09-封印を持つ者
帆に風を受けて船は走る。
船首の先はコラー川の下流。川の流れの相乗効果もあり、その速度はかなりのもの。
その船の船首近くに立ったリョウトは、じっと眼下の水面を見詰めていた。
岩魚竜狩りの当日。
リョウトたちは早朝からロームに指定された船着き場へと赴いた。
そこにはすでにロームが手配した船が出発準備をすっかり整えて待機しており、後はリョウトたちが乗り込めばいつでも出発できる状態だった。
船といってもさほど大型のものではない。全長が5メートル、幅が2メートル弱、帆を上げるためのマストが1本という速度重視の小型船だ。
「あんたが片紅目の旦那かい?」
リョウトたちがその船に近づくと、いかにも船長といった風情の男が声をかけてきた。
「ああ。僕がリョウトだ」
「ほう、噂通り本当に片方だけ目が紅いんだな。面白れぇ。俺はこの船をロームの旦那から任されたマグズだ。よろしくな」
差し出されたマグズの大きな右手を取り、リョウトはマグズと握手を交わす。
マグズはリョウトの手を放すと、彼の背後にいた三人の女性に向けてにやりと実に男臭い笑みを浮かべた。
「後ろのべっぴんさんたちもよろしくな! 良ければ、船を降りた後もよろしくしちゃくんねぇか?」
マグズの言葉に、彼の後ろにいた数人の船員たちも笑い声を上げる。
「あいにくだが、俺はリョウト様以外の誰ともよろしくするつもりはないな」
肩を竦めながら告げるルベッタに、アリシアも首肯して同意を示す。
ついでにアンナまでもが勢いよく首を縦に振っていたりしたが、アリシアとルベッタは敢えてそれをスルー。
彼女たちの態度に、マグズは気を悪くするどころか大きな声で笑い出した。
「がはははははっ!! なかなか言うじゃねぇか姉ちゃん! 気に入った! もちろん、こっちの色男もな!」
マグズはリョウトの背中をばんと叩くと、笑いながら船に乗り込む。
船員たちも船長に続いて乗船し、船着き場にはリョウトたちだけが残された。
リョウトは仲間たちを一度だけ見回すと、苦笑を浮かながら肩を竦めると仲間と共に船へと続く橋桁に足をかけた。
船首に立つリョウトに、アリシアとルベッタが近づく。
もちろんリョウトは己の奴隷たちの接近に気づいていたが、それでも振り返ることなくじっと水面を見続ける。
彼が何か考え事をしているのはアリシアたちにも判っていた。そして何を考えているのかも。
だから彼女たちはリョウトが振り返らなくても何もいわない。
しばらくじっと待っていると、リョウトがゆっくりと二人の方へと振り返った。
「ずっと考えていたのでしょう? どうやって岩魚竜を陸に揚げるのかを」
「それで、何かいい方法は思い浮かんだか、リョウト様?」
リョウトが黙って考え込んでいたもの。それはアリシアが言った通りどうやって岩魚竜を水中から引っ張りだすか。
その方法をリョウトは、王都を出てからずっと考えていたのだ。
何やら期待の混じった眼差しを向けるアリシアたちに対し、リョウトは困ったような顔でがりがりと頭を掻いた。
「色々考えたんだが……結局、いい方法は何も思い浮かばなかった」
「おいおい、それではどうするつもりなんだ? 作戦を変更して船上で岩魚竜とやり合うのか?」
呆れたような口調のルベッタに、リョウトは首を横に振った。
「いや、当初の予定通り岩魚竜は陸に揚げる。作戦に変更はないよ」
「それじゃあ、どうするの?」
「結局、僕にできる事は一つしかないってことさ」
と、リョウトは右手で自身の左腕をぱんと叩いた。
それが何を意味するのか判らないアリシアとルベッタではない。
「おいおい。今回はアンナがいるから、極力『お友達』の力は借りない方針じゃなかったのか?」
「そのつもりだったけどね。まあ、直接呼ぶところを目撃されなければ大丈夫じゃないか?」
「ま、いいさ。リョウト様がそう言うのなら、俺たちは当初の予定通りに陸で戦うまでだ。なあ?」
ルベッタは隣のアリシアに同意を求め、アリシアもそれに頷く。
ちなみに、そのアンナだが船酔いが酷いらしく、マストの根元にもたれかかってぐったりとしている。
「期待しているよ」
微笑み合う三人。そんな三人の元に、船長であるマグズが大股で近寄って来た。
「よぉ、色男! 綺麗どころを二人も従えて楽しそうだな!」
「残念だけど、船長が期待しているようなものじゃないよ」
リョウトの言葉にマグズは、がはははと豪快に笑う。
「それよりも片紅目の旦那。俺の手下が見つけたんだが、船の右舷前方に魔獣狩りらしい身なりの奴がいるらしいぜ? それって旦那が探していた奴じゃねぇのか? 今の船の速度ならすぐに追いつくぜ?」
マグズのこの知らせにリョウトは、船を減速させて岸に着けるように指示した。
青年はコラー川の川沿いの街道を歩いていた。
コラー川は大河だ。その川幅はとても広く、対岸が霞んでしまう程。
この川はカノルドス王国の最北部を源流とし、カノルドスの北東部を縦断して南の隣国オーネス王国に至る。
そしてそのオーネス王国の中心部にある大きな湖に注ぎ込み、そこから再び流れ出たコラー川はやがて海へと繋がるのだ。
そのようなコラー川の川沿いにはいつしか街道が敷かれ、カノルドスとオーネスを行き来する旅人で賑わうようになった。
しかし、最近はこのコラー川沿いの街道を利用する旅人は少ない。
理由はもちろん、この川に出没する岩魚竜のせいだ。
数々の船を沈めた岩魚竜の噂は既にかなり広まっていた。
本来、岩魚竜は餌を求めて積極的に陸に揚がったりはしないのだが、詳しい生態を知っている者はごく限られている。
そのような事を知らずに岩魚竜を恐れた旅人たちは、もっぱら一旦王都へと至り、そこからオーネスへと続く街道を利用しているらしい。
その話を聞いた時、青年は顔見知りの魔獣狩りに声をかけ、一緒に岩魚竜を狩ろうと持ちかけた。
だが、誰一人として芳しい返事をした者はいない。
彼と彼の知人たちは、まだまだ魔獣狩りとしての経験が浅い。彼らには岩魚竜は荷が重すぎるのだ。
結局、周囲が止めるのも無視して彼は一人で飛び出した。
「──人々の生活を脅かす魔獣は俺が狩らねばならない……それが、俺の……邪悪を身に宿してしまった俺の償い……」
誰に聞かせるわけでもなく呟く青年。その瞳はどこか悲しげに細められ、まるで何かを押し込めるかのように左手で自分の右手をきつく握り締める。
そんな何とも芝居がかった調子でしばらくコラー川を見詰めていた青年は、再び下流を目指して歩き出す。
「ん?」
歩き出した彼の視界の端に、かなりの速度で通り過ぎて行くものが映る。
青年がそちらに顔を向けると、そこには一艘の船があった。さほど大きくもない船で、船上では数人の乗員らしき者たちが忙しそうに動き回っていた。
しかし、そんな船上に青年の注意を引き付けたものが存在した。
それは一人の女性。
赤褐色の魔獣鎧を纏い、手には先端を布で包んだその女性の身の丈を遥かに超えた巨大な得物を携えて。
三つ編みにされた赤みの強い金髪が、陽の光と水面の照り返しの中できらきらと美しく輝いている。
その女性の実に整った美しい顔が、通り過ぎる船上からじっと自分を見詰めている──ような気がした。
その事を意識した途端、青年の心臓が急激に鼓動を早める。
「む……うぅ……な、何だ、この感情は……っ!? ま、まさか、この俺が……? い、いや、それはだめだ! 俺の身体には邪悪が宿っている! 俺に人並みな恋など……」
真っ赤に紅潮した顔を、青年はやっぱり芝居がかった仕草でぶんぶんと振る。
そんな事をしているうちに、通り過ぎた船の船足が明かに鈍り始めた。どうやら停船するつもりらしい。
その様子を見ていた青年は、はっとした表情を浮かべる。
「も、もしかして先程の女性も俺の事を……い、いかん! 俺と一緒にいては彼女は絶対に不幸になる! そ、それに彼女が俺の身体に宿った邪悪を知れば……」
相変わらず芝居がかった調子で一人苦悩する青年。
そうしているうちに船は停船し、橋桁が架けられて数人の男女が降りて来た。
先頭を歩くのは、船上で見た女性と同じ素材の魔獣鎧を着た男性。自分と同じ位の年齢に見えるが、おそらく自分よりは若干下だろう。
その男性の後ろには二人の女性。
一人は艶やかな黒髪を頭の上で纏めている。その身を覆うのはやはり赤褐色の魔獣鎧。近づいた事で、彼らの魔獣鎧の表面が鱗で覆われているのが判った。
そしてもう一人。それは間違いなく先程の船上の女性だった。
近くで見ればその凛とした佇まいと身に纏った武具から、まさに戦乙女といった風情の美しい女性だった。
「あなたがリークスという名前の魔獣狩りか?」
先頭の男性が声をかけて来るが、青年──リークスの耳には届いていない。
彼の意識は背後の戦乙女だけに向けられていた。
様子が変なリークスに、三人は互いに顔を見合わせて首を傾げる。
やがてリークスは先頭の男性を押しのけるように通過すると、戦乙女の前へと進み出た。
「………お、お、おおおお、お……」
真っ赤な顔で目の前に来たリークスに、彼女は不思議そうに視線を注ぐ。
「お、お名前を教えていただけましュカ……?」
「え、あ、は……はい、アリシアといいますけど……?」
極度の緊張で言葉遣いがおかしくなっているリークスを、アリシアはきょとんとした顔で見上げる。
リークスは大柄な青年だった。リョウトよりも頭一つは優に大きいだろう。
身長に見合うがっしりとした身体を金属製の鎧が覆っている。そしてその手には2メートル程の長槍。
この身体で武具を持てばその威圧感はかなりのものであるが、アリシアを始めリョウトたちには全く怯む様子はない。
「あなたが狩りに行こうとしている岩魚竜に関してちょっと話があるんだ」
岩魚竜という単語に、初めてリークスがリョウトの言葉に反応した。
「岩魚竜? それなら俺に任せておいてくれ。人々を苦しめる魔獣を倒すのは、この身に邪悪を宿して生まれてしまった俺の義務だからな」
苦しげに右手を押さえながらそう告げるリークスを、リョウトたちはぽかんと見詰める。
「い、いや、そうじゃなくてね? この件は僕たちが受けた依頼狩猟なんだ」
リョウトは今回の岩魚竜にまつわる依頼に関してリークスに説明した。その際、正式に交付された依頼主と仲介者のサインの入った書類も提示する。
「むぅ……という事は、コラー川の岩魚竜に関しては、俺は手を出せないのか……?」
リークスも魔獣狩りである以上、そのルールは承知していた。
いつもの如く芝居がかった仕草で苦悩するリークス。時折ちらちらと自分に向けられる彼の視線に、アリシアは当惑を隠せない。
しばらく俯いて苦悩していたリークスだったが、不意に顔を揚げるとリョウト──ではなく、アリシアに向かって告げた。
「ならば、俺にもこの依頼狩猟を手伝わせてくれ! あなたの事はこの俺が絶対に守ってみせる!」
どんと自分の胸を叩きながら宣言するリークス。そのリークスに明かな困惑の表情を浮かべるアリシア。
困り果てたアリシアは、ちょっと泣きそうな顔で主であるリョウトへと、明かな救助信号を込めた視線を向けた。
リョウトもルベッタと顔を見合わせ、どうしたものかと思っていた時。
「りょ、リョウトさんっ!!」
自分を呼ぶ声に振り向くと、船の方から船長のマグズとアンナがリョウトたちの方へと駆け寄って来るところだった。
「片紅目の旦那ぁっ!! どうやらやっこさんが現れたようだぜっ!!」
駆け寄って来たマグズの言葉に、リョウトたち三人に緊張が漲る。
「下流からこっちに向かってくる巨大な背鰭を手下が見つけた! ありゃ間違いなく岩魚竜だ! 船は当初の予定通り、下流に向かって全速で逃げるからよ、岩魚竜は旦那に任せたぜ!」
それだけ告げるとマグスは再び船へと駆け戻る。船の方もすでに準備は完了しているようで、マグズが戻り次第離岸するだろう。
そしてリョウトたちは戦闘の準備に入る。それぞれの得物を取り出し、意識を集中させる。
それはリークスも同様で、どうやらこのままなし崩し的に彼と共闘する事になりそうだ。
そしてリョウトが川の下流へと視線を向けた時。
少し下流の水面がさざめいたと思った瞬間、その下から巨大なものが宙へと飛び出した。
丸っこい頭部に力強く張り出した各種の鰭。ごつごつとした岩のような強靭そうな鱗。そして何よりその巨体。
「……あれが岩魚竜……」
リークスが呆然と呟くのと同時に、岩魚竜は再び水中へと没する。
どばんと響く轟音。岩魚竜の巨体と水が打ち合わされて響いたその音が、リョウトたちと岩魚竜の死闘開始の合図となった。
『魔獣使い』更新です。
何とか宣言通り、今週中にもう一本更新できました。
最近は当作を読んでくださる方も増えているようで、とても嬉しく思います。
今後ともよろしくお願いします。