31-餌
大地に刻まれた街道を、二人の旅人が歩を進める。
旅人がよく愛用するフード付きの外套に包まれたその身体は、フードで顔は覆っているもののどちらも細身で小柄。どうやら二人とも女性──それも、足運びの早さから年若い女性のようだった。
今、この街道を歩いているのは彼女たちのみ。
なぜなら、最近この街道沿いに野盗が出るという噂が広がり、野盗を怖れた旅人や行商人たちは遠回りになっても他の街道を行く事を選ぶからだ。
そんな野盗が出没するという街道に年若い女が二人だけで旅をすればどうなるか。考えるまでもないだろう。
事実、突然彼女たちの前方に、見るからに柄の悪そうな数人の男が現れて彼女たちの行く手を遮った。
男たちは下卑た笑いを隠そうともせず、女たちに武器──あまり手入れの行き届いていない小剣──を突きつけて動きを封じる。
そして男たちの一人が、身動きしない女たちからフード付きの外套を毟り取る。
フードの下から現れた女たちの容貌に、男たちは思わず歓声を上げた。
一人は十七、八といった年頃の、三つ編みにされた赤みの強い金髪と碧眼がよく目立つ美しい顔立ちの娘。
旅人がよく身につける厚手で丈夫な衣服の上から、簡素な革鎧と鉄製の剣を帯びている。
その剣に手こそかけてはいないものの、その娘はもう一人の女性を男たちから庇うように立ち、敵意をその碧の眼に溢れさせて男たちを見据えている。
残るもう一人はその娘よりも若干若く見えるから、十五、六といったところだろうか。
こちらは肩甲骨辺りまで伸ばされた白金髪と藤色の瞳で、もう一人の娘とはまたタイプこそ違えども整った顔立ちの娘だった。
身につけているのはもう一人よりも幾分上質そうな旅用の衣服で、武具らしいものは装備していない。
それらの事から、男たちは幼い方の娘はどこかの豪商の娘でもう一人はその護衛だろうと推測する。
なぜ豪商の娘が護衛を一人だけ連れてこんな所を歩いているのかは知らないし、知る必要もない。
そんなものは知らなくても、男たちにとって目の前の娘たちが獲物である事には変わりはないのだから。
しかし、幾ら手に入れた獲物とはいえ、男たちには今すぐこの娘たちをどうこうするわけにはいかなった。
もしもそんな真似をすれば、男たちの命はない。
今、男たちを纏めている首領は、手に入れた獲物は例えそれが何であろうとも、一度は自分の前に持ってくるように厳命しているからだ。
以前、その命令を破って手に入れた獲物──行商人が運んでいた極上品の酒──を、我慢できずに手を出した愚か者がいたが、その愚か者はすぐさま首領が支配する魔獣の腹に収まる事になった。
以来、この命令を破った者は仲間には存在しない。
だから男たちも、護衛らしき金髪の娘から剣だけを奪い、二人の両手を縄で縛って首領の元へと連行する。
この時、男たちはすっかり油断していたと言っていいだろう。
手に入れた美しい獲物たち。武器も奪い、両手も拘束したから反撃される怖れもない。
この情況で油断するなという方が酷かもしれないが、結果的にその油断が男たちの将来を決めた。
なぜなら、男たちは気づいていなかったのだ。
金髪の娘が、護衛という立場にありながらもあっさりと武器を手放し、何の抵抗もすることなく両手を戒められた事に。そしてその際、娘の顔にうっすらとした笑みが浮かんでいた事に。
もう一人の銀髪の娘にしても、その表情が全く動いていない事に気づいた者はいなかった。
フードが剥ぎ取られ、その顔を陽光の元に晒した時から、その娘の表情がぴくりとも動いていない事に。
男たちにしても、恐怖のあまり正しい判断ができなくなっているとか、恐ろしさで何も考えられなくなっているのだろうとしか思っていなかったのだ。
そして。
そしてもう二つ。男たちが更に見逃していた事があった。
一つは、二人の娘と男たちとのやり取りを、少し離れた所で気配を完全に殺して窺っている三人の人間がいる事。
残る一つは、陽光に照らされて金髪の娘の足元に広がる影が、まるで風に揺れる水面のようにさざめいた事。
もしも男たちがその事に気づいていたら、彼らの運命は別のものになっていたかもしれない。
「……どうやら、うちの大将の読み通り、餌に獲物が食いついたようだぜ?」
黒染めの革鎧の上から周囲の風景に溶け込む色合いの外套を羽織り、完璧に気配を消した男が振り返って残る二人に告げた。
「どうやらそのようだな。どう思う、ガクセン?」
「奴らが向かっている方角からして、目的地はおそらく例の森の中の廃墟だろう。そこに今、キーグルスがいる可能性が高いな」
残る二人の人間も、先程の男と同じ色合いの外套で身体を包み、気配を殺しながら声を交わす。
「よし、ジェイナスはこの事をリョウト様や伯爵に伝えてくれ。俺たちはこのまま奴らの後を付ける」
「連中に気づかれないようにな? しかし、魔獣使いの旦那もよくあの金髪の姉ちゃんを囮にする事を承知したもんだな」
ジェイナスの呟きに、この場でただ一人の女性──ルベッタはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「なに、アリシアには飛びっ切りの護衛がつけられているからな。リョウト様も安心して送り出したのだろうさ」
ルベッタの言う護衛を思い出し、ジェイナスは肩を竦める。
確かにあの姉ちゃんにはとんでもない護衛がついているよな、と心の中だけで呟き、ジェイナスはルベッタたちに一つ頷いてから足音も立てずにその場を後にする。
その背中を視界の端で捉えながら、ルベッタとガクセンも移動を開始する。
餌に食らいついた獲物の行き先を確認するために。
そしてそこにいるであろう、自身と家族の仇の姿を確認するために。
「女を二人、捕らえただと……?」
森の奥にぽつんと佇む廃墟の一番奥まった部屋の中で。
線の細い身体に痩せこけた顔の男が振り返った。
元がなまじ整っている顔である分、やつれた今の彼の顔はまるで幽鬼のような凄惨さが滲んでいる。
そしてその男の足元では、巨大な蜈蚣がかさこそと足音を立てて這い回っていた。
「そうです、頭。どこかの裕福な家の娘とその護衛らしい、との事ですが……」
報告に来た男の視線は、頭と呼んだ男ではなくその足元で這っている大蜈蚣に向けられ、その顔も露骨に気持ち悪そうに歪められている。
頭と呼ばれた男も当然その事に気づいているが、そんなものは今に始まった事ではないので気にも留めない。
「それで? その女の髪の色は? 黒髪はいるか?」
神経質そうな顔に若干の好色を混ぜながら、頭と呼ばれた男が問う。
「いえ、金髪と白金です。残念ながら、黒髪はいません」
黒髪はいないと知った途端、その男の顔から好色な色は完全に消え去り、興味を失ったとばかりに視線すら向けずに告げた。
「おまえたちにやる。好きにしろ」
「いいのですか? 本当に金持ちの娘だとしたら、親から身代金をせしめる事もできますが?」
「そんなものはいらない。確かに金も欲しいがいつも働いてくれる部下たちには、それなりに報いてやらないとな。今回の女たちはやるよ。おまえたちで楽しんだ後は、どこかに売り飛ばすなり俺の魔獣の餌にするなり好きにするといい」
餌、という言葉に反応したのか、足元の蜈蚣がむくりと頭を持ち上げ、きしきしと耳障りな音を立てる。
その音が蜈蚣が牙を擦り合わせる音だと知り、報告に来た男は思わず一歩後ずさり、焦ったように了解を告げると慌てて部屋の外に飛び出していった。
「そうか。上手く行っているみてぇだな」
戻って来たジェイナスの報告を聞き、ジェイクはリョウトと顔を見合わせて頷き合う。
「後は実際にその場にどれぐらいの人数がいるか、ですな大将」
今の『銀狼牙』の構成員の総数は五十人ほど。とはいえ、複数の根城に分散して潜んでいるはずなので、一か所にはせいぜい十人前後、多くても二十人ほどだとリョウトたちは推測していた。
「そうそう、大将。予め言っておきやすがね」
「どうした?」
「俺たちは暗殺者だ。正面きっての斬り合いは向いてねぇ。俺たちは俺たちの流儀でやらせてもらいやすぜ?」
ジェイナスのこの提言にジェイクはぴくりと眉を寄せる。
暗殺者の戦い方といえば不意打ち闇討ちの類だ。確かに彼が言ったように、正面から戦うのは不利である。
となれば、彼らをどう運用するか。それが今回の討伐作戦の司令官の立場にあるジェイクを悩ませる。
元より、彼は自分が頭を使う事に向いていないと思っているし、周囲もまたそれを理解していた。
だからこれまで、作戦の立案は彼の仕事ではなく、立案された作戦通りに動くのが彼の仕事だった。
ジェイク自身もそれでいいと思っていたし、これからもそれでいいと思っている。
適材適所。それこそが組織を最も上手く運用する手段の一つなのだから。
それを理解しているからこそ、ジェイクは早々にその役目を丸投げした。
自分よりも作戦の立案に向いているだろう人物へと。
「リョウト。こいつらの言い分を含めた上で、何かいい作戦はねぇか?」
問題をあっさりと他人任せにするジェイクに苦笑しながらも、リョウトは一つの提案をする。
「作戦も何も、真っ正面から乗り込めばいいのではないですか?」
灯りどころか家具も何もない、薄暗く狭いこの部屋に押し込まれてどれ位の時間が経過しただろうか。
傍らの全く表情を動かさずに座り込んでいる存在を見つつ、金髪の女性──アリシアは取り止めもない事を考えていた。
そして薄暗い中で、背後で縛られている両手首をもぞもぞと動かしてみる。
男たちによって戒められた彼女の両腕は、自由を束縛されて当然思うように動かせない。
その縄の感触を確かめながら、アリシアは溜め息を一つ零す。ただし、その溜め息は決して諦めのものではなく呆れのものだったが。
その時、不意に部屋の外に人の気配がした。
そして、部屋に存在する唯一の扉から、三人の男たちがにやにやとした笑みを浮かべながら入って来る。
男たちは出入り口の所で、アリシアともう一つの存在を好色そうな眼差しで何度も見比べる。
「どっちにする?」
「お、俺は金髪の方がいいな……っ!!」
「確かにそっちもいいが、たまには白金の方みたいにちょっと幼い感じの女もいいじゃねえか?」
「そ、そうだな。一番最初に味見ができるなんて幸運、この先いつ回ってくるか判ったもんじゃねえからな。白金の方にしようや」
一人のその提案に残る二人も頷くと、その提案した男が無遠慮に白金髪の娘に近づき、乱暴に立たせるとぐいっと力任せに抱き寄せた。
そしてちらりとアリシアへと視線を向ける。
「おまえにもすぐに迎えが来るからな。それまで大人しく待っていなよ?」
男は黙って睨み付けてくるアリシアに下卑た笑みを向けると、そのまま白金髪の娘の肩を抱いて残る二人と共に部屋を出て行った。
この期に及んでも、白金髪の娘は全く表情を変えない。これから自分がどのような目に合うのか判らない筈がない。それなのに恐怖に顔を歪めるわけでもなく、泣き叫ぶわけでもない。
ただ淡々と、男に肩を抱かれたまま歩くだけ。
その事に男たちも流石に不審さを感じたが、それよりもこれからのお楽しみへの欲望の方が勝っていた。
例え何か企んでいようとも、小柄な娘一人が男三人相手に何ができるというのか。
そんな慢心と共に、白金髪の娘は男たちと共に一つの部屋の中に入っていった。
白金髪の娘が連れられて行ってしばらく。
再び出入り口の扉が開き、先程同様に三人の男たちが姿を見せた。
「お、金髪の方が残っているぞ」
「やったぜ。俺、この女を初めて見た時から、抱きたくてうずうずしてたんだ」
「おいおい、先走んなよ? 一番最初は俺だからな?」
男たちは口々に好き勝手な事を言い合いながら、アリシアを立たせて部屋を出る。
そして薄暗い廃墟の中を歩いて、一つの部屋へとアリシアを招き入れた。
所々に置かれた蝋燭の灯りが、部屋の中を照らし出す。
そこは広さこそはあるものの、家具や調度品などは全くなく、ただ、床に毛皮を敷き詰め、辺りに酒瓶と覚しきものや食べ物などが散乱していた。
「さあ、お嬢さん? お楽しみの時間だぜ?」
男たちがそれぞれ短剣をちらつかせながらアリシアへと近づく。
男たちの顔には揃いも揃って野獣のようなぎらぎらとしたものが浮かび、普通の娘ならここで泣き叫ぶか喚き散らしながら慈悲を乞うところだろう。
だが、この期に及んでもまだ平然としているアリシアに、男たちは内心で首を傾げながらもじりじりとその距離を詰めていく。
そしてついに男たちの手がアリシアの身体に触れそうになった時。
不意にどこからか、ぶちりと何かが切れたような音が響いた。
「な、なんだ、今の音は……?」
男たちはアリシアに触れるのを止め、きょろきょろと辺りを見回す。
しかし、部屋の中に先程のような音を立てそうなものは存在しない。
そして再び男たちがアリシアへと注意を向けた時。
彼らはそこに信じられないものを見た。
「──────え?」
そうぽつりと呟いたのは三人の内の誰だったか。
だが、三人は同じ心境でそれを見詰める。
彼らの面前でふらふらと振られているアリシアの両手を。
「え? ど、どうして? 確かに後ろ手に縛られて──?」
「こんなちゃちな縄で私を縛り付けておけると思っているの?」
そう言って呆然と自分を見詰める男たちに、アリシアはにっこりと微笑んでやった。
男たちは、白金髪の娘が着ていた衣服を全て剥ぎ取った。
いや、正確には全く身動きもせず、表情も変えない娘を薄気味悪く思い、何らかの反応を引き出すために立たせたまま着ていた服を短剣で切り刻んでいったのだ。
そして彼女が着ていた服が全て単なる布の切れ端に変わり、娘の白い肌が余すところなく男たちの目に晒された。
小柄な身体と幼い容姿とはやや不釣り合いな娘の身体。
しっかりと大人の女の体つきのそれは、男たちの官能を遠慮なく刺激した。
ここに及び、娘のどこか薄気味悪いところは男たちの頭から消え去り、彼らは雄の本能につき動かされて娘を押し倒すように組み敷く。
その時である。
自分たちが押し倒した娘の身体が、まるで泥が流れるようにどろりと崩れたのは。
『魔獣使い』更新。
今週二度目の更新です。よくやった自分。
さて今回、『銀狼牙』と目論見通り接触する事に成功したリョウトたち。
次回はいよいよ両勢力が激突する事になります。
では、次回もよろしくお願いします。
※前回設定した当面の目標ですが、評価点の方が達成いたしました。評価点を入れてくださった皆様、本当にありがとうございます。残るはお気に入り登録です。現在の登録数は2774。目標到達まであと226。