった。
「今後の事を検討する。一緒に来るがよい」
「御意」
踵を返して、ユイシークたちは国王用の天幕へと向かう。リョウトも彼らの背中を追って一緒に天幕の中へと入る。
「ほんと、今回は大手柄だったな、『魔獣使い』」
天幕に入った途端、それまでの王としての尊大な態度はすっかりなりを潜め、悪戯小僧のような笑みをユイシークはリョウトへと向けた。
その変わり身のあまりの早さに、慣れていないリョウトは若干たじろぐ。
「さっきシークも言ったが、今回の手柄に対する報賞は後で決めっからな。報賞に何が欲しいか、今から考えておけよ? できる限り望みを適えてやっからよ」
ユイシークに合わせて、ジェイクまでもがそう言う。しかし、次の瞬間には、彼らは至極真面目な表情を浮かべる。
「だが、それも全部片づいてからだ。おまえが持って来た情報通りなら、すぐにでも王都へと戻らねばならん」
「それだがよ。シークはリョウトと一緒に飛竜で先に王都へ帰れ。後の事は俺とラバルドのおっさんで大丈夫だ」
「なるほど……それも確かに手だな……」
ジェイクのこの提案に、ユイシークは考え込む。
今回、リョウトの活躍で二千五百の鎮圧軍には殆ど被害はない。
逃げる敵兵を捕らえる際に手傷を負った者もいるにはいるが、重傷を負った者は皆無だった。
そのため、二千五百の軍が移動するとなると、どうしてもその足は遅くなる。
それを考慮すれば、たった二人でも軍隊を相手にできるリョウトとユイシークという「戦力」を王都に先に送るのは確かに有効は手段であり、また、リョウトという存在がなくては不可能な方法であった。
「よし、その手で行こう! そうすりゃ俺も念願だった飛竜に乗れるしな。ラバルドのおっさん、それでいいよな?」
だが、ラバルドはその提案に首を横に振った。
「ど、どうしてだよ? シークが先行して王都に帰るのに、何か問題があるのか?」
「シークの小僧が先に帰るのには儂も賛成だ。儂が反対しているのは──」
ラバルドの鋭い目がジェイクへと向けられる。
「──お主だ、ジェイク。お主も小僧と共に先行せい。後は儂一人で十分よ」
ラバルド・カークライトという人物は、寡黙な人物として周囲に知られている。
必要最低限の事しか口にはせず、それ以外は頷くか首を横に振るだけ。表情も殆ど動かさない。
そのラバルドが口を開いたのだ。その事実に、彼を良く知るユイシークとジェイクは驚きに目を見開く。
「……お、おっさんが長い台詞を喋っている……」
「こ、こいつは天変地異の前触れか……?」
思わずそんな事を口にしたユイシークとジェイクを、ラバルドは無遠慮にごつごつと二人の頭を拳で殴りつける。
その音と二人の表情から、あれは相当痛そうだとリョウトは思わず顔を歪めた。
「ま、まあ、おっさんがそう言うなら、俺も一緒に行くぜ」
「おう。ただ、流石に今日出発するのは無理だろ。日が暮れるまでそれほど時間もねえし、リョウトの飛竜だって疲れているだろうしな。明日の早朝一番で出る。リョウトもそれでいいな?」
「はい。僕もそれで構いません」
リョウトが頷いた事で、鎮圧軍も本日はこのままここで野営する事となった。
鎮圧軍にしても、被害は極少数だったとはいえ兵たちも疲れているし、更には捕らえた敵兵の処置や整理などにも時間がかかる。
そのため今日はこの場で野営をし、明日から王都に向けて出発する事になったのだ。
そして何事もなく一夜明けて翌朝。
リョウトとユイシーク、そしてジェイクは、飛竜に乗って一足先に王都へと帰還する準備を進めていた。
リョウトは既にバロムを呼び出しており、鎮圧軍の兵たちが興味深そうに見守る中、地面に腹を着けて休んでいる。
その傍らにいたリョウトの元へ、支度を済ませたユイシークとジェイクが歩み寄った。
「いつでも出発できます。準備はよろしいでしょうか?」
「おう。こっちの準備も済ませた」
「準備と言ったって、俺たちは武器と防具以外は最低限の食料ぐらいしか持っていかねぇからな。荷物はないに等しいってもンだ」
ユイシークの格好は金属製の鎧と腰に小剣。鎧は国王が身に着けるに相応しい彫金が施された立派なものだが、それは全身を覆うものではなく、身体の要所要所を守るだけの比較的軽装な鎧だった。
そして彼の腰にある小剣は、リョウトが譲ったバロステロスの鱗から造り出されたものだと、昨日の内にユイシークから聞かされていた。
ジェイクもまた、近衛隊長を示す紋章の入った金属鎧と、背中に彼愛用の大剣。鎧はユイシークに比べると、随分と重厚そうだ。
そして、ジェイクの手には一本の旗。
緋の生地に鮮やかな色使いで、剣を抱いた乙女が祈りを捧げている様子が縫い描かれている。
そして、その紋章の周りには七つの名前が縫い込まれていた。
「こいつはな、俺が王都を出る時に、お守り代わりとして俺の女たちがくれたものだ」
リョウトの視線に気づいたのであろう、ユイシークがジェイクから旗を受け取って天へと翳す。
「こいつがある限り、俺は敗けはない」
自信たっぷりにそう言い切るユイシーク。
彼が手にした旗を見る目には、彼がその女性たちをどう想っているのかが如実に現れていた。
「よし、じゃあ出発するか! ラバルドのおっさん、後は頼んだぜ!」
ユイシークの言葉に、ラバルドは鷹揚に頷いて応える。
三人は伏せていたバロムの背に跨り、それぞれ背の突起などを握って身体を固定する。
リョウトはそれを確認し、問題がなさそうだと判断してバロムを浮上させた。
巨大な翼が何度も羽ばたき、バロムはどんどんと高度を上げて行く。
「うおおおおっ、凄えっ!! これが飛竜に乗るって事かぁっ!!」
「そうだとも! 気分はどうだ!?」
「最高だねっ!! 以前におまえが言っていた事がよく判ったぜっ!!」
リョウトの背後で、一国の国王とその親衛隊長が子供のようにはしゃいでいる。
そんな二人を肩越しに見て呆れつつ、リョウトはバロムを王都へ向けて飛翔させる。
地形を一切無視し高速で移動できるバロムなら、ここから王都まで三日とかからないだろう。
そして、その予測通りにバロムは、二日とちょっとで王都が見える場所まで三人を運ぶ。
だが。
ようやくその王都が見え出した時、飛竜の背に乗る三人は思わず我が目を疑う事になる。
なぜなら彼らが目指す王都の周囲には、既にたくさんの敵兵と思われる者たちで溢れ返っていたのだから。
『魔獣使い』三日連続更新ーっ!!
いやあ、今週は合計四回の更新ができました。
やればできるもんだね(笑)。
ただ、15日から17日にかけて少々多忙となるため、この間は更新できないと思われます。
よって、次回の更新は18日以降です。
では、その次回もよろしくお願いします。