06-吟遊詩人
ゼルガーの町。人口は約八千人でこの王国東北部最大の町である。
かつてはこの地方を治める領主がこの町に住んでいたが、『解放戦争』以後に王国の直轄地になってからは、王の代理たる代官などの役人がこの町で暮らしている。
西の王都へと向かう街道と、南の商業都市バルゼックへと向かう街道が交わる町であり、更に町の中央を流れるコラー川を用いて、南のオーネス王国へ向かう船便も出ている。
いわゆる旅人の中継点ともいうべき町であるゼルガーは、日暮れ近くという時間帯であるにも関らず、多くの人で溢れていた。
辺境の小さな村しか知らないリョウトにとって、ゼルガーは大都市ともいえる町である。
もちろん、カノルドス王国内にはもっと大きな街が幾らでも存在するのだが。
そんなゼルガーの街の目抜き通りを、リョウトとアリシアは並んで歩く。
ちなみに、小さいとはいえ竜であるローは、下手に目立つとまずいのでリョウトの外套のフードの中で丸くなっている。
「ここがゼルガーかぁ……大きな町だなぁ……」
「そう? でも、王都はもっと大きいし、人も大勢住んでいるのよ?」
「へぇ……僕には想像もつかないよ」
その後、二人は一旦別行動を取る事にした。
アリシアは仲間の魔獣狩りたちと落ち合い、酒場に預けてある財産を受け取るために。
そしてリョウトは、アリシアに紹介してもらった安くて食事の美味い宿で部屋を確保するために。
アリシアに教えてもらった宿へと真っ直ぐに向かったリョウトは、容易く目的の宿を発見した。
「雲雀の止まり木」亭と刻まれた木製の看板で、ここが間違いなくアリシアに聞いた宿だと確信したリョウトは、そのまま三階建ての宿の中へと足を踏み入れる。
宿はこの世界でよく見受けられる、一階が酒場兼食堂と主人家族の生活スペース、二階より上が宿泊客用の客室といったオーソドックスな造り。
ざっと店内を見回したリョウトは、カウンターにいる主人らしき中年の男性へと歩み寄った。
「部屋は空いている?」
主人はリョウトに視線を向けると、にこりと人懐っこい笑みを浮かべた。
「一部屋でいいかい?」
「いや、もう一人連れがいる。だから二部屋空いていると助かるけど」
「二部屋ね。大丈夫、空いてるぜ」
主人のにこりとした笑顔が、にたりとしたものに変化する。
どうやら二部屋借りたいと言ったリョウトの言葉から、彼の連れが女性であると想像したらしい。
それ以上詳しく聞かれる事はなく、リョウトは借りた二部屋の内の一部屋に案内された。
その室内にはベッドが一つとテーブルと椅子が一つといった簡素なものだったが、確かに料金は良心的だった。ベーリル村にある宿よりは高かったが。
リョウトはテーブルの上に背嚢を置くと椅子に座り、腰に括りつけていた小袋の中身を確認する。
その中には幾らかの銀貨と宝石が数個。これらは亡くなった祖父が遺してくれた遺産であり、今のリョウトの全財産でもあった。
宿の料金を二部屋分支払った──アリシアの部屋の分は後で彼女が支払うと言っていた──ため、ただでさえ少ない所持金が更に少なくなった。
残った金額でも王都まで行けるだろうが、やはり所持金は多いにこしたことはない。
「ここでちょっとばかり稼がせて貰おうかな」
フードの中から這い出て来たローにそう呟くと、リョウトは左の袖を捲り上げ痣を露出させる。
「マーベク」
そうリョウトが呟いた時、室内のランプに照らされた彼の影がゆらりと揺らめいた。
風で水面が揺れたかのように、黒い影の表面に波紋が生じる。その波紋の中にリョウトは無造作に右手を置いた。
するとそのまま右手はずぶりと影の中に沈み込む。そしてそのまましばらく影の中をかき回すように右手を動かし、そのまま腕を引き抜く。
引き抜かれた右腕。そこにはあるものが握られていた。
それは80センチほどの弦楽器。いわゆるリュートと呼ばれる楽器であった。
リョウトはベッドの上でうずくまっているローに行ってくるねと一言声をかけると、楽器を手にして一階の酒場に降りる。酒場は夕食時という事もありかなり賑わっていた。
酒場に現れた彼の姿を見かけた宿の主人が、おや、と不思議そうな顔をした。
「なんだ、おまえ吟遊詩人だったのか? でも、さっきは楽器なんか持ってなかっただろ?」
「大事な商売道具だからね。隠してあったんだ」
尚も不思議そうな顔の主人に唄の許可を得ると、リョウトはカウンターの椅子の一つに腰を落ち着け、リュートを数度鳴らして調子を確かめる。
リュートの調子に狂いがない事を確認したリョウトは、改めてリュートを爪弾いた。
心地好く響くリュートの音色。それは酒場に居合わせた者全員の耳に届いた。
それで吟遊詩人の存在に気づいた客たちが、一斉にリョウトへと注目する。
次に彼らの耳に届いたのは大気を震わせる低い声。
その低い声が唄い上げるのは有名な英雄譚。この国の人間なら誰でも知っている、竜を倒した三人の英雄の唄。
一人は双剣を使い。一人は大剣を用いて。残る一人は知謀と弓を武器に竜と戦う。
ありふれた物語。誰もが知っている内容。
だが客たちは酒場の片隅で唄う青年の唄から、注意を逸らす事ができなかった。
時に低く。時に高く。時に勇壮に。時に物悲しく。
リョウトの声は、幾つもの音程を巧みに使い分けて英雄の唄を唄い上げる。
普段は賑やかで喧騒の途絶える事のない「雲雀の止まり木」亭の酒場。だが今だけはリョウトの声のみが静かに響き渡る。
やがて英雄譚は終焉を迎え、リョウトの声がふつりと途絶えた。
一瞬の静寂。そして次の瞬間、「雲雀の止まり木」亭の酒場はいつもの数倍の歓声に包まれた。
沸き起こる拍手。打ち鳴らされるジョッキ。踏みしめられる床。
居合わせた客たちは、突如現れた見知らぬ吟遊詩人の卓越した唄を誉め称える。
ある者は酒を勧め。ある者は更なる唄を求めて。
客たちはまるで旧来の友人のように親しみを込めてリョウトの肩を抱く。
リョウトを称える喧騒は、それからもしばらく続けられた。
「大したモンだな」
ようやく興奮と喧騒が静まった後、宿の主人がリョウトに声をかけた。
リョウトは彼の唄に投げ込まれた銀貨の中から、数枚を場所代として主人へと差し出した。
主人はその銀貨を受け取ると、リョウトの前にジョッキを置く。
「果実の汁を絞ったものに蜂蜜を加えたモンだ。吟遊詩人なら喉を大切にしなきゃな」
「ありがとう。遠慮なくいただきますよ」
美味そうにジョッキを空けたリョウトに、主人はできの良い息子を見るような眼を向ける。
「いつまでこの町にいるんだ? できればあと数日はここに滞在して唄ってくれると助かるんだけどな。その間の宿代はただにしてやるぞ?」
「別に急ぐ旅でもないし、僕ももう少し稼ぎたいところだけど……連れが何と言うかだなぁ」
「そういや、おまえの連れはいつ来るんだ?」
「知り合いと会ってからこっちに来る予定なんだけど……確かに遅いね」
魔獣狩りの仲間と一旦合流し、その後はすぐにその仲間たちと別れてこの宿屋に来るとアリシアは言っていた。
だが、もう時間も随分遅い。あれだけ賑わっていた酒場も数人の客が残っているだけ。
いくら何でも遅過ぎる。こちらから迎えに行こうかと考えて、リョウトは初めてアリシアがどこへ向かったのか知らない事に気づいた。
確かに酒場で仲間たちと合流するとは言っていたが、その酒場の名前を聞いていない。このゼルガーに何軒の酒場があるのか知らないが、その全てを虱潰しに当たる事は不可能だろう。
「まあ、おまえの連れも子供じゃないし、今日は知り合いと一緒にいる事にしたんじゃねえのか?」
「それならいいけどね」
「今日はお前の唄のお陰で稼がせて貰ったからな。連れ分の部屋代はなかった事にしてやるよ」
主人の親切な申し出に改めて礼を述べると、リョウトは一旦部屋へと戻った。
部屋に戻ったリョウトを、相変わらずベッドにうずくまったローが、首だけを彼の方に向けて出迎えた。
ローの態度に別に文句を言う事もなく、リョウトはアリシアがまだ戻らない事をローに伝える。
「ひょっとして急に魔獣狩りとしての仕事が入ったのかな?」
「いや、それは有り得まい。あの娘がおまえに黙ってどこかへ行くはずないからな。……これは何かあったのかもしれんな」
「どうして? 確かにアリシアとは王都まで一緒に行く約束しているけど、彼女だって急な仕事が入る事だってあるだろ?」
「……まったく、この朴念仁は」
アリシアがリョウトに向ける視線に含まれているものに、ローはとっくに気づいていた。
いや、ローにだって気づく事ができた、と言ったほうが正確だろう。
だというのに、当の本人はまるで気づいた様子がない。しかも、アリシア自身も自分の心境をよく理解していない節もある。
相変わらず人間というのは面倒くさいものだ、とローは内心で愚痴を零す。
「ともかく、あの娘が黙っておまえの前から消える事はない。例え何か急な事情ができたとしても、誰かに伝言を頼むぐらいはするだろう。あの娘はおまえがこの宿にいる事を知っているのだからな。だが現実としてあの娘はまだこの宿に戻らない。つまり……」
「彼女の身に何かあった。若しくは何かに巻き込まれた……か」
これはすぐにでも探した方が良さそうだとリョウトとローは判断した。
だが、リョウトとローはこの町の土地勘がない。そんな所を無闇に捜し回っても、結局徒労に終わるだけだろう。
ならば。
リョウトとローが出した結論は一つ。
幸い今は夜。全てが闇に包まれている。あいつの活動に最も効率的な時間帯なのだ。
「マーベク」
リョウトは再び左腕の痣を露出させ、その言葉を紡いだ。
その言葉が紡がれた瞬間、五つある痣の一つが淡く光る。そして同時に先ほど同様、リョウトの影がゆらりと揺れた。
「アリシアが戻らない。探してくれないか?」
揺れる影に向かってそう告げると、影は了承したとばかりにざわりとさざなみ、すぐに静まりかえる。
しばらくじっと影を見つめていたリョウトは、窓の外へと視線を向けた。
そこには夜の帳が降りた、ゼルガーの町並みが静かに拡がっていた。
マーベクは夜のゼルガーの町を静かに駆け抜ける。
一切の音を立てる事なく。誰にもその存在を気づかれる事もなく。
リョウトに頼まれたのは一人の少女の探索。以前も、魔獣の森でその少女を探すようにリョウトに頼まれた事があったので、少女の事はマーベクもよく覚えていた。
人が集まりそうな場所。逆に人があまり集まらなさそうな場所。
様々な場所をマーベクは影から影へと渡って行く。
やがてマーベクは、数人の人間が集まっている場所に辿り着いた。
そこにいる人間たちは、一つの部屋に数人が押し込まれ、窮屈そうに床に寝具もなしに寝ていた。
そんな部屋が幾つもある場所。その中に、マーベクは探すべき少女の姿を見つけ出す。
見つけた。
影の中からその事を確認したマーベクは、再び音もなくリョウトの元へと駆け戻った。
明けて翌朝。
朝食も摂らずにリョウトは「雲雀の止まり木」亭を飛び出した。
彼を導くのは彼の影。今、彼の影は太陽を無視して一定の方向へと伸びている。
そんな己の影に導かれ、土地勘のないゼルガーの町中を迷いのない足取りでリョウトは進んでいく。
時に右、時に左と影が示す方へと黙って進むリョウト。
影は町の表通りから外れ、裏通りのあまり雰囲気のよくない辺りにある、とある建物へとリョウトを導いた。
リョウトはその建物の前まで来ると、一切迷う事なく建物へと入っていく。
建物の中に入ったリョウトに、受付と思しき場所にいた中年の男性が気づいてにこやかに挨拶を寄越して来た。
「いらしゃいませ、お客様。朝早くより、当店へお越しいただきありがとうございます。して、本日はどのような商品がご入用で?」
リョウトが足を踏み入れた建物。その建物の入口に掲げられている看板には、「ロズロイ奴隷商」という名が刻まれていた。
『辺境令嬢』に続き、こちらも投稿。
前回ようやく動き出したリョウトたちですが、いきなり躓きました(笑)。
いや、ほんと、いつになったら王都に着くんだろうか? 誰か教えてください。