第五十二話 「起きられないので、目覚まし時計を買いにきた」
午後。
古針時計店。
ガラス越しの光が床に細く伸びて、壁の時計がそれぞれ勝手な顔で時を刻んでいる。
カチ。
カチ。
カチ。
修理台では、雄一がルーペをつけたまま腕時計を分解していた。
店の中央寄り。
修理場から持ってきたオフィスチェアの上で、奏があぐらをかいて雑誌を読んでいる。
白ジャージの袖は肘までまくってある。
足で床を軽く蹴って、椅子がほんの少しだけ回る。
「……静かだな」
「うん」
「珍しい」
「こういう日はね、だいたい来る」
「何が」
奏は雑誌をめくらないまま言う。
「ちょっと困ってる人」
「毎日だいたいそうだろ」
「今日は、起きられない系」
「系で分けるな」
そのとき。
店のドアが開いた。
鈴が鳴る。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃい」
入ってきたのは、スーツ姿の若い男だった。
二十代前半。
ネクタイが少し曲がっている。
顔に、わかりやすく睡眠不足が出ていた。
雄一がルーペを外す。
「どうされました」
男は店内を見回してから、少しだけ言いにくそうに口を開く。
「その……目覚まし時計って、ありますか」
「ありますよ」
雄一が答える。
時計店だ。
さすがにある。
「どういうのをお探しで?」
男は一拍迷ってから、正直に言った。
「起きられるやつで」
奏が雑誌から目だけ上げた。
「切実」
「切実ですね」
雄一も頷く。
男は少しだけ恥ずかしそうに笑う。
「来月から配属が変わるんですけど、朝が早くて。
今のスマホのアラームだと、普通に止めて二度寝してて」
「わかりやすいですね」
「しかも最近、止めた記憶がないんです」
「それは、だいぶ完成してるな」
「完成?」
「寝坊の手順として」
男が困ったように笑う。
「笑い事じゃないんですけどね……」
雄一はショーケースの横の棚へ向かった。
「音が大きいの、ベルが強いやつ、振動つき、光るやつ。
一通りありますよ」
奏が小さく言う。
「起きる気の強さ別ラインナップ」
「雑な売り場説明するな」
男は棚の前まで来て、並んだ目覚まし時計を見る。
丸いの。
四角いの。
レトロなベル付き。
デジタル表示の大きいもの。
地味に物騒な見た目の大音量型まである。
「……多いですね」
「時計屋なので」
「そこは強いですね」
雄一は一つ、銀色のベル付き目覚ましを取る。
「まず定番はこれです。
音は素直にうるさいです」
次に、少し大きめの黒いデジタル時計を取る。
「こっちは音が電子音で、止めるまでしつこいです」
さらに白い四角い時計。
「これは光で起こすタイプですね。
音だけじゃなくて、部屋が明るくなります」
奏が口を挟む。
「朝って、光の方が機嫌いいよ」
「お前の基準を一般論みたいに出すな」
「でも音だけだと、喧嘩になる日あるし」
「誰とだよ」
「朝と」
男は少し真面目に頷いた。
「……なんかわかる気がします」
「通じるんだ」
「朝って、ちょっと敵ですよね」
「敵ではないです」
雄一が即座に修正する。
「たまに悪意あるだけで」
「十分敵じゃないですか」
男は銀のベル付き目覚ましを手に取る。
「これ、音聞けたりします?」
「できますよ」
雄一が電池を入れて、時刻を仮で合わせる。
「いきますね」
カチ。
次の瞬間。
ジリリリリリリリリッ!!
店内に、遠慮のない音が響いた。
男の肩が跳ねる。
奏が少しだけ目を細める。
「古い強さ」
「言い方」
雄一が止める。
「こういうタイプです」
「強いですね……」
「強いです。
ただ、手元ですぐ止められるんで、寝ぼけてても処理しやすい反面、慣れると負けます」
「負けるんだ」
「人は慣れるので」
次に、黒いデジタル時計。
ピピピピピピピピッ!!
さっきより高くて、妙に焦る音だった。
男が顔をしかめる。
「うわ、これは仕事感ある」
「仕事感って何だ」
「遅刻が近い音です」
「まあ、わからなくもない」
最後に白い光目覚まし。
店内では光がわかりにくいので、雄一が説明する。
「設定時刻の少し前から、徐々に明るくなります。
急に叩き起こすというより、起きる準備をさせる感じですね」
奏が頷く。
「優しい」
「優しいですけど、本人に起きる意志がないと普通に負けます」
「それ言っちゃうんですね」
「そこが欠点なので」
男は三つを見比べた。
「……難しいな」
「何が一番ダメなんですか」
雄一が聞く。
「朝、音に慣れちゃうのか。
止めたあと記憶が飛ぶのか。
そもそも起きるまでが遠いのか」
男は少し考える。
「……止めたあとが弱いです。
起きたと思って、そのまま沈みます」
「再入眠型」
「分類するなよ」
奏は雑誌を閉じて、椅子から少し前に身を乗り出した。
「じゃあね、遠く」
「遠く?」
「手の届かないとこに置く」
男が瞬く。
「なるほど」
「止めるために立つ。
立ったら、もう半分勝ち」
「理屈はシンプルですね」
「あと、カーテン開ける」
「自動じゃなくて?」
「自分で」
「急に根性論だな」
「朝はちょっとそういうとこある」
男は小さく笑う。
「……ちゃんとしてますね」
「たまにね」
「たまにで困る」
雄一は黒いデジタル時計を持ち上げた。
「これにして、手の届かない場所に置くのがいいかもしれません。
音は止めるまで続くし、止めても立って動いてる分、戻りにくい」
「戻りにくい……」
「ゼロにはなりませんけど」
「ネガティブですね」
「寝坊対策は、ポジティブに言うと失敗します」
男は真剣に頷いた。
「その通りですね……」
しばらく迷ってから、男は黒いデジタル目覚ましを指差した。
「じゃあ、これでお願いします」
「ありがとうございます」
雄一が箱を出す。
会計の間、奏が男を見る。
「配属、やだ?」
急だった。
男は少しだけ目を見開く。
「……いや、やってみたいです」
「でも朝が早い」
「そうです」
「じゃあ、まだ平気」
男は一拍置いて、笑った。
「そうかもしれないです」
「ほんとに嫌なやつは、目覚まし買いに来る前に逃げたくなるし」
「お前、たまに言うことが妙に鋭いな」
「たまにね」
「だからその“たまに”が怖いんだよ」
会計が終わる。
袋を渡すと、男は目覚まし時計を少し大事そうに持った。
「ありがとうございます。
ちゃんと起きます」
「頑張ってください」
「負けないでね」
「朝に?」
「朝に」
男は笑って、店を出ていった。
鈴が鳴る。
ドアが閉まる。
少しだけ静けさが戻る。
雄一が修理台へ戻りながら言う。
「珍しく、まともな接客だったな」
「時計屋だからね」
「普段もそのくらい時計屋でいてくれ」
「今日は、起きる理由がちゃんとしてたから」
「どういう意味だ」
奏はまたオフィスチェアに深く座り直す。
足で床を蹴る。
椅子がゆっくり回る。
「朝って、ちょっと嫌だけど」
「うん」
「起きたい理由がある朝は、まだ機嫌いい」
雄一はネジをつまみながら、少しだけ目を細めた。
「……そういう日ばっかりならいいんだけどな」
「無理だよ」
「即答か」
「だって、朝だから」
身も蓋もない。
そのとき。
店のドアがまた開いた。
「こんにちはー」
入ってきたのは、三雲だった。
スーツ姿。
いつもの疲れ気味の顔。
そして、手にはコンビニのコーヒー。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませ」
三雲が二人を見る。
「……何か、今ちょっとだけ良い話してました?」
「してない」
「した」
「どっちですか」
「目覚まし時計が売れた」
「時計店としては、健全ですね」
三雲は少しだけ安心した顔になる。
「よかったです。
最近、時計より別のものの話をしている時間のほうが長いので」
「否定できないな」
奏が三雲の手元を見る。
「それ、ブラック?」
「はい」
「起きるため?」
「生きるためです」
「強い」
「社会人ですから」
三雲はため息をついてから、店内を見回す。
「……そういえば、目覚まし時計って効くんですか」
「人による」
「夢のない答えですね」
「寝坊対策は夢でやると遅刻するので」
三雲は少し考えてから、小さく頷いた。
「正論ですね……」
奏が言う。
「三雲ちゃんは起きられる?」
「起きます」
「偉い」
「起きないと怒られるので」
「社会だ」
雄一はルーペをつけ直す。
時計の針の音が、また店に戻ってくる。
カチ。
カチ。
カチ。
古針時計店は、今日もだいたいこんな感じだった。
目覚まし時計が一つ売れて、
朝に負けそうな人が少しだけ武装して帰っていって、
店の中では、朝に強いわけでもない白ジャージが、
午後のオフィスチェアでのんびり回っている。
たぶん、それでいい。
少なくとも今は、
まだ起きたい理由が、ちゃんとあるらしかった。




