01-魔物の森の青年
ここから新連載の本格始動となります。
今後とも、気長にお付き合いいただければ幸いです。
「リョウトぉ、リョウトぉっ!!」
ばたん、という乱暴な音と共に、小屋の入口のドアが開いて小柄な人影が室内に飛び込んで来た。
「どうしたんだ、オグス? そんなに慌てて」
ベーリル村の村外れ。魔獣の森と呼ばれる魔境と村の境にぽつんと建っている粗末な小屋の中で、少年は動かしていた手を止めて飛び込んで来た小柄な人影に向かって声をかけた。
小柄な人影──ベーリル村に住む9歳になるオグスという名の少年──は、荒い息を整えながらも何とか青年の問いに答える。
「ま、また来たんだよ! また魔獣狩りが村に来たんだ!」
「ふぅん」
「え? ふぅんって、それだけ? いいの?」
「だって魔獣狩りの連中だってそれが仕事なんだしさ」
「だってリョウト、この前は……」
オグス少年の声に、リョウトと呼ばれた少年は溜め息と共に、止まっていた手を再び動かし出した。
「この前の連中は例外だよ。だってあいつらは必要以上に森の生き物を狩っていたんだから」
「だけど、今度の奴らだって前の奴らみたいかもしれないだろ?」
「大丈夫だろ。森にはバロムがいるし。必要以上に森を荒らしたら、あいつが黙ってないさ」
のんびりとそう答える青年に、オグスは苛立ったように更に詰め寄る。
「だからって、魔獣狩りの連中を放っておくなんてできないよ!」
声を荒げるオグスの頭に、リョウトは手を乗せて諭すように言葉を紡ぐ。
「皆が皆、僕やオグスみたいに考えられるわけじゃないんだ。僕やオグスの方が少数派なんだよ」
判っているだろう? と言葉を続ける青年に、少年は不承不承ながらも頭を縦に振った。
そんな少年の様子に、青年は再び手を止めて立ち上がる。
「判ったよ。取り敢えず、こっそりと様子を見てみる」
「本当っ!?」
リョウトの言葉に、オグスの顔に輝くような笑みが浮かぶ。
「魔獣狩りたちに気付かれないように遠くから様子を窺うよ。それでもし、連中が必要以上に森の生き物を狩るようなら、その時はバロムに動いてもらう」
「うん! 頼んだよ、リョウト!」
そう答えた少年は、家に帰るためにリョウトの小屋を後にしようとして──入口のところで振り返った。
「なあ、リョウト。本当に行くの?」
「ああ、行くよ」
「帰ってくるよ……な?」
下から伺うような表情で、オグスはじっとリョウトを見つめる。
「もちろん。ここが僕の家だからね。いつかはここに帰ってくるよ」
リョウトのその言葉に、陰っていた笑みが戻るオグス。
改めて家に帰っていったオグスを見送った後、リョウトは整理していた小屋の中を一瞥する。
そんな彼の元に、小屋のベッドの上でうずくまっていた黒い物体が、むくりと頭を持ち上げて、ぱたぱたと空を飛びながらやって来た。
「ここで暮らしてもう12年かぁ……早かったよなぁ……」
感慨深げに己の元へとやって来た黒い物体にそう呟いたリョウトは、数日前に他界した祖父であり師匠でもある老人の形見のやや小振りの二振りの剣を身につけながら、暮らし慣れた我が家である小屋を後にした。
魔獣狩りと呼ばれる者たちがいる。
人の住む領域の外側に棲息する、魔獣と呼ばれる普通の動物よりも力強く、更に恐るべき異能を秘めた生き物たち。
その魔獣を狩ることを生業としている者たちのことだ。
魔獣を狩り、その肉や毛皮、牙や爪、骨などを売って糧を得る。
時には旅人の護衛や、人の住む領域を脅かす魔獣の駆除なども引き受ける。
腕の良い魔獣狩りになると、名指しで業者や商人などから素材集めの依頼をされたり、辺境の村や町からの魔獣の駆除要請を依頼される事もある。
自分の命と運を糧に、名誉と名声そして財産を得る。どこの組織にも属さず、自由に生きる者たち。それが魔獣狩りだ。
自由を標榜とする魔獣狩りたちだが、それでも暗黙の了解のようなものは存在する。
それは無駄な狩りはしないこと。
生きて行くために必要な狩り。誰かから依頼された狩り。または自分の身を守るため。
それ以外で無闇に魔獣を狩ることを、魔獣狩りたちは避ける。
だが中には己の欲望のまま、無駄に魔獣を狩り続ける無分別な魔獣狩りも存在する。
だがそんな連中は、正統派の魔獣狩りたちに見つかれば、それ相応の報復を受けることになるだろう。
狩りの依頼をされなくなったり、狩りに必要な情報を入手できなくなったり。それぐらいならまだましで、酷くなると人知れずこっそりと始末される、という噂まであるほどだった。
カノルドス王国の辺境に位置するベーリル村に、一組の魔獣狩りたちが訪れたのは二ヶ月ほど前の事。
その魔獣狩りたちは五人組で、各々魔獣の毛皮でできた防具を身にまとい、様々な武器を携えて村に一つだけある酒場兼宿屋に現れた。
魔獣狩りたちの目的は、このベーリル村の外に広がる、魔獣の森と呼ばれる魔境に棲息する珍しい魔獣であった。
その魔獣は雪狼と呼ばれ、雪深い地方にのみ生息する。その名の通り純白の毛皮は、防寒具の素材として極めて優れ高額で取引きされている。
大陸の最北に位置するカノルドス王国の、更に北端に存在する魔獣の森。この森にはその雪狼が数多く生息することで知られていた。
また、この魔獣の森は雪狼以外にもここにしか存在しないか、他では滅多に見かけない動植物の宝庫でもあり、魔獣狩りから見ればまさに宝の山であろう。
しかし魔獣の森に棲む魔獣は、他の土地の魔獣よりも強力な種が数多く棲息することでも知られ、生半可な腕の魔獣狩りが狩りを行うのは自殺にも等しいといわれている。
そんな魔獣の森に挑む魔獣狩りたち。当然腕に自信のある者たちばかりなのだろう。
彼らは日が沈む前になると酒場兼宿屋で、前祝いとばかりに酒を飲んで騒いでいた。
機嫌よく酒杯を空ける彼らに、酒場の主人が窘めるように声をかけた。
「なあ、あんたら。魔獣の森で狩りをするのは結構だが、分をわきまえてくれよ」
その声に、魔獣狩りたちは訝しげな表情で主人を見やる。
「昔からこの村は、魔獣の森の魔獣とは上手く棲み分けをしてやってきた。必要以上に森の奥に立ち入ったり、無茶な数の森の動物たちを狩らない限り、森の魔獣たちは村人を決して襲わん。だが、その決まりを守らなかった場合、魔物たち、いや、魔物の長は絶対に儂ら人間を許さんだろう」
だが、心配げにそう告げる主人を、魔獣狩りたちは笑い飛ばした。
「魔物の長だと? おい親父、その話をもっと詳しく聞かせろ」
「この魔獣の森の長ともなれば、その毛皮や牙はそれはもう高く売れるに違いねえぞ」
「はは、おもしれぇ。その長とやら、俺たちが絶対に狩ってやらぁ」
宿屋の主人を始め、その場に居合わせた村人たちは魔獣狩りたちを諫めようとしたが、欲に目が眩んだ彼らがそんな言葉に耳を貸すわけもなく。
翌日の朝早く、魔獣狩りたちは魔獣の森へ分け入っていった。
それから二日後の深夜。
大きな咆哮が村中に響き、村人たちは皆家から飛び出した。
そして飛び出した村人たちの目の前、そこに森の長がいた。
月明かりの照らす中、悠々と夜空を舞っていた森の長が村の外周部にある家畜小屋に急降下すると、そのまま体当たりで小屋を破壊し、中にいた家畜をその鋭い牙が並んだ口に捉え、その場でゆっくりと咀嚼し嚥下した。
巨大な体躯。頭からしなやかな長い尻尾の先まで、およそ約10メートルほど。
太く強靭な二本の後脚に支えられた体高は、4メートルといったところか。
そして何より特徴的なのは前脚の代わりに大きく拡げられた一対の皮膜の翼。その大きさは余裕で10メートル以上はあるだろう。
森の長。それは古くから魔獣の森に棲むと言われている、赤褐色の鱗を持つ飛竜だった。
赤褐色の飛竜はその後も数匹の家畜を平らげると、呆然と見つめるだけの村人に向かって再び吼えた。
その咆哮を聞いた村人は、なぜ長が村を襲ったのかを理解した。
これは報復である、と。人間が勝手に自分たちの領域を犯した報いであるのだ、と。
飛竜の咆哮はそう村人に告げていた。
二日前に魔獣の森に入った魔獣狩りたちが、村人の忠告を聞かずに長の逆鱗に触れるような行ないをしたのだと村人たちは瞬時に悟った。
数匹の家畜を平らげた飛竜は、村人が見つめる中、ゆっくりと夜空へと舞い上がると、数回村の上を旋回した後、魔獣の森へと去って行った。
翌日、明るくなってから村人たちが飛竜に破壊された家畜小屋を片付けようとした時、小屋残骸の中にずたずたに引き裂かれた五人分の死体が見つかった。
それを見た村人たちは、長たちの怒りが数匹の家畜で収まったことに安堵した。
長がその気なら、こんな小さな村などあっという間に灰燼に帰すことができるのだから。
今回村を訪れた魔獣狩りは男四人に女一人の合計五人。
前回来た魔獣狩りとは違い、金属製の武具を身につけていた。
魔獣狩りたちの間では、魔獣の毛皮製の武具を身につけることは、ある意味で勲章をつけている事と同義である。
それは自分たちはこの武具の元となった魔獣を狩ったのだ、という証以外の何ものでもないのだから。
だが今回訪れた魔獣狩りたちは金属製の武具。それは即ち、魔獣狩りとしては駆け出しであるという事を意味していた。
そんな彼らは森の奥まった所──村人たちが普段なら決して足を踏み入れない領域──で、目前に広がる宝の山に目を白黒させていた。
「すげえ……見てみろよ、これ!」
「ここらに群生しているのって、全部グレタン草だぞ? これ全部売ったら幾らになるんだ?」
五人の魔獣狩りのうち、弓を背負った男と、槍を持った男がはしゃいだ声をあげる。
彼らの言うグレタン草とは極めて珍しい高級薬草の一種で、一株だけでも一般的な平民の三日分の生活費と同等の額で売れる。
そのグレタン草が辺り一面に群生している。彼らが喜ぶのも無理はないだろう。
「何浮かれているのっ!? まさかここらのグレタン草を全部持って帰るつもりじゃないでしょうねっ!?」
魔獣狩り唯一の女性が上げた苛立ったような声に、二人の男は不満を露にして向き直る。
「馬鹿言ってんなよ、アリシア。おまえはグレタン草の価値も知らねえのか? これだけのグレタン草があれば、もう一度以前のような暮らしに戻るのも夢じゃねえんだぜ?」
「そうだ。おまえだって今の暮らしが不満だから、魔獣狩りなんてモンになったんじゃねえのか?」
「馬鹿はどっち? グレタン草は足がとても早いのよ? いくらたくさんのグレタン草を採集しても、どうやってその鮮度を保つの? それともあなたたち、正しいグレダン草の乾燥処理の方法を知っているとでも言うの?」
「はぁ? そんなもん、森の外の村で売ればいいじゃねえか。村までなら薬草の鮮度だって保つだろう」
「あんな辺境の村に、これだけのグレタン草を買い取るだけのお金があると思う?」
彼女の言い分に何も言えない二人の男。だが、彼女に対する反論は別のところから上がった。
「なら、村の連中に頼んで乾燥処理してもらえばいい。あんな辺鄙な村でも、薬草を扱える奴の一人や二人はいるだろう?」
振り返った三人の視線の先、そこには残る魔獣狩りの二人がいた。
両手用の大剣を背にした男と長剣と弓を装備した男。今の発言は大剣を背にした男の方だ。
おそらく彼がこの集団のリーダーなのだろう。
彼の装備は基本的には金属製の武具だが、防具の一部に魔獣の甲殻と思しきものが使われている。
駆け出しの魔獣狩りたちの中で、このリーダー格の男だけはそれなりの経験があるようだった。
「へへへ、それよりもこいつを見ろよ!」
リーダー格の隣りにいた男が、担いでいたものをどさりと地面に降ろす。
それは黄金の毛並みを持つ、大きな一頭の鹿だった。
「向こうに黄金鹿の群れがいてな。リガルのお陰で上手い具合に三匹仕留めることができたんだ。向こうに転がしてあるから運ぶの手伝ってくれよ」
リーダー格であるリガルという名の男が指示をだし、それに従って三人の男が浮かれた様子で黄金鹿を運ぶため森の奥へと向かう。
そして自分の指示に従わず、この場に不安そうな表情で残ったアリシアに、リガルは苦笑を浮かべて問いかける。
「何か言いたそうだな?」
「当然よ。村の人たちが言っていたでしょう? 森の奥には行くなって。それなのに、私たちは結構森の奥に踏み込んでいるのよ?」
最初、アリシアたちは森の外周部で狩りを行う予定だった。だが、一頭の珍しい魔獣と遭遇してしまった。
その魔獣は癒蛾という、翼長50センチほどの大きさの昆虫型の魔獣で、その蛾から採れる鱗粉はどんな怪我もたちどころに癒す妙薬の原料として重宝されている。
もちろん個体数も少なく、一頭狩っただけでも大きな収入が期待できる魔獣であった。
そんな魔獣を目にしたリガルとアリシア以外の三人は、森の奥へと逃げた魔獣を追って走り出す。
アリシアとリガルの制止の声に耳を貸す事もなく、我先にと森の奥へと駆け出した三人を放っておくわけにもいかず、リガルとアリシアも森の奥へと足を向けた。
それが今、彼らがここにいる理由である。
「まあ、いいじゃねえか。結局、癒蛾には逃げられたが、こうして別のお宝を見つけたんだからよ」
言いながら、リガルは足元に転がる黄金鹿に視線を落とす。
この黄金鹿も高価な獲物であった。魔獣ではなく野生動物ではあるが、その美しい毛皮に美味な肉と合わせて、かなりの値段で売れるだろう。
この黄金鹿の群れをリガルともう一人の男は偶々見つけ、風下から奇襲をすることで上手く三頭仕留めることに成功した。
三頭の黄金鹿と合わせて足元に広がるグレタン草。これらを全て街まで持ち帰れば、一年近く遊んで暮らせる金になるだろう。
「でも、そんなことしたら森の長が……」
「長に気づかれなきゃ問題ない」
そう話す二人はまだ気づいていなかった。
自分たちの様子を一人の人物が伺っている事に。
新連載の開始です。
よろしくお願いします。
※文章中に「メートル」などの単位が出てきますが、本来なら別の単位が使われています。ですが、一々単位などに註釈を入れるのは、書くのも読むのも煩わしくなると思われるので止めました。脳内で自動変換されていると考えて下さい。