02-魔獣狩り
リョウトは、魔獣狩りたちから少しばかり離れた繁みに身を隠し、彼らの様子を窺っていた。
隠密行動が得意とはいえないリョウトは、魔獣狩りたちに気づかれないように距離を保って彼らを監視していた。
彼が身につけているのは濃緑色に染められた布製のシャツとズボン。肘や膝の部分に動物の革で補強が施されている。
その上から革製のフード付きの暗灰色のコート。この出で立ちなら森の中に溶け込み、必要以上に近づかなければ、リョウトの隠密技能でも悟られることはまずないだろう。
そんなリョウトの視線の先。魔獣狩りたちは最初は森の外周部で薬草や動物たちを狩っていた。
今のところ、彼らの狩りは自然な行為の範囲であった。
生きるために薬草や動物を狩る。それは自然な行為であり、弱肉強食がルールである自然界においても正当な行為といえる範囲である。
彼らが必要以上の欲を出さず、この後も僅かな獲物を狩って村に引き上げるようなら、リョウトはそのまま何もしないつもりでいた。
だが運が良かったのか悪かったのか。彼らのまえにふらふらと癒蛾が現れた。
なぜ普段は森の奥にいるはずの癒蛾が、森の外周部にまで迷い出てきたのかは判らない。だが、癒蛾の価値を知り得ていたリョウトは不安にかられた。
そしてその不安は的中する。高値で売れる魔獣を目にした魔獣狩りたちの三人が、逃げる癒蛾を追って森の奥へと駆け込んだのだ。
もちろんリョウトとて、癒蛾が魔獣狩りたちに狩られても文句はない。
先程も述べたが、自然界は弱肉強食がルール。魔獣狩りの前に迷い出た癒蛾に運がなかったのだ。
だが、魔獣狩りたちも運が悪いといえた。それは癒蛾が逃げた先には、高価な薬草であるグレタン草の群生地だったのだ。
明らかに欲を浮かべる魔獣狩りたち。
グレタン草の数株を採集するぐらいなら、リョウトだって何も言わない。リョウト自身、必要な時にはグレタン草を採集する事だってあるし、森に住む動物を狩ってその肉を食べることもあるのだから。
風に乗って聞こえてくる彼らの会話は、辺りに群生するグレタン草を全て刈り取るような勢いであった。
だがそこに波紋が投げかけられた。
「馬鹿はどっち? グレタン草は足がとても早いのよ? いくらたくさんのグレタン草を采集しても、どうやってその鮮度を保つの? それともあなたたち、正しい薬草の乾燥処理の方法を知っているとでも言うの?」
それは魔獣狩り唯一の女性の言葉だった。
思わず感心するリョウト。グレタン草はその女性が言ったとおり、あっという間に鮮度が落ちる。そして薬効を損なうことなく、グレタン草を乾燥処理させることは熟練の薬師でもない限り簡単ではないのだ。
この時、始めてリョウトはその女性に意識を向けた。
年齢はリョウトと同じくらい。リョウトが17歳なのだから、彼女の年齢を高めに見ても20歳は越えていないだろう。十分に美人と呼べる面立ちの女性である。
赤味の強い金髪は、一本の三つ編みに編み込まれて背中に流されている。おそらくは森の中で、髪を木の枝などにひっかけないようにという配慮だろう。
身につけている武具は金属製の片手用の長剣と木製の楯。腰のベルトに数本差し込んであるナイフは投擲用だろう。
防具は細かい鎖を編み込んだものに、要所に補強の入ったもの。これは防御力よりも動き易さを重視したからか。
そしてその整った顔だちの中で何より印象的なのはその双眸。まるでエメラルドのように澄んだ碧の輝きを持った瞳には、今自分がいる場所に対しての若干の不安が浮かんでいる。
名前はアリシアというらしい。仲間の魔獣狩りたちが彼女をそう呼んでいた。
(どうやら、彼女だけは少しはまともな判断ができるみたいだな……)
そう考えていると、森の奥から二人の魔獣狩りが戻ってきた。その内の一人は、黄金鹿と思しき獲物を担いでいる。
更に聞こえてきた会話によると、全部で三頭の黄金鹿を仕留めたようだ。
(黄金鹿三頭と数株のグレタン草。それだけでもかなりの収入になる。それで満足して帰ってくれればいいが……)
リョウトの見つめる中、二頭の黄金鹿を担いだ三人が戻って来た。そしてアリシアとその三人の間で、グレタン草を採集するしないで口論となる。
「だからグレタン草を全部採る必要はないって言っているの! 黄金鹿を三頭も仕留めれば十分でしょっ!?」
「ふざけるなよ。これだけのお宝を前にして見過ごせって言うのか?」
「そうだぜ。グレタン草がこれだけあれば、以前の……貴族だった頃のような生活も夢じゃないんだ。こんな機会を逃してたまるか!!」
「俺たちは元は貴族だったんだ! それが今じゃただの平民……こんな屈辱許せるものか! アリシアの家だって元は伯爵の地位にあったんだろうっ!?」
「それとこれは関係ない! 平民に落とされたのも、全ては自分たちの責任でしょうっ!? するべき義務を怠った自分たちが悪いのよ!」
彼らの声はリョウトの耳にも届いた。
(元貴族……? そうか、三年前の『解放戦争』で、こいつらの家は旧王国側だったってわけか。それで『解放戦争』に負けた旧王国側だったこいつらは、戦後の国の体制変革の際、貴族の地位を奪われたんだな)
彼らの言う『解放戦争』。それは四年前から三年前にかけて起った、かつての旧王国側と今の新王国側が争った内戦のことである。
『解放戦争』以前、このカノルドス王国は朽ち果てる寸前だった。
国の治世は乱れ、治安も荒れ果て、為政者たちは自分の事しか考えない。
荒廃し、腐乱しきったカノルドス王国。
その王国を、いや、そこに住む民を救おうと一人の少年が立ち上がった。
少年は『カノルドス解放軍』を率いて、旧王国を僅か一年で打倒した。
そして少年が王位を宣言した際、それまでの腐り切った国の体制を全て作り替えたのだ。
自分の事しか考えられなかったかつての為政者である王侯貴族たち。
彼らは敗戦後、中枢を成していた有力貴族の当主はことごとく処刑され、その家族は奴隷として売られた。
処罰の対象とならなかった貴族も、旧王国に組した者たちは財産を没収された後に、貴族の位を剥奪され平民に落とされた。
それまで働かなくても暮らして行けた者たちは、次の日から働かなくては生きて行けなくなってしまった。
そしてそんな元貴族たちに、働くための技能などある筈もなく。
才能のある者は国の官吏として、あくまでも平民として雇われることができた。年若い元貴族の息子や娘たちは、兵士や王宮や後宮の下働きとして働き口を得ることができた。
中には苦労して平民に溶け込み、周囲と上手くやっていけた者も少数ながら存在したとか。
だが、かつての敵である新王国に従うのは矜持が許さず、だからといって平民と同じように働く気にもなれない。
そんな矜持だけが肥え太った旧貴族たちは、新王国を倒すために今度は自分たちが反乱を起こす。
あの小僧が反乱を成功させたのだ。選ばれたる者である貴族たる我らにできぬわけがない。
そういう思いがかつての貴族たちの頭にはあった。
だが、本来反乱が成功するのは簡単な事ではない。
今や国王となった少年が反乱を成功させたのは、少年自身に力があったことと、周囲に優秀な人材が集まったこと、そして民衆の支持を得ていたこと。
それらを一つも持ち得ない旧貴族たちが、反乱を成功させられるわけもなく。
新国王の指示の元、片っ端から彼らの目論見は暴かれ、捕えられ、そして処刑台に消えていった。
数年前の出来事を思い返すリョウト。
彼やこのベーリル村は辺境なため、『解放戦争』の影響をあまり受けていない。
この辺りに及ぼした影響といえば、かつての領主だった貴族が旧王国派だったために領地を没収され、その後は王国の直轄地となったぐらいか。
リョウトの視線の先で今なお魔獣狩りたちは言い争いを続けていた。
三人の男たちが更に森の奥に入って獲物を探そうと騒ぎ、それをアリシアが制止しようとしている。そして残ったリーダー格らしき男は、そんなアリシアたちの話を黙って聞いているだけ。
「ここでこれだけの獲物があったんだ。奥に行けばどんな大金に化ける魔獣がいるか判らないんだぞ!」
「でも、あまり奥に入ると森の長の怒りに触れるわ!」
「長がなんだってんだ! 現れたら返り討ちにしてやるよ!」
男の一人がそう口にした時、今まで黙っていたリーダー格がようやく口を開いた。
「この森の長を舐めるな。あいつは長きに渡ってこの森に君臨してきた本物の王者だ。俺たち程度が刃向っていい存在じゃない」
「だけどよ……」
尚も言い募ろうとした男を、リーダー格の男リガルは視線だけで黙らせる。
「舐めるなと言ったぞ? あいつがどうしてこの森に君臨し続けられてきたか考えた事はあるか?」
リガルの一言に答える声はない。
「あいつは相当頭がきれる。これまでに何度もこの森の長である飛竜を狩ろうとした魔獣狩りはいた。もちろん、俺たちよりも遥かに腕のいい連中がな。だけど帰って来た者は一握りしかいない。これがどういう事か判るか?」
誰も答えない事を確認すると、リガルは一呼吸おいて続けた。
「その一握りの生還者の話によると、用意周到に仕掛けた罠には決して近寄らず、魔獣狩りが塒に近づいて奇襲をしようと企めば、何日も塒に帰ってこない。奴はこちらの手の内を知りつくしているんだ。しかも危ないものには近づかないという知恵まで備えている」
リガルの言葉に、誰かがごくりと喉を鳴らした。
確かにどんなに巧妙に罠を仕掛けても、近づかなければ意味を持たない。
塒に潜んで寝込みを襲おうと企もうとも、塒に戻ってこなければ問題にならない。
リガルは長の恐怖を改めて仲間たちに伝えた。
青ざめた様子で自分を見る仲間たち。アリシアだけがどこかほっとしたような表情を浮かべている。
そんな仲間たちを見回しながら、リガルはにやりと笑みを浮かべる。
「でもな。だからといって、これだけのお宝をはいそうですかと諦めるのも芸がねえ」
その一言に、三人の男たちの表情に明るいものが広がる。
「要は森の長に気づかれなきゃいいんだ。だから短時間で仕事をするぞ。この周囲で金になりそうな薬草や高値になりそうな獲物を手当たり次第に集めろ! そして長に気づかれる前にずらかるぞ!」
「私は反対よ!」
喜び勇んでグレタン草を引き抜き始める男たち。だがアリシアはそんな彼らを無視してリーダーであるリガルを睨むように見つめる。
「黄金鹿三頭と数株のグレタン草。それだけで村に引き返すべきだわ! これだけの獲物でも、十分なお金になるはずよ!」
「安心しろアリシア。長の塒の場所は以前に聞いたことがある。幸いここからかなりの距離の場所だ。あの空飛ぶトカゲが気づくわけがない」
「どうしてそんな事が言えるの? 魔獣の知覚は人間より優れている。ひょっとしたらもう、長に気づかれているかもしれないのに!」
あくまでもこれ以上の狩りに反対するアリシアに、リガルはとぼけたように肩を竦めて言う。
「じゃあこうしようじゃないか。おまえは一人で先に村に帰っていろ。俺たちは獲物を集め終わってから帰ることにする。その代わり、今回のお前の取り分はお前自身が狩った獲物だけだ」
「そ……そんな……」
今日アリシアが自身の手で手に入れた獲物は、低価格な薬草を数株と価値のある木の実が十数個、そして小さな兎が一頭のみ。
彼女が本拠地としている王都からベーリル村までの旅費や、今回の狩りのための準備に費やした金額に比べれば大赤字である。
がっくりと項垂れるアリシア。今回の狩りの準備になけなしの蓄えの殆どを費やしている。正直このまま帰れば、あと十日生活できるかどうかの蓄えしか残されていない。
項垂れた様子のアリシアに、リガルは再びにやりと笑う。
「どうやら話は決まったようだな。ならお前も薬草を集めるのを手伝いな」
勝ち誇ったようなリガルの言葉に、アリシアは渋々従い足元に群生しているグレタン草を引き抜き始めた。
(やれやれ……どうやらこのまま帰るつもりはないようだな)
リョウトはこの場を離れる事に決めた。
潜んだ繁みを揺らさないように注意しながら、静かにその場から離れたリョウト。
「これはまたバロムの力を借りないとな……。な、ロー?」
リョウトは移動しながら、自分の肩にちょこんと乗った黒い物体に話しかけた。
話しかけられたその物体は、小さな頭を彼の言葉を肯定するようにこくりと縦に振る。
小さな黒い物体。それはとても小さな──頭の先から尻尾の先までの大きさが30cmほど──竜だった。
翼のあるトカゲといった、一般的なシルエットの小さな黒竜。
ローという名の小さな相棒は、やや不鮮明ながらもきちんとした言葉で少年に答える。
「バロムに頼んでもよいのか? あ奴らなどバロムの力を借りるまでもない。他の者で十分だと思うが?」
「確かにね。僕もバロムにあの魔獣狩りたちを殺せと頼むつもりはないよ。脅して追っ払えばそれでいいんだ。だったら、この森の長であるバロムの方がいいだろう?」
小さな黒竜にそう答えたリョウトは、近くにある森の開けた場所まで来ると、上着の左の袖を捲り上げた。
露になる左腕。そこには手の甲から二の腕にかけて、不可思議な模様が五つ、くっきりと刻み込まれていた。
『辺境令嬢』に続いてこちらも投稿。
なんか、この『魔獣使い』も初日からかなりのアクセスがあった模様。
『辺境令嬢』ほどではないものの、PVが400を超え、ユニークも130を超えました。たった一日、それも序章と第一話のみで、です。しかも、さっそくお気に入り登録してくれた方もいらっしゃいました。本当にありがとうございます。
今後もゆっくりとした更新になるとは思いますが、よろしくお願いします。