第二十七話 「それは山田さん家のタマ」
朝、商店街がざわついていた。
八百屋の前に、丸い“圧”がない。
じゃがいも箱の角。
常にわずかに沈んでいるあの位置。
――いない。
「ミケがいねえ!」
親父の声が響く。
貼り紙が出るより先に、隣の白ジャージが言った。
「いないね」
奏は写真を見ない。箱を見る。
「凹み、昨日と同じ」
「それで何が分かる」
「今日は通常体重」
「だから何だ」
「いなくなった直後」
意味は分からないが妙に落ち着いている。
捜索が始まる。
魚屋の冷蔵庫裏。
パン屋の棚の下。
理髪店の雑誌ラックの裏。
「なんで雑誌の裏」
「箱の親戚」
「雑すぎるだろ」
一通り見て回る。
いない。
奏が立ち止まる。
「……よく考えると、下は無理」
「なんでだ」
「あのサイズで潜ったら、出る時に商店街が壊れる」
「誇張がすぎる」
確かにミケは大きい。
三毛というより三毛の“塊”。
誰かが上を指差した。
「あ、いた!」
梁の端に、白混じりの猫。
「見つかった!」
親父が安堵する。
だが奏は首を傾げた。
「違う」
「何が」
「あれ、山田さん家のタマ」
一同、沈黙。
「……は?」
俺が聞く。
「模様が逆。あと細い」
「遠目だぞ?」
「うん。でも尻尾の黒の入り方が違う」
何で分かる。
梁の猫がこちらを見る。
確かに、細い。
そしてミケほどの圧がない。
「……お前は何故そんな事を知ってるんだ」
「山田さん家の裏、午前十時くらいに日向ぼっこしてる」
「観測範囲が広すぎる」
「茶色成分が多いから覚えてる」
基準が一貫しているのが腹立つ。
タマは軽やかに隣の屋根へ消えた。
「ほら」
「ほらじゃない」
奏はアーケードを見上げる。
「もう少し奥」
数歩進む。
魚屋の前あたりで、奏が止まる。
「静か」
「何が」
「上が」
意味は分からない。
だが見上げる。
梁の上。
いた。
でかい。
梁が狭く見える。
「……今度こそ本物だな」
「うん。あれはミケ」
断言はしないが、迷いはない。
脚立を持ってくる流れになる。
「待って」
奏が平台に上がる。
「ミケ」
声が低く、柔らかい。
「巡回終わった?」
三毛がこちらを見る。
一瞬、商店街を見渡す。
そして。
飛んだ。
「ちょっ」
ドスン。
完全にドスン。
白と茶と黒の大きな塊が奏に直撃。
「うわああ!」
周囲がどよめく。
奏は二歩、三歩下がる。
だが倒れない。
両腕で受け止めている。
「……重い」
「見れば分かる」
俺が即答する。
ミケは完全に抱きついている。
上半身がほぼ毛。
「圧が強い」
「それは知ってる」
奏は片手で背中を支え、もう片方で頭を撫でる。
「ヨシヨシ」
ゴォォォ……と低い喉鳴り。
「エンジンか」
「軽トラより太い」
魚屋が言うな。
奏はゆっくりしゃがみ、地面に下ろす。
ミケは自分から八百屋の前へ戻る。
じゃがいも箱の角。
ギシ、と箱が鳴る。
「箱も替え時だな」
「それも看板」
奏が真顔で言う。
「重さは信用」
「また名言みたいに言うな」
八百屋の親父が深く息を吐く。
「助かった。ミケいねえと、店が軽い」
「軽いのはダメ」
奏が頷く。
「今日はちょっとテンポ遅かったから、上から確認しただけ」
「猫が?」
「うん」
断言はしない。
ミケは丸くなる。
守護神みたいな体格で。
奏をちらっと見る。
奏は小さく手を振る。
「また明日ね」
商店街の空気が、元に戻る。
俺はふと思う。
――奏が能力を使えば、たぶん一瞬で居場所は分かった。
空気をなぞるなり、時間を少し巻き戻すなり。
やろうと思えば、いくらでも。
だが。
今日のこれは、そういう話じゃない。
商店街総出で箱の裏を覗いて、
違う猫を見間違えて、
梁を見上げて、
最後にタックルを受ける。
その手順があってこそ、だ。
俺は思いかけて、やめた。
……やめとこう。
白ジャージの肩に、まだ猫の毛が付いている。
それで、十分だ。




