17-魔獣使い、立つ
リョウトから送られて来た近況報告に目を通し、ルベッタは眉の根を寄せた。
「何か……あったの?」
もしやリョウトの身に何かあったのでは。
不安に駆られたアリシアは、リョウトからの手紙をひったくるようにルベッタから奪い取る。
「これは……」
「ああ。どうやら、エーブル伯爵が手配を回したようだ。そのため、リョウト様の移動が制限されている」
「これじゃあリョウト様が王都に着くのは、予定よりかなり遅れそうね」
「仕方あるまい」
ルベッタは身の回りの物を背嚢に詰め込む作業の手を止めて、ひょいと肩を竦めて見せた。
闇鯨のマーベクの異能である「影走り」を利用した手紙のやり取り。これにより、リョウトとアリシアたちの間の意志疎通はかなりの頻度で行われていた。
だがマーベクとて、一気に両者の間を行き来しているわけではない。
「影走り」で移動できる距離は、せいぜい五キロ程が限界であり、マーベクは何度も「影走り」を繰り返して両者の間を往復している。文字通り、影でそうとう頑張っているのだ。あまり無理はさせられない。
「さて、今はリョウト様より俺たちの方だ」
「そうね。私たちの傭兵隊にも移動命令が来た……いよいよね」
「しかし、あのランバンガという貴族が反乱軍を旗揚げしたとは……聞いた時はびっくりしたな」
「でも、ランバンガは……」
「間違いなく、エーブル伯爵が裏から操っているだろうな。エーブル伯爵が挙兵しようとしているこの時期に、他の貴族が反乱を起こすなど幾らなんでも出来すぎだ。差し詰め、奴さんは囮といったところか」
「リョウト様も、その事には気づいているわよね?」
アリシアの問いに、ルベッタは無言で頷いた。
これは、リョウトが王都でセドリック・エーブルの計画を、如何にして王国の首脳陣に伝えようかと悩んでいた時の数日前のやり取りであった。
突然駆け込んで来た兵士の報告に、カノルドス王国宰相であるガーイルド・クラークス侯爵は、厳つい風貌に彼らしくもないぽかんとした表情を浮かべてその兵士の顔を見た。
「……い、今、何と言った?」
「は! 王城上空に突如、飛竜が襲来! その飛竜は練兵場に舞い降りました!」
「飛竜が練兵場に……?」
王都上空を飛行する魔獣が横断する事は、頻繁ではないものの稀にある。
とは言え、それは遥か上空を横切るだけであり、魔獣が王都に降りた事はこれまで一度もない。
それが、なぜ今日に限って魔獣が襲来するのか。それも、よりにもよって魔獣の中でも最強の一角を占めると言われる飛竜が、だ。
今、この王都の守りは限りなく薄い。ほんの数日前に、反乱鎮圧のための軍を派兵したばかりであり、各貴族たちに要請した応援もまだ王都に着いていないのだ。
更に、この国で最強を誇る武人たちは殆どその鎮圧に参加しており、現在の王都の戦力では飛竜相手にまともに太刀打ちできないだろう。
執務机に両肘をつき、掌を組んで難しい顔で考え込むガーイルドに、報告に来た兵士は恐る恐るといった風情で更に言葉を続けた。
「そ、その、報告にはまだ続きがありまして……練兵場に舞い降りた飛竜には実は人間が二人乗っておりました……若い男と女が一人ずつです。その内、男の方はリョウト・グラランと名乗りました。そ、そして、その……女の方ですが……第五側妃であらせられる、ミフィシーリア様の侍女のだと主張しており……」
「何だとっ!!」
ガーイルドは目を見開き、思わず立ち上がって報告に来た兵士に詰め寄った。
「間違いなく、リョウト・グラランと名乗ったのだなっ!? 女の方は何と名乗ったっ!?」
「は、は、はい、女の方は確かメリアと……」
それを聞いたガーイルドは、その場で身を翻して足早に部屋を出て行く。
「すぐに練兵場に向かう! 貴様は練兵場に先行し、儂が行くまで絶対にその両名には決して手を出すなと伝えろ! 無論、飛竜にも手出し無用ぞっ!!」
練兵場なら飛竜でも降りられる広さがある──というメリアの指示の元、飛竜で練兵場に舞い降りた途端、リョウトたちは周囲を兵士たちに取り囲まれた。
だが、ここまでは予想通りであり、問題はここからだ。そう思いながら、リョウトはバロムの背に乗ったまま集まった兵士たちを眺める。
この兵士たちがこちらの言葉に聞く耳を持たず、一斉に襲いかかってくれば。
リョウトは、その時はこのままバロムで逃走するつもりでいた。だが、そうなればセドリック・エーブルの企みを国の上層部に伝えることはできなくなる。それに、下手をすれば国中に王城を襲撃したとして手配が回るかもしれない。
加えて、一緒に危ない橋を渡ってくれたメリアにも、多大な迷惑をかける事となるだろう。
そう。
これはリョウトにとって、一世一代の賭けなのだ。
しかし、兵士たちは武器こそリョウトたちへと向けるものの、襲いかかって来るような事はなかった。どうやらこの国の兵士たちは十分に訓練されており、軽率な行動を取る者はいないようだ。
それに、おそらくは先程メリアが発した一言が、兵士たちに軽率な行動を取ることを躊躇わせているのだろう。
「わ、私は第五側妃ミフィシーリア・アマロー様に仕える、侍女のメリアと申す者です! 至急、宰相閣下かミナセル公爵様に申し上げたい事があり、無礼は承知でこの場に参りました! どうかお二方にお取り次ぎ下さいっ!!」
バロムの背に乗ったまま、リョウトの背後から顔を出したメリアが大声で叫ぶ。
相手が側妃付の侍女と言っている以上、兵士たちとしても勝手に動く事は躊躇われた。もしも本当に彼女が第五側妃のミフィシーリア姫の侍女であれば、下手に手を出すわけにはいかない。
それに、中には遠目ながらもメリアを第五側妃の傍で見かけた者もいて、その事実が兵士たちの混乱に拍車をかけていた。
緊迫した空気の中、互いに動くに動けない状況。だが、その状況はすぐに打ち破られる事となる。
不意にリョウトたちを包囲する兵士たちの一部が割れ、そこから一人の壮年の男性が姿を見せた。
その身なりからして、国の上層に属する人物の一人だろう。長身でがっしりとした体格、そしてじっと自分を見詰める厳つい風貌から、リョウトはこの人物が軍人だろうと当りをつける。
──この男性がこちらの言い分を聞いてくれる人であればいいのだが……
近づいて来る壮年の男性から目を離さず、リョウトは内心で呟く。
男性はバロムに怖れる様子もなく、飛竜の目の前まで来ると毅然とした表情をリョウトたちへと向けた。
「さ、宰相閣下!」
リョウトの背後で、男性の姿を見たメリアが叫ぶ。
それを聞いて、リョウトはメリアに手を貸しながらバロムから降り、宰相と言われた男の前で跪いた。
「申し訳ありません。非常事態故、このような強硬な手段を取りました。至急、お耳に入れたい事がございます」
「────聞こう」
目の前の男性がそう言った時、リョウトは賭けに勝った事を悟った。
この国の宰相であるガーイルド・クラークス直々に城内の一室へと案内されたリョウトとメリア。
部屋の中には、三人の他には宰相補であるケイル・クーゼルガン伯爵の姿もあった。
「随分と思いきった事をしたものだな、『魔獣使い』?」
苦笑を浮かべるケイルに、リョウトもまた苦笑で答える。
「他に方法を思いつきませんでした。キルガス伯爵が王都にいらっしゃれば、このような強行策を取る必要もなかったのですが……」
「なるほど。確かに少々間が悪かったか」
以前に酒場で数度顔を会わせた事のあるケイルは、ガーイルドにリョウトが間違いなく噂の「魔獣使い」である事を証言した。
尤も、彼以外に飛竜を乗り回すような存在は他にいないだろうが。
「では、聞かせてもらおうか。ここまでの事をやらかした、その理由とやらを」
リョウトは改めて、セドリック・エーブルの企てを話した。
セドリックが多数の傭兵を集めている事、野盗や山賊を使って、資金や物資を蓄えている事、そして、リョウト自身に自分の計画に乗らないかと誘いをかけてきた事など。
「……まさか、最近活発になった野盗や山賊の活動や、以前の『銀狼牙』の一件までセドリック・エーブルの計画の内だったとは……」
額を掌で覆いながら、ガーイルドは椅子に腰を下ろしたまま天を仰ぐ。
「となれば、ランバンガの反乱も奴の計の一角でしょうな、宰相閣下」
「うむ。ケイルの言う通りだろうて。となれば、奴の真の狙いは唯一つ──」
それ以上ガーイルドは語らなかった。語らずとも、この場に居合わせた者は彼が言おうとした事を理解したからだ。
──兵の数が激減し手薄になった王都を強襲し、短時間で陥落させる。
それがセドリック・エーブルの真の狙いに違いない。
「直ちに、シークたち鎮圧軍を呼び戻しましょう」
囮でしかないランバンガ率いる反乱軍など、放置しても大した被害はない。そう考えたケイルは、鎮圧軍を呼び戻す事を宰相であるガーイルドに具申する。
「怖れながら、僕は……いや、私は反対です」
そう進言したのはリョウトである。
「このままランバンガの反乱軍を放置しておけば、遠からずセドリックたちと合流するでしょう。徒に敵の戦力を増加させるのは得策ではありません。ならば、別行動している今こそが各個撃破の好機と考えます」
そう言うリョウトを、ガーイルドとケイルは面白いものを見るような目でじっと眺める。
「リョウト・グララン。お主、軍を率いた経験でもあるのか?」
軍略的な判断を下したリョウトを、ガーイルドはそのような経験があると見たのだろう。
「いえ、僕に軍を率いた経験はありません。これは亡くなった祖父の教えです」
「祖父……竜斬の英雄ガラン・グラランの……かね?」
「はい。祖父いわく、僕は剣を操る才能に欠けています。ならば、少しでも自分が有利な状況を造り出して戦えというのが祖父の教えでした」
そしてガランは、かつて自分が傭兵として戦場を渡り歩いた時の経験を、全てリョウトに語って聞かせたのだ。
時折ガランの小屋を訪れる残る二人の英雄もまた、ガランに仕込まれるリョウトをおもしろがって自分が経験した事や、様々な知略や戦略を彼に教え込んだのだ。ちなみに、リョウトに文字の読み書きを教えたのもその二人の内の一人である。
「では、貴様ならどうするね『魔獣使い』?」
まるで試すかのようなガーイルドの物言い。いや、彼は試しているのだ。リョウトの戦略眼を。
「僕が進軍する陛下に加勢します。そして、最小戦力でランバンガを叩き、戦力を温存した状態で鎮圧軍は王都へと取って返す。そうすれば、セドリック・エーブルを挟撃する事にもなります」
「最小戦力でランバンガを叩くと言うが、本当にそれが可能か? その仮定が崩れれば、挟撃など夢のまた夢だぞ?」
口では辛辣な事を言うガーイルドだが、その顔には笑みが浮かんでいた。
彼も実際には判っているのだ。最小戦力で反乱軍を叩く事のできる、希有なる人材がいる事を。
「斥候が持ち帰った情報によれば、敵軍の数は約千人。それに対し、こちらはどれだけの戦力をぶつけるつもりだ?」
そして、その希有なる人材もまた、笑みを浮かべてきっぱりと答えた。
「僕一人で十分です。僕と……僕の魔獣たちだけで、千人の敵を撃破してみせます」
夜も更けた王都。所々から漏れる灯りを頼りに、その男は馴染みである「轟く雷鳴」亭への道をゆっくりと歩いていた。
最近の彼は王都の近郊で姿を見せる、小型から中型の魔獣を相手に鍛錬を積み重ねていた。
最初は小型相手にも苦戦を強いられていたものの、最近では何とか一人で中型を相手取る事ができるようになってきた。
今日も一人で中型の魔獣である大飛蝗──文字通り、体長が二メートルを超えるバッタを狩る事に成功し、その魔獣から得た素材を売り払った銀貨で祝杯を上げる予定である。
以前の手酷い失恋からも立ち直り、最近とある事で知り合い、今は「轟く雷鳴」亭で女給をしている女性とも上手く話せるようになって来た。
今日も彼女と楽しく会話を交えながら、料理と酒を楽しむ。そんな事を夢想しつつ彼が歩いていると、その前方に数人の人影が現れた。
「…………竜の封印を宿す者──リークス・カルナンドだな?」
夜の闇を纏ったような黒ずくめたちは、彼に確認するようにそう尋ねた。
『魔獣使い』今日も更新!
先日、ついに当作のレビューを書いて下さった神の如き方が現れました! そのレビューに即発され、今回の執筆はすいすいと進みました。本当に前回の苦労が嘘のようです! 前回は何度も書き直したもんなぁ……
さて、次回も早目に更新しますので、よろしくお願いします。