第四十話「 夫婦の記念時計」
開店直後の古針時計店は、まだ光が柔らかい。
白というより銀に近い内装が、朝の光を静かに反射している。
ドアベルが鳴った。
「おはようございます。朝一番でごめんなさいね」
明るい声だった。
年配の女性が先に入り、背筋の伸びた男性が続く。
「五十年なんですよ。すごいでしょう?」
「すごいのはお前の物持ちだ」
「あなたが物みたいに言うから長持ちするのよ」
女性は笑う。
笑いは軽い。だが、終わるのが少し早い。
カウンターに置かれたのは二本の腕時計。
同じ型のペアウォッチ。
「昨日、急に止まっちゃって。二つとも。同じタイミングで」
「示し合わせたみたいにね」
「相談はしてないぞ」
「してたら怖いわ」
雄一は裏蓋を確認する。
——結婚五十周年。
止まった時刻も、ほぼ同じ。
「お預かりします」
横で奏が椅子の背に寄りかかる。
「五十年って、すごいね。テンポ速いけど」
「速くはない」
「五十年でまとめちゃうのが速い」
「編集するな」
女性は昔話を始める。
「転職三回、引っ越し四回、子ども二人」
「数字で言うな」
「数字にしないと長いのよ」
「長いのが五十年だろ」
どの話も短い。
要約され、整えられている。
雄一は秒針を観察する。
二本とも止まっている。
だが、ゼンマイを巻くと——
動き出す。
しかし。
秒針が、揺れる。
完全には揃わない。
離れもしない。
一定ではない微妙な位相差。
「……変だな」
摩耗は軽度。
油切れも致命的ではない。
止まる理由には弱い。
そのとき。
“パカっ”
奏が懐中時計を開く。
秒針が、ほんの一拍だけ遅れる。
戻らない。
ただ、遅れたまま進む。
奏は夫婦を見る。
何も言わない。
男性だけが一瞬、視線を返す。
すぐ逸らす。
“カチン”
閉じる。
雄一は芯圧を微調整する。
完全一致にはしない。
わずかにズレを残す。
揃えすぎると負荷がかかる。
時計も、人も同じだ。
⸻
翌日。
二人で取りに来る。
「直りましたか?」
「五十年よりは短いですよね」
「はい」
時計は動いている。
二本とも。
秒針は完全には揃っていない。
だが揺れは消えている。
女性が夫の手首に装着する。
一拍の間。
「……似合うわよ」
「毎日見てる」
「今日のは特別」
「そうか」
短い。
だが消えない。
店を出るとき、歩幅がわずかに揃う。
ポケットの中の懐中時計が、少しだけ重い。
奏は触らない。
見ているだけ。
“パカっ”
秒針は、わずかに遅れたまま進む。
「重さ、戻ったね」
雄一が言う。
「戻してない」
「うん。戻してない」
“カチン”
外では二人の背中が並んで歩く。
完全には揃わない。
だが、離れてもいない。
「五十年、だいぶ圧縮してたね」
「勝手に圧縮するな」
「容量の問題」
「何の」
五十年分の時間が、
軽くも重くもなく、ただ進んでいる。
店内は静かだ。
時計の音だけが、規則正しく刻んでいる。




