05-旅立ち
その日の夕方。アリシアはベーリル村にある小さな宿の一室で、出発の準備を整えていた。
今日のアリシアの提案を、リョウトはすぐに了承した。
アリシアの目的地であるゼルガーの町は、ベーリル村からは王都方面にあり、リョウトの目的とも一致していたからだ。
そして彼と一緒に行くという約束を取り付けたアリシアは、一人村の宿へと戻った。
リョウトはそのまま小屋に泊まってもいいと言ったのだが、彼と一つ屋根のしたで寝る事を想像した瞬間、なぜか急に恥ずかしくなって飛び出すように村に戻ったのだ。
そして宿の人間に仲間について尋ねたところ、リガル他三名は昨日の昼前ぐらいに村を出たそうだ。
詳しく聞けば、リガルは狩りを行った日の夕方頃一人で村に戻ったらしい。そして翌日、村外れで倒れていた他の三人を、農作業に出かけようとした村人が発見した。
その三人は軽い怪我はしていたものの、動くのに影響がある程でもなく、そのままリガルと合流して村を出たとの事だった。
三人は森の長に襲われた事は覚えていたが、どうして村外れで倒れていたのかは記憶になかったそうだ。
ともかく、仲間たちの無事を確認したアリシアは、自分も早く仲間たちと合流するため、予定通り早朝にベーリル村を発つ準備を整える。
剣と楯はリョウトが拾ってくれていた。
防具に関しては川に落ちた際にずぶ濡れだったのを、リョウトが手入れをしておいてくれた。お陰で錆などの心配をしなくて済むと、アリシアはリョウトの気遣いに感謝した。
ただし、ベルトに差しておいた投擲用のナイフだけは全て失われていた。
どうやら川に落ちた際に落としたらしく、リョウトもそれだけは見つけられなかったらしい。
その事でしきりに謝っていたリョウトの姿を思い出し、可愛かったなぁ、と一人悦に入るアリシア。
自分よりも長身の彼が、しきりにその身体を縮めて謝っていた姿が、なんとも可愛く思えてしまった。
そして、そんな事に喜んでいる自分に思い至り、自分の事ながら驚いてしまう。
「どうしちゃったのかしら、私?」
自分で自分がよく判らず、急に羞恥心が湧いてくる。そして羞恥に押されるようにベッドにダイブし、そのままごろごろとベッドの上で悶えまくる。
結局その後もリョウトの姿が頭から消える事はなく、アリシアは明け方近くまで悶々としたまま過ごしてしまった。
結局その日は寝るのを諦め、薄明るくなり始めた空を眺めつつ、出立の準備に取りかかるのだった。
リョウトとの待ち合わせは早朝の村外れの街道。
村人たちと問題のあるリョウトは、村を迂回して直接街道へ向かうと言っていた。
だからアリシアも村を出ると、そのまま街道をゼルガー方面へと足を進める。
やがて前方に人影らしきものが見えた。
その人物はフード付きの濃緑色の外套を羽織り、腰に二降りのやや小振りな剣を帯びている。
その背には旅に必要なものが詰め込まれていると思しき背嚢。もちろん肩に止まっている黒い物体はローである。
「おはよう、リョウト。随分早いのね。もしかして待たせちゃった?」
「おはよう、アリシア。僕もさっき来たところだよ」
軽く挨拶し、笑顔で小走りにリョウトに駆け寄るアリシア。
そのアリシアの顔が、急に熟れた果実のように真っ赤に染まった。
「どうしたの? 何か顔が赤いけど?」
「な、なななななんでもないのっ!! きききき気にしないでっ!!」
不思議そうに首を傾げるリョウトを置き去りにして、アリシアは早足で街道を進む。
(な、なななな、なによ、さっきの会話はっ!! あ、あれじゃまるでデートの待ち合わせみたいじゃないっ!!)
アリシアが急に顔面を朱に染めた理由はそれだった。
何気なく交わした会話。単に朝の挨拶に過ぎない会話。
だけど、いや、そんななんでもない遣り取りがアリシアには気恥ずかしかった。
リョウトは確かに恩人だが、それでも昨日初めて出会った人物である。
それなのに、まるで旧知の友人であるかのように感じている自分。
(本当……私、昨日からどうしちゃったんだろう)
昨日からの自分を顧みながら歩くアリシアの足は、徐々に速度が落ちていき、背後から歩いていたリョウトが彼女の横に並ぶ。
「本当に大丈夫? どこか調子が悪いとか?」
自分を気遣うリョウト。そんな彼の態度が、アリシアの心の中に温かいなにかを生み出す。
「大丈夫よ。駆け出しとはいえ、こうみえても私は魔獣狩りよ? 体調管理だって仕事のうちなんだから」
「そう? ならいいんだけどね」
その後は他愛もない会話を交わしながら、二人は街道を進む。
途中、何度か横を歩くリョウトを、ちらちらと伺うように見るアリシア。
そんな事を何度か繰り返しているうち、やがてアリシアはある事に気づいた。
それはリョウトの腰に差してある二振りの剣。同じ拵えのそれらは、アリシアの眼から見てもかなりの業物のようだ。
旅人が護身用に武器を携帯するのは珍しくない。だが、今リョウトが装備している剣は、護身用ではなく、明らかに積極的に戦う事を意識して鍛えられたもの。
と、いう事は、リョウトには剣の心得があるのだろうか? そう思ったアリシアは、素直に彼に尋ねてみる事にした。
「ねえ、リョウト。あなたって剣が扱えるの?」
アリシアが自分の剣に視線を向けながら尋ねている事に気づき、リョウトは彼女の質問の意味を悟った。
「まあ、多少ね。この剣は亡くなった爺さんの形見なんだけど、その爺さんから一通りは仕込まれた。もっとも爺さん曰く、僕に剣の才能はあまりないらしいけどね」
自嘲気味に、だけどどこか嬉しそうにそう語るリョウト。
きっと亡くなった祖父と共に暮した頃を思い出しているんだろうな、とアリシアは推測する。
それと同時に、彼の祖父が愛用していたという剣に興味が湧いた。彼女だって魔獣狩りなのだ。武具にはそれなりに興味がある。
「良かったらその剣、見せて貰えないかしら?」
リョウトは二つ返事で了承すると、二振りの剣を鞘から引き抜いてアリシアに渡す。
その剣は柄こそ無造作に布が巻き付けられた平凡なものだったが、鞘から姿を見せた刃の部分は柄とは正反対に、透き通った紫色のとても美しい剣だった。
その剣を目にした途端、アリシアの碧の目が驚きに見開かれた。
「こ、これってもしかして、紫水竜剣っ!? そ、それが二振りもっ!?」
紫水竜とは、湖などの淡水に生息する四肢のない水竜の一種で、その大きさは余裕で10メートルを越し、輝くような美しい紫の鱗を持つ。
その巨体から生み出される破壊力は、大きめの帆船でさえ沈めると言われ、例え地上に上陸してもその恐るべき力は衰える事はない。
しかも強力な毒を持ち、その毒を霧状に吐き出す事も可能。その毒の強さは、もし人間がそれを浴びれば、数時間以内に苦しみながら息絶えるほどだという。
紫水竜剣とは、そんな紫水竜の鱗を素材に鍛え上げた剣で、刀身がその名の如く紫水晶のように透き通っているのが特徴の剣である。
アリシアが今装備しているような鋼の剣よりも遥かに頑強で切れ味も鋭い、まさに名剣と呼ぶに相応しい剣なのだ。
そんな名剣が二振りも目の前にある。アリシアでなくても驚くというものだろう。
「……もしかして、リョウトってどこかの貴族の隠し子か何か?」
「まさか。僕は正真正銘の庶民だよ。先祖代々、ね」
もし、紫水竜剣が市場に出れば──そんな事は滅多にないが──、その値段は王都で家が買えるほどになる。アリシアがリョウトが貴族の隠し子かと疑うのも無理はない。
そうこうしながらも二人は街道を進む。やがて太陽が天頂にさしかかり、小休止する事になった。
携帯食で軽い食事を済ませた後、アリシアはリョウトに手合わせを申し出た。
「どうして僕と? 言ったと思うけど、僕は剣の扱いが上手いわけじゃないよ?」
「それでも紫水竜剣を持っていたお爺さんに仕込まれたんでしょう? ちょっとだけでいいから。ね?」
両手を合わせ、片目を瞑りながら申し出るアリシアに、まあいいか、とリョウトはその申し出を引き受けた。
その辺に落ちていた太めの枝を木剣に見立て、二人は5メートルほど空けて対峙する。
アリシアは右手で木剣を身体の正面に、そして左手の楯で身体を守るように構えたオーソドックスな構え。
対してリョウトは、右手の木剣を順手に、左の木剣を逆手に持ち、身体を半身にした独特なもの。
最初に動いたのはアリシア。素早くリョウトに駆け寄ると、構えた木剣を上段から振り下ろす。その際、三つ編みにされた彼女の赤味の強い金髪がふわりと揺れる。
振り下ろされるアリシアの木剣を、リョウトは逆手に持った左の木剣で受け止める。いや、受け止めた瞬間、巧みに左腕を動かしてアリシアの木剣を受け流した。
そして受け流した動作から続くように、右の木剣がアリシアの脇へと叩き込まれる。
リョウトの剣が滑るように自分の脇へと迫るのに気づいたアリシアは、慌てて左の楯を脇を守るように構える。
木剣が楯とぶつかり、かつんと軽い音を立てる。
思ったより軽い衝撃にアリシアは内心で首を傾げながらも、流された勢いをそのままに、右の手首を返して木剣を右から左へと薙ぐ。
かんと音を立ててぶつかる木剣と木剣。アリシアの木剣はまたもリョウトの左の木剣に阻まれた。
しかし、今度は流される事なく受け止められる。受け止められた事で一瞬動きの止まったアリシアの、鳩尾の辺り目がけてリョウトの右の木剣が真っ直ぐに走る。
アリシアは踏み込んだ足に更に力を加え、後ろへと飛び下がる。しかし、踏み込んだ勢いがまだ足に残っており、下がった距離はほんの僅か。リョウトの木剣はそのほんの僅かな距離を一瞬で飲み込み、真っ直ぐにアリシアの身体に突き刺さる。
ぱきん、という乾いた音と共に、リョウトが突き出した木剣が真ん中辺りでへし折れた。
その理由は彼の木剣とアリシアの身体の間に滑り込んだ彼女の楯。何とか防御に間に合った楯と木剣がぶつかり、元々強度なんてなきに等しい木剣があっさりと折れたのだ。
その後、折れた木剣を別のものに取り替え、同じように数度打ち合ってから、二人はどちらからともなく動きを止め、そして構えも解く。
「な? 言った通りだっただろ? 僕に剣の才能はないんだよ」
「それでも私よりは上よ。才能がないって人の台詞じゃないわ」
ほんの数回打ち合っただけだが、それでも互いの実力は大体把握できた。
リョウトの実力は彼の言葉通り並か、それよりちょっと上といったところ。アリシアが知る人物の中では、おそらくリガルの方が強いだろう。
対して今のアリシアといえば、その実力は並のちょっと下ぐらいか。まだまだ駆け出しの魔獣狩りだという割には、よく動けているとリョウトは感じた。今後もしっかりと修練を積めば、彼女の剣の実力は伸びるだろう。
「僕の場合、爺さんが異常だったからね」
「本当、どんなお爺さんだったの? ね、できればこれからもちょくちょく相手してもらえる?」
「これからって……今日中にはゼルガーに着くよ?」
「あら、言ってなかったかしら? 私の本来の拠点は王都なの。あなたも王都には行くつもりでしょ? なら、そこまで付き合うわ」
ゼルガーから王都まで徒歩で約二週間ほど。途中の小休止や野営の時になど、リョウトはアリシアと手合わせを行う約束をした。
まあ、王都までの道案内の代金代わりと思えば安いものだ、とリョウトは納得する。
アリシアも、少なくともあとしばらくはリョウトと一緒にいられると判り、心が浮き立つのを感じていた。
そんな二人の様子を見てローは、指定席であるリョウトの肩の上で、ぱふっと呆れたような息を吐き出した。
ようやくリョウトたちが動き出した。
とはいえ、目的地まではまだまだ遠そう。いったい何時になったら王都に辿り着くのか。
この『魔獣使い』も『辺境令嬢』ほどではないにしろ、アクセス数がかなり伸びています。これもここに来てくださる皆様のおかげです。ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
※誤字指摘していただいたので、修正しました。
※ゼルガーから王都までの日程を少々修正。今までの日程だと距離的に短いような気がしたので。