03-片紅目のリョウト
最近、王都でよく耳にする名前があった。
その名前の主を人は吟遊詩人と呼ぶ事もあれば、魔獣狩りと呼ぶ事もある。そして時に単なる旅人だと呼ぶ者もいた。
その人物は常に美しい女奴隷を二人連れており、なぜか左目だけが紅かった。
その事から人々は、いつしか彼を片紅目の吟遊詩人、もしくは片紅目の魔獣狩りなどと呼ぶようになった。
王都の目抜き通りを一本、西に離れた通りに『轟く雷鳴』亭という名前の宿屋兼酒場があった。
名前の由来は、数年前に即位したこの国の王が、『雷』の異能を持っている事から名付けたらしい。
王が即位する前は別の名前だったが、この店に足しげく通う者たちも既に前の名前を口する事はなかった。
この店の常連たちの殆どは魔獣狩りたちであり、店主は時に彼らへの仕事の依頼の仲介をする事もある。
このような店は王都には数多くあり、腕のいい魔獣狩りたちを多く抱える店ほど、当然条件の良い依頼が舞い込む事になる。
よって店の店主たちは、他の店よりも好条件で宿に泊まらせたり、酒代を安くしたりして腕の良い魔獣狩りを囲い込もうとする。
そしてそれが更なる店の繁盛へと繋がるというわけだった。
だが最近、この『轟く雷鳴』亭に一組の珍しい一団の姿をよく見かける事があった。
今夜も『轟く雷鳴』亭に、男性の声が心地よく響いていた。
最近ではこの店の常連たちの中にも、彼の唄を聞くのを楽しみにやって来る者もいる程である。
今日も彼はそのよく響く声で一人の青年の唄を唄い上げる。
最初は名もなきその青年。だが彼はその秘めたる力をふるい、仲間を得て、幾つもの戦場を駆け抜けて行く。
やがて彼は至高の高みへと辿り着く。
それは玉座。青年は僅かな時間で王へと上り詰める。
青年の名前はユイシーク・アーザミルド・カノルドス。この国に君臨した新しく若い王。
彼は今、この国の国王がその高みへと至るまでの戦記を唄い上げていたのだ。
既に誰もが聞き慣れた、目新しさなど皆無の唄。
だが、それでも聴衆たちは必死に耳を傾ける。
彼の唄を一編たりとも聞き逃すまいとするかのように。
やがて彼は王の唄を唄い終わる。
長く尾を引く旋律がゆっくりと消え去る。そして彼の声とリュートの音が完全に消えた時、代わりに巻き上がったのは盛大な拍手と彼を称える口笛や床を踏み鳴らす音、そして聴衆が投げ込んだ銀貨が床に落ちる音だった。
「あんたが片紅目のリョウトかい?」
唄い終わり、テーブルを一つ占領して投げ込まれた銀貨の枚数を数えていたリョウトに、一人の男が声をかけた。
男は身なりから判断して、どうやら魔獣狩りのようだった。魔獣の素材を使った武具を身に纏っているところを見ると、それなりに腕の良い魔獣狩りらしい。
「確かに僕がリョウトだけど? 何か用かな?」
「ああ。あんたが飼っている奴隷──金髪の方を、一晩借り受けたい。幾らだ?」
にやにやと好色そうな笑みを隠そうともしない男の言葉に、リョウトの顔は不機嫌そうに歪められる。
確かに男の言葉通り、奴隷の主人の中には所有している奴隷に春を売らせる者もいる。だからこの男も、リョウトが彼の奴隷たちに春を売らせていると思い込んでいるのだろう。
一口に奴隷と言っても、その扱いは所有者によって様々だ。
家畜同様に鞭打って無理に働かせる者もいれば、家族のように大切に扱う者もいる。
だが、殆どの所有者は奴隷を『給料を払わなくてもいい使用人』として扱う。
只でさえ高価な奴隷である。強引に働かせて潰してしまっては元も取れない。だから時に厳しく時に甘く、少しでも長く使えるように扱うのが一般的な奴隷に対する態度だろう。
「悪いけど、僕は奴隷たちにそういう仕事はさせていない。だから一晩貸せと言われても無理だよ」
「相場の倍を払うと言ってもか?」
「それでもだ」
それまでにやにやと笑っていた男の顔から笑みがすぅと消えた。
剣呑な光を湛えた男の視線を、リョウトは何事もないかのように受け流す。
その態度に馬鹿にされたとでも思ったのだろう。男は腰に下げていた剣の柄に手をかけながら、一歩リョウトへと歩み寄る。
だが、それ以上男がリョウトに近づくことはなかった。
いや、近づくことはできなかった、が正しい。
リョウトがその事に気づいた時、男の喉笛に短剣の刃が添えられていた。
「俺たちのご主人様を傷つけようとする輩に、俺たちは一片の慈悲も与えはしない。覚悟はいいな?」
男の影から現れたのはルベッタである。
彼女は弓の扱いだけではなく、気配を消す事にも長けていた。
そして気配を殺したまま、今のように背後からその短剣を一閃させれば、大概の相手は自分が何をされたか気づかないうちに絶命するだろう。
「わ……判った、俺が悪かった! ゆ、許してくれないか?」
背後から浴びせられる鋭い殺気に、男は情けないほど狼狽え必死にリョウトに許しを乞う。
そしてリョウトはつと視線をルベッタに向ける。それだけで主人の意思を理解したルベッタは、静かに喉元から短剣の刃を退けた。
数歩後ずさった男は、そのまま慌てふためいて『轟く雷鳴』亭を飛び出して行く。
後に残されたのは男に向けられた罵倒と、ルベッタに対する賛美の声だ。
そんな賛美の声を一切無視して、ルベッタは己の主人の元へと歩み寄った。
「助かったよ、ルベッタ」
「なに、大した事はしていないさ。それに俺だけじゃないぞ?」
ついと流されるルベッタの視線。その先には防具こそ身に纏っていないものの、愛剣である飛竜刀を手にしたアリシアの姿があった。
「ありがとうアリシア。心配かけたね」
「いいえ、心配はしていないわ。大体、あの程度の男に遅れを取るリョウト様でもないでしょう?」
微笑むリョウトの両脇に、アリシアとルベッタも微笑んで腰を下ろす。
リョウトの右にアリシアが。反対側の左にルベッタが。それが彼女たちの定位置だった。
そんなリョウトたちに、大剣を携えた顔見知りの魔獣狩りの一人が話しかけた。
「よ、聞いたぜ? たった三人で、しかも一日もかけずに愚鈍牛を狩ったんだって?」
「相変わらず耳が早いね」
「ま、何かと聞き耳は立てるようにしているんでね。それより、どういう手段で一日もかけずに愚鈍牛を狩ったんだ? ちょこっとぐらい教えろよ」
「んー、こればっかりは極秘事項なんでね。おいそれとは教えられないな」
片目を閉じて口元に人差し指を当てるリョウト。どうやら本当に教えて貰えそうにないと判断したその魔獣狩りは、別方向から攻めてみる事にした。
「おいおい、魔獣狩りは新しい狩猟方法を見つけたら公表しなきゃいけないんだぜ? 知らないとは言わせないぞ」
「あいにくだけど、僕は魔獣狩りじゃないからね」
確かに魔獣狩りたちの間では、新しく画期的な狩猟方法を発見したらそれを公表するという暗黙の了解がある。
狩猟方法といえば大げさに聞こえるが、要は特定の魔獣の嫌う匂いだとか成分だとか、急所の場所などといった様々な情報の公開である。
それらの情報を公開する事で狩りの成功と生存率を高めようと、いつの頃からか始まった魔獣狩り同士の連携の一つであった。
「ち、どうしても教えてくれないか。じゃあいっその事、俺たちのチームに入らないか?」
「だから僕は魔獣狩りじゃないと言っているだろう? チームに入るも入らないもないよ」
苦笑を浮かべるリョウトに、その魔獣狩りは大げさに落胆して見せる。
「くそう。リョウトがチームに入ってくれたら、そのまま芋蔓式にアリシアたんとルベッタたんも一緒に俺たちのチームに入ったのによぉ」
「人の名前に『たん』とか勝手につけるな。おぞましい」
「本当、気持ち悪いわ」
「ぐぅ……だって仕方ないだろぉっ!? 俺たちのチームは野郎ばかりで華がないんだよぉっ!!」
「それこそ、僕の知ったことじゃないだろうに」
「自分はいつも美人を二人も連れているからっていい気になりやがって! お、俺だってアリシアやルベッタみたいな美人と一緒に狩りに行きたいんだよこんちくしょう!」
本気で泣きが入り始めた彼を宥めつつ、リョウトたち三人は大きな声で笑い合った。
「さて、リョウト様? これからの事だが、どうするつもりだ?」
部屋へと戻ってきた三人。ベッドに腰を下ろしたリョウトの隣に座ったルベッタが問いかけた。
「愚鈍牛を狩った事で思わぬ臨時収入もあった事だし、しばらくは王都でのんびりするのも悪くないと思うが?」
「そうね。しばらくはゆっくりしましょうか」
当然のようにルベッタとはリョウトを挟んだ反対側に腰を下ろしたアリシアが微笑む。
そして二人は同時にリョウトにしなだれかかった。急な事もあり二人の体重を支えきれなかったリョウトは、彼女たち共々ベッドへと倒れ込んだ。
「さあ、リョウト様? しばらくゆっくりするのだから、ちょっとぐらい激しくても構わないぞ?」
「ええ……そ、その……私も……激しくても……い、いいわよ?」
「……了解した。その代わり覚悟はいいね?」
縺れるようにベッドに沈んだ三人。
そんな三人の様子を、いつものようにテーブルの上でうずくまっていたローは、ちらりと一瞥するとそのまま関心がないとばかりに居眠りを決め込んだ。
そして、ベッドに沈んだ三人が再び起き上がったのは、月が天空の頂点を過ぎてからだったという。
だが彼らは知らない。しばらくゆっくりしようという彼らの目論見が、無情にもあっという間に崩れ去るという事を。
「岩魚竜?」
翌朝、朝食を摂りに酒場兼食堂に現れたリョウトたちに、『轟く雷鳴』亭の主であるリントーが呼び止め、一件の狩りの依頼を告げた。
「ああ。最近ゼルガーの町を流れるコラー川の下流に住み付いたらしくてな。ゼルガーとオーネスを行き来する船がもう何隻も沈められているらしい」
ゼルガーと南の隣国であるオーネス王国は、コラー川を用いた船便で結ばれている。そしてリントーの話によれば、岩魚竜と呼ばれる魔獣が出現するのはゼルガーの南、カノルドスとオーネスの国境付近らしい。
「リントーの親父さん。くどいようだけど、僕は魔獣狩りじゃないんだけど?」
「だけどよ、岩魚竜を狩れそうな奴は皆出払っちまっててなぁ。おまえらぐらいしかいないんだよ、岩魚竜を相手にできそうなのは。ここは一つ頼まれちゃくれないか?」
カウンターに両手を着き、この通りと頭を下げるリントー。そんな彼の姿にため息を吐きつつ、リョウトは背後に控える二人の奴隷たちに向き直った。
「岩魚竜って魔獣について、何か知っているかい?」
「そうねぇ。その名前の通り、岩のような鱗に覆われた巨大な魚のような魔獣だって聞いた事があるわ」
「俺もアリシアと同じ程度の知識しかないな」
それぞれに考え込む奴隷たちの様子を見て、リョウトは再びリントーへと振り返る。
「僕たちには無理じゃないかな? 岩魚竜について余りにも知らなさすぎる。獲物の事を知らなくては、どんなに腕の立つ魔獣狩りでも狩る事はできないよ」
リョウトの返答があまり色よいものでない事にリントーは落胆を隠しきれないが、それでも必死に彼は食い下がる。
「なら、こうしようじゃねえか。岩魚竜に詳しい魔獣狩りを一人か二人紹介する。そいつと組んで狩ってくれないか?」
「おいおい、親父さん。話が矛盾しているぞ。岩魚竜を狩れるような奴がいないから、俺たちに話を回したんだろう?」
ルベッタの的確な突っ込みにリントーは一瞬あっという顔をするものの、必死に動揺を押さえ込む。
「ま、まあ、直接岩魚竜を狩る事はできなくても、岩魚竜に詳しい奴はいるもんだぜ? だからそういう奴を紹介する。頼む! この通り!」
再び頭を下げたリントー。必死に頼み込む彼を見て、リョウトは腕を組んで考え込む。
そしてしばらく考え込んだ後、腕を組んだ姿勢のまま頭を下げ続けているリントーへと問いかける。
「何か理由があるのだろう? 親父さんがそこまで必死に俺たちに頼み込むのは」
リョウトのその一言に、実は、と前置きしてからリントーは頭を上げた。
「……ここだけの話、この依頼は王宮からの依頼なんだ」
「王宮? どうしてそんなところからこの店に依頼が?」
「実はよ、俺はこの国の王様とちょっとした知り合いなんだよ。実際は王様が即位する前……まだ解放軍のリーダーだった頃の話だがな。その王様から直接──と言っても、さすがに本人じゃなくて使いの役人からだけど頼まれちまってよ。断りきれなかったんだよ」
「王国の騎士団や軍は動かせないのかしら?」
アリシアのもっともな疑問に、リントーは絶体に内密にしろよと告げてから説明する。
「今のこの国の軍は数が圧倒的に少ない。いや、実際の数だけならそれなりになるんだが、その中で使える奴らは一握りだけらしい。もちろん、これから使える奴らもどんどん増えていくんだろうが、なんせ新体制になって数年だ。軍備拡張よりも先にしなきゃいけない事が山積みだったみたいでな。それに実際のところ、この国の軍の中核は王様だ。王様の異能に頼るところが大きい。王様一人で千人でも万人でも薙ぎ払えちまうんだからな」
まるで俺たちのご主人様みたいだな、と内心で思うルベッタ。ちらりと隣をみれば、アリシアも同様にこちらを見ていた。どうやら同じことを考えていたようだ。
そんな事を考えている間も、リントーの話は続いていた。
「その虎の子の精鋭もなんだかんだで色々と忙しいらしくてな。最近東の街道に山賊が出現するとかで、その討伐に向かわなきゃならないそうだ」
「それで親父さんのところに岩魚竜の話が回ってきたのか」
リョウトの言葉に、リントーはそういうことだと頷いた。
リョウトは組んでいた腕を話すと、はあと一つため息を吐く。
「しばらくは王都でゆっくりするつもりだったんだけどな」
リョウトがそう呟いた途端、リントーの顔がぱあっと輝いた。
「おお、やってくれるか! いや、おまえならそう言ってくれると思っていたぜ!」
破顔するリントーに、リョウトは仕方ないとばかりに肩を竦めて告げる。
「今回は親父さんの顔を立てておくけど、この貸しはでかいよ?」
『魔獣使い』更新しました。
今回は『魔獣使い』の世界で、奴隷がどういう扱いを受けているのかをちょこっと描写。
あとは次回からの岩魚竜狩りに向けてのとっかかり。
自分は魔獣狩りではないと言いつつ、魔獣狩りとしての実績を積み上げつつあるリョウトたち。
岩魚竜狩り編はちょっと長くなりそうな予感。いや、狩りの場面はそれ程でもないけど、そこに至るまでに色々とありそうで……
今後ともよろしくお願いします。