第二十八話「問題はなかったことになっています(前編)」
午後三時。
ガラス張りの店内に、やわらかい光が差している。
アナログの振り子とデジタルの秒表示が、同じ時間を刻む。
古針時計店のカウンターに、
三雲しおりは座っていた。
「今日は定期巡回です」
雄一は工具を回したまま言う。
「いつも通りですね」
「はい」
それだけ。
店の隅。
白ジャージ姿の奏が、
オフィスチェアに座り、
ゆっくり回転しながら雑誌を読んでいる。
足で床を軽く蹴る。
くるり。
ページがめくられる。
振り子が揺れる。
また、くるり。
雑誌の上から片目だけ上がる。
くるり、と椅子が半回転する。
「ちゃんとしてるよ?」
三雲は即答する。
「確認できています」
奏は雑誌を胸に軽く当てる。
「でしょ」
一拍。
「今日は、ほんとに」
くるり。
また回る。
三雲は淡々と言う。
「あなたは基本、雑なだけです」
「失礼だなぁ」
雄一が笑う。
「否定はしないのか」
「今日はしてない」
くるり。
監視というより、ただの来店だ。
沈黙を破る。
「……そろそろ腕時計でも買ってよ、三雲ちゃん」
三雲が瞬きをする。
「え?」
「毎回来るだけ来て、何も買わないじゃん」
「公務ですので」
「公務でも客は客だよ」
雄一が横から。
「庁費で一本どうですか」
「備品登録が必要です」
「じゃあ私物で」
「経費にはなりません」
「当たり前だよ」
奏は立ち上がり、棚を眺める。
取り出したのは、白ではない。
細身の黒革ベルト。
控えめな銀の文字盤。
三雲がわずかに意外そうな顔をする。
「……白ではないのですね」
雄一が言う。
「珍しいな」
奏は三雲ちゃんのスーツを指す。
「この服装には似合わないでしょ」
「そうでしょうか」
「きっちりしてるのに白は浮く」
雄一がにやりとする。
「白が正義じゃなかったのか」
奏は肩をすくめる。
「服と時計は別」
一拍。
「合ってない白はうるさい」
三雲は値札を見る。
「一万二千円」
沈黙。
雄一が言う。
「絶妙だな」
奏はさらりと言う。
「ちゃんと使う値段だよ」
時計を三雲ちゃんの手首に当てる。
「ちょっと、じっとして」
三雲は素直に腕を差し出す。
白い袖口を、奏が指先でそっと持ち上げる。
黒革のベルトを回し込み、
細い手首に沿わせる。
指が、触れる。
三雲の呼吸が一瞬だけ浅くなる。
「……近いですね」
小さく言う。
「ん?」
奏は気にせず、留め具を探す。
カチ、と小さな音。
ベルトが留まる。
そのまま奏は、三雲の手を両手で軽く包むように持ち、
角度を変えて確認する。
距離が、さらに半歩近づく。
三雲の頬に、わずかに赤みが差す。
「どう?」
奏が顔を上げる。
真正面。
視線が合う。
一拍。
「……問題ありません」
声だけが冷静だ。
雄一が横から言う。
「似合ってますよ」
奏は満足そうにうなずく。
「うん。締まる」
黒が、スーツの袖口に収まる。
控えめな銀の文字盤が、午後三時を指している。
三雲は腕を下ろすが、
すぐには外さない。
「似合うよ、三雲ちゃん」
その一言で、
三雲の視線がわずかに逸れる。
「……そう、でしょうか」
奏はもう椅子に戻りかけている。
回転読書に復帰する。
くるり。
三雲だけが、少しだけ時間を意識している。
黒い時間が、腕に収まったまま、
午後が進む。




