20-ガルダックの大火災
業火に包まれたガルダックの町。その西南部地域で、町の住人たちは業火の中を必死に逃げ惑っていた。
この辺りは一番最初に炎が吹き出した一帯であり、最も火事の被害が酷い地域である。
その業火の中を逃げ惑う住民たち。彼らはどちらへ逃げればいいのか判らずに、ただ闇雲に逃げ回る。
既に少なくない住民が怪我や火傷を負ってあり、運悪く燃え落ちた建物の下敷きになって命を落とした者もいる。
そんな住民たちにとっては悪夢とも言える今の現状。だが住民たちの上に更に別の恐怖が襲いかかる。
「あ、あれは何だっ!?」
住民の一人が、炎に赤く照らされた夜空を指差して叫ぶ。
思わず足を止め、その住民が指差す方へと視線を向ける他の住民たち。
彼らはそこに見る。
今自分たちを包みこんでいる業火と同じくらい、いや、それよりも恐ろしいモノが翼を力強くはためかせながらゆっくりと降りてくるのを。
「────魔獣……」
赤褐色の鱗に包まれた巨大な身体。長い尻尾と大きな翼。そして鋭い爪と牙。
「ま、まさか……この炎に引き寄せられて来たのか……?」
思わず周りの炎の事など忘れ去り、呆然と赤い夜空を舞う魔獣を見上げる住民たち。
そんな住民たちを威嚇するかのように、空の魔獣は大音響の咆哮を上げた。
その咆哮に、それまで魔獣に気づかなかった者たちもその存在に気づいて空を振り仰ぐ。
だが、驚愕と恐怖に身動きでずにただ魔獣を見上げるばかりの住民たちの耳に、凛とした澄んだ女性の声が響いた。
「風上に──西に逃げなさいっ!! そちらの方はまだ炎が回っていないわっ!! そちらから町外れのわたしの家へ──カルディの農場へ避難しなさいっ!!」
住民たちは、ゆっくりと舞い降りて来る魔獣の背中に、その声の主を見つけた。
赤みの強い金髪は、周囲の炎に照らされて更に赤く。
舞い降りる魔獣と同色の魔獣鎧に身を包んだその声の主を、町の住民はよく知っていた。
「あ……アリシアお嬢様……?」
かつてはこの町の領主であり、貴族ではなくなった今でも町のまとめ役の一人と目されているラナーク・カルディの娘。
彼女の存在は両親同様、以前も現在も町の住民たちにとても好意的に受け入れられていた。
そのアリシアがなぜ魔獣に乗っているのかは不明だが、住民たちは彼女の指示に反射的に従う。
「慌てなくてもいいからっ!! 落ち着いて避難しなさいっ!! 怪我を負っている人には手を貸してあげてっ!!」
アリシアの指示に従って避難し始める住民たち。そして周囲から住民の姿があらかた消えると、アリシアは魔獣──バロムの背中から飛び降りた。
「バロム、お願いっ!! 燃えている建物の近くのまだあまり燃えていないもの──この建物を打ち壊してっ!!」
アリシアの要請にバロムは一声咆哮して是を示すと、その強靭な尾を揮って彼女が指さした燃え広がっていない建物を破壊し始める。
果たして自分の指示にもバロムが従ってくれるか一抹の不安があったが、バロムは素直に自分の指示に従ってくれた。きっとリョウトがそのように言い聞かせてくれたのだろう。
その身に炎を宿す飛竜は、当然炎には強い耐性を持っている。今も周囲の炎を恐れることもなく、尾で、翼で、牙で建物を打ち壊している。
──端から見たら、ただ魔獣が暴れているようにしか見えないわね。
バロムの様子にそんな事を考えながらアリシアも、持参した最近すっかり手に馴染んだ棹斧で、バロムとは別の建物を打ち壊し始めた。
同時刻、ガルダック中南部。
西部ほどではないものの、この辺りも既に火が回っている。
それでも西部ほど酷くはないため、付近の住民はこれ以上火が回らないように必死に燃えている建物に水をかけたり、周囲の建築物を打ち壊したりしている。
だが、やはり火の回りは早く、住民の消火活動は一向に効果を現していない。
「だめだっ!! 火の勢いが強すぎるっ!!」
住民の一人が叫ぶと同時に、一軒の家ががらがらと音を立てて燃え落ちた。
その様子を見ていた住民たちの間に、絶望感が広がっていく。
だがその時、呆然と燃え盛る炎を見詰めていた住民の一人が、ふと何かに気づいたかのように視線を左右させた。
「お、おい、どうした? 急に辺りを見回したりして?」
「なあ……聞こえないか?」
「聞こえる? 何がだ?」
「音だよ」
「音?」
そう言われて居合わせた住民たちは皆、耳に意識を集中させる。
そうすれば、確かに何かが聞こえた。
どすどすという大きな、それでいて決して硬くはない何かを連続で叩きつけるような音。
それが途切れる事なく聞こえてくる。しかも。
「なあ、この音……段々近づいて来ないか?」
赤い炎に照らされる中、それでもその言葉を口にした住民の顔色が青くなっているのが判る。
そしてその住民の言葉通り、どすどすという音は確かに近づいて来ていた。
知らず、その場の全員の視線が一か所に集中する。
即ち、音のする方向へと。
住民たちが固唾を飲んで見詰める中、その音の正体がついに姿を見せた。
「ま、魔獣だと……?」
白と黒の毛皮に覆われた、巨大な熊のような、それでいてどこかユーモラスな魔獣。
その魔獣は凄い勢いで住民たちの方へと駆け寄ると、その勢いを殺す事なく燃え盛る建物の一つに突っ込で行った。
轟音と同時に崩れ去る建物。
どうして魔獣がここに現れたのかは判らない。だが、あの魔獣は崩れた建物の下敷きになったのでは? と、恐る恐る崩れた建物を見詰める住民たちの目の前で、魔獣は建物の瓦礫を弾き飛ばしながら立ち上がった。
「いつつつ……おいおい、おまえは猪ではなくて熊だろう、ガドン。もう少し加減して走れないのか?」
住民たちが恐怖に顔を引き攣らせる中、白黒の巨大な魔獣の足元から、一人の女性がふらふらと姿を見せた。
きっちりと結い上げられていただろう黒髪は先程の衝撃でか若干乱れ、赤褐色の魔獣鎧から露出している顔や手足は煤で所々黒く汚れている。
それでも、その女性の美貌は霞む事はなく。
とてつもなくめりはりの効いた身体の線を、身に纏う魔獣鎧でくっきりと浮かび上がらせながら、女性は呆気に取られている住民たちの視線を気にする風も見せず、背後でどこか済まなさそうにしている白黒の魔獣へと向き直った。
「さあ、ガドン。リョウト様に言われた通り、俺の指示に従ってくれよ」
ぽんぽんと魔獣の後脚を叩くと、女性は火が付き始めたばかりの家の一軒を指差した。
「まずはあれだ。あれを壊せ」
魔獣はこくこくと愛敬ある仕草で頷くと、女性が指差した家へとのしのしと近づき、無造作に振り上げた右前脚を振り下ろした。
それだけで、頑丈に漆喰で固めた石造りの家が、轟音と共にまるで枯れ葉のように粉々になって吹き飛んだ。
「よし、その調子だ。ああ、火の粉には気をつけろ。あまり撒き散らすとそこから着火しかねない……と、さすがにそんな細かいことを要求するのは酷というものか」
魔獣が前脚を揮う度にどかんどかんと景気よく粉々になる家々を、呆然と眺めるしかない住民たち。
やがて気を取り直した住民の一人が、魔獣に指示する女性へと問いかける。
「あ、あんたは一体何者なんだ……? それにあの魔獣は……?」
その声に女性は振り向き、そしてにやりとした笑みを浮かべながら。
「俺たちか? そうだな、俺たちは──俺とあの魔獣はある魔獣使いの部下、とでも言っておこうか」
と胸を張りながら──いや、たわわに実った胸の果実をゆさりと揺らしながら、そう宣言した。
ガルダックの西部から出火した炎は、西からの風に呷られて徐々に燃え広がっており、その火の手は北西部まで及ぼうとしていた。
この北西部でも、住民は協力して何とか炎を遮ろうと奮戦している。
女性や子供、老人たちは一足先に風上──西へと逃がし、残った男たちは炎に井戸から組み上げた水をかけたり、可燃物を取り壊して延焼を防ごうと必死の努力を続けている。
だが、炎の勢いはどんどん増しており、男たちの努力をあざ笑うかのように炎はその腕を伸ばして行く。
「どうする、ウェルジさんっ!? このままじゃ炎を食い止める事は無理だぞ!?」
男の一人が、ウェルジと呼ばれた四十代ほどの男へと振り返りながら問いかける。
「馬鹿者! 無理でもなんとかするんだ! でなければ、ここら一帯は全て灰になってしまうぞ!」
ウェルジはこの近辺を取り纏めるまとめ役や相談役のような存在で、火事が起きた事を知った彼は、素早く男衆を集めて消火活動に乗り出した。
同時に女子供や老人は風上へと逃げるように指示したのも彼である。
そんなウェルジも、このままでは炎を遮る術がない事は理解していた。
ここまで炎の勢いが強ければ、とてもじゃないが人間の力ではどうする事もできない。
口には出さずにこれからどうするか悩んでいたウェルジは、不意に背後から聞こえてきた声に飛び上がらんばかりに驚愕した。
「あなたが、ここら一帯のまとめ役かい?」
「な──っ!?」
驚いて振り向いたウェルジの前に、一人の男性がいた。
赤褐色の魔獣鎧を着込み、黒髪を炎の赤に染めながら。
ただ、その男性の左目だけは、炎の赤とは別の紅に染められていた。
「誰だ、おまえは?」
「僕が誰でもいい。今はそれどころではないだろう? それに詳しく説明する時間もない。それよりも、町の人たちをここから少し遠ざけて欲しい。それから怪我人がいたら、町外れのカルディ農場へ行くように指示してもらえると助かる」
「な、何だとっ!? そんな事をして火事はどうする? それにカルディ農場……ラナークの旦那の所へ行けだと?」
「火事は僕が何とかしてみる。ラナークさんの所へは行けば判ると思う」
「なに……?」
改めてウェルジは目の前の男を観察する。
格好からして男は魔獣狩りだろう。だが、ただの魔獣狩りにこの炎が何とかできるとはとても思えない。
しかし、この男は真っ正面から真っ直ぐにウェルジを見詰めている。
その視線に何かを感じたウェルジは、この男の言うとおりにしてみようと判断した。
「判った。おい、全員火から一旦離れろ! そして怪我人をラナークの旦那の所へ運ぶんだ!」
指示を出したウェルジは、自分は言われことはしたぞとばかりに片目が紅い男へと向き直る。
そんなウェルジに男は一つ頷くと、燃え盛る炎へと視線を向けた。
そして。
「フォルゼ」
男が小さく呟いた瞬間、男の右側の何もない空間に、巨大な黒い亀裂のようなものが出現した。
唖然とした表情を隠そうともしないウェルジと町の男衆の前に、その亀裂から巨大な魚のような生き物が飛び跳ねるように姿を現した。
「ま……魔獣……なのか……?」
呆然と呟くウェルジを無視して、男は現れた魚の魔獣の身体を優しく撫でてやる。
「フォルゼ。真っ直ぐの噴射でもなく、散まくような噴射でもなく、霧のように細かく水を吐き出す事はできるか?」
男の問いかけに、魚の魔獣は二度三度尾を振るとのっそりとその巨大な身体を炎へと向き直らせる。
そしてその口から、男が言ったように大量の水を霧を吹くようして吐き出した。
途端、それまで呆然と男と魔獣を見詰めていた周囲の住民たちから歓声が上がる。
魔獣が吐き出した水は、霧状に広がって広範囲の炎の勢いを見るからに弱めたのだ。
その後も魔獣は四度、五度と繰り返し水を吐き出し、周囲の炎はどんどんとその勢力を縮めて行く。
だが、六度目の水を吐き出した魔獣は、くるりと頭を片目が紅い男へとむけると、どこか弱々しく尾を振った。
それに応じて男が頷くと、先程と同じように彼の隣に黒い亀裂が現れ、魔獣はその亀裂の向こうへと姿を消してしまった。
「お、おい、魔獣は……あの魚の魔獣はどうして帰っちまったんだ?」
ウェルジは片目が紅い男へそう問いかける。
あのまま水をかけ続ければ、火事を何とか鎮火させる事もできたであろうに。
その期待があっただけに、魔獣が姿を消してしまった落胆はどうしても隠せない。
それはウェルジだけではなく、男と魔獣を見ていた町の男衆も同じ思いだった。
「大丈夫。単に身体の中に蓄えていた水がなくなっただけだ。フォルゼは……あの魔獣は水を補充しに行ったんだ」
「そ、そうなの……か?」
言われてみれば、いくら大きな魔獣とはいえ、その身体に蓄えられる水は有限であろう。
明かに安堵の表情を浮かべるウェルジに男は微笑む。
そして再び黒い亀裂から魔獣が姿を見せた時、住民たちはもう一度歓声を上げるのだった。
ガルダック某所。
完全に炎に包まれた場所を、小さな生き物たちが走り抜けて行く。
こんな炎ばかりの所を平然と駆ける生き物たちは、当然普通の生き物ではない。
魔獣である。
鼠のような魔獣──火鼠たちは、周囲が火に包まれてもどこ吹く風とばかりに、まだ燃えていない野菜や果物を見つけては齧り付いている。
そんな火鼠たちの周囲。炎に照らされて踊る影が水面のように揺らめいても、火鼠たちはそれに気づくことはなかった。
そしてその影が自分たちの周囲にまで及んだ時。
その影から踊り出た巨大な何かが、その大きな顎で自分たちを一気に丸飲みにするまで。
火鼠たちはまったく気づくことはなかったのだ。
『魔獣使い』更新しました。
ガルダックの町の消火大作戦の回。
消化器も消防車もポンプもない世界で、火事を鎮火させるためには延焼を防ぐのが一番のはず。そのため、日本の江戸時代のように、住民たちは燃えていない建築物を取り壊して延焼を防ごうとします。
ただ、江戸時代のように木造ではなく石造なので、その労力は計り知れないかと。
そういえば、江戸時代の火消しが持つ纏は、次に取り壊す家の目印だったと聞いた事があります。
迫る炎の間近で炎を恐れずに勇敢に纏を揮う纏持ちは、火消しだけでなく町民から見ても憧れの的だったそうです。
では、次回ももう少し火事の現場、それも避難した人々の方を描きたいと思います。よろしくお願いします。