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魔獣使い  作者: ムク文鳥
第2部
36/89

24-銀狼牙

 男は逃げていた。

 迫り来る追っ手から。背後に迫った死の恐怖から。

 男は必死に逃げていた。




 男と一緒に逃げた者は数多い。

 だが、途中で散り散りになり、気づけば男は一人で夜の森の中を走っていた。

 一緒に逃げた仲間はどうなっただろうか。

 追っ手に捕らえられ、連れ戻された者もいるだろう。あるいは、その場で殺されたかもしれない。

 だが逆に、中には無事に逃げ延びた者もいるかもしれない。

 一人でも。

 一人でも無事に逃げ延び、奴の事を誰かに告げられれば。

 国の中枢に直接直訴できれば言うことはないが、普通に考えればそれは難しい。だから地方の領主でも警備の兵でもいいから、国の支配階級に連なる誰かにこの話を伝えなければならない。

 その思いだけを胸に、男は必死に夜の闇の中をひた走る。

 男の耳に入るのは、ぜいぜいという己の苦しげな息遣いと、耳元を流れる風鳴りの音。

 今、運が味方してくれたのか、上手い具合に月は雲に隠れている。

 しかし、闇の中を走る男の足は、疲労から徐々に鈍く、もつれがちになる。

 やがて何かに足を取られ、男は夜の森の中で倒れ込む。

 荒い息を吐きながらも男は必死に立ち上がり、よろけながらも再び走り出そうとする。

 その時。

 男の耳は、自分の荒い呼吸音以外の音を捉えた。

 驚きに目を見開き、男は音のした方へと反射的に振り返る。

 そこにそいつはいた。

 森の闇の中から、のそりと這い出して来る黒い巨体。

 その黒い巨体の中で、双眸だけが赤くらんらんと輝いて男を見据えていた。


「……ま……魔獣……黒狼(こくろう)……」


 男が零した言葉通り、その魔獣は全身を漆黒の毛皮に覆われた巨大な狼だった。

 牛ほどの大きさのある巨大な狼は、赤い双眸を男へと定めたまま、ひたり、ひたりと男へと近づく。


「お……おのれ……おのれ『魔獣使い』め……」


 男は迫り来る黒い恐怖から目を離すことなく、誰ともなく呟く。


「俺たちの……俺たちの『銀狼牙(ぎんろうが)』を奪っだけじゃ飽き足らず、『銀狼牙』を単なる野盗の類にまで貶めやがって……」


 黒い魔獣がその大きなあぎとをかっと開く。その中に鋭い牙が何本も並んでいるのが、男の目に入った。


「た、例え俺がここで殺されても……誰かが……きっと誰かがおまえの事を国に知らせる……っ!! そうすれば、いかにおまえが強力な魔獣を従えていようと終わりだっ!! あ、あはははははははっ!!」


 男の笑い声は、いつの間にか断末魔にとって変わる。

 そしてその後は、柔らかい何かを食いちぎりる音と、それを咀嚼する音が暗い森の中に静かに響いていた。




 王都ユイシーク。

 言わずと知れたカノルドス王国の首都であり、現国王陛下がおわす名実共にこの国の中心。

 そのカノルドス王国の中心都市の、目抜き通りから西に一本入り込んだ通りをリョウトたちは歩いていた。


「……酷いぞ、リョウト様……」

「だから、済まなかったって」


 美しく整った顔に不満を浮かべて、ルベッタが前を歩くリョウトに文句を言う。


「だけど、ルルードを見たいと言ったのはルベッタだよ?」


 振り返り苦笑を浮かべるリョウトに追従するように、ルベッタの隣を歩いていたアリシアが口を開く。


「そうよ。それにあの後のあなたの肌、私から見てもとってもすべすべしていて羨ましいぐらいだったわ」

「だったら、おまえも黒粘塊(ルルード)に全身を舐めてもらえ。案外、癖になるかもしれないぞ?」

「お・こ・と・わ・り・よ」


 ルベッタがいまだに不機嫌なのは、数日前にリョウトが呼び出した黒粘塊(くろねんかい)のルルードに全身余すところなく舐め回されて昇天させられた件だった。

 昇天させられたとは言っても、別にルベッタはルルードに凌辱されたわけではなく──そんな事をリョウトが奴隷たちにするわけがない──、単に身体の表面を隅々まで舐められただけだったが、それでもリョウトとの情事の直後でいろいろと敏感になっていた彼女は、実にあっけなく昇りつめてしまったのだ。

 その事が気恥ずかしいやら、照れくさいやらで、あれからずっとルベッタはリョウトに文句を言い続けている。

 その反面、アリシアが言うように艶やかさを増した自分の肌に驚き、こっそりと喜んでいたのも事実だったが。

 アリシアにしても肌が綺麗になるのは羨ましいが、だからといってあの黒粘塊に全身を浸す勇気はなく。

 事あるごとにおまえも味わえというルベッタとそれを拒否するアリシアの二人のやり取りは、ここ数日の間にすっかり定番となってしまっていた。

 そんな他愛もない事を話ながら彼らが向かうのは、もちろん「轟く雷鳴」亭。

 バロムを使わずにゆっくりと王都まで戻って来たため、『ガルダックの英雄』や『魔獣使いの英雄』の噂はもう王都にまで届いており、一部の住民の間で話題になっている。

 そんな王都の住民たちも、まさか噂の『ガルダックの英雄』が身近にいるとは夢にも思わず、思い思いに噂話の花を咲かせていた。

 やがてリョウトたちは、あと数辻で目的地である「轟く雷鳴」亭に辿り着こうかという時。

 不意に細い路地の一本からふらりと一人の男が現れた。

 現れた男に警戒心を抱くリョウトたち。だが、男は別にリョウトたちに襲いかかってくるわけでもなく、ふらふらとその場に倒れ込んでしまった。

 慌てて男に駆け寄ろうとするリョウトたち。偶然通りかかった住民たちも、足を止めていきなり倒れた男とリョウトたちを不審そうに見詰めている。

 倒れた男に真っ先に駆けつけたのはアリシア。彼女は倒れた男を抱き起こすと、声をかけながら男の身体を調べる。

 男は革製の丈夫な外套を着込み、足元も同じような革製の頑丈なブーツで固めている。

 そして外套の下にはにかわで煮固めた革製の鎧(ハード・レザー)。を着込み、腰の剣帯には肝心の刀身の方は見当たらないが、空の鞘だけが存在した。

 その外見はリョウトたちのような魔獣狩り(ハンター)ではなく、明かに傭兵の装いだった。

 そして、アリシアが男を抱き抱えた際、露になった彼の左手の甲を見て、思わずルベッタの動きが止まる。

 男の左手の甲にあったもの。それは狼の頭と剣を形どった刺青であり、それが意味するものをルベッタはよく知っていたからだ。

 そんなルベッタの様子に内心で首を傾げながらも、アリシアは男の様子を観察する。

 男が着込んだ革鎧はあちこちがずたずたに切り裂かれ、どす黒くなった大量の血が滲んでいる。

 顔色も蒼白で、命に関わるような怪我を負っているのは明かだった。


「リョウト様────っ!!」


 だからアリシアはリョウトを呼ぶ。彼の使役する魔獣であり、癒蛾(いやしが)のファレナならこの男を救えるかもしれないと思ったからだ。

 だが、そのリョウトからの返事がない。

 不審に思ったアリシアがリョウトへと振り返れば、彼は双剣──紫水竜の剣(アメジストソード)とパリィング・ソード──を構えて、じっと一か所を睨み付けていた。

 たった今、男が現れた路地の奥を。




 アリシアが男へと駆け寄った時、リョウトのフードの中に隠れていたローが、彼にだけ聞こえる声で忠告する。


「気をつけろ。何かがいる」


 無言で頷くことでそれに是を示したリョウトは、素早く双剣を抜いて構え、じっと路地の奥を注視する。

 やがて路地の奥の薄暗い闇の中で、何かがゆらりと動くのをリョウトは感じ取る。

 それと同時に。

 爛と光る赤い双眸が闇の奥からリョウトを射抜く。

 その赤光にリョウトが警戒心を更に一段引き上げた時、不意に路地の奥から赤光が消え失せた。

 不審に思いながらも警戒を解かないリョウトの足元。

 彼の影が突然弾け飛ぶ。

 影の中から矢のように飛び出したそれは、真っ直ぐにリョウトの喉笛を目指す。

 それはあきとを大きく開きながらリョウトの喉笛を噛み切ろうと迫るが、フードから飛び出したローがそれに向かって小さく炎を吐き出し、その進路を妨害する。

 突然目の前に弾けるように現れた炎に目標を見失い、その顎はなにもない空間でがちりと噛み合わされる。

 ローが飛び出して炎を吐いた瞬間、リョウトも体勢を立て直して改めて双剣を構える。

 この時になると、ようやくアリシアとルベッタもリョウトの傍にやってきて各々の得物を構え、遠巻きに彼らを見ていた住民たちは、突然現れたそれに驚いて蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

 リョウトたち三人を威嚇するように低く唸り、それは陽光の中ではっきりとその姿を現した。

 それは牛ほどもある巨大な黒い狼だった。


「ま……魔獣……」


 住民の誰かがおののきながら呟く。

 その言葉を肯定するように、ローが宙に浮きながらリョウトたちに告げた。


「黒狼だ。気をつけろ。奴らはマーベクと同じく影に潜む魔獣だ」


 ローのその言葉に、リョウトたちは各々内心で頷いた。

 突如路地の奥から消えたと思えば、次の瞬間にはリョウトの影から現れる。

 それはまさしくマーベクと同じように「影走り」の異能を宿した魔獣なのだろう。

 そしてリョウトたちが見詰める中、黒狼はぐっとその巨体を低くし、だん、という音と共に飛びかかった。

 その目標はリョウトたち────ではなく、彼らの背後で倒れている男。

 まさに疾駆する影の如く。

 リョウトたちの頭上を一足で飛び越え、男へと迫ろうとする黒狼。

 だが、その黒狼に反応する者がいた。

 アリシアである。

 彼女は素早く黒狼の進路へと割り込むと、腰の飛竜刀(ワイヴァンブレード)を抜きざまに瞬閃させる。

 抜き放たれた飛竜刀は光となって影に吸い込まれ──そのまますり抜けた。


「────え?」


 思わずあっけに取られるアリシア。

 黒狼は空中で己の身体を影へと変え、アリシアの刃を透過させたのだ。

 期待したような手応えを感じられず、思わず体勢を崩すアリシアだったが、「強力(きょうりき)」の異能で強化された足腰は、泳ぐはずの身体を強引に立て直す。

 そして、背後の男へと振り返ったアリシアは見た。

 倒れた男。その男の影から飛び出した、黒狼より更に巨大な黒いモノが、飛びかかってくる黒狼を空中でぱくりと咥え込み、そのまま再び影の中へと消え去るのを。

 その光景にはアリシアだけでなく、周囲で遠巻きにリョウトたちを見詰めていた民衆までもが呆然とする。

 巨大な黒いモノが、その身体より遥かに小さい影に吸い込まれるように消えたのだ。

 その光景を過去に見たことがあるアリシアでさえおもわず呆けてしまうのだから、初見である人々には無理のないことだろう。


「アリシア」


 そのアリシアの耳に、主人である青年の声が響く。

 気づけば、リョウトとルベッタが彼女の傍まで来ていた。


「騒ぎになる前に、怪我人を「轟く雷鳴」亭まで運ぶ。急ぐぞ」

「え? ……え、ええ」


 主人に命じられるまま、アリシアは倒れていた男を軽々と担ぐと、リョウトたちと共に足早にその場を離れた。

 そしてその場に取り残される住民たち。彼らは走り去っていく三人の後ろ姿を見ながら、とあることを思い出していた。


「あ、あれはまさか……ガルダックの……?」

「そうだ……あれが『ガルダックの英雄』……『魔獣使いの英雄』なんじゃないか……?」


 人々が噂に聞いていた『ガルダックの英雄』の姿は様々だ。

 黒髪の青年であるとか、黒髪の美女だとか、または、金髪の少女であるなど。

 だが、どんな噂にも共通する点があった。

 それは、『ガルダックの英雄』と呼ばれる者は、巨大な魔獣を自在に使役するということ。

 そして今、人々の前で展開された光景こそ、それを示していた。

 突如街中に現れた黒い狼のような魔獣。その魔獣を一瞬で倒した更に大きな黒い魔獣。

 あの時、住民たちの一部ははっきりと見ていたのだ。

 あの黒い大きな魔獣が姿を現す前に、あの三人の内の一人──黒髪の青年──が、「マーベク」という言葉を紡いでいたのを。

 そして、それに応えて現れた黒い巨大な魔獣。

 あれこそが、『ガルダックの英雄』が使役するという巨大な魔獣ではないのか。

 住民たちの小さな囁きは、徐々に拡大していき、やがて大きなうねりとなって行く。


──王都に『ガルダックの英雄』が現れた。


 その話はあっと言う間に、王都全体に広がっていくのだった。




「しかし、何故この男は街中──王都の真ん中で魔獣に襲われた……?」


 「轟く雷鳴」亭へと急ぐ途中、ふとリョウトが疑問を零す。


「そうね……何者なのかしら、この人?」


 アリシアも、自分が担いでいる男を不思議そうに眺めている。


「この男がなぜあの魔獣に襲われたのかは判らないが、男の身元ぐらいは判るぞ」

「なに?」


 一行の最後尾で、後方を確認しつつルベッタが告げた。


「その男の左手の甲の刺青を見てみろ。見覚えはないか?」


 ルベッタにそう言われて、リョウトとアリシアは改めて男の左手の甲を注目する。

 そこにあるのは、狼の頭を形どった紋章。その紋章に、二人は確かに見覚えがある。

 いや、正確には、いつも身近で見ているものだ。


「そう。その紋章は俺の左胸にある紋章と同じ。こいつは俺が以前に所属していた『銀狼牙』という傭兵団に所属している傭兵だ」



 『魔獣使い』更新。


 今回より、予定通りルベッタ編ともいうべきものに入ります。

 どうしてルベッタが奴隷に落ちたのかなどの過去を明かにしていくつもりです。

 加えて、新たな謎も提示してみたり。

 街中に現れた魔獣。そしてその背後には……?

 実は、随分と前に張った伏線の回収でもありまして。あまりにも前過ぎて読んでくれている方が覚えてくれているかどうかが少々不安ですが(笑)。


 というわけで、次回もよろしくお願いします。

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