13-逃亡そして決断
「逃げられただとっ!? 三人共かっ!?」
セドリック・エーブルは、思わず目の前でにやにやとした笑みを浮かべているリガルに声を荒げた。
「すっかりしてやられたぜ。まさか、俺も捕まった初日に三人揃って逃げ出すとは思いもしなかった」
怒りを露にするセドリックと違い、リガルの方はおもしろそうな表情を隠そうともしていない。
事が判明したのは今朝方。虜囚となった『魔獣使い』とその従者二人に、リガルが朝食を差し入れに行った時の事だった。
リガルがまず訪れたのは、夕べ別れ際に言葉を交わしたアリシアである。かつての知り合いである事もあり、まずは彼女の部屋へと向かったのだ。
そこで扉の前に立つ二人の見張りに異常がない事を確かめ、次いで鍵がかかっている事も確認した。
そして自ら解錠し、部屋の扉をノックする。虜囚とはいえ相手は女性。しかも、雇い主から失礼な扱いは絶対にするなと言われている以上、リガルは突然扉を開けるような真似はしなかった。
だが、ノックに対する返答がない。
敢えて無視を決め込んでいるのか、それともまだ寝ているのか。
まあいい。こっちは筋を通したんだ。寝ていようが着替えの途中で裸でいようが構うことはない。
内心でそう考えたリガルは、そのまま無遠慮に扉を開いた。
「…………おい、こりゃあどういう事だ?」
思わず一人呟くリガル。だが、それも無理はないだろう。彼が入った部屋は蛻の空だったのだから。
ふと正気に返った彼は、まず窓を確認した。
この部屋は城の三階にある。飛び降りるのは無理だし、壁に伝い降りる手がかりになるようなものもない。
窓が開けられた形跡はなく、窓から下を見ても何も見つけられなかった。
それを確認したリガルは、慌てて残る二部屋も確かめたが、どちらの部屋もアリシアの部屋同様、無人の静寂に支配されていた。
思わずぽかんとした表情で空の部屋を眺めていたリガルだったが、やがてにやりとした笑みを浮かべた。
「どうやって抜け出したのか知らねえが、さすがは噂の英雄様だ。こんなにも見事に出し抜かれるとはな」
まんまと逃げられて悔しいどころか、そのあまりに見事な逃げっぷりは逆に清々しいと思える程だ。
その思いが顔に出てしまったリガルは、敢えてその笑顔を消そうともしないまま、雇い主たるセドリックの元へ向かった。
英雄様御一行がお逃げあそばされました、と報告するために。
「しかし、一体どうやって逃げたというのだ? 部屋が壊されたりはしていないのだろう?」
「ああ。その辺りは全くだ、な。部屋の前にいた見張りは物音などは聞いていないそうだ。もちろん、鍵が開けられた様子もない」
「……考えられるのは、やはり『魔獣使い』が使役する魔獣だが……」
「それは間違いないだろうな」
「窓の外に飛竜を呼び出し、その背に飛び乗った……か?」
「いくら夜とはいえ、城の城壁を見回る兵もいるんだぜ? 飛竜が城の傍にいれば気づかないはずはないだろう。それに、仮に『魔獣使い』がそうやって逃げ出したとして残る二人は? 『魔獣使い』はどの部屋に自分の従者たちがいるか知らない。飛竜に乗ったまま城の周りを飛び回って探したってか? そんな事をしたら絶対に兵に目撃されるぜ」
その後も二人はどうやってリョウトたちが脱出したのかを検討したが、結局は憶測にしかならないという結論に至る。
彼らは知らなかったのだ。リョウトが使役する魔獣の中に闇鯨という影から影へと渡る魔獣がいる事を。
『魔獣使いの英雄』が使役する魔獣と言えば、一番有名なのは飛竜だろう。『魔獣使いの英雄』が飛竜を使役する事は、どの噂にも登場している。
次いで知られているのが、斑熊と癒蛾。そして岩魚竜。これらの魔獣は、ガルダックの大火災の際に大勢に目撃されている。
しかし、闇鯨を知る者は以外に少ない。
元より闇鯨という魔獣がそれ程有名な魔獣ではない事に加え、その身体は影の中に潜んでいて殆ど姿を見せないからだ。
そのため、『魔獣使いの英雄』が闇鯨を使役する事は、噂にも殆ど上がらなかった。よって、セドリックたちの耳にもその事は届いていなかった。
もしもリョウトが闇鯨を使役する事を知っていれば、彼らは別の方法でリョウトたちを拘束しただろう。
だが、今はリョウトの魔獣についてあれこれ考えるよりも、自分たちの計画を知るリョウトたちが逃げ出した事の方が重大だ。
彼らは国王であるユイシークの右腕とも言われるジェイク・キルガスと親交がある。自分たちの計画をジェイク・キルガスに伝えられてしまえば、それだけでセドリックの計画は潰えたも同然なのである。
「至急、町の門を閉じよ。出口を押さえてしまえば、『魔獣使い』も土地勘のない場所では隠れるところもままなるまい。この町から出る前にもう一度捕らえるのだ」
「そいつは難しくないか?」
「なに?」
「『魔獣使い』は飛竜を使役する。飛竜に乗れば、いくら町の門を閉じようが関係ない。それに──」
リガルはにぃと口角を釣り上げる。
「──もうあの英雄様を引き込むのは諦めようや。そして、ここは捕らえるよりは口封じの方向で動くが得策だと思わないか?」
セドリックはリガルの言葉をじっくりと黙って考え込む。そして結論を出した彼は改めてリガルへと視線を向けた。
「ここに至っては致し方なし……か。正直、『魔獣使い』の名声は捨てがたいが、それ以上に我らの計画が漏れる方が痛手だ」
「英雄様の代わりと言っちゃなんだが、以前おもしろい話を聞いたのを最近思い出してな? ひょっとすると伯爵の興味を引くかもしれないと思ったんだが……聞いてみるか?」
セドリックは目だけでリガルに続きを促す。
「なんでも、自分の身体にあの暗黒竜バロステロスを封印しているって男がいるそうなんだよ。どうだ? いかにも伯爵の興味を引きそうな話じゃないか?」
セドリックとリガルが新たな陰謀を巡らし始めた頃、リョウトたちはとっくにモンデオの町を抜け出して郊外の森の中に身を潜めていた。
この時点で、既にリョウトたちの町からの脱出を阻止するという目論見は失敗に終わっていたのだが、それを知らないセドリック配下の兵たちは、大慌てで町の門という門を閉じ、人員を配して逃げ出したリョウトたちを血眼になって探していた。
実を言えばリョウトは夜半前には城から脱出してこの森に身を潜めた。しかし、見知らぬ夜の森をうろつくわけにもいかず、その場で夜が明けるのを待ったのだ。
しかも、彼らにはある問題もあった。
「……リョウト様。俺としては、この臭いだけでも何とかしたいのだがな」
「我慢してくれルベッタ。夜の森の中を水場を探して歩くのは危険すぎる。夜が明けるまで待ってくれ」
「あっさりと城から逃げられたのはいいけど……私もこればっかりはね……」
アリシアも自身の身体が放つ異臭に、その美麗な眉を顰めさせている。リョウトやルベッタも、全身を覆うぬとりとした粘液を手でしきりにこそげ落としては振り飛ばしている。
今、彼らの身体は異臭を放つ粘液に塗れていた。
なぜ彼らがそのような目に合っているのかと言えば、逃げ出す際にマーベクの力を使ったからだ。
マーベクの持つ「影走り」という異能は、影と同化して影から影へと飛ぶ異能である。その異能とリョウトの「魔獣を呼び出す」という異能を組み合わせ、彼は普段は不要なものをマーベクの塒の片隅に置いている。
そして、必要な時に必要な物を、マーベクに取り出してもらっているのだ。
だが、それも大きさ的な制限があった。
大きくてもアリシアの竿斧ぐらいの質量の物が限界であり、それ以上大きなものは影にマーベクも引き込めない。
本来なら生きた人間は影へと引き込めないのだ。
だが、何事にも抜け道というか例外が存在する。リョウトたちは今回の脱出にその例外を応用した。
引き込めるものには制限があっても、マーベク自身は己の巨体を影に潜り込ませる事ができる。
今回リョウトたちが用いた応用とは、影の中に入れるマーベクの、更に体内に入り込むというものだった。
具体的には、マーベクの巨大な口腔の中に隠れて影を抜けたのである。
当然、魔獣とはいえ生物である闇鯨の口の中には唾液がある。リョウトたちが今塗れている粘液の正体はマーベクの唾液だった。
しかも、その唾液が並々ならぬ異臭を放つのだ。
もしも、早々にリョウトたちの脱出がセドリックに知れ、夜の闇を押して森の中を探索したのなら、その臭いで居場所が知れたかもしれないほどだった。よって、この方法はリョウトたちにとっても本当に非常時だけの方法なのである。
だが、先程も言ったように、夜に見知らぬ森の中を歩き回るのは危険過ぎる。そのため、リョウトたちは粘液と異臭に塗れたまま、夜が明けるのを待ったのだ。
ようやく夜が明け、陽光が森の中まで差し込むようになると、リョウトたちは待ちわびたように水場を探し出した。
この頃には既に粘液は乾ききり、身体を動かす度にばりばりと身体から剥がれ落ちるようになっていたが、逆に異臭の方は更に酷くなっていた。
そしてようやく川の中で沢を見つけ、三人は異臭に塗れた衣服を全て脱ぎ捨て我先にと沢へと飛び込んで行った。
沢で身体の隅々と、髪まで念入りに洗った三人は、続いて着ていた服を洗い出す。装備していた魔獣鎧も細部まで念入りに洗い、服と一緒に日当たりのいい場所に干しておく。
リョウトたちはモンデオに入って直接セドリックの城に向かったので、荷物などは全て持ったままであった。
武器の類は予めマーベクに預けておいたので、逃亡した際に紛失したものが何もないのは不幸中の幸い。
身体を洗い、着替えを済ませたリョウトたちは、沢のほとりで非常食を用いた朝食を摂りながら、今後の事を相談する。
「そろそろ俺たちが逃げ出した事に気づく頃合いか?」
「そうだね。ルベッタの言う通りだと思う。さて、これから僕たちがどう行動するかだが……」
「エーブル伯爵の計画を国に知らせなくてはいけないでしょう?」
アリシアが言う通り、まず最初に行わなくてはならないのは、セドリック・エーブルの企てを一刻でも早く国へと知らせる事だ。
幸い、リョウトたちにはバロムという馬以上の高速移動手段がある。バロムの翼なら三日とかからず王都へと辿り着けるだろう。
「だが、あの男も馬鹿ではない。俺たちが逃げ出した以上、俺たちが国に知らせると考えるだろう。ならば、おそらくあの男は行動を速めるに違いあるまい」
「つまり、すぐにでも挙兵するって事?」
「そうだ。無論、今日明日にいきなり挙兵するわけではないとは思うが……奴の計画が具体的にどこまで進んでいるかによるな」
「前もって準備がなされていた場合、早急に挙兵する事も可能、という事だね」
リョウトの言葉に、ルベッタは神妙な顔で頷いた。
「できれば、伯爵の計画がどの辺まで進んでいるのか、具体的に知りたいところだな……」
「だが、リョウト様。そのためにはもう一度モンデオに入り込まなくてはならないぞ?」
「仮にモンデオに入り込めたとしても、国に知らせるためにはもう一度脱出しなければいけない……私もかなり厳しいと思うわ」
もちろん、どんなに警備を固められても、バロムを呼び出せば脱出するのは簡単だ。だが、街中でいきなり飛竜を呼び出せば、どのような混乱が町の住人たちの間で生じるか判ったものではない。
そして、町の住人にそのような要らぬ迷惑をかけるのがリョウトの意に反する事なのは、アリシアもルベッタも十分承知していることだった。
「……二手に別れよう」
それが、しばらく黙って考え込んでいたリョウトが出した結論だった。
『魔獣使い』更新。『辺境令嬢』に続いて、こっちも今週二度目の更新です。
さて、一度は捕まったとはいえ、あっさりと逃げ出したリョウトたち。もちろん、逃げ出す算段があったからこそ、碌に抵抗もせずに一旦拘束されたのですが。
さあ、クライマックスも見え始めました。年内には完結できそうです。
では、次回もよろしくお願いします。
『辺境令嬢』の後書きにも書きましたが、今後の当面目的への推移は活動報告にて行います。