11-セドリック・エーブル
リョウトと彼の二人の従者は、厳しい表情で目の前の人物と対峙していた。
「どういう事か、納得のいく説明を要求します」
口調こそ丁寧だが、その視線は極めて冷たい。
リョウトはその内側に静かな怒りの炎を燃やしながら、じっと目の前の人物を見詰める。
「貴殿を騙したことは素直に謝ろう。申し訳ない。だが、貴殿を騙すような……いや、試すような事をしたにはわけがあったのだ」
重厚な執務机の向こうで腰を下ろしたセドリック・エーブル伯爵は、その机の上に肘をつき、掌を組み合わせながら真剣な眼をリョウトたちへと向けた。
暗殺者らしき者たちからの襲撃を退けたリョウトたちは、この件の詳細を知っていそうな村長に詰め寄った。
そして彼の口から語られたのは、いるはずもない飛竜をでっちあげてリョウトたちを呼び寄せるという領主の計画だった。
リョウトたちがこの村を訪れた時、飛竜の討伐が目的だと村人たちに話したが、村人たちは不審そうにリョウトたちを見るばかりだった。
当然だ。この村の付近に飛竜など本当は現れていないのだから。そして、村の中で領主の計画を知っていたのは村長唯一人で、村人たちは何も知らされていなかったのだから。
また、村長が語った魔獣狩りの偽者も出鱈目だった。
いや、不審な男が四人ほど村に滞在していたのは本当だ。ただ、その事にリョウトたちが気づかなかっただけである。
不審な男たちは、村の宿屋に宿泊していた。村長がリョウトらに自分の家に泊まるようにしきりに勧めたのは、男たちとリョウトたちが出くわさないようにするのが目的であった。
そう。その男たちこそ、リョウトらを襲った暗殺者たちだったのだ。
「どうして、領主のエーブル伯はこんな手の込んだ真似をしたんだ?」
「く、詳しい事は俺も知らされていない。ただ、ご領主様の指示で、言われた通りにしろと……ほ、本当だ! 信じてくれ!」
リョウトの傍らで不気味に蠕動する黒い粘塊を気味悪そうに見詰めながら、村長は身体をぶるぶると振るわせながらそう答えた。
「……どうやら、嘘は言っていないようだぞ、リョウト様」
「私もそう思うわ」
リョウトの背後に控えていたアリシアとルベッタが、彼の左右から進言する。
目の前には噂に名高い『魔獣使い』とその腕利きの従者が二人。そして、そんな彼らの傍らには、先程人間を二人ばかり飲み込んだ不気味な不定形の魔獣までいるのだ。
この状況で嘘を言えばどうなるか。仮にも一つの村を預かる立場にいる男なら、何も言わなくても理解できるだろう。
村長が想像したような事を、実際にリョウトたちが行うかはともかくとして。
「これはあの領主に詳細を聞かねばなるまいな」
震える村長を見下ろしながら、リョウトの肩の上でローがそう零した。
「私は、貴殿が本当に噂通りの実力を持っているのか確かめたかったのだ」
身動き一つせず。セドリック・エーブルは真っ正面からリョウトたちを、いや、リョウトを見据えてそう答えた。
「私にはとある目的がある。その目的を遂げるため、私は数多くの協力者を求めており、今日までにそれなりの数の賛同者を集める事ができた。だが、その賛同者の中で本物の実力を持つ者は決して多くはない。貴殿たちのように、突然深夜に襲われても、それを易々と撃退できるだけの実力を持つような者は、な」
セドリックの言葉に、リョウトの顔に僅かな揺らぎが浮かぶ。だが、それは本当に僅かなものであり、その事にセドリックは気づかない。
あの襲撃のあった夜。あの襲撃を退けられたのは、実を言えば偶然に近いものだった。
村長宅で、リョウトたち三人は一人に一部屋を与えられていた。村長がそうしたその理由はもちろん、三人をばらばらにしておいて各個に襲撃を仕掛けるためである。
だが、あの夜。彼らはたまたま一つの部屋──リョウトに与えられた部屋──に集まっていたのだ。
その目的は特別なものではなく、いつものように彼らの熱い愛情を互いの身体で確かめ合っていただけであり、別に襲撃を前もって予知し、それに備えるためではなかった。
そして、人間よりも遥かに鋭い知覚力を持つローが、人間では決して感知しないような襲撃者たちの僅かな気配を感じ取った。
退路の確保の問題から、襲撃者はおそらく手前の部屋から順に侵入するだろう。
傭兵時代に暗殺者紛いの任務をこなした経験のあるルベッタのその提案により、リョウトたちは一番奥まった部屋であったリョウトの部屋で全員揃って襲撃に備え、秘かに魔獣たちも配備した。
その際、アリシアとルベッタに与えられた部屋には、囮として寝台の上にアリシアとリョウトの魔獣鎧を置いて毛布をかぶせ、そして襲撃率が最も高いと思われる一番手前の部屋の鎧の中に、ローを伏兵として潜り込ませたのだ。
結果、リョウトたちの策は見事に決まり、襲撃者たちを一瞬で一掃する事に成功した。
だが、結果だけ見れば圧勝であるものの、偶然に助けられた部分も多いのも事実であり。
セドリックはまるでリョウトたちが襲撃を予測し、それを当たり前のように撃退したかのように言ったが、実はそうでもないのだ。
その事実がリョウトの表情に僅かな揺らぎとして現れたのだが、その事をセドリックにわざわざ説明するまでもないのは言うまでもなく、リョウトはそれには触れずにセドリックの話に耳を傾けた。
「『魔獣使い』。貴殿は今のこの国をどう思う?」
どこか人の良さそうな笑顔はすっかりなりを潜め、まるで戦場に赴く騎士のような厳粛な表情でセドリックはリョウトに問う。
問われたリョウトは、セドリックが問うた理由を探りながら、それでも自分が感じた事を正直に答える。
「今の国王陛下の治世になり、以前よりこの国は良くなったと思います。尤も、僕は辺境の田舎で育ちましたから、今の陛下が即位する前の世の中を──『解放戦争』前のこの国の様子をあまり知りませんが」
少なくとも今の国王の治世になり、民たちの顔に笑顔がある事をリョウトは知っている。
彼が魔獣の森から出てから今日まで、彼と二人の従者は様々な場所を訪れた。
そのどこへ行っても、そこに住む者たちの顔には少なくない笑顔があった。
もちろん、ガルダックのような災害に見舞われた場所もある。だがそれでも、その災害を乗り越え、家族や仲間たちと共に未来を見据える希望があった。
おそらく、そのような希望は『解放戦争』以前にはなかったものだろう。
今よりも税は重く、支配者の気まぐれで様々な厄災が民を襲う。そんな世の中で、民たちが明日に希望を見出せるはずがない。
それは今の国王が、真摯に民たちの事を思って治世を行っているからだとリョウトは思う。
そして何より、たった一度だけ邂逅したかの国王は、どこかすっとぼけた印象があるものの、自分に寄せられた期待を裏切るような人間ではないと思われた。
そう思わせるだけの何かを、あの悪戯小僧のような瞳をした国王は持ち合わせていたのだ。
「僕は庶民です。庶民の事を真剣に考えてくださる今の国王陛下が治めるこの国を、僕は好ましく思います」
「では、貴族になれ『魔獣使い』。いや、この私が貴殿を貴族にしてやろう。そして、私と共にこの国を更に良き方向へと導いてはみないか?」
セドリックの言葉。その言葉が意味している事を悟り、リョウトが眼を見開くようにして驚きを露にする。
いや、リョウトだけではない。アリシアもルベッタも、セドリックが言わんとしている事を正確に理解して驚きを浮かべた。
「……伯爵。あなたはまさか……」
「『魔獣使い』。貴殿はどうしてユイシーク陛下が『解放戦争』に勝利できたと思う? 陛下が類まれなる強力な異能を有していたからか?」
セドリックは立ち上がり、手近にあった窓から眼下に広がる町並みを見下ろす。
彼の執務室であるこの部屋からは、夕焼けに赤く染まったモンデオの町が一望できた。
襲撃のあった夜が明けるのを待って、リョウトたちはモンデオに舞い戻った。
バロムを使えば一日もかからない距離だ。その日の夕方前にはモンデオに到着し、そのまま領主であるセドリックに面会を求めたのだ。
セドリックは町並みを見下ろしながら言葉を続けた。
「確かにその側面は否定できない。陛下の強力無比な『雷』の異能がなければ、寡兵であった解放軍の勝利はありえなかっただろう。しかし、私は陛下が勝利を手にした本当の理由は別にあると考えている」
リョウトたちはセドリックの言葉に異を唱えない。特に旧王国派に傭兵として雇われた経験を持つルベッタなどは、遠目にだがかの国王が放った雷を目にした事がある。あの時の恐怖はとても言葉では言い表せない。
「陛下が反乱を成功させた本当の理由。それは陛下の求心力にあると私は思う」
かの国王の元には優れた人材が多く集まる。
それはかの国王に、そうさせる何かがあるからだ。人心を引き付けて止まない、光のようなものが確かに彼にはある。
「陛下は……即位して陛下となられる前から、あの方は万人の心を引き寄せる。そして、あの方のために何かをしなければならないと思わせるだけの何かを、あの方は持ち合わせているのだ」
そしてそれは、彼の周りに集まる者だけではなく、この国の民たちにまでその何かは及んでいる、とセドリックは続けた。
「つまり──」
そこで改めて、セドリックは振り返ってリョウトたちと対峙した。
「──民たちは騙されているのだ。あの男に……ユイシーク・アーザミルドにな」
決してふざけているのでもなければ、戯けているのでもなく。
セドリックはこの国の頂点に立つ人物の名を、平然と呼び捨てた。
「あの男が民たちの事を真剣に考えている? それは違うぞ『魔獣使い』。あいつは……あの男はそうしなければならないからそうしている。ただそれだけだ」
今の国王の地位を盤石にしているのは、国民たちからの圧倒的な支持があるからだ。
だが逆に言えば、被支配層には人気があるものの、支配層である貴族の中には国王に不満を持つ者がかなりいるとセドリックは語る。
「考えてもみろ。あの男は自分に近しい者たちだけで国の首脳陣を固めている。つまり、誰もあの男のやり方に反対する者などいないのだ。それをいい事に、これまで……奴が即位するまでこの国を支えた屋台骨たる貴族を蔑ろにし、下級貴族や野童上がりの連中に高い地位を与え、この国を好き勝手にしている。民の事を真剣に考えているだと? 笑わせる。奴が民に甘いのは、そうしなければ今の地位を維持できないからだ。貴族たちだけではなく、民たちからも見放されては、王の地位に座り続ける事などできんからな」
侮蔑の笑みを浮かべ、セドリックはそう言い捨てた。
「それだけではない。奴は自分に従う者の娘たちだけを側妃として後宮に迎え入れている。これが意味するところは何だ? 自分に都合のいい者たちに甘い蜜を与え、今の地位を更に盤石にしたいだけなのだよ、奴は」
セドリックの瞳に狂気は一切ない。彼はあくまでも冷静に、それでいて野望の炎を熱く燃やしながらリョウトを誘う。
「……伯爵。あなたは本気でご自分のその目的が達成できると考えているのですか?」
「もちろんだ。そのために、これまで水面下で色々と準備をしてきた。尤も、その内の一つを、他ならぬ貴殿に潰されたのだがね」
「僕が……?」
「そうとも。忘れてなどいないだろう?『銀狼牙』という名の傭兵団を……おっと、今ではただの野盗の集団に成り下がったのだったな」
ふ、と冷笑を零すセドリック。そこに怒りの感情は微塵も見られない。
「あいつらが集めた物資や資金の大半は、私の目的を達成するために他ならぬこの私が集めさせたものだ。正直に言えば、あいつら以外にも私のために資金や物資を集めてくれる野盗は大勢いるがね?」
どうやら『銀狼牙』は、セドリックにとって目的達成のための道具の一つに過ぎないようだった。
道具の一つを潰されても、他に代わりはたくさんある。彼が怒りを露にしないのは、それを伝えたいからだろう。
「他者の関心を集める求心力とて、私は奴に劣っていないと自負している。現に、先程も言ったが私の目的に賛同する者はとても多い。だが、奴にあって私にはないものがある。そしてそれは、どう足掻いても私には手に入れられないものなのだ」
「……異能……ですか?」
「貴殿の言う通りだ。奴の『雷』の異能のように、たった一人で数千の軍勢を相手取ることができるような、強力な異能だけは私に持ち得ていない。だが、なければあるところから持ってくればいい。例えば、貴殿の『魔獣使い』のような、他に並び立つもののない強力な異能を、だ。どうだね、『魔獣使い』……いや、リョウト・グララン殿。私と共にこの国の全てを手に入れてみないか?」
セドリックはいっそ優しげとも言える静かな笑みを浮かべながら、自分の右手をすっとリョウトへと差し出した。
『魔獣使い』更新しました。
さて、今回クライマックスのラスボスとも言うべき存在が、ついにその目的を間接的に示しました。
ええ、直接的な言葉を使わなかったのは、『辺境令嬢』との兼ね合いです。まあ、直接言わなくてもラスボスが何をしようとしているのかは見え見えでしょうが(笑)。
そして、『辺境令嬢』とのネタバレ関連もあり、今後は両方同時でなければ更新できないような事が多々あると思います。
今後もしも『魔獣使い』と『辺境令嬢』の更新がいつもより遅れるような事があれば、それは双方の調整のためと思ってください。
それ以外の仕事の都合などで更新が遅れる場合は、その都度いつものように活動報告に書き込みます。
『辺境令嬢』の後書きにも書きましたが、年内の完結を目指しております。
※当面目標まであと5186点。前回更新した二週間前より、800点近くも目標に近づきました。各種支援、本当に感謝します。これからもがんばりますので、今後も支援いただきますようよろしくお願いします。