35-魔獣使いvs魔獣使い-2
森の中に魔獣の咆哮が響き渡る。
炎に包まれた斑熊が上げる苦悶の咆哮が。
そして、その斑熊の上にのしかかり、勝利を確信したかの如く上げる、土竜猪の咆哮もまた。
炎は斑熊の全身に広がり、周囲にタンパク質が燃える異臭が立ちこめる。
全身を襲う灼熱感に斑熊は狂ったように身体を動かすも、のし掛かるようにその身体を押さえつける土竜猪がそれを許さない。
土竜猪は炎に対して耐性が高いのか、斑熊を焼く炎を気にする事もなく、徐々に抵抗する力が落ちていく斑熊に止めを刺そうとその鋭い牙の生えそろった顎を開き、炎に焼かれている斑熊の喉笛に噛みついた。
しかし、その直前。
横合いから飛び込んで来た何者かが、その土竜猪の頭部を殴打する。
その一撃にどれほどの力が込められていたのか、斑熊の上にのしかかっていた土竜猪の巨大な身体が、僅かだがふわりと浮き上がったほどだった。
その飛び込んで来た何者かは、その場で大きく足を開いて構えを取ると、裂帛の気合いを吐きながらぐるんと身体ごと一回転しつつもう一撃土竜猪に叩き込む。
どがん、という落雷にも等しい大きな音が響くと同時に、土竜猪は斑熊の身体の上から放り出されるように転がった。
土竜猪の巨躯をたった一人で吹き飛ばすという信じられない事を体現したその者──赤みの強い金髪を大きな三つ編みにし、棹斧を両手で構えた女性──に、周囲から驚愕と畏怖の視線が集まる。
そんな視線など気にもせず、その女性は輝くような笑みを浮かべながらリョウトへと振り返った。
「リョウト様! 囚われていた人たちの救出は終わったわ! もう手加減は無用よ!」
その女性──アリシアの言葉が終わると同時に、リョウトはその名を高らかに告げる。
「バロム! フォルゼ! ファレナ!」
リョウトの周囲に三つの黒い亀裂が現れ、そこから三体の魔獣が待ちわびたように飛び出す。
彼が斑熊以外の魔獣たちを呼ばなかった理由。それは目の前にある廃墟に囚われている者たちがいたからだ。
複数の魔獣を呼び出し暴れ回らせれば、朽ちかけた廃墟などあっと言う間に瓦解するだろう。そうなれば、当然囚われている人々──ガクセンより地下に閉じ込められている情報は得ている──が生き埋めになりかねない。
そのため、リョウトは怪力ではあるものの、炎を吐くなどといった特殊な能力を持たないガドンを先鋒として送り出し、陽動と時間稼ぎを兼ねながらアリシアたちが囚われていた人々を救出するのを待っていたのだ。
そして今、その杞憂は取り除かれた。
リョウトは現れた魔獣たちに矢継ぎ早に指示を出す。
炎に包まれている斑熊に岩魚竜が霧状にした水を吐きかけてその火を消すと、すぐさま癒蛾が斑熊の火傷を癒していく。
そうしている間にも、飛竜はようやく起き上がった土竜猪へと襲いかかり、その鋭い爪の生えた後脚で土竜猪を押さえ込み、その強靭な獣毛を容易く噛み千切り、猪の魔獣の身体からその肉を引きちぎった。
その光景を『銀狼牙』の面々は、ただ呆けたように見詰めるばかりだった。
巨大な猪の魔獣を、小柄な少女とも呼べるような若い女性がたった一人で吹き飛ばしたかと思えば、次の瞬間には空間に黒い亀裂が走り、そこから三体もの魔獣が飛び出して来た。
まるで夢のような──いや、悪夢のようなその光景を、呆然と見詰めるしかできない。
「……ば、化け物だ……」
そう呟かれた言葉は、巨大な魔獣を吹き飛ばした女性に対するものか、それとも三体もの魔獣を瞬時に呼び出した男性に対するものか。
そんな『銀狼牙』の団員たちに、別の魔物が襲いかかる。
それはじわじわと足元から、一気に背骨を掛けのぼって脳髄へと突き抜ける「恐怖」という名の魔物。
一歩。
誰かが、思わず一歩後ずさった。
だが、それが決壊の狼煙となり、『銀狼牙』の団員たちは一歩また一歩と後退してゆき、とうとう我先にと森の中へと逃げ出した。
恐怖という名の魔物に襲われ、首領への畏怖も、ただ気ままに奪い尽くすだけの生活への未練も忘れ、背中を見せて真っ直ぐにその場から逃げ出す。
だが、そんな彼らを待ち受けていたのは、首領の制裁でもなければ魔獣の蹂躙でもなく、森の木々の影から現れた数人の男たちだった。
黒く染めた煮固めた革鎧を身に纏い、手に投網を持った男たちは、統率もなく逃げるだけの『銀狼牙』の面々をその手の投網に片っ端からからめ取って捕らえて行く。
「よし、これで俺たちのお役目は終了だ。後は伯爵の大将と魔獣使いの旦那の仕事だな」
仲間たちの手際を確認したジェイナスは、くいっと口角を釣り上げると巨大な猪の喉笛を食いちぎって止めを刺した飛竜へと目を向けた。
キーグルスもまた、その光景を唖然と見ていた。
自らが使役する土竜猪。その土竜猪が斑熊に止めを刺そうとした時、金髪の女性が土竜猪を弾き飛ばし、突然三体もの魔獣が現れた。
だが、彼はその光景に恐怖したのではない。
突如現れた新たな魔獣たちを、まるで新しい玩具を与えられた子供のように目を輝かせて見詰めていたのだ。
口から水を吐き出す岩魚竜。
斑熊の手ひどい火傷を瞬く間に癒す癒蛾。
そして、自身の手足ともいうべき土竜猪を、瞬く間に屠った飛竜。
どれもが珍しく、素晴らしい力を秘めている魔獣たちばかり。
「くひ、くひひひひひひ。素晴らしい! 素晴らしい魔獣たちだ!」
キーグルスの身体を歓喜が突き抜ける。
この魔獣たちを自分のものにすれば、それは更なる力となるだろう。
この魔獣たちを得るためならば、指の一本どころか腕の一本でさえ惜しくはないとキーグルスは狂気に犯された頭で考える。
彼の異能は魔獣を使役することである。そして魔獣を支配下におくには、ある一定の儀式が必要となる。
「惜しくはない……この魔獣たちを得るためなら、本当に指や腕の一本ぐらいは惜しくはない。くひひひひひひひひ」
熱の篭もった瞳で魔獣たちを見詰めながら、キーグルスは右手の人差し指と中指を咥え、指笛を鳴らした。
そして指笛を鳴らし終えた後、そのまま人差し指を噛み切ったのだ。
全身に大火傷を負ったガドンの様子を診ていたリョウトの傍に、大剣をぶらさげたままのジェイクと棹斧を手にしたアリシアが歩み寄る。
「斑熊の様子はどうだ?」
「────っ!」
心配そうにガドンを見るジェイクと、ガドンのその痛ましい姿に思わず息を飲むアリシア。
「命に別状はありません。ただ、全身に火傷を負ったため、しばらくは──」
リョウトは、力なく地面に伏せたガドンの頭を優しく撫でてやる。
負った火傷は既にファレナが癒したものの、焼けてしまった体毛までは回復せず、白黒にくっきりと色分けされたガドンの体毛は、所々が焼けて縮れ、中には地肌が露出している箇所もある。
おかげで随分とみすぼらしい外見になってしまっている。
「済まなかったね、ガドン。塒でゆっくり休んでくれ」
眼前に亀裂が現れると、ガドンはのっそりと身を起こしてその亀裂の奥へと消えた。
「しばらくガドンは呼び出さない方がよいだろうな」
「うん。そのつもりだよ」
肩に止まっているローと会話するリョウト。
その時、リョウトとロー、そしてジェイクとアリシアの耳に、甲高い指笛の音が響いた。
「今のは──」
「あれはあいつが……キーグルスが魔獣を操る時の指笛です。どうやらあいつの異能と僕の異能には、アリシアが言っていたように差異があるようですね」
リョウトとキーグルスは共に魔獣を使役する異能を有するが、細かな点で違いが見られた。
リョウトは縁紋で結ばれた魔獣を好きな時に呼び出せる。実際に彼の異能の驚異的なところは、魔獣を使役する点ではなく、いつでも呼び出せる点にある。
それこそ対象となる魔獣がどこにいようが、黒い亀裂を通じていつでも呼び出せるのだ。この力こそが彼の異能の最たる点であると言えるだろう。
対して、キーグルスは指笛で魔獣を操っている。
吟遊詩人として優れた耳を持つリョウトは、キーグルスの指笛の音程が微妙に異なっていることに気づいていた。
鎧蜈蚣を操る指笛の音程と、土竜猪を操る指笛の音程には微妙な差異があった。そして、今の指笛は、そのどちらともまた異なる音程のもの。
それが意味するところは。
「警戒してください、伯爵。どうやら奴にはまだ使役する魔獣がいるようです」
「ンだとぉ?」
「あいつは僕と違って遠くの魔獣は呼び出せないみたいだ。という事は、魔獣はすぐ傍にいる……」
リョウトが言い終わるより早く、足元から細かな震動が伝わってきた。
その震動は徐々に大きくなり、やがては周囲に生えている木々を倒す程にまで到達する。
「きゃ────っ!!」
「アリシア!」
震動に足を取られ、倒れそうになったアリシアを抱き留めるリョウト。
ジェイクもまた、大剣を地面に突き刺して身体を支えている。
「くひひひひひひひひひひひひっ!! 俺の魔獣はまだいるぞっ!! こいつこそが俺の最大戦力の魔獣だっ!!」
口元から胸にかけてを己の血で汚し、震動をものともせずに哄笑するキーグルス。その足元の地面がぴきりとひび割れ、そこから何かが飛び出した。
薄桃色の体色に無毛の身体。そのぬめぬめとした粘液で覆われた身体はうにうにと常に煽動している。
その身体の直径は1メートル以上に及び、地面から姿を現した部分だけで優に7メートルは超えている。地面の中の部分を想像するに、その全長はおそらくバロムの体長よりも長いだろう。
そして細長い身体の先には頭らしき部分はなく、先端全部が巨大な口となり、その円周部には細かくも鋭い牙がびっしりと生え揃っていた。
「な、だんだこりゃ……? でっかい蚯蚓の化け物か……?」
上空で鎌首をもたげるその魔獣を見上げながら、ジェイクが気味悪そうに呟く。
彼の言う通り、その魔獣は巨大な蚯蚓だった。ただし、蚯蚓と呼ぶには大きすぎてとても蚯蚓とは思えないが。
「くひひひひひひ! こいつこそが俺の最大の魔獣、大地竜だ!」
大蚯蚓が咆哮する中、自慢げなキーグルスの声が響く。
バロムやフォルゼも、突如現れた大蚯蚓に口を開いて牙を露にし、激しく威嚇している。
「おまえたちには特別に教えてやろう! 俺が魔獣を操るために必要な条件をな!」
キーグルスが大蚯蚓に対して威嚇しているバロムに走り寄ると、手にしていた何かを投げつけた。
その何かは放物線を描き、威嚇のために大きく開かれたバロムの口へと狙い違わず入り込む。
口の中に何かが飛び込み、思わずその口を閉じるバロム。そしてそれを反射的に飲み込んでしまった。
「俺が魔獣を操る条件は、俺の血をその魔獣に飲ませる事だ! 今、その飛竜の口に投げ込んだのは俺の指だ! もちろん、まだ血が流れている切り取ったばかりの指だ! くひひひひひひひひひひひひひっ!」
キーグルスは、リョウトたちに見せつけるように人差し指の欠けた右手を突き出す。
「くひひひひひひひひひっ!! これでその飛竜は俺のものだっ!! さあ、飛竜よ! そこにいるおまえの元主人を噛み殺せっ!!」
キーグルスのその言葉に、アリシアとジェイクははっとしてバロムへと振り返る。
そしてバロムは、その縦長の瞳孔を有した両の瞳を、ぎょろりとリョウトたちへと向けたのだった。
『魔獣使い』更新しました。
最近は『魔獣使い』ばかり書いていますが、連休明けから他の小説も順次更新していく予定です。
さて、魔獣使いVS魔獣使いの対決も佳境。次かその次あたりでこの一連の話もけりがつきそうです。
余談ですが、今回登場したミミズの魔獣を「地竜」と表現しましたが、ミミズは「地竜」という名前で漢方薬の原料となるそうです(笑)。
そして、当面の目標としていた「お気に入り登録3,000突破」は、4月27日に無事達成いたしました。これも登録してくださった方々のおかげです。本当にありがとうございました。
次なる当面目標として、少々難関ですが「総合評価点10,000点突破」を掲げたいと思います。
現在の総合評価点は8,674点。果たして目標達成までどれくらいかかるのか、正直見当もつきません(笑)。
では、次なる目標達成に向けて、これからもがんばりますのでよろしくお願いします。