05-新たな関係
ぎぃん、という耳障りな音が街道脇に生い茂った林の中から響く。
リョウトは、襲いかかってきた長剣を左の紫水竜の剣で受け流し、間髪入れずに右の紫水竜の剣で、長剣の持ち主の脇腹を切り裂く。
その返り血を浴びないように身を捻った彼の耳に、めきめきという音と、次いで何か大きな物が倒れる轟音が飛び込んできた。
ちらりとそちらに目を向ければ、そこには彼の従者である赤みの強い金髪を大きな三つ編みにした女性が、愛用の棹斧を振り抜いた姿があった。
どうやら、木を楯にしようとその影に入り込んだ敵を、彼女はその木ごと纏めて一気に斬り裂いたらしい。
相変わらずの大胆さとその剛力っぷりに、僅かに苦笑を浮かべながらリョウトは背後の気配を探る。
だが、さっきまでそこにあったはずの、黒髪の従者の気配がない。
一瞬だけ嫌な考えが頭をよぎるものの、すぐに彼はその考えを否定する。
おそらく彼女のことだ。敵たちの隙を見てこっそりと戦線から離脱し、今頃は最適の狙撃地点を探しているのだろう。
そう思い至った直後、鋭い風切り音が三つ。そしてリョウトへと迫っていた三人の敵の太股に、狙い違わず矢が突き刺さり、彼の考えが正しかった事を証明した。
もんどり打って倒れる三人の敵。彼らは統一のない革鎧や剣、斧などでそれぞれ武装している。
その練度と連携、そして時に腕などから覗く刺青から、ただの山賊や盗賊ではなく食い詰めた傭兵だろうとリョウトは判断した。
なぜ傭兵がこんなところで山賊の真似事をしているのか、それはリョウトにも判らない。
だが、現実に彼らはこの街道を通りかかった隊商を襲っていたのだ。
そんな場面に偶然にも出くわしてしまった以上、リョウトにはそれを黙って見ているという選択はなく。
彼が二人の従者たちに視線を送れば、彼女たちもまた、判っているとばかりに頷き返してきた。
そんな彼女たちに一言礼を言い、リョウトは襲われている隊商を救うためその戦いの中へと飛び込んだのだった。
その背後に、金と黒の二人の従者を引き連れて。
まるで悪戯小僧のような、憎めない国王との邂逅。だが、その邂逅は何とも中途半端なものに終わった。どうやら何か問題が起きたらしい。
ただの庶民であるリョウトは、国王たちの問題に立ち入れるはずもなく、リョウトたちには慌だしく立ち去って行った彼らを見送る事しかできなかった。
だが、リョウトたちとて決して暇ではない。以前に誘いを受けたランバンガ伯爵の邸宅へ赴くという一件がある。
しかし、ランバンガ伯爵家への訪問は、はっきり言って最悪のものだった。
リョウトが二人の奴隷を連れてランバンガ伯爵家へと出向いた時、通された広間には、当主であろうボゥリハルト・ランバンガの他に、多数の貴族やその夫人たちが集まっていた。
とはいえ、それはリョウトの予想の範囲内でもある。
貴族などが邸宅に吟遊詩人や芸人などを呼ぶ時、仲の良い知人などを招くのはごく普通の事だからだ。
時には、夜会の余興として吟遊詩人や芸人、劇団などが呼ばれる事もある。
どうやらその夜は夜会ではなく、今王都で噂となっている吟遊詩人に興味を持ったランバンガ伯爵が彼を招き、その場に彼と親しい者を招待したようだった。
広間のテーブルには贅沢な料理や酒などが並び、色とりどりの花々がそこかしこに飾られている。
そんな広間に通されたリョウトたちに向けられた視線は、実に様々なものがあった。
噂の吟遊詩人に対する興味、その吟遊詩人が連れた二人の女性へと向けられる好奇と好色を合わせたもの、または逆に、どこの馬の骨とも知れぬ吟遊詩人にはまるで興味を示さず、料理と酒、そしてその場に居合わせた異性ばかりに意識を向ける者など。
そしてそんな広間に通されたリョウトは、挨拶もそこそこに当主であろうと覚しき男性から、唯一言「早く唄え」と声をかけられて早々にリュートを爪弾き出した。
その後、リョウトは続けて数曲を唄った。
どんなに優れた吟遊詩人とて、連続で数曲も唄えば当然疲労する。小休止のために演奏を止めた主人のために、何か飲む物でもとテーブルに視線を向けた二人の奴隷たち。
だが、彼女たちが動くより早く、当主が再び口を開いた。
「なんだ。もう終わりか? 噂の吟遊詩人もたいしたことはないな」
あからさまな侮蔑の視線と共に投げかけられた言葉。その言葉に、集まった者たちもまた、侮蔑の笑みを浮かべた。
もちろん、中にはリョウトの優れた技量に真摯に耳を傾けていた者もいる。だが、それはほんの一部に過ぎない。
吟遊詩人がこのような席に呼ばれた場合、招いた者は食事や飲み物を提供するのが普通である。
各地を旅する吟遊詩人に食事や酒を振る舞いながら、遠い土地の珍しい話を聞くのもこのような席の楽しみであるからだ。
だが、ランバンガ伯爵はそのようなものは一切要求することもなければ、食事や酒をリョウトに提供する事もなかった。
以前にジェイク・キルガスとケイル・クーゼルガンが、ランバンガ伯爵がリョウトを邸宅に招くのは彼を配下に抱き込むためだと予想した。しかし、ランバンガ伯爵がリョウトを招いたのは、噂に名高い吟遊詩人を自分の邸宅に迎えたという事実と名声が欲しかっただけらしい。
そしてランバンガ伯爵はリョウトに料理や酒を振る舞うどころか、この場に呼んだ報酬さえまともに払う気はないらしく、演奏を終えた彼の足元に数枚の銀貨を投げて寄越しただけ。
その後、伯爵は一目で判るほど好色な色を浮かべながら、舐めるようにリョウトの背後に控えていた二人の奴隷へと視線を向ける。
にたりと嫌な笑みを浮かべた伯爵は、再びリョウトの足元へと銀貨を放る。そしてつかつかと彼らに近づき、無遠慮にルベッタの腕を取った。
「喜べ、娘。今晩は儂が可愛がってやる」
伯爵が嬉しそうにそう宣言すれば、周りの貴族たちから喝采が上がる。そして、もう貴族の中から一人の男性が進み出た。
「では、こちらの金髪の娘は私がいただこう」
男性はそう言いながら、ランバンガ伯爵と同じように銀貨をリョウトへと放り投げる。
再び上がる歓声。それに対して、リョウトもアリシアもルベッタも、あまりにも突然な話の流れについていけない。
よく見れば、貴族たちの夫人や年若い娘の中には、あからさまにリョウトへ流し目を向けている者もいる。
確かに吟遊詩人の中には男娼を兼ねる者もいる。だがリョウトは男娼になるつもりはなく、彼の奴隷たちにも娼婦の真似事をさせるつもりもない。
だからリョウトは慌てて二人の貴族を押し止める。
「申し訳ありませんが、閣下。私は彼女たちにそのような仕事をさせておりません」
「何を言う。我ら貴族が貴様らのような下賎の者に情をかけてやろうと言うのだぞ?」
「そうだとも! ここは泣いてありがたがるべきであろうが!」
酒精とは違う赤に顔を染めるランバンガ伯爵ともう一人の貴族。
今もまだ、アリシアとルベッタは彼らに腕を取られたままだ。
彼女たちがその気になれば、酔った貴族の手を振り払う事など簡単だろう。だが、この場でそんな事をしてしまえば、それは彼女たちの主人であるリョウトへとその責が向けられるのは明白。
だから彼女たちも必死に自制しているのだ。本心を言えば、リョウト以外の男に触れられるなど論外である。
そして、どうやら論じて判ってもらえるような相手ではないと悟ったリョウトは、内心でとある人物に詫びながら次の言葉を口にした。
「実を申しませば、今夜は彼女たちには別口の予約が入っておりまして……」
「別口だと? そんなものは後回しにせい。伯爵たる儂がこの娘を欲しておるのだ」
「それが、予約いただいた方もまた、伯爵様なのです」
「なに?」
伯爵という言葉を聞き、ランバンガ伯爵がたじろぎを見せた。
「だ、誰なのだ? そ、その伯爵はどこの家の者だっ!?」
同じ伯爵とはいえ、その中でも力関係はある。領地から得られる収入や国の要職に就いているかいないかなど、様々な要因でそれは決まる。
そして、リョウトが口にしたその名前は、明かにランバンガ伯爵よりも、いや、この場に居合わせた誰よりも格上の名前だったのだ。
「……はぁ。それで俺の名前を出しちまったってぇのか?」
「はい。申し訳ありません、キルガス伯爵」
ジェイクの呆れたような口調に、リョウトと彼の奴隷たちは揃って頭を下げて謝罪した。
本日の仕事終え、疲れ果てた身体を引き摺って自分の邸宅へと戻ると、家令が客が来ている事をジェイクに告げた。
公にはされていないものの、第四側妃が誘拐された事件関連でここ数日は奔走しているジェイクである。疲労は既に困憊の域にまで達しており、来客との対応は控えようと家令に命じようとした。
だが、家令がその来客の名を告げた途端、彼は考えは翻して邸宅に戻ったその足で、客を待たせているという部屋へと向かう。
そしてそこで待っていた三人の客人たちから、事のあらましを聞いて漏らしたのが先程の言葉だったのだ。
「まあ、気にすンな。何かあったら俺の名前を出せと言っただろ?」
「ですが、伯爵に迷惑をおかけする事になってしまって……」
「いいって。もしもランバンガが何か言ってきたら、適当に口裏を合わせておくさ。噂の吟遊詩人の連れていた女たちは極上だった、とかな」
ぱちりと片目を閉じながら言うジェイクに、リョウトは再び頭を下げた。
だが、ジェイクにも懸念がないわけではない。知人たちの前で恥を晒した格好になるランバンガが、何かの報復に出ないとも限らないのだ。
噂の吟遊詩人にして『魔獣使い』の英雄と呼ばれているとはいえ、所詮リョウトは平民に過ぎない。
貴族であるランバンガが報復に出た場合、少々ややこしい立場にリョウトは追い込まれるかもしれない。
ジェイクはその辺りの事を彼らに説明し、しばらく王都から離れる事を提案した。
「まあ、ランバンガもそれ程酷く恥をかかされたわけでもねぇから、少々ほとぼりを冷ませばいいだろう。そうだな……具体的には十日から二十日ほども経過すればいいンじゃねぇか? ああ、そういえば……」
何かを思い出したジェイクは、家令を呼びつけると何かを命じた。
一礼して退出した家令を見送り、リョウトたちは供されたお茶で喉を潤し、雑談を交わしながらしばし待つ。
そして、家令が再びその部屋に戻って来た時、彼はその手に大きめの革袋と二通の書類らしきものを携えていた。
ジェイクは家令からそれらを受け取ると、そのままリョウトたちへと差し出す。
「ほらよ。以前の野盗討伐の時の報賞だ。それとこっちは、前に約束したおまえの奴隷たちの解放手続きが終了した証書だな」
ジェイクの言葉を聞いたリョウトはその顔を輝かせた。
恭しく彼から証書を受け取ったリョウトは、その場で内容を確認する。そこには確かにアリシアとルベッタの二人を奴隷から一般市民へと解放する旨が書き記されており、カノルドス王国宰相であるガーイルド・クラークスの署名もある。
革袋の方はリョウトに代わってルベッタが受け取り、その重さに思わず顔をにやけさせていた。
「これでおまえの奴隷たちは晴れて一般市民ってぇわけだが、これからおまえたちはどうする? 俺としても、何かあった時のためにおまえたちの動向はある程度掴んでおきたいンだが」
ジェイクに言われたリョウトは、しばらく考えてから口を開く。
「いい機会なので、一度家へ帰ろうかと思います」
「おまえの家……ってぇと、前に聞いた魔獣の森にあるって小屋か?」
「はい。祖父の墓の様子も見ておきたいし、一人ですけど仲のいい知人もいますから。何より……」
リョウトの視線が背後にいる二人へと向けられる。
「彼女たちを祖父に紹介したいですからね。僕の新たな家族である彼女たちを」
そう言われて、嬉しそうな表情を浮かべるアリシアとルベッタ。
「あの小屋は私にとっても思い出のある場所よ? 何といっても、リョウト様と初めて出会った場所だもの。あそこへもう一度行けるのは嬉しいわ」
「俺もリョウト様が育った場所は見てみたいと思っていたんだ。丁度いいじゃないか」
「おいおい、もう君たちは僕の奴隷じゃない。様を付ける必要はないよ?」
「ええ。確かにもう私たちはリョウト様の奴隷じゃないわ。でも、これからは従者としてリョウト様に従うの。『魔獣使い』の英雄の従者。ちょっと素敵よね?」
「ああ。実はリョウト様が俺たちを奴隷から解放すると聞いた時から、アリシアとは相談していたんだ。今後どうやってリョウト様とつきあっていくか、とね。もちろん、俺としては堂々と『魔獣使い』の英雄の婚約者と名乗ってもいいんだがな」
嬉しそうに言うアリシアとルベッタ。もちろん、リョウトとしても、彼女たちの意志を受け入れるのはやぶさかではない。
こうして新たな関係を築き上げた三人を、ジェイクは優しげに見詰めながら無言で祝福していた。
そしてリョウトたちは、翌日には「轟く雷鳴」亭の主人であるリントーや、顔馴染みの常連客たちにランバンガ伯爵とのいざこざや、アリシアとルベッタの新たな立場などを説明した後、大急ぎで準備を整えて王都を後にした。
旅程は基本的に徒歩を選択。飛竜を使えばどうしても目立ち、最悪ランバンガ伯爵が追ってを差し向けた時、自分たちの足取りを追われやすいと判断したからだ。
こうして旅だったリョウトたち。彼らが武装した集団に隊商が襲われているのを発見するのは、王都を発って三日程した街道の上での事だった。
『魔獣使い』更新しましたー。
仕事の関係で先週は更新できず、申し訳ありません。
そして、今回よりリョウトたち三人は、新たな関係を築き上げていくことになります。
まあ、基本的な関係に変化はないわけですけど。
話は変わって以前より掲げている当面目標の「総合評価20,000点達成」ですが、今の時点での総合評価が11,623点です。
いやー、まだまだ先は長そうですなぁ。うん、でも頑張る。
では、次回もよろしくお願いします。