第五十八話 「その時間に残っていたもの」
修理台。
腕時計。
秒針。
カチ。
一秒。
止まる。
雄一が目を細める。
「……まただ」
腕時計を裏返す。
ムーブメント。
歯車。
ゼンマイ。
油。
異常はない。
雄一が言う。
「壊れてない」
修理台の向こう。
男が腕時計を見ている。
落ち着かない様子で。
店の奥。
パカっ。
奏の懐中時計。
その瞬間。
腕時計。
カチ。
一秒。
止まる。
男が息をのむ。
「……今」
雄一も見ている。
また止まる。
雄一が腕時計を持つ。
カチ。
一秒。
止まる。
雄一が振り向く。
奏。
オフィスチェア。
脚を前に投げ出している。
袖は肘までまくってある。
懐中時計。
パカっ。
雄一が言う。
「どうだ」
奏は文字盤を見たまま。
「んー」
少し目を細める。
それから言う。
「重いね」
雄一が頷く。
「やっぱりか」
懐中時計。
パカっ。
その瞬間。
腕時計。
カチ。
一秒。
止まる。
奏が言う。
「時間、つっかえてる」
雄一が文字盤を見る。
9時43分。
男が言う。
「……その時間」
雄一が顔を上げる。
男が続ける。
「父が亡くなった時間です」
店の中。
カチ。
カチ。
カチ。
男が時計を見る。
「そのあと見たら」
文字盤を見る。
「止まってました」
雄一は黙って時計を見る。
9時43分。
男が続ける。
「子供の頃から」
腕時計を見る。
「父、よくこの時計見て」
少し笑う。
「急げって」
少し間。
「大人になっても」
文字盤を見る。
「入院してからも」
小さく息を吐く。
「急げって言ってました」
店の中。
カチ。
カチ。
カチ。
雄一が静かに言う。
「直せます」
男が顔を上げる。
雄一が続ける。
「機械は壊れていません」
腕時計を見る。
「普通に動くようにできます」
少し間。
「ただ」
文字盤を見る。
9時43分。
「この時間は消えます」
沈黙。
店の時計だけが鳴る。
カチ。
カチ。
カチ。
男が腕時計を手に取る。
文字盤を見る。
長い沈黙。
それから小さく息を吐く。
「……父」
少し間。
「ここまでだったんで」
顔を上げる。
「このままで」
雄一が頷く。
「分かりました」
腕時計。
秒針は動かない。
9時43分。
その瞬間。
振り子時計。
振り子が一度だけ大きく揺れる。
それから。
静かに元のリズムに戻る。
カチ。
カチ。
カチ。
ショーケースの時計。
壁の時計。
わずかに乱れていた針が
ゆっくり整う。
一瞬だけ。
店の空気が軽くなる。
奏の懐中時計。
パカっ。
さっきまでの重さがない。
奏が小さく言う。
「……ほどけた」
雄一が腕時計を見る。
「動かなくなったな」
奏が頷く。
「うん」
男が腕時計を見る。
秒針は動かない。
9時43分。
男が時計を箱に戻す。
それから言う。
「いい時計だ」
雄一が頷く。
「ええ」
少し間。
雄一が言う。
「ちゃんと」
腕時計を見る。
「最後まで動いた」
男が時計を箱にしまう。
静かに言う。
「これで」
少し笑う。
「父も帰れそうです」
男は頭を下げる。
カラン。
ドアベル。
店の外へ出ていく。
ドアが閉まる。
カラン。
店の中。
カチ。
カチ。
カチ。
壁の時計。
振り子時計。
置き時計。
それぞれ違うテンポで
いつものように時間が流れている。
雄一が修理台を片付ける。
奏はオフィスチェアで懐中時計を閉じる。
カチン。
少し間。
壁の時計。
針は
9時44分を指していた。




