18-一千 vs 一-1
これはとある貴族が蜂起の兵を挙げた、という知らせが王都中を駆け抜けるより僅かに前の事であった。
「竜の封印について……ですか? はい?」
アンナは仕事中に突然尋ねて来た見知らぬ来客に、思わずそう尋ね返した。
「は、その通りです。聞けば、この王立学問所でも竜に関する事なら貴女が最も詳しいと聞きまして」
最近、勤務先である王立学問所内において、彼女の評価はすこぶる高かった。
理由はもちろん、これまで詳しい生態が判明していなかった魔獣の内、数種類の魔獣の詳細な生態を報告したためである。
彼女がどうやってそれらの魔獣を詳しく調べたのか、それは今更説明するまでもないだろう。
そして、彼女が報告した魔獣の中には、最近では見られなくなった竜についての報告も含まれていた。
よって、竜に関する質問があれば、最近ではアンナの元へと回されるようになっている。
今回の来客もまた、そのような理由で彼女が担当とされてしまったらしい。
その来客は、自分がとある貴族に仕えている使用人であり、主人である貴族が趣味で竜について色々と調べているのだとアンナに告げた。
「単刀直入にお聞きしますが、竜を封印するなどといった事は、果たして可能なのでしょうか?」
「はい、できますよ」
即答したアンナに、その客人は思わずぽかんとした表情を向ける。
「で、できる……のですか……? 本当に……?」
「はい、できます。尤も、私もどうやって封印するのかまでは知り得ませんが、竜を封印、もしくは竜の力を封印する事はできるそうです」
「そ、そうですか……念のためにお尋ねしますが、そうまで言い切る根拠はどこにありましょうか?」
「はい、直接聞きました」
「直接聞いた……とは、どなたから聞いたのでしょう?」
「ですから、竜から直接聞きました。はい」
その客人は再び、ぽかんとした表情をアンナに向けた。
「申し上げます、陛下!」
街道を馬に揺られながら進軍中のユイシークの元に、伝令兵が慌てて馬を寄せて来た。
「何事だっ!?」
ユイシークに代わり、近衛隊長のジェイクがその伝令兵に尋ねる。
「後方の部隊より連絡! 我が軍後方より近づいて来るものがあるとの事です」
「敵軍かっ!? 数はっ!?」
「そ、それがどうやら敵ではないようでして……い、いえ、もしかすると敵となるやもしれません」
「は……? 意味が判ンねえ。詳しく言え!」
「は! 後方より飛竜が一体、こちらへと近づいております!」
思わず顔を見合わせるユイシークとジェイク。
伝令兵の言う事に間違いがなければ──伝令兵がこんな事で嘘の報告をするわけがないが──、飛竜がこちらへと向かっているらしい。
飛竜は恐るべき魔獣である。ユイシークやジェイク、そして将軍であるラバルドならともかく、一般の騎士や兵士では束になっても敵わない程の強敵である。
そんな魔獣の接近を知らされ、本来なら緊張するはずのユイシークとジェイクだったが、彼らは緊張どころか納得がいかないといった顔つきだった。
「飛竜……ね。まず間違いなくリョウトだな。だが、あいつがどうして俺たちを追って来るンだ?」
「さあなぁ? 考えられるのはガーイルドのおっさんに伝言でも頼まれたってところだが……でも、あいつは今、王都にはいないはずだろ?」
馬の数倍の速度を誇る飛竜を駆るリョウトは、確かに伝令には最適であろう。
だが、ユイシークが言ったように、彼は今王都にはいないと聞いていた。しかし、飛竜が飛んで来るのは鎮圧軍の後方から、すなわち、王都の方角からである。これはどうにも辻褄が合わない。
「まあいい。直接本人から話を聞けばいいさ」
そう判断したユイシークは全軍の停止を命じた。併せて、近づいてくる飛竜には手出し無用との厳命も出す。
やがて、鎮圧軍の頭上を巨大な影が通り過ぎる。
街道上に長く伸びている鎮圧軍を一気に追い越した飛竜は、そこでゆっくりと地上に舞い降りた。
そして、その飛竜の背から飛び降りる一人の青年。
その青年は二千五百の軍団の前に一人で立ち、怖れることもなくよく響く声で高らかに告げた。
「クラークス宰相閣下より伝言! 至急、国王陛下にお取り次ぎ願いたい!」
飛竜から降りた青年──リョウトがそのまましばらく待っていると、軍団が二つに割れて二人の男性が進み出て来た。
「よう、『魔獣使い』。こんなところで会うとは奇遇だな。ところで──」
気さくに挨拶してきたユイシークは、リョウトの背後に控えている飛竜へと目を向ける。
「──そいつが噂の飛竜か。うわ、近くで見るとむちゃくちゃかっこいいじゃねえか! よし、乗せてくれ!」
何がよしなのか全く判らない。
リョウトが困ったような引き攣った笑みを浮かべていると、同じように苦笑したジェイクが助け船を出した。
「こいつの戯言はとりあえず放っておいて、ガーイルドのおっさんから伝言があンだろ? そいつも含めて、どうしておまえが伝令なんてやってンのかも聞かせてもらうぞ?」
ユイシークとジェイクは軍団に小休止を命じ、国王付きの従卒たちが急いで休憩用の天幕の準備をする。
そして準備された天幕の中に、リョウトはユイシークとジェイクと共に足を踏み入れたのだった。
リョウトの口から今回の一件の全てを知らされ、ユイシークとジェイク、そして将軍であるラバルドは言葉を失って腕を組んだ。
「……まさか、今回の反乱にそんな裏があるとはな。こいつはまんまと嵌められたようだ」
苛立たしげにユイシークが呟く。
時折彼の周囲でぱちりぱちりと小さな破裂音がしているところを見ると、どうやら嵌められた事に相当腹を立てているらしい。
「宰相閣下にも言いましたが、ランバンガの反乱軍は僕が引き受けます。陛下たちはこのまま王都へとお戻りください」
だが、ユイシークとジェイク、それからラバルドは、リョウトの進言に首を縦に振らなかった。
「別におまえの魔獣たちの力を見くびっているわけじゃねえがな。おまえが呼べる魔獣は全部で何体だ?」
「六体です」
「そうか、六体か────確かに、強大な魔獣が六体もいれば、千人の軍団だって打ち破れるだろう。だが、それだけでは駄目なんだ」
ユイシークの言葉に、ジェイクとラバルドも頷く。
「おまえの魔獣で敵の千人、一人残らず皆殺しにできるか?」
「そ、それは……」
確かに六体の魔獣を一度に使役すれば、相手が千人の軍団であろうが撃破はできる。
しかし、その千人全員を殺せるかと言われれば、それは不可能だろう。
「魔獣との戦闘の際、どさくさに紛れて逃げ出す奴は一人や二人じゃあるまい。そして、その中に首謀者たちが紛れ込んでいないという保証はないんだぜ?」
ユイシークたちが問題視しているのはそこだ。
首謀者であるボゥリハルト・ランバンガと彼に賛同する貴族たち。この者たちを逃がしては、千人の軍団を打ち破っても無意味なのだ。
「正面から敵と対するのはおまえに任せよう。だが、俺たちは敵軍を包囲する形で布陣する。そして、逃げ出す奴を俺たちができる限り捕まえる。そうすれば、ランバンガどもを見落とす事もあるまい。それでも逃げられた時は──」
ユイシークが苦笑を浮かべて肩を竦める。
「──それだけあいつに運があるってこった。そればっかりはどうしようもねえさ」
見晴らしの良い平原に、ボゥリハルト・ランバンガ率いる反乱軍は布陣していた。
平原と一口に言っても全てが平らなわけではない。起伏は当然あるし、所々に木々だって生えている。
そんな平原の中の小高い丘の一つに陣取ったランバンガとその賛同者たちは、煌びやかな鎧に身を包んで鎮圧軍が姿を見せるのを待っていた。
斥候によれば、王都を出た国王率いる鎮圧軍は自軍の倍以上の二千五百。この数は王都の常備兵の数から予め予想しておいた通りの数である。だから、ランバンガたちはそれを聞いても焦りを見せない。
「ランバンガ伯。伏兵の配置は予定通りでしょうな?」
「ああ、間違いないとも。近い将来、王となるこの私に尻尾を振る者は大勢いる。その者たちが進んで伏兵を買って出おったわ」
この場にはいないが、幾人もの貴族が彼に協力を申し出ていた。
そして彼らは抱えている騎士や兵士を提供して来た。ランバンガはそれらの兵士たちを現れるであろう鎮圧軍に対する伏兵として、平原の左右に広がる森林地帯にこっそりと配置したのだ。
その数はおよそ一千。自軍本隊と同数の伏兵がいるとは、鎮圧軍の愚者どもには想像もできないだろう。
そう考えると、ランバンガは浮かぶ笑みを抑える事ができない。
「くくく、この平原に鎮圧軍がのこのこと現れた時こそ、あの王を僭称する小僧の最後だ」
あの忌々しい若造の首は、この私が自ら断ち落としてくれよう。
その瞬間を妄想し、ランバンガの笑みは更に深くなる。
それと同時に、彼の考えは現国王に従う美しき側妃たちへと及ぶ。
「ふふふ。あの若造に尻尾を振るしか脳のない愚かな女たちだが、私は慈悲深い。あいつらの命だけは助けてやろうじゃないか。尤も、私の奴隷として、だがな」
彼の言葉に合わせて、周囲からも笑い声が上がる。
中には、奴隷とした側妃たちを拝借できるよう約束している者までいた。
ランバンガたちが勝利を疑わず、今後の自分たちの様々な栄誉を妄想していると、一人の兵士が近づいて来た。
「申し上げます。平原に敵兵と思われる者が姿を見せました!」
「ふふふ、来たか。それで、敵の数は? 斥候の知らせ通り二千五百で間違いないな?」
「そ、それが……」
兵士は言いにくそうに言葉を濁す。
「どうした? はっきりと申せ」
「は、は……! て、敵兵の数は……ひ、一人でございます」
「な……な、な……に?」
しんと静まり返るランバンガたち。
「な、何かの間違いではないのか? た、単なる旅人がこの平原に迷い込んだのであろう?」
「い、いえ、間違いなく敵兵にございます。その者は王国の旗を手にしております!」
王国の旗を持つ以上、それは敵兵に間違いない。
だが、その敵兵が一人しかいないというのはどういう意味だろうか。
ランバンガとその賛同者は不審そうに互いに顔を見合わせる。
しかし、敵の狙いはまるで判らない。判るはずがない。
「ふ、ふん、どうせ迷い出た斥候か何かであろう。三十人ほど送って捕らえて来い。その斥候から少しは鎮圧軍の情報が得られよう」
兵士はその命令に返事をし、足早にその命令を遂行すべく駆けていった。
一千対一。数の上だけならば絶望的な戦いが、間もなく始まろうとしていた。
『魔獣使い』更新。
順番からいえば、更新するのは『辺境令嬢』ですが、物語の展開上こっちを先に更新します。
実は『辺境令嬢』最新話は既に書き上がっておりまして、ネタばれしないところまで来たら改めて投稿します。
さて、次回はいよいよ一千対一という馬鹿げた戦いが始まります。
では、次回もよろしくお願いします。