34-魔獣使いvs魔獣使い-1
がきん、と硬質な金属同士がぶつかり合う音が、森の中の静寂を引き裂く。
足元へと滑るように近づいて来た鎧蜈蚣に向かって、ジェイクは大剣の切っ先を突き降ろすも、鎧蜈蚣の金属よりも硬い甲殻に阻まれてその目的を果たすことはかなわなかった。
その結果に舌打ちを一つ打ち、ジェイクは素早く鎧蜈蚣から距離を取り、改めて腰を落として構えを取る。
「この蜈蚣は引き受けた! おまえはあの野郎をやれ!」
鎧蜈蚣から目を離すことなく、ジェイクはリョウトへと指示を飛ばす。
リョウトはその指示に、頷くことさえせずに剣を手にしてキーグルス目指して駆け出すが、その彼の足元を不意に震動が襲った。
「俺の魔獣は鎧蜈蚣だけじゃないよ?」
そう言ったキーグルスが指笛を鳴らした瞬間、地面の下から巨大な猪が姿を現した。
地下から現れた大猪は、その槍のように鋭く突き出した牙をリョウトの足に突き立てんと迫る。
揺れのせいで下半身が安定しないリョウトに、これを回避する術はない。
今まさに大猪の牙がリョウトに突き刺さろうとした瞬間、横合いから飛び込んできた白黒の塊が大猪を弾き飛ばした。
「助かったよ、ガドン」
リョウトは自分の傍らで、何事もなかったかのように起き上がる大猪に向かって威嚇の唸りを上げる斑熊に礼を言う。
「おぉやぁ? もしかして、おまえも魔獣を操るの? へぇぇぇぇ、俺以外にも『魔獣使い』がいるとは思いもしなかったなぁ」
にたぁぁぁり、と。怖気を誘うような笑みを浮かべるキーグルス。
「それにその斑熊、なかなか可愛いよねぇ。よし、おまえを殺してその魔獣を俺のものにしよう。あ、でも、俺の土竜猪とぶつかりあったら、その斑熊も無事じゃ済まないか。ちょっと残念」
嘆息を吐きつつ再び指笛を鳴らすキーグルス。それに合わせて、土竜猪はガドンに向かって突進した。
森の木陰に姿を隠し、アンナはその光景を見詰めていた。
「あれは土竜猪……? うわぁ、初めて見ましたよ、はい」
「ふむ、あの魔獣は土竜猪というのか? 我も見たことのない魔獣だが、どんな魔獣だ?」
土竜猪とは名前の通り地下で生活する猪型の魔獣で、普通の猪とは違って完全な肉食であり、地下から突然現れて獲物を襲う魔獣である。
その大きさは本来なら2メートルほど。だがキーグルスが操る個体は、体長5メートルのガドンと遜色がないほどの大きさがあった。
「普通、土竜猪はあんなに大きくありません。もしかすると、あの個体は突然変異種かもしれません。はい」
「となると、どんな能力を持っているか判らん、ということだな?」
ローのその問いかけに、アンナはこくりと頷いた。
「ならば、我はそれをリョウトに知らせて来る。お主はここを動くなよ?」
「はい、判りました」
アンナの返事を聞き終えるより早く、ローは木々を避けながら全速力でリョウトへと向かって羽ばたいた。
廃墟の裏口から外へと脱出することに成功したアリシアたち。
彼女たちは囚われていた女性たちを誘導しながら、森の木々に紛れ込む。
「後はお願いね。私はリョウト様の元へ行くわ」
そう告げたアリシアの前には、ガクセンとジェイナスがいた。残る近衛の四名は、別の目的のために先程から別行動を取っている。
「了解だ。俺たちはこのまま、伯爵たちと打ち合わせた合流場所まで女たちを連れて行く」
ガクセンやジェイナスが、女性たちと一緒に森の中に消えるのを確認したアリシアは、足元の自分の影に向かって問いかける。
「マーベク、まだいる?」
それに応えるように、彼女の影は風が吹いた水面のようにさざめいた。
「これからリョウト様の加勢に行くわ。私の棹斧を」
アリシアの要請に応え、影の中から彼女のもう一つの愛用武器である棹斧の柄が突き出される。
「ありがとう」
彼女は一言礼を言うと、影の中から棹斧を引き抜き、それを肩に担ぐように持ち上げると大地を蹴る。
目指すは愛すべき主人の元。彼の剣となり楯となるために。
「強力」の異能で強化された彼女の身体は、棹斧の重量などないかの如く、全力で森の中を駆け抜けた。
横殴りにふるった大剣が、牙を突き立てんと飛びかかって来た鎧蜈蚣を弾き飛ばす。
数メートルほど吹き飛ばされたものの、鎧蜈蚣は何事もなかったかのように再び首を持ち上げる。
「ったく、とんでもなく頑丈な甲殻だな。この大剣でぶっ叩けば、斬れないまでもそれなりの衝撃はあるはずだが……ん?」
ジェイクはちらりと愛剣へと目を向ける。
彼が持つ大剣の腹の部分、そこに黒い沁のようなものが付着しているのが目に入った。
「もしかして、これがあのアンナって研究員が言っていた鎧蜈蚣の腐食毒って奴か?」
剣に付着した黒い沁は、嫌な匂いを発しながらじわじわとその大きさを広げている。
どうやら先程大剣で弾き飛ばした際に、牙から漏れた毒が剣に付着したようだ。
「ったく、勘弁してくれよな。この剣は特注ですげぇ高かったんだぞ?」
ジェイクの眼が、すぅと細められる。
「長引かせるとこっちが不利……ならば、一気に決めるのみ」
ジェイクの剣の切っ先がゆっくりと持ち上がる。
それはいつもの肩の高さを超えて、遥か頭上にまで達した。
大剣で天空を突き刺すように構え、両足を広く前後に広げてどっしりと腰を落として眼を閉じるジェイク。
一見すると異様なその構え。もしも、この場に彼を良く知る悪友たちがいれば、その構えこそが彼の本気の現れだと気づいただろう。
その決意が伝わったのか、びくりと一度身体を後退させる鎧蜈蚣。
そのかしゃかしゃと打ち鳴らされる毒牙から腐食毒を滴らせ、感情のない複眼がじっとジェイクに向けられる。
わさわさとたくさんの足を蠢かせ、地面の上で数回旋回すると鎧蜈蚣は旋回の勢いを殺すことなく一気にジェイクへと飛びかかる。
放たれた矢のような速度で、鎧蜈蚣はジェイクに襲いかかる。それが正しく矢のようにジェイクの身体を貫こうとした瞬間、ジェイクの眼が再び見開かれる。
そして、ふわりと力なく振り下ろされる大剣。
先程までの豪快な振り下ろしではなく、本当にただ、頭上に掲げた剣を降ろしただけのような、力の篭もっていない剣筋。
しかし、そのふわりとした剣筋は、その軌道上にあった全てを切り裂いた。
本来なら剣を振る際に抵抗となるはずの空気さえ切り裂き、大剣の切っ先は頭上から地面へと変更された。
「これがラバルドのおっさん……いや、ラバルド将軍の言うところの極意って奴だ」
──槍で突くのに力は不要。槍の先を正しく真っ直ぐに目標に突き立てれば、力などなくとも槍はどんなものでも貫き通す。
それは、この国の軍部を掌握する将軍であり、ジェイクにとっては武の師匠ともいうべき槍の名手、ラバルド・カークライト侯爵が彼に伝えた極意である。
事実、ラバルドは幼い頃の彼の目の前でこの極意を体現させ、槍で鉄の板を打ち抜いたことさえある。
ジェイクが今ふるった剣こそ、ラバルドの極意を槍から剣へとジェイクなりに昇華させた技だった。
「とはいえ、まだまだ俺は未熟か」
溜め息と共に言葉を吐き出しつつ、ジェイクは自分の両側に存在するものへと目を向けた。
そこには頭部から身体の四分の一ほどまで真っ二つに切り裂かれた鎧蜈蚣の姿。
ふわりとふるわれた先程の剣戟は、先程までは斬ることのできなかった鎧蜈蚣の甲殻を切り裂き、その身体までも断ち斬っていた。
「本当なら身体全部を二つにしたかったんだが……四分の一しか斬れなかったか……やれやれ。まだまだあのおっさんの域は遠そうだなぁ」
そう呟きながら、ジェイクは大剣に付着した鎧蜈蚣の体液を振り飛ばした。
彼らはその光景を呆然と見詰めていた。
彼らが畏怖し、怖れていた首領であるキーグルスの操る魔獣たち。
その魔獣の一体である、巨大な蜈蚣が彼らの前で切り裂かれた。
それだけではない。巨大な猪の魔獣もまた、白黒の毛並を持つ熊のような魔獣と互角の激突を繰り広げている。
「そ……そんな馬鹿な……」
背後から聞こえたその呟きに、『銀狼牙』の団員たちは一斉に振り返る。彼らの首領たるキーグルスの方へと。
「よ、鎧蜈蚣がやられただと……」
よろりと蹌踉くキーグルス。
痩せこけたその外見と相まって、その姿はまさに妖気に揺らめく幽鬼のようだった。
「ま、まさか、黒狼をやったのも奴なのか……?」
生気の薄い青白いキーグルスの顔の中で、目だけがぎらぎらとした異様な輝きを放つ。
その輝きが斑熊と死闘を繰り広げる土竜猪へと向けられた。
土竜猪と斑熊の膂力は互角らしく、一進一退の攻防が繰り広げられている。
猪の牙が熊の腹を突き刺すが、その分厚い脂肪が内蔵への到達を妨げる。
対して熊が猪の首元に噛みつくものの、その丈夫な獣毛が牙をからめ取り勢いを殺ぐ。
猪の牙が何度も振るわれ、熊の爪が何度も翻る。互いに傷つけ合うものの致命傷には至らず、ぶつかっては離れ、離れては激突を繰り返す二体の魔獣。
しかし、数度の激突を繰り返すうちに、徐々に優劣が現れ始めてきた。
四肢で身体を支え、突進を繰り返す土竜猪に対し、斑熊は後肢で立ち上がってその突進を受け止める。
質量に差が殆どないのなら、やはり四肢で身体を支えた方が有利なのか、幾度目かの土竜猪の突進を受け止めた際、斑熊の身体が体勢を崩した。
それを見て取ったキーグルスは、にたりと笑いながら指笛を鳴らして土竜猪に指示を出し、突進の勢いを殺さぬままに斑熊にのし掛からせた。
腹を上にして倒れ伏す斑熊にのし掛かる土竜猪。
土竜猪はその固い蹄で斑熊の腹を何度も踏みつけ、突き出した鋭い牙を首元に突き立てようと頭を振る。
斑熊も必死に土竜猪を払い退けようとするも、どっかりと上に乗った土竜猪を払い退けることはかなわず、前肢で土竜猪の頭を押し返すに留まっている。
「リョウト。アンナからの伝言だ」
じっと魔獣同士の対決を見守っていたリョウトの元に、ローが近寄って来た。
「あの土竜猪は突然変異種である可能性が高いそうだ。予想外の能力を持っているかもしれぬから注意せよ、とアンナは言っていた」
突然変異種。その言葉にはっとしたリョウトがガドンへと再び目を向けた時。
ガドンを組み敷いている土竜猪の口から何かが溢れだし、それがガドンの身体にべっとりと振りかかった途端、その何かは激しく燃え上がりガドンの身体を炎に包み込んだ。
『魔獣使い』更新しました。
本来なら、『辺境令嬢』か『魔法のコトバ』のどちらかを更新するつもりでしたが、『魔法のコトバ』はどうにも今一つテンションがあがらず、『辺境令嬢』はこっちに出張しているジェイクが帰らないと全体のストーリーが進められないという理由から、『魔獣使い』の更新となりました。
さて、今回は「魔獣使い」対「魔獣使い」、つまりは魔獣vs魔獣の回でした。
怪物と怪物の激突。これは自分の他の作品である『怪獣咆哮』でも描いておりますが、怪物と怪物が爪や牙をふるいながら死闘するというシチュエーションが、どうやら自分は大好きなようです(笑)。
話は変わりますが、いつぞやの活動報告に書いた例の新作ですが、三話分ほど書き溜めました。
とはいえ、三話使ってようやく序章といったところで、物語の方はまだまだこれからといったところです。
果たして、この新作をいつ公開に踏み切るか……悩みどころです。例えば今公開したとしても、更新がかなり遅くなるのは目に見えているので、もう少し書き溜めてから──具体的には第一章が終了する分まで──公開しようかと考えております。
それぐらいになれば、おそらく『魔法のコトバ』が完結しているはず……うん、はず(笑)。
そんなわけで、色々な意味を含めてこれからもよろしくお願いします。
※当面の目標達成まであと3。だけどこの3がなかなか……。意外とちょこちょこ減ったりするし。とか言っているうちに1減ってあと4になった……(泣)。