22-ガルダックの領主
「おい、聞いたか? あの話」
「おう、聞いたとも。例のガルダックの英雄の噂だろ?」
どこともしれない町の、幾つもある酒場の一つで。
最近、この町にまで届き出した一つの噂を、顔見知りらしい二人の男が酒の肴にして盛り上がっていた。
「例のガルダックの町の火事……あれを最小限に食い止め、数多くの怪我人の命を救ったっていう──」
「そうそう。しかも、その英雄はたくさんの魔獣を手足のように操ったって言うんだろ?」
「あれ? 俺が聞いた話では、操った魔獣は一体だけ……飛竜だったって話だったぞ? まあ、飛竜だけでも自在に操るのはすげえ事だけどよ」
違いない、と話を交わしていた相手は喉に酒を流し込む。
するとそこへ、やはり二人とは顔馴染みらしい男が、その会話に加わった。
「俺が聞いたガルダックの英雄は金髪のすげぇ美人だって話だけど、もし本当にその英雄が美人だとしたら是非ともお目にかかりたいもんだよな!」
「金髪の美人? 俺が聞いた話とは違うなぁ」
杯を傾けながら、男の一人が首を傾げる。
「俺が聞いたのは、美人は美人でも黒髪だって聞いたぞ? しかも、すこぶるいい体つきした若い女だそうだ」
そう言った男は、「すこぶるいい体つき」を具体的に想像したようで、酒とは別の赤を顔に浮かべながらにやける。
「うーん……俺が聞いたのは、英雄は若い男で、その男がリュートを奏でながら唄を唄うと、怪我人の傷や火傷が見る間に治ったって噂だったけど?」
「ま、噂に尾ひれがつくの当たり前の話さ。どこまで本当かなんて判るわけがねえよ」
男のその一言に、残りの二人が笑いながら相槌を打つ。
やがて三人の話題はガルダックの英雄から別のものに移って行った。
だが、ガルダックの英雄の噂話に興じているのはこの三人だけではなかった。
この町中のあちらこちらで、いや、カノルドス王国の南部地域全体で、ガルダックの英雄の噂は今最も頻繁に人々が口にする噂だった。
そして、この噂はこれからもどんどんと広がっていき、やがてはカノルドス全土へと伝わって行くのだった。
ガルダック中央部。
そこには、この町の領主であるキルガス伯爵の居城がある。
もちろん、かつてはカルディ家が所有していたものであり、カルディ家が貴族でなくなった折りに、新領主となったキルガス伯爵へと譲渡されたのだ。
その居城の中をかつてはここの主であったラナークが、数人の男性と共に歩いていた。
彼の他にはウェルジの姿もある。そして、彼らと同じく町のまとめ役と目されている中年の男性がもう一人、ラナークたちと一緒に歩いていた。
彼らは今、領主であるキルガス伯爵に呼び出され、先日起こった「ガルダックの大火災」の詳細を報告するために、こうして伯爵の居城へと足を運んだのだ。
やがて三人は伯爵の執務室の前に着く。
執務室の前にいた護衛の兵士に自分たちの到着を告げると、兵士の一人が中へと取り次ぎに行く。
そしてすぐに入室の許可が降りると、三人は順に伯爵の執務室へと足を踏み入れ頭を下げた。
「わざわざ呼び出して済まねぇな。しかも、町が大変な事になったっていうのに、その肝心な時に留守にしていて申し訳なかった」
親しみのある砕けた──あまり貴族らしくない──口調で、執務室の中にいたキルガス伯爵がラナークらに謝罪した。
「いえ、閣下も王都で重要なお役目を預かる身。致し方ない事かと」
頭を上げながらそう告げたラナークの目の前には、ずいぶんと年若い男が執務用の机についていた。
二十歳前後に見える、まだ少年と言ってもいい短く刈り込んだ金髪に碧色の瞳のその男。
彼こそがこの地の領主にして、国王の片腕にも等しいと言われるジェイク・キルガス伯爵その人であった。
「おいおい、ラナークのおっさん。ここは公式な場でもないし、ましてやここにいるのは俺たちだけだ。そんな畏まった口調で喋らなくてもいいぜ? そもそも、こんな若造にそんな丁寧な言葉はいらねぇよ」
「お? そうか? じゃあ、そうさせてもらうぜ、伯爵」
ジェイクの言葉に、ウェルジが早速嬉しそうに砕けた口調で語りかける。
「で、おっさんたちに来てもらった理由はもう判っているだろ?」
「当然、先日の大火の件だな」
ウェルジの言葉に、ジェイクは深々と頷いた。
「一応、報告書には目を通したが、それでもよく判らないところが幾つもある。それで町のまとめ役みたいな事になっているおっさんたちから直接聞いてみようと思ってな」
そして、ジェイクはああ、それから、と思い出したように付け加えた。
「それ程多くはないが、王都から薬を運んで来た。後、食料もある程度はあるから、後で怪我人や焼け出された人たちに配ってやってくれ」
ジェイクのその言葉に、まとめ役たち三人は互いに顔を見合わせて困惑する。
「それなのですが、閣下。確かに食料は非常にありがたいです。ですが、実は薬は……」
ラナークが代表して何かを言おうとした時、この部屋の外に立つ守衛の兵士が来客を告げた。
「来客だと? 誰だ?」
「は、ジークント・カーリオン様であります」
その名を聞き、ジェイクは兵士に入室の許可を出す。
「ジークント様とは、どなたでございますかな、閣下?」
「ジーク……ジークントは王宮務めの医者でな。火事ともなれば、多くの負傷者が出ただろうと思って、王都から引っ張ってきた。さっき、怪我人の様子を見て来ると言って出て行ったんだよ」
そして、丁度そのタイミングでジークントが部屋に入って来た。
「ただいま戻りました、ジェイクさん……あ、ごめんなさい、来客中でしたか?」
「ああ、構わねぇよ。こっちのおっさんたちは町のまとめ役だ。ついでと言っちゃなンだが、一緒に話が聞きたい。それでどうだった? 怪我人の数や怪我の具合はどんなもンだ?」
そう問われたジークントの顔色は冴えない。ジェイクはそれを負傷者の状態がよくないからだと思ったが、ジークントが疑問に感じているのはそうではなかった。
「それがジェイクさん。明らかにおかしいんです」
「おかしいだと? どういう事だ?」
「怪我人の数が少なすぎます。確かに怪我人はいることはいますが、一刻を争うような重篤な者は皆無と言ってもいい程なんです」
それを聞いたジェイクは、怪訝そうな顔でラナークたちへと振り返る。
「実は閣下。我らが先程言おうとしたのは、その事なのです」
「どういう事だ?」
「まずはこれをご覧ください。火事の被害や負傷者の数などを書面に起こしてあります」
領主であるジェイクに報告するため、ラナークは被害状況を予め解りやすいように羊皮紙にしたためておいたらしい。
羊皮紙を手渡されたジェイクは、黙ってそれに目を通し、読み終わったものからジークントへ回す。そして彼もまた、じっと羊皮紙の書かれた文字を目で追って行った。
「どういう事だ? こんな事があり得るのか?」
「確かに信じられませんね」
焼け落ちたり倒壊したりした建築物の総数は、町全体の三分の一にも及ぼうという程だった。
しかし。
それ程の大火災だというのに、死傷者の数が余りにも少ない。
確かに負傷者はいる。中には運悪く命を落とした者もいる。
だが、それでもそれは火災の規模に比べれば、本当に僅かと言っていい数なのであった。
「もしかして、この町には『治癒』の異能持ちでもいるのですか? それもシーク義兄さんやアーシィ義姉さんのような、かなり力の強い異能を持った者が」
「いや、そんな話は聞いていないが……」
と、ここでラナークたちに視線を向けたジェイクに、したり顔でウェルジが口を開いた。
「まあ、異能といえば異能には違いなねぇ。ただし、その異能は『治癒』じゃあねえけどな」
「『魔獣使い』……だと?」
ジェイクは「ガルダックの大火災」のあらましをラナークたちから聞いた。
火災の原因となったと思われる、火鼠と呼ばれる魔獣。
その火鼠を一網打尽にしたという闇鯨。
建築物を破壊し、火災の延焼を防いだ飛竜と斑熊。
水を吹きかけ、火災の消火に奮闘した岩魚竜。
多くの民の命を救った癒蛾。
「……そして、それらの魔獣を操っていたのが、巷で『ガルダックの英雄』と呼ばれている『魔獣使い』の異能持ち、か。確かに『ガルダックの英雄』に関してはここに来るまでに色々と噂に聞いていたが、まさか魔獣を操って消火活動をしたとは思いもしなかったぜ」
ジェイクが王都で受け取った報告書には、ガルダックで火災が発生し、その際に複数の魔獣の姿が目撃されたというものがあった。
どうしていきなりガルダックに魔獣が現れたのか? ジェイクにはそれが謎だった。
最初はその魔獣が町に火を放ったのではないかとも考えたが、こうしてラナークたちから『ガルダックの英雄』に関しての詳細な話を聞いて、ようやくそれが理解できた。
「そういうこった、伯爵。で、その噂の『魔獣使い』こそが、ラナークの旦那のところの婿殿ってわけだ」
「なにっ!? それじゃあその『魔獣使い』とやらは、ラナークのおっさんの家に今でもいるのかっ!?」
新しい玩具を見つけた子供のように顔を輝かせるジェイクを見て、彼の背後に控えていたジークントはこっそりと苦笑する。
──こんなところは、シーク義兄さんと本当によく似てるなぁ。さすがは幼馴染みといったところかな?
面白そうなものに目がないというか、珍しいもの好きというか。
ジェイクは今にも部屋を飛び出して、ラナークの家に向かって走り出しそうな勢いで当のラナークに問いかけている。
そしてジークントは更に思う。
もしもこの場にあの人がいたのなら。
きっとその『魔獣使い』とやらを、どんな事をしてでも仲間に引き入れようとするだろう、と。
彼の実姉が言うところの『永遠の悪戯小僧』は、希有な才能を持った者を何としても手元に引き入れたがるところがあるのだから。
「残念ながら、閣下。リョウト殿は既にガルダックを発っております」
「な……に……? おい、ラナークのおっさん、今、おっさんは何て言った?」
「ですから、もう『魔獣使い』はガルダックにはいないと……」
「そうじゃねえっ!!」
普段、ジェイクは声を荒げる事はまずない。
どちらかといえば血の気の多い方の彼だが、彼は怒る時は静かに怒るタイプである。
その彼が大きな声を出すとは。
この場に居合わせ、彼のことをあまり知らない三人の町のまとめ役はともかく、彼をよく知るジークントまでもが、大いに驚いた顔でジェイクを見詰めていた。
「名前だ! その『魔獣使い』の名前をもう一度言ってみろ!」
「な、名前でございますか……? 彼の名はリョウトと申しますが、それが何か……?」
リョウトという名を聞いた時、ジェイクの顔に浮かんだのは驚愕。
だが、その驚愕は徐々に薄れていき、次いで彼の表に浮かんだのは、明かな興味だった。
「そのリョウトって奴は女を二人連れていなかったか?」
「は、閣下の仰る通りです。彼は我が娘のアリシアの他に、ルベッタという名の黒髪の娘を連れておりました」
「へ? ああ、あのアリシアって金髪はラナークのおっさんの娘だったのか?」
「もしや、閣下は我が娘と……いや、リョウト殿とどこかでお会いになった事がおありになるので?」
「ああ。前に一度だけ王都でな。で、そのリョウトって奴、自分を吟遊詩人だと言っていただろ?」
「はい。よく魔獣狩りと間違われるが、自分はあくまでも吟遊詩人だと申しておりました」
ラナークのその返答に、ジェイクは小声で間違いねぇ、と呟き、その顔に張り付かせた興味という表情を更に強くした。
「くくく。あの片紅目の野郎、とんでもない特技を隠していやがったなぁ。こいつぁ、是が非でもシークの野郎に知らせねぇとな」
ジェイクがどこか人の悪そうな顔でそう呟いた時、彼の背後にいたジークントはそんな彼の様子を見て、ほんと義兄さんとそっくりだ、と、どこか諦めたように呟いた。
『魔獣使い』更新。
先々週は四本更新という異様なまでのハイペースだったのに対し、先週は更新ゼロという両極端。なんだ、これ。
いえ、先週はどうにもテンションが上がらず執筆が進まなくて……辛うじて、『魔獣使い』だけは少し進めていました。
で、なんとか今週に入って更新とあいなりました。
ところで、前回で「人間は皮膚呼吸していない」と書きましたが、それに対し、「医学的に見ても色々な考え方があるそうなので、皮膚呼吸をしているかしていないかについては明言しないことをおすすめします」という意見をいただきました。
以前、自分が聞いた時は、学術的にはっきりと「人間は皮膚呼吸していない」と聞いていたのですが、どうやらそうでもないようで。
この意見に対し、はっきりとした事をご存じの方がいらっしゃればお知らせいただけると幸いです。
取り敢えず、自分的には「人間は皮膚呼吸していない」に一票投じます。
では、次回もよろしくお願いします。