15-傭兵隊の女頭目
リガルの話を聞き終えたセドリック・エーブルは、ぎしりと音を立てながら身体を椅子の背もたれへと預けた。
彼の顔には今、何とも不審そうなものが浮かんでいる。
「……本当なのか、その話は?」
「少なくとも、本人がそう言っているのは間違いないらしいな」
「…………普通なら、自分の身体にかの暗黒竜が封印されているなど、自ら口にはしないものだな……」
暗黒竜バロステロス。その名前はカノルドス王国においては禁忌に等しい。
その暗黒竜が自分の身体に封印されているなど、例え絵空事でも自分から言い出すような事ではない。
そんな事を言ってしまえば、その者は周囲から冷たい目で見られるか、総じて誰からも相手にされなくなるのが関の山だからだ。
仮に自分の身体に暗黒竜が封印されているとしたら。セドリックは自分から、他者にその事実を告げる気にはならない。
「だが、どうやってその者は自分の中に暗黒竜が封印されていると知ったのだ?」
「それがよ? 何でもガラン・グラランにそう言われたそうだぜ」
「な……なに……? 本当なのか、それは……?」
がたりと椅子を蹴倒して、セドリックは思わず腰を浮かせた。
暗黒竜を倒した三英雄の一人、ガラン・グララン。
他ならぬガラン・グララン本人がそう言ったのであれば、その信憑性は高いかもしれない。
「判った。とりあえず、その男の身柄は確保しよう。そして、本当にその男に暗黒竜が封印されているのなら──」
セドリックはリガルに向かってにやりと笑う。
「──その封印を解き、バロステロスをカノルドスの地に再び解き放つ」
だが、リガルはセドリックの言葉を聞くと、逆に渋い表情を浮かべる。
「解き放つのはいいがよ? その後どうするんだ?」
「竜とはすべからく高い知能を有すると聞く。であれば、暗黒竜と交渉する事も可能ではないかな?」
「ほう。封印から解放した謝礼……もしくは、何らかの見返りを与えるから助力してくれと願うのか? だが、そう上手くいくか?」
リガルの懸念は尤もだろう。この国にかつてない厄災を振りまいた暗黒竜バロステロス。その暗黒竜がいくら高い知能を有し、封印解放の恩義とそれ以外にも見返りを差し出すからと言って、こちらの都合通りに暗黒竜が動いてくれるとは思えない。
それどころか、その大いなる災いの力を、自分たちに向けて振るわないとも限らないのだから。
「なに、問題ない。例え暗黒竜がこちらの話に聞く耳を持たずに闇雲に暴れ出そうとも、それはそれで構わないさ。暗黒竜が暴れ出せば、それを討つのは国として当然の責務なのだからな」
「なるほど。王国側が暗黒竜相手に敗北を喫すれば……いや、例え暗黒竜に勝利しようとも、戦力の消耗は避けられない、か」
今度こそ、リガルもセドリックと同じように笑みを浮かべる。
「そういう事だ。そうなれば、こちらは労せずしてこの国を手に入れる事ができよう。まあ、最悪の展開は暗黒竜が王国軍を壊滅させた後で我が方にも牙を向けた時だが……その時はさっさと隣国へでも逃げ延びればいいだけの事。しかし、私はそうなる可能性は低いと考えている」
現国王が有する異能は強大だ。彼の「雷」の異能であれば、暗黒竜を打ち倒す事もあるいは可能かもしれない。
だが例えそうだとしても、やはり王国軍には多大な被害が出るだろう。
それに国王の異能ならば、暗黒竜を倒せずともかなりの損害を与えるに違いない。そして、弱ったところをセドリック率いる反乱軍が暗黒竜を打ち倒せば。
その時に得られる名声は、彼が新たな王として立った時に様々な面で大いに役立つだろう。
「私が玉座に座る時はそう遠くはない」
現国王ユイシーク・アーザミルド・カノルドスを打ち倒し、自分がこの国の新たな王となる。
それこそがセドリック・エーブルの抱いている野望であった。
モンデオの街の郊外。
城壁の外の開けた土地で、厳つい男たちが様々な鍛錬に打ち込んでいた。
ある者は黙々と走り込み、ある者は相手を見つけて武器を打ち合わせ。中には年配の者から戦場における心構えを聞く者もいる。
そして、そんな男たちを監督するのは、うら若い二人の黒髪の女性だった。
「ほらほら、そこ! のんびり走らないでしゃきしゃき走る! あまりのんびりしているようなら、これを放り込むわよ!」
黒髪で碧眼の女性が、走り込みを行う男たちに檄を飛ばす。
その女性は、傍らに積んでおいた大人が一抱えする程の大きさの岩を片手でひょいと持ち上げると、ぽんぽんと小石を放り投げるかのように弄ぶ。
「や、止めてくださいよ、エメリィの姐御! そんなモン投げ込まれたらただじゃ済みませんって!」
その様子を見た男の一人が、走り込みによるものとは別の汗を流しながら懇願する。
「だったら真面目に走りなさい!」
「お……おっすっ!! ま、真面目に走らせてもらいますっ!!」
男たちは顔を青ざめさせながらも必死に足を動かした。
その一方、大岩を弄ぶ女性から少し離れて、黒髪に青い眼の女性が弓を空に向けて構えていた。
女性が狙うのは、遥か上空を舞う一羽の鳥。
ぎりぎりと限界まで引き絞られる弓弦。じっと狙いを定める女性の眼が一際鋭い光を放った瞬間、ひょうという風切り音と共に弓から矢が放たれた。
放たれた矢は蒼穹へと吸い込まれていき……しばらくして、大きな鳥がどさりと大地へ落ちてきた。
「す……凄えっ!! あんな高い所を飛ぶ鳥を一発で仕留めるなんて……」
「さすがはサフィの姐さんだ!」
周囲から沸き上がる賛辞に微笑みで応え、その女性は自らが撃ち落とした鳥の元へと歩み寄る。
「ほらよ、カロス。今晩の夕飯の材料が一品増えたぞ。こいつを兵舎の厨房へ持って行ってくれ」
刺さったままの矢を持って、女性が仕留めた鳥をカロスという男へと差し出した。
たった今女性が仕留めた鳥はかなりの大きさだが、それでもここにいる男たちの数を考えれば、一人当りの配分量はそんなに多くはあるまい。
そんな事を考えながら、カロスは苦笑を浮かべて鳥を受け取る。
「おいおい、サフィ。一応、この傭兵隊の隊長は俺だぞ? その俺を使いっ走りにすんじゃねえよ」
「気にするな。そんな些細なこと」
きっぱりと言い切るサフィに溜め息を吐きつつも、カロスは受け取った鳥を厨房へ届けるべく踵を返した。
「しっかし、あいつら……すっかりここの頭目になっちまったなぁ……」
彼女たちがこの傭兵隊に来て数日。その数日で、エメリィとサフィは──いや、アリシアとルベッタはカロスの預かるこの傭兵隊をすっかり牛耳っていた。
「俺の傭兵隊を丸ごと王国側に引き抜くだぁっ!?」
カロスはルベッタが言い出した事に眼を丸くして驚いた。
彼が預かる傭兵隊を丸ごと王国側の密偵として仕立て上げ、セドリック・エーブルの内情を探ろうというのが、ルベッタの提案だった。
「カロスの傭兵隊に属する傭兵全員に詳しい事情を知らせなくてもいい。もちろん、数人には話しておく必要はあるだろうがな。傭兵たちには普段通りに生活させ、その中で聞き及んだ事を俺たちに報告させるんだ。カロスが預かる傭兵隊は何人くらいいる?」
「俺が預かっているのは今のところ六つある伯爵の傭兵隊の内の一つで、所属しているのは百人だな。伯爵はどうやら傭兵は百人ごとで一纏めとして運用するつもりのようだ」
「百人編成か。傭兵を運用する際の一般的な編成だな。つまり、現在伯爵の下には少なくとも六百人の傭兵がいるわけか」
ルベッタの言葉を聞きながら、カロスは腕を組んで考える。
彼女が言うように、予め王国側の密偵として伯爵陣営に潜り込んだ事にすれば、伯爵が挙兵する直前か直後に逃げ出しても傭兵間の評判が下がる事はない。そのような密命を帯びた傭兵は少なからずいるものだ。
そして、自分の事を隊長として認め、慕ってくれる部下たちも無駄に失わなくても済む。
今回の契約の間だけの部下とはいえ、それでも不必要に死なせるのは忍びなく、助けられる者は助けてやりたい。
そんな思いもあって、カロスはルベッタの提案を受ける事にした。
「だけどよ、俺と俺の仲間は問題ないが、他の連中がすんなりとおまえたちの言う通りに動くとは限らんぞ? 知っているとは思うが、傭兵って奴ぁ我が強い奴ばっかりだ」
「もちろん、その辺の事は承知しているさ。なに、おまえを隊長として仰ぐような連中だ。すぐに掌握してみせるさ」
「おいおい、言ってくれるなあ……」
きっぱりと言い切られ、カロスは苦笑を浮かべる。
これでも彼は、傭兵仲間の間で腕利きとしてちょっとは知られた存在なのである。今回、彼が傭兵隊の百人隊一つを任されたのもそれが理由であった。
緩やかではあるものの、傭兵たちは横の繋がりを持つ。そんな傭兵たちの間で腕の利つ者は、当然名前が知れ渡る事になる。
傭兵の社会は実力社会。実力のない者に上に立つ資格はないのだ。
──だが、まあ。
カロスは考える。
アリシアとルベッタの実力は、モンデオまでの短い旅の間に嫌というほど見せつけられた。彼女たちの実力を以てすれば、傭兵隊一隊を掌握するのは確かにわけない事かもしれない。
事実、彼女たちは翌日から僅か二日という短期間で、彼の預かる傭兵隊を事実上乗っ取ってしまうのだった。
その日の訓練が終わり、与えられた兵舎に戻った傭兵たちは、兵舎の食堂で供された夕食と酒を楽しみながら、その日の労を癒していく。
もちろん、その中にはアリシアとルベッタの姿もある。
やはり、女の傭兵の数は少ない。そんな女傭兵の中でもずば抜けた容姿を持つ二人の傍には、当然のように数多くの男たちが群がるように集まって来る。
彼らに下心がないと言えば嘘になるだろう。上手くいけば、この美しい女たちと一晩だけでも同じ夢を見られるかもしれない。そう考える男は決して少なくはなかった。
だが、彼らの美しい頭目たちは、決して男をその寝室に招き入れる事はない。
その事に関して、傭兵たちの間で様々な噂が飛び交っている。
実はあの二人は、名目上は隊長であるカロスの情婦であるとか、二人は男に興味のない同性愛者であるとか。様々な噂──というより妄想──が、男たちの間で真しやかに囁かれていた。
しかし、それでも厳しい訓練の後の一時の憩いとして、彼女たちと益体もない会話を交わすのは男たちにとって最大の楽しみであった。
そして、それこそがアリシアとルベッタの狙いでもある。
傭兵たちは様々な話を彼女たちの耳に届けてくれる。
ここ以外の傭兵隊の様子や、どんな傭兵が雇われているか、傭兵ではない領主の私兵たちの数とその様子、領主の城に豪勢な馬車が次々とやって来る、などなど。
もちろん、眉唾なものもあれば、全く関係のない話もある。だが、それでもいいのだ。
数ある話の中から、真贋を見極め虚実を選別するのが、主であるリョウトより二人に与えられた使命なのだから。
現在、二人の元には傭兵隊の規模や練度、領主の私兵の数や士気の高さ、領主の元に出入りする貴族の素性といった様々な情報が集まっている。
そして二人はその情報を纏め、リョウトの元へと送っているのだ。
食事を終え、私室として与えられている部屋に戻った二人は、今日聞きつけた情報を早速纏め始めた。
「……これまでの話を統括すると、エーブル伯爵の元には少なくとも一万以上の兵が集まっている事になるな」
「ええ。それも賛同する貴族の私兵を抜きにしてね。その貴族たちの私兵を合わせると、少なくとも今の倍はみなくちゃいけないわ」
「俺たちが傭兵隊に潜り込んでからも、どんどん傭兵は集まってくるからな。中には、隣国の傭兵と覚しき連中もいたそうだが……」
彼女たちが傭兵として潜り込んだ時、傭兵の数は六百程だった。しかし、それ以後も傭兵は集まり続け、現在では三倍以上の二千には達していると、同じ隊の傭兵たちは話していた。
そうなると予め用意しておいた兵舎だけでは傭兵たちを収容しきれず、モンデオの宿屋のいくつかを領主が借り切って兵舎の代わりとしているらしい。
それに加えて領主本来の私兵もいる。現在のモンデオには、普段の人口に匹敵するかそれ以上の数の傭兵や兵士が集まっている事になる。
「これだけの数の兵を集めると、それを維持するだけでも莫大な金や物資が必要となるだろうな」
「ええ。伯爵が以前に言っていたように、野盗たちが集めた膨大な資金や物資があればこそね」
「とはいえ、その資金や物資も無尽蔵ではない。それに、武器や防具を山と積んだ馬車が頻繁に城に出入りしているし、輜重用と覚しき馬車や馬も集められている……そろそろ動き出すのでないか?」
「私も同感よ」
二人は相談した事を羊皮紙に書き記すと、アリシアが部屋の床をとんとんと踏み鳴らした。
「マーベク、いる?」
その問いに応えて、彼女の影の中から巨大な尾ヒレらしきものがぬっと突き出し、そしてすぐに再び影の中へと消えていく。
「また、リョウト様の元へ届けてね」
アリシアは書き記した羊皮紙を、汚れないよう念のため空の水袋の中に入れると、その水袋をぽいと影へと放る。
投げられた水袋は、石を水中に投げ入れたようにすとんと影の中へと沈んでいった。
「マーベクのおかげで、離れていてもリョウト様と連絡が取れるのは助かるな」
「本当。改めてリョウト様の魔獣たちの様々な力に感心するわ」
彼女たちの主である、リョウトの使役する魔獣たち。
その魔獣たちの真価は、何も戦闘だけで発揮されるものではない。
リョウトは魔獣たちが持つ様々な力を、あらゆる事に応用している。今回のマーベクによる手紙の受け渡しのように、魔獣たちの力を応用すれば色々な事に役立てる事ができるのだ。
「……さて、リョウト様の方はキルガス伯爵と連絡がついたかね?」
「大丈夫よ。リョウト様の事だもの。きっと上手く事を運んでいるはずよ」
部屋の窓から外を眺めるアリシアとルベッタ。
彼女たちの視線は、この国の王都であるユイシークの街が存在する方角へと向けられていた。
『魔獣使い』更新しました。
現在、当作が「ファンタジー小説大賞」にエントリーしている事は既にお伝えしましたが、参加してみて改めてその門の狭さを実感しました(笑)。
元より上位に入れるとは思ってもいませんが、それでも何とか最終的に100位以内に入り込むのが目標です。
さて、物語もいよいよラストに向けて動き出します。
具体的な最後がいつ頃になるのかはまだ判断つきませんが、それでも年内には終わりそう。ひょっとすると、今月は更新を密にする予定なので、もっと早く最後まで辿り着くかもしれません。
では、次回もよろしくお願いします。