10-罠
「どうも、おかしくないか?」
さらさらと流れる清流に腰まで浸かり、燦々と降り注ぐ陽光の中でその豊かに実った胸の双丘を堂々と晒しているルベッタは、やはりすぐ近くでその輝くような全裸の肢体を惜しげもなく披露しているアリシアへと問いかけた。
「そうね……確かにおかしいかも」
軽く握った拳を口元に運び、アリシアもルベッタが言った事を考え込む。
今日の夜明けと共に、リョウトたちは飛竜が棲み着いたと言われる森の探索を行った。
決して狭くはない森であるが、探索目標は飛竜である。その姿を直接見つける事はできなくても、その痕跡ぐらいなら容易に見つかると思っていたリョウトたち。
飛竜に限らず、魔獣には巨体を持つものが多い。そんな巨体の持ち主が一定の場所に棲み着けば、どうしたって何らかの痕跡を残すはずなのだ。
足跡、食べ残し、抜け落ちた毛や鱗、落とした糞など。魔獣とはいえ生き物である以上、それらの痕跡は必ず残る。
だが、今日の午前中一杯をかけて森を探索した結果、それらの痕跡は一切見つからなかったのだ。
それだけではなく、森の雰囲気も落ち着いたものであった。
領主や村長の話によれば、飛竜が棲み着いたと思われるのは最近である。ならば、それまでこの森に棲息していた普通の野生動物は、少なからず緊張しているはずなのだ。中には森から逃げ出す野生動物だっているだろう。
しかし、森の中は平穏そのもの。
木々の上では鳥たちが囀り、時折鹿などの野生動物の姿も見かけた。もちろん、この森にも熊や狼といった危険な野生動物もいるだろうが、幸いにもそれらには遭遇していない。
とてもではないが、飛竜が棲み着いたとは思えないほど森の中は落ち着いていたのだ。
そして何の発見もないまま、太陽が空の一番高い場所まで到達した時、森の中に流れていた清流の傍でリョウトたちは昼食を兼ねた休憩をとる事にしたのだった。
「……本当にこの森に飛竜がいるのかしら?」
「ああ、俺もそれを考えていた。もしかすると、村人は何かを飛竜と見間違えたんじゃないのか?」
「何かって?」
「さてな。そこまでは俺にも判らんよ」
リョウトたちは昼食の前に汗を流そうと、魔獣鎧や衣服を全て脱ぎ捨てて川の中に飛び込んだ。
午前中一杯をかけて森の中を歩き回り、熱を持った身体に冷たい清流が何とも心地よい。
そんな川辺でアリシアとルベッタは互いに裸体を晒し合いながら、それぞれの意見を交換し合う。
その時、腰まで川の流れに浸かっていたルベッタ近くの水面に、ゆらりと黒い何かが揺らめく。
その黒い何かはふわふわと徐々にルベッタへと近づき、彼女のすぐ近くでざばりと水面から飛び出した。
「うわっ!!」
「きゃっ!!」
突然至近距離から水飛沫を浴びせられ、思わず悲鳴を上げるアリシアとルベッタ。
水面を突き破って飛び出したそれは、数回頭を振って身体に付いた水滴を弾き飛ばす。
「いきなり現れたりするから、びっくりしただろう?」
「本当よ、もう」
アリシアとルベッタは突然水中から現れたそれに対し、口では文句を言いながらもその顔には笑みが浮かんでいる。
「いや、ごめん。ちょっと二人を驚かせようかと思って」
水中から飛び出したのはもちろんリョウトである。彼は悪びれるどころか笑顔でそう言うと、そのまま無造作に川から岸へと上がった。
リョウトもアリシアたち同様全裸で、その右手には木の枝を削って作った即席の銛。彼はこの即席の銛で以て、水中で川魚を獲っていたのだ。
銛の先端には、獲物である「川の女王」と呼ばれる美しい模様を持つ大きな魚が、見事に串刺しになっている。
「ほう。なかなか見事なものだな」
ルベッタはリョウトが獲った魚を見て、感心したように呟いた。
彼が獲った魚はこれで五匹目。アリシアやルベッタが水浴びをしていた僅かな時間で、これだけの獲物をリョウトは即席の銛で捕らえたのだ。
リョウトは捕らえた魚を短剣で手際よく捌きながら、これまた木の枝で作った即席の串を通し、起こしておいた焚き火にかざして焼いていく。
そして川辺においてあった荷物から塩を取り出すと、適量を焼いている魚の上からぱらぱらと振りかける。
「本当。料理の手際も随分と手慣れていているわね」
アリシアも川から上がり、リョウトの手元を覗き込みながら感心する。
今更裸を気にするような間柄ではなく、陽光の中で互いに全てを晒したまま三人は穏やかに会話を交わす。
「まあね。こういう事は幼い頃からやっていたから。自然と上手くなるってものだよ」
彼は幼い頃に祖父であるガラン・グラランに引き取られ、魔獣の森で育った。
当然、食料の殆どは彼や祖父が狩るなどしなければならず、幼かった彼にできる事は、罠をしかけて動物を仕留めたり、今のように川の魚を獲るぐらいしかなかったのだ。
もちろん、竜倒の英雄と言われる祖父と一緒である以上、狩る獲物に不自由する事はなかったのだが、それでも少しでも祖父の手伝いをしたかった幼いリョウトは、毎日のように様々な工夫を凝らして動物や魚を仕留めてた。
この時、ガランは必要最低限のことしかリョウトには教えず、自分で色々と工夫を考えるリョウトを優しく見守っていたという。
そのような経緯もあり、森の中での食料調達などはリョウトの得意分野なのである。
そして魚が程よく焼けた頃、三人は濡れた身体を拭いてから衣服を着込み、程よい塩加減の焼き魚に舌鼓を打つのであった。
焼き魚や持参した薫製肉を焚き火で炙って腹を満たした三人の元へ、周囲の探索に出ていたローが戻って来た。
「どうだった、ロー?」
取っておいた焼き魚と炙った薫製肉をローへと差し出しながら、リョウトは探索の成果を尋ねる。
「やはり、飛竜の気配は微塵もないな」
ローは器用に魚や薫製肉を食べながら、探索の結果を報告した。
「そうか……マーベクもまだ戻らないし、これは本当にこの森に飛竜がいるのか怪しくなってきたな」
リョウトはローだけではなく、探索に向いている闇鯨のマーベクにも探索を行わせていた。
しかしそのマーベクもいまだに戻って来ない。それは即ち、飛竜に関する手がかりが見つかっていない事を現している。
「どうするの、リョウト様?」
「このまま探索を続けるか?」
アリシアとルベッタも、不安そうな表情を浮かべながらリョウトに意見を求める。
「とりあえず、今日一杯は森の探索を続けよう。それで何の痕跡も見つけられなければ、その旨を村長に伝えて改めて相談しよう」
リョウトの言葉に二人の従者が頷く。
その後、暫く休憩したリョウトたちは、焚き火の火を消して再び森の探索に取りかかっていった。
「……森には飛竜の痕跡が全く見られない……と?」
その日、予定通りに日暮れ近くまで森を探索したリョウトたち。
だが、やはり飛竜の痕跡はどこにも見受けられなかった。
もちろん、森は広くてリョウトたちはその全てを調べたわけではない。
だが、彼らにはマーベクがいる。マーベクは人間よりもはるかに広範囲を探索する事ができるのだ。しかし、そのマーベクをもってしても、飛竜がいるという物証は何一つ発見できなかった。
「こうなると、本当に森に飛竜が棲み着いたのかどうか、怪しくなってくるぞ?」
「もしかすると、村人が見たのは単なる通りすがりの飛竜……ってことはないのかしら?」
アリシアの言う通り、たまたまこの近辺を通りかかった飛竜が、少し羽を休めるために森の中にいたのかもしれない。
その可能性もなくはないな、と心の中で感じたリョウトだが、彼はただ黙って村長を見詰める。
今後、このまま飛竜の探索を続けるのか否か、決めるのはリョウトたちではなく村長であるからだ。
村長がもう少し森を詳しく調べてくれと言えば、リョウトたちはそれに従うつもりでいる。
仮にこのまま飛竜の探索を打ちきれば、飛竜を討伐した事にはならないのでその報酬は入らず、骨折り損のくたびれ儲けにしかならない。
しかし、依頼主である領主のエーブル伯爵との交渉次第では、実際に森の探索を行った報酬を多少なりとも受け取る事ができるだろう。
そもそも、リョウトたちは金銭的には余裕がある。ここで報酬を得られなくてもそれほど困ったことにはならない。
だから、リョウトたちは村長の決定に従うつもりなのだ。
「……申し訳ないが、明日もう一日森を調べてくれないか? それでも飛竜の痕跡が見つからなければ、その時は改めてご領主様に連絡を取ろう」
考えた末に口にした村長の決定に、リョウトたちは素直に頷いた。そして昨夜に引き続き、リョウトたちは村長の好意で彼の家に泊めてもらう事になるのだった。
その日の深夜。
すっかり寝静まった村の中を、幾つかの黒い影が音もなく走り抜けて行く。
やがて影たちは村で最も大きな家の前に辿り着くと、その内の一人が無造作に入り口の扉へと手をかける。
するり、と何の抵抗もなく開かれる扉。本来ならかかっているはずの鍵はかかっていない。
入り口と扉の間に最低限の空間を生じさせると、影たちは無言のままその空間を潜り抜け、足音を一切立てる事なく家の中を迷う様子も見せずに進む。
そして家の奥まった所にある扉一つの前に到達すると、影たちの一人がその扉にそっと手をかける。
ゆっくりと押し開けられた扉は一切音を立てる事もなく開かれた。扉を開ける際に、扉を開けたのとは別の影が扉の蝶番へと油を垂らして音を立てなくしたのだ。
扉を開けた影たちはそっと部屋の中へと潜り込む。
部屋の中はそれほど広くはなく、寝台と小さなテーブルがあるくらいで、他に家具らしきものはない。
影たちはそれぞれ、懐から刃を煤で黒くした短剣を抜きながら、音もなく寝台へと近づく。
窓から差し込む月灯り。影たちにはそれだけで十分部屋の中が見渡せた。
寝台の上には丁度人一人分ほど盛り上がった毛布がある。どうやら、寝台の主は夢の中にいるらしい。
この寝台の主とその仲間たちは今日一日、いるはずもない飛竜を求めて森の中を歩き回ったのだ。そのため、どうやら疲れ果ててぐっすり寝入っているようだ。
影たちは互いに視線を絡ませ合うと、一つ頷いて寝台の脇に立つ。
そして同時に短剣を振りかぶり、寝台の上の毛布の膨らみへと一斉にその黒い凶刃を振り下ろした。
がつん、という固い手応え。振り下ろした短剣は、固い何かにぶつかった。
その予想外の手応えに、影たちの間に一瞬、思わぬ動揺が走る。
そしてその動揺を突くように、毛布の中から小さなものが飛び出し、影たちへと炎を吐きかけた。
飛び出したのはもちろんローである。ローは囮として毛布の中に隠しておいたアリシアの魔獣鎧の中に潜み、飛び出す時期を見計らっていたのだ。
突然影たちに襲いかかる炎の熱。その熱自体は大したことはないものの、問題は炎の紅い閃光だった。
閃光は暗闇に慣れた影たちの目を焼く。瞬時に目を閉じたものの、影たちの網膜には炎の閃光がしっかりと焼き付いていた。
一時的に視界を奪われた影たちは、それでも狼狽えることなく襲撃が失敗した事を悟って直ちに撤退行動へと移る。
窓へと向かう者と入り口へと向かう者。
予め、襲撃に失敗した時の段取りが取り決められていたのだろう。影たちは戸惑う様子も見せずに二手に別れて逃亡へと移る。
しかし。
それは目が見えないとは思えないほどに素早い撤退行動だったが、結果的に見れば影たちは誰一人として逃亡には成功しなかった。
窓から飛び出した影たちは、地面に着地した瞬間、その地面から──正確には月明かりでできた影から──躍り出た黒くて巨大な口に咥えられ、そのまま地面へ──いや、影へと音もなく引き摺り込まれた。
そしてもう一方の部屋の入り口から逃亡を図った影たちは、廊下へ飛び出した瞬間に天井から落ちたてきた黒い何かに囚われた。
影たちには最早、このまま黒い何か──黒粘塊のルルードに生きながらゆっくりと溶かされる運命しか残されていない。
「何者だ、こいつらは? いや、暗殺者らしいのは見れば判るが……」
ルルードに囚われた哀れな襲撃者たちを見詰め、別の部屋から出てきたルベッタが眉を顰めながら誰に問うでもなく零す。
「考えられるとしたら──」
そのルベッタの呟きを耳にしたリョウトが、可能性のありそうな心当たりを上げる。
「──ランバンガ伯爵ぐらいだな。しかし……」
まだリョウトの奴隷だった頃のアリシアとルベッタを、無理矢理一晩買おうとした横暴な貴族。
だが、リョウトはそう言いながらもその可能性は極めて低いと考えていた。
ここは王都からかなり離れた場所である。ここまでランバンガ伯爵の手が伸びないわけではないだろうが、それにしては襲撃の時期が早すぎる。
リョウトたちがこの村を訪れたのは、ある意味偶然に近い。
たまたま襲撃されていた隊商を救い、そのままその隊商の護衛として雇われた。
そしてその隊商の目的地で、そこの領主から飛竜討伐という新たな依頼を受けてこの村に来たのだ。
それをランバンガ伯爵が調べて暗殺者を送り込んだとしても、襲撃者が今夜リョウトたちを襲うには距離的に考えても早すぎるだろう。
となれば、この襲撃はランバンガ伯爵とは別口と考えるのが自然。
「せめて一人ぐらい残しておいた方が良かったわね」
窓の外に逃げた襲撃者たちの末路を見届けたアリシアが、リョウトの傍へとやってくる。
「いや、理由を知っていそうな者ならそこにもいるであろう?」
部屋の中からぱたぱたと飛んできたローが、リョウトの肩に止まりながらくいっとその小さな首をある方へと向ける。
リョウトとアリシア、そしてルベッタが釣られるようにそちらへと視線を向ければ、そこにはこの家の主にしてこの村の村長が、僅かな月明かりの中でもそれと判るほどに、真っ青な顔をしてがたがたと震えていた。
何とか『魔獣使い』の更新ができました。
飛竜の討伐と思わせて、実際は暗殺者の襲撃。飛竜との派手な対決を期待していた方。もしそのような方がお見えでしたら申し訳ありません。本当は飛竜なんていませんでした(笑)。
それはともかく、最近『魔獣使い』を書いていて思う事。
それはルルードくんが異様に使いやすいという事実。
狭い屋内では巨体を持つ他の魔獣たちは使いにくいけど、ルルードくんだけはどこでも使える上に戦闘力も高い。なんという利便性。さすがスライム。
某超能力者がいつも黒豹を傍に置いていたのも、もしかすると同じような理由かもしれません(笑)。
さてさて、現時点の総合評価は14,033点。前回の更新の時に13,479点だったので、一週間で実に600点近くも増えました。
これまでお気に入り登録、評価点を投入してくださった全ての方々に、改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございます。
当面目標到達まであと5,967点。くそぅ、先は遠いなっ!!
では、次回もよろしくお願いします。