04-彼女の提案
窓の外で、ぱたぱたと洗濯物が風に揺れるのが見えた。
その揺れる洗濯物を眺めて、アリシアは何とも言えない気分になる。
なぜなら。
目の前の少年のものと思われる洗濯物に混じって、自分が着ていたものが存在していたのだから。
しかも、少年のものと思しき男物の下着の横で、自分のであろう女物の下着がぱたぱたしているのが見えた途端、アリシアは三度叫び声を上げそうになるのをぐっと我慢した。
一方少年──リョウトは、目の前の少女がじっと洗濯物を見詰めている事に気づき、ぽんと両手を打ち合わせた。
「洗濯物ならもう乾いていると思うよ? すぐに取り込んで来るからね」
そう言って再び小屋を出ようとする青年を、アリシアは慌てて引き止める。
「ちょっと待って! 自分で取り込むわ!」
アリシアとしては、得体の知れない青年にこれ以上、自分の衣服に触れられるのは正直遠慮したかった。特に下着には。
だから干してある洗濯物を取り込もうとする青年を止めたのだが、その青年は不思議そうな顔でアリシアに振り返った。
「自分で取り込むって……その格好のまま外に出るつもり? いくらこの辺りには僕以外には誰もいないからって、ちょっと不用心じゃないかな?」
言われてアリシアは思い至る。今の自分の格好に。
自分は今、素肌の上にベッドの上に敷かれていた毛皮を巻き付けただけの状態。
しかも、今巻き付けている毛皮は微妙に短くて、手で押さえていなければずり落ちてしまうぐらいの長さしかない。
つまりアリシアが自分で洗濯物を取り込むには、このまま陽光溢れる昼間に洗濯物の元に赴き、自分の手で洗濯物を手にしなければならない。
その際、おそらく両手が必要になるだろう。そうすると、当然身体に巻いている毛皮はその場に落ちるわけで。
即ち、アリシアは明るい真っ昼間に、野外で全裸を晒す事になる。
その事実に思い至り、アリシアは再び真っ赤になってうずくまった。悲鳴を上げなかった彼女を誉めていいぐらいだ。
だから、アリシアは不本意ながら最初の少年の提案に縋るほかなかったのだ。
「僕の名はリョウト。この小屋でずっと祖父と暮らしていた。もっとも、その祖父は数日前に他界したけどね」
少年──リョウトの説明によると、この小屋はベーリル村の村外れの魔獣の森のすぐ近くにあり、森の中の川で気を失っていたアリシアを、彼が見つけてここまで運んだのだという。
リョウトから洗濯物を受け取り、彼に外に出てもらっている間に手早く着替え、何とか人心地ついたアリシアは、どうして自分がここにいるのか説明を受けていた。
「お爺さんが亡くなった……? もしかして、お爺さんは森の魔獣に?」
「いや、単なる老衰。こう言っちゃなんだけど、森の魔獣に負けるような柔な爺さんじゃなかったよ」
「そ、そうなの……?」
魔獣の森に棲息する魔獣といえば、魔獣狩りたちの間でも凶暴で強力な個体が多いと噂されている。
そんな魔獣の森の魔獣に負けない老人とは一体何者なのか?
その事をリョウトに問い質そうとした時、小さな黒い生物がぱたぱたと窓から飛び込んで来た。
「──────え?」
その小さな黒い生き物は、ぱたぱたとアリシアの周囲を数回飛び回ると、そのままリョウトの肩にすとんと着地した。
そしてくいくいとその小さな首を数度リョウトの頬に押しつける。
「ああ、ごめんよロー。今紹介するって」
リョウトは彼の肩にちょこんと乗った生物の頭をぐりぐりと掌で撫でながら、アリシアにその黒い生物を紹介する。
「こいつはロー。僕がこの小屋に来る前よりここにいる、まあ、僕の相棒だね」
と、紹介された黒い小さな生物は、ちょこんとアリシアに向かって頭を下げた。
「へえ。よく懐いているのね……って、ちょっと待って!」
「え? どうしたの?」
「どうしたも、こうしたもないわよっ!! この生き物って竜よねっ!? 小さいけど、間違いなく竜よねっ!?」
「そうだよ? ローは竜だけど?」
「どうして竜がこんなところにいるのっ!?」
竜。それは最強の生物。
その爪は大地を引き裂き、その牙はどんな強固な鎧も貫く。そして尻尾の一振りは巨岩を砕き、口から吐き出される火焔は全てを灰にする。
その巨体は小さなものでも余裕で20メートルを超え、まさに生物の頂点ともいうべき存在。
だが、個体数そのものが極めて少なく、現在ではその姿を見る事はまずない。
比較的頻繁に目撃される魔獣の森の長のような飛竜や、主に水中に生息する手足のない巨大な蛇といった外観の水竜は、厳密には亜竜と呼ばれて本物の竜の亜種とされている。
本物の竜が最後に目撃されたのは、今から約40年前。
全長30メートル以上の巨大な黒竜が、突然当時のカノルドス王国を襲撃した。
なぜ、その竜がカノルドスを突然襲撃したのか。それは現在でも判っていない。
後に『暗黒竜バロステロス』と呼ばれるその黒竜は、ある日突然カノルドスの西の国境付近にある山岳地帯に出現し、真っ直ぐに王都目指して突き進んだ。
途中、進路上にあった村や街は、竜が巻き起こす突風や、口から吐く炎によって瞬く間に灰燼に帰した。
当然王国はバロステロスを打倒すべく、騎士団三大隊を出陣させる。これは王国の全軍の3分の2に相当する大軍であり、例えバロステロスがどんなに強力であろうとも、打ち倒す事ができると思われた。
しかし、結果は騎士団の壊滅という最悪の結末を迎える。
これで竜の進行を妨げるものはなく、王都はその火焔で焼き尽くされる、と皆が絶望した。
だがバロステロスは、結局は王都に辿り着く事なくその直前で三人の英雄に倒される。
それが竜が最後に目撃された事件であり、それ以後、竜の姿を見た者はいないとされている。
しかし、アリシアの目の前には、小さいとはいえ立派な竜がいる。驚くなと言う方が無理だろう。
「どうしてここにいる、って言われても……なあ?」
ここにいるんだから仕方がない、と言いたげなリョウトは、肩の黒竜を困ったように見る。
実を言えば、リョウトはこの黒竜がなぜここにいるのか知っている。だが、それをアリシアに話す必要はないと判断し、余計な事は言わない事にした。
「それよりもさ、君はこれからどうする?」
「え? どうするって?」
「調べたところ、怪我らしい怪我はないようだし。いつまでここにいるのかな、と思ってね」
「も、もしかして、私がいると迷惑……なの?」
考えてみれば、それも当然だとアリシアは思う。
リョウトは森で気を失っていた自分を助けて、この小屋に連れて来てくれたのだ。
彼にしてみれば、自分は招かれざる客。出て行ってもらいたいと思っていても不思議ではない。
そう思って尋ねたのだが、彼の答えはまるで違うものだった。
「別に迷惑というわけじゃないよ。実はね、僕は近日中に旅に出ようと思っているんだ」
「え?」
「今まで僕を育ててくれた爺さんが、数日前に他界したって言ったよね?」
「ええ。それは聞いたわ」
「僕とベーリル村の連中とはちょっといざこざがあってね。今までは爺さんがいたから良かったけど、その爺さんがいなくなった以上、僕がここにいる理由はないんだ。だから旅に出ようと思う」
ベーリル村の村人は、リョウトの事を快く思っていない。その理由はリョウトにも判っている。そんな彼に普通に接してくれる村人は、オグスという名の少年ぐらいだ。
それでもリョウトがこの村にいられたのは、彼の祖父がいたからに他ならない。
旅に出て世界を見てみたい。それはリョウトがずっと考えていた事だった。
聞けば祖父も、若い頃は傭兵などをしながら世界中を旅したという。
だが両親の死後、育ててくれた祖父を置いたまま、彼だけ旅に出るわけにもいかなかった。
ここ数年の祖父は、老衰のためかなり足腰が弱くなり、リョウトがいなければ日常生活もままならなかったのだから。
だが、その祖父はもう永遠の眠りについた。これ以上、リョウトがこの地に留まる理由はないのだ。
アリシアはリョウトからその話を聞き、どこかほっとしている自分に気づいた。
リョウトが自分を迷惑がって追い出そうとしていると思った時、心のどこかに重りのようなものを感じた。だが、今はその重りを感じない。
どうして自分がそんな気持ちになるのか理解できないアリシア。
そんな心の中のもやもやしたものを振り切り、アリシアは努めて平静な声でリョウトに尋ねる。
「ところで旅に出るのはいいとして、どこを目指すつもり?」
「そうだね。取り敢えずは王都に向かおうかと思っている。その後の事は王都に着いて情報を集めてからになるけど、当面は王都方面にある大きめの街を目指す事になるかな?」
ここから王都方面の大きな街。それなら──とアリシアが考えていると、急にある事を思い出して思わず声を上げた。
「あっ!! すっかり忘れてたわっ!!」
彼女が忘れていたもの。それは仲間たちの事。
魔獣の森で長にいきなり襲われ、仲間たちは散り散りになった。ひょっとすると、命を落とした者もいるかも知れない。
今回のような状況に陥った場合、ベーリル村の西に位置するゼルガーという町で合流する事が前もって決められている。そのゼルガーでの待機日数は狩りを行った日の翌日より五日。それまでに集まらない者は死んだものとして扱う、とリーダーのリガルが言っていた。
「ねえ、リョウトっ!? 私、どれぐらいこの小屋で眠っていたっ!?」
アリシアはリョウトに掴みかかると、自分がどれだけ気を失っていたのかを尋ねた。
「え、えっと……僕が君を見つけたのが一昨日の夕方。で、君が目覚めたのが今日の昼過ぎってところだから、丸一日とちょっとってところかな」
アリシアは、リョウトが自分を見つけたのが長に襲われた日の夕方だと推測する。
という事は、約束の期日まであと三日。ここからゼルガーまで徒歩で一日といったところだから、明日中にこの村を出なければなんとか間に合う。
アリシアはリョウトの以上の事を説明すると、明日の早朝には彼女もゼルガーに向けて旅発つと告げた。
「ふうん。で、もし期日までに間に合わなかったらどうなるの? 単に君を置いて仲間たちはどこかに行くだけじゃない?」
「それだけじゃないの! 私、ゼルガーのとある酒場に全財産預けてあるのよ!」
アリシアの説明のよると、今回の狩りに出発する際、同行する全員がゼルガーのとある酒場に全財産を預けたのだという。
普通、彼女たちのような魔獣狩りや旅人などは、財産を全て持ち歩くものだ。
この世界にも財産を預ってくれる商売はあるが、それは商売である以上もちろん有料である。
預ける期日を予め契約し、その預けた金額の一割を手数料として取られるのが一般的だが、契約した期間を過ぎても財産を受け取りに来なかったり、もしくは契約を延長しなかった場合、預け主に何かあったと判断されて預けた財産は、預けられた者のものとなるのが通例なのだ。
だから一ヶ所に定住しない者は、その財産を常に身に付けて持ち運ぶ事が多い。
銀貨などの貨幣では、金額にもよるが嵩張って仕方ない。だからある程度纏まった金額になれば宝石や装飾品に換えて持ち運ぶ。
ただし、宝石や装飾品は傷付いたりして価値が下がる畏れがあるし、宝石などから貨幣に換える場合、ある程度の目減りも覚悟しなければならない。
しかも商人側も貨幣の代わりに宝石などで支払いをされた場合、お釣りを返さないのが普通であるなど、宝石などに換える事はある程度のリスクを覚悟しなければならない。
それでも魔獣狩りや傭兵などは、嵩張る事を避けて宝石などに換えて持ち運ぶ事を選ぶ。
もちろん、決まった場所に定住している者はこの限りではないが。
今回、狩りに出かける際、リーダーとなったリガルが全員の所持金を集め、彼らがその時集まった酒場に預けようと言い出した。
彼はメンバーの誰かが命を落とした場合、生き残った者が死んだメンバーの財産を山分けしないか、と提案したのだ。
万が一誰かが命を落としたら、通例ならその財産は今回預けた酒場の主のものになる。
全くの第三者である酒場の主人に死んだ者の財産をくれてやるより、仲間内で分け合った方がマシだろうというリガルの言い分を、アリシアたちは納得して承知したのだ。
そしてその期日が、狩りを行った日の翌日より五日後、というものだった。
「つまり、その日までにゼルガーに行かないと、君は一文なしになるって事?」
「そうなの! 私は明日の朝、早くにここを発つわ」
だから、と続けてアリシアは改めてリョウトへと視線を向ける。
「あなたもゼルガーまで私と一緒に行かない?」
『魔獣使い』の更新。
ここまでとりあえず毎日更新してきましたが、いよいよ更新が遅くなりそうです。いや、単に先行して書き溜めていた分がなくなっただけなんだけど。
そんな訳でゆっくりとした更新になりそうですが、今後ともよろしくお願いします。