18-カルディ家
「リョウトとやら。アリシアを……君の所有する奴隷を僕に譲ってくれないだろうか?」
アリシアが奴隷となり、そしてリョウトの所有となった経緯を説明し終えると、それまで呆然とリョウトの話を聞いていただけだったブラスが、いきなりアリシアの譲渡をリョウトに願い出た。
「君がアリシアを買った時と同じ値段を支払おう。いや、それに更に色をつけようじゃないか。それなら君にとっても悪い条件じゃないだろう」
はなからリョウトが頷くだろうと疑わないようなブラスの物言いに、リョウトの背後にいたルベッタの形の良い眉がぴくりと持ち上がる。
アリシアもここでリョウトが頷くはずはないと思いつつも、それでもやはり心配なのか何度もリョウトとブラスを交互に見比べる。
そして当のリョウトはといえば、ただ黙って真っ正面からブラスを、いや、アリシアの両親をじっと見詰めていた。
「君がアリシアを今まで所有していた事も、まあ、遺憾ではあるものの仕方のない状況だったと判断するし、君には逆に感謝こそしている。もし君がアリシアを買い取ってくれなければ、今頃彼女はどこでどの様な扱いを受けていたか判ったものじゃないからね」
ブラスは、リョウトが黙っているのをいいことに更に言葉を続けていた。
「言っておくが、僕は別にアリシアを奴隷として所有したいわけじゃない。ただ、元々彼女は僕の妻になる筈の女性だし、僕やラナークさんたちなら奴隷とはいえ絶対に彼女を不当な扱いをしないからね。同じ奴隷でいるにしても他人である君の元より、僕たちの傍の方がアリシアも安心して暮らせると思うんだ」
「ブラス! 私は別にリョウト様の元で不当な扱いを受けているわけじゃないわ! それどころか──」
ブラスの言葉に反論しようとしたアリシアを、リョウトは腕を上げてそれを黙らせた。
そして、そこで初めてブラスへと視線を移す。
「銀貨三十万枚。それが僕がアリシアを買おうとした時に奴隷商人に告げられた彼女の値段だ」
「さ、三十万枚……だと……?」
顎が外れたようにぽかんと口を開けたまま、驚きに身体が固まってしまうブラス。
彼のその反応に、アリシアは照れたような困ったような複雑な笑みを浮かべ、ルベッタはくくくと押し殺した笑い声を零す。
そしてリョウトは極めて真面目な表情で、真っ正面からブラスを見据える。
「君はそれに色を付けると言ったな? ならば三十万枚以上の銀貨を、君は本当に用意できるのか?」
「う……ぬぅ……」
ブラスはリョウトの言葉に呻きながらラナークへと振り返るが、ラナークは力なく首を横に振るだけだった。
銀貨三十万枚は大金である。
かつて貴族であった頃なら準備できたかもしれないが、ただの平民となった今のラナークやブラスたちにおいそれと用意できる金額ではない。
現在ラナークが所有する農場やワイナリーを全て処分すれば何とかなるだろうが、そうしてしまうと今度は彼らは以後の生活する術を失ってしまう。
「う、嘘だ! 嘘に決まっている! いくらアリシアが元貴族令嬢だからといって、奴隷一人に銀貨三十万枚は法外だ!」
「嘘じゃないわ。私を買い求めようとしたリョウト様に、奴隷商人は確かに私の値段は銀貨三十万枚と言ったのよ」
「あ、アリシア?」
リョウトの告げた銀貨三十万枚という値段を必死に否定しようとしたブラスだが、アリシアにまで嘘ではないと言われては言葉を失うしかなかった。
さすがのブラスもアリシアの言葉までもを疑うつもりはないようだ。
「そ、それじゃあ、君には銀貨三十万枚が用意できたというのか? き……君は一体何者だ?」
一介の魔獣狩りに、銀貨三十万枚はとても用意できるものではない。
それならどうやってリョウトはアリシアを手に入れたのか。
その疑問はブラスだけではなく、彼らのやり取りを黙って聞いていたカルディ夫妻も同様に感じた事であった。
「何者と言われても、僕は一介の吟遊詩人……のつもりなんだが、最近は魔獣狩りの方の仕事が多いのが現状だな。僕としては実に不本意なんだが」
肩を竦めながらそう苦笑するリョウトを、ブラスは訝しげに顔を歪めながら睨み付ける。
「吟遊詩人でも魔獣狩りでもどちらでもいい! 君がどうやって銀貨三十万枚を用意したのかを聞いているんだっ!!」
「銀貨三十万枚なんて用意できるわけないだろう」
「な、な……に……?」
「だから代わりになるもので代金に換えたんだ」
リョウトは腰の後ろに佩いていた紫水竜の剣を取り外すと、それをブラスとカルディ夫妻の目の前のテーブルに置いた。
「この紫水竜の剣と同じ剣を、代金の代わりに奴隷商人に渡したのさ」
「この紫水竜の剣は本来二振りあって、リョウト様がお祖父様から形見として受け継いだ剣なの。その大切な形見の剣の一振りを、リョウト様は私のためにいとも簡単に手放したわ」
真摯にそう語るアリシアを、ブラスはただ呆然と見詰めるのみ。
そしてこの時、今まで一言も語らずただ話を聞いているだけだったラナークが、初めてリョウトに向けて口を開いた。
「リョウト殿」
ラナークは改めて立ち上がり、そのままリョウトに低頭する。
隣に座っていた彼の妻のアルトアーノも夫に倣い、同様に立ち上がってリョウトへと頭を下げた。
「娘を助けてくれた事、ここに改めて礼を言わせて貰おう。ありがとう。君のお陰で儂らは再びアリシアとこうして再会し、話をする事ができた」
「私からもお礼を言わせてね、リョウトくん。アリシアを助けてくれて、本当にありがとう」
そしてリョウトに促されて頭を上げた二人は、次にアリシアへと向き直った。
「アリシア。今、おまえは自分の境遇を不幸だと思うか?」
父親のこの質問に、アリシアは一切悩む事なくすっぱりと断言する。
「いいえ。私は自分が不幸だなんて思っていないわ。それどころか彼の──リョウト様の傍に居て、彼のために何かをする事が今はすごく楽しくて嬉しいの」
照れも恥じらいもせずにそう言い切る娘の姿を見て、ラナークとアルトアーノは柔和な笑みを浮かべる。
「そうか。なら、おまえはおまえの好きにするがいい。なに、私たちの事は心配するな。ブラスもこう見えて我が家の農園程度ならなんとか運営できるだろう」
「い、いいんですか、ラナークさんっ!? アリシアをこのままどこの誰かも知れない男の奴隷のままにしておいて!! それから、僕の評価が何気に低くないですかっ!?」
ラナークとアルトアーノは、アリシアの満ち足りた表情で全てを悟った。
確かに愛娘が奴隷に落ちたことは衝撃だった。しかし娘にとっては、それが結果的に良い方へと流れたようだ。
それに二人が見た限り、目の前のリョウトという青年は信頼できる人物のように思える。
そうでなければ、アリシアがここまで彼の傍にいたいと断言する筈がないだろう。
それに。
それにラナークは、彼の持っている剣に心当たりがあった。いや、正確には過去に見た事がある。
あれはまだ彼が幼かった頃の事。彼は偶然ながら二振りの紫水竜の剣を持った剣士と出会った事があったのだ。
そしてその剣士の傍には、大剣使いと弓使いの仲間がいた。
先程リョウトが見せた剣は、あの時の剣士が持っていた剣に間違いない。ならば先程の彼らの話から、目の前のリョウトという青年はあの「双剣」の直孫という事になる。
今も尚、色褪せる事なくラナークの心にはっきりと残っている「双剣」の剣士。リョウトがあの剣士の孫だというのならば、愛娘を預ける相手として異存はない。
だから、ラナークは再びリョウトに向かって告げたのだ。
「リョウト殿。娘を──アリシアを末永くよろしく頼む」
と。
こうしてアリシアの問題が一段落して、話は今回の本来の目的へと移る。
即ち、アリシアの兄の死の真相についてだ。
「これは新しくこの地の領主になられた、キルガス伯爵閣下から聞かされたのだが……」
陽もすっかり沈み、夕食の後に供されたこの農場産のワインを傾けながら、ラナークは息子の死について語った。
「あいつは……ジョルトは愚かにも投獄されていた罪人の脱獄に協力し、その後で口封じに殺されたらしい」
「ど……どうして兄様はそんな事に協力したのですか……?」
「そこは儂にも判らん。だが、おそらくは再び貴族にでもしてやると仄めかされたのではないか? ジョルトは異様なまでに貴族である事に拘っていたからな」
悲痛な表情でワインを呷るラナーク。
どんなに不肖の息子とはいえ、我が子である事には変わりない。その息子が愚かにも道を誤り、犯罪に手を染めた挙句に命まで落としてしまった。
その悲しい事実は、中々彼やアルトアーノの中から消えてはくれない。
「確か、兄様は軍に入っていた筈……その兄様がどうやって脱獄に協力を?」
「牢番は以前から下級兵士が持ち回りで行っていたからな。それを知っている何者かがジョルトに接触し、協力を依頼したのだろう」
「そしてアリシアの兄が当直の日、その脱獄計画を実行に移した……か。ところで、その脱獄した罪人とやらは何者だ?」
率直なルベッタの言葉に気分を害した様子もなく、ラナークは手酌でワインを杯に注ぐとそれを喉に流し込みながら彼女の質問に答える。
「アグール・アルマン子爵……いや、投獄された際に爵位は剥奪されたから元子爵だな。奴隷の密売でこっそりと財をなした地方貴族だ。そしてその奴隷の密売が明るみに出て身柄を拘束されたのだそうだ」
「ふむ……そんな牢番を懐柔してまで脱獄させる必要がある程の重要人物なのか? そのアルマンとやらは?」
「いや、そうでもない。『解放戦争』中は中立を保っていた日和見の小貴族だとキルガス閣下も申されていた。国の上層部でもどうして彼を脱獄させる必要があったのか、いまだに不明のようだ」
そこまで語ったラナークは、何かに気づいたように不意に部屋中を見回した後、自分の隣に腰を下ろしている妻へと問いかけた。
「おい、ブラスはどうした? 姿が見えないようだが?」
「あら、ブラスくんなら、夕食の前に今日は外で食べると言って出ていきましたよ? まあ、さすがにこの場にいるのはいたたまれなかったみたいね」
妻の言葉にラナークは内心でなるほどと頷く。
言ってみれば、ブラスは失恋したにも等しい。
長年想いを寄せていた女性──それも結婚までするつもりでいた──が、知らぬ間に他の男のものになっていたのだ。その女性をかっ攫った張本人の男と和気藹々と食事や酒を一緒にできる筈もないだろう。
「あいつの気持ちも判らんでもないからな。ま、好きにさせておいてやろう」
そう言って苦笑を浮かべるラナーク。
彼が再び自分の杯にワインを注ぎ、それを飲もうと口を付けた時。
母屋の入り口の扉が、いきなり激しく開け放たれた。
驚いて入り口へと一斉に振り返るリョウトたち。その彼らの視線の先では、一人の男が床に踞って荒い息を吐いていた。
「おい、どうした──?」
その男は、ラナークはもちろんアルトアーノやアリシアもがよく知る男だった。
彼はカルディ家が貴族だった頃から仕えていた者であり、今でもラナークの農園で働く人物だったのだ。
そしてその男は、荒い息を整えようともせずに途切れ途切れに言葉を吐き出す。
「……た……たいへ…………ラ……クさ……………………ま……町………………も…………てい…………」
「慌てなくていい。まずは息を整えてゆっくりと喋るんだ」
ラナークが踞る男の傍らに跪き、背中を軽く叩きながら諭す。
だが、彼が何を言いたいのかはすぐに知れた。それは母屋の窓から否が応でも見えてしまったからだ。
それを見たラナークとリョウトが母屋を飛び出す。
彼らが黙って見詰める視線の先。
そこは夜だというのに異様に明るく、そして赤く染まっていた。
「町が……ガルダックの町が……」
そう呟いたのはラナークでもリョウトでもなく、いつの間にかリョウトの背後にいたアリシアだった。
「ガルダックの町が……燃えているのか……?」
そう。
アリシア同様リョウトの背後にいるルベッタの言葉通り。
ガルダックの町は強烈な赤に、一色に染め上げられていた。
『魔獣使い』更新しました。
今年初の更新です。年明け早々忙しくなってしまって、本来なら今週初めには更新する予定が週末になってしまいました。
今年もがんばって更新していきたいと思います。よろしくお付き合い願います。