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下町オールドクロック  作者: イシマ ヒロ
「奏という日常」

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28/39

第二十八話「問題はなかったことになっています(前編)」

 午後三時。


 ガラス張りの店内に、やわらかい光が差している。

 アナログの振り子とデジタルの秒表示が、同じ時間を刻む。


 古針時計店のカウンターに、

 三雲しおりは座っていた。


「今日は定期巡回です」


 雄一は工具を回したまま言う。


「いつも通りですね」


「はい」


 それだけ。


 店の隅。


 白ジャージ姿の奏が、

 オフィスチェアに座り、

 ゆっくり回転しながら雑誌を読んでいる。


 足で床を軽く蹴る。


 くるり。


 ページがめくられる。


 振り子が揺れる。


 また、くるり。


 雑誌の上から片目だけ上がる。


 くるり、と椅子が半回転する。


「ちゃんとしてるよ?」


 三雲は即答する。


「確認できています」


 奏は雑誌を胸に軽く当てる。


「でしょ」


 一拍。


「今日は、ほんとに」


 くるり。


 また回る。


 三雲は淡々と言う。


「あなたは基本、雑なだけです」


「失礼だなぁ」


 雄一が笑う。


「否定はしないのか」


「今日はしてない」


 くるり。


 監視というより、ただの来店だ。


 沈黙を破る。


「……そろそろ腕時計でも買ってよ、三雲ちゃん」


 三雲が瞬きをする。


「え?」


「毎回来るだけ来て、何も買わないじゃん」


「公務ですので」


「公務でも客は客だよ」


 雄一が横から。


「庁費で一本どうですか」


「備品登録が必要です」


「じゃあ私物で」


「経費にはなりません」


「当たり前だよ」


 奏は立ち上がり、棚を眺める。


 取り出したのは、白ではない。


 細身の黒革ベルト。

 控えめな銀の文字盤。


 三雲がわずかに意外そうな顔をする。


「……白ではないのですね」


 雄一が言う。


「珍しいな」


 奏は三雲ちゃんのスーツを指す。


「この服装には似合わないでしょ」


「そうでしょうか」


「きっちりしてるのに白は浮く」


 雄一がにやりとする。


「白が正義じゃなかったのか」


 奏は肩をすくめる。


「服と時計は別」


 一拍。


「合ってない白はうるさい」


 三雲は値札を見る。


「一万二千円」


 沈黙。


 雄一が言う。


「絶妙だな」


 奏はさらりと言う。


「ちゃんと使う値段だよ」


 時計を三雲ちゃんの手首に当てる。


「ちょっと、じっとして」


 三雲は素直に腕を差し出す。


 白い袖口を、奏が指先でそっと持ち上げる。


 黒革のベルトを回し込み、

 細い手首に沿わせる。


 指が、触れる。


 三雲の呼吸が一瞬だけ浅くなる。


「……近いですね」


 小さく言う。


「ん?」


 奏は気にせず、留め具を探す。


 カチ、と小さな音。


 ベルトが留まる。


 そのまま奏は、三雲の手を両手で軽く包むように持ち、

 角度を変えて確認する。


 距離が、さらに半歩近づく。


 三雲の頬に、わずかに赤みが差す。


挿絵(By みてみん)


「どう?」


 奏が顔を上げる。


 真正面。


 視線が合う。


 一拍。


「……問題ありません」


 声だけが冷静だ。


 雄一が横から言う。


「似合ってますよ」


 奏は満足そうにうなずく。


「うん。締まる」


 黒が、スーツの袖口に収まる。


 控えめな銀の文字盤が、午後三時を指している。


 三雲は腕を下ろすが、

 すぐには外さない。


「似合うよ、三雲ちゃん」


 その一言で、

 三雲の視線がわずかに逸れる。


「……そう、でしょうか」


 奏はもう椅子に戻りかけている。


 回転読書に復帰する。


 くるり。


 三雲だけが、少しだけ時間を意識している。


 黒い時間が、腕に収まったまま、

 午後が進む。

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