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下町オールドクロック  作者: イシマ ヒロ
「奏という日常」

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第二十五話「焼肉弁当は焼肉じゃないのかもしれない」

午後の店は、静かだった。


時計の針の音。

工具が金属に触れる音。


その中に、白いジャージが一つ。


奏は椅子にあぐらをかき、雑誌を開いている。

読んでいるというより、ページを触っているだけに近い。


「ね?」


「うん」


「今日ね、焼肉弁当だったでしょ?

 ちょっと当たり回だった気がする」


「当たり回?」


「柔らかさと甘さのバランスがね、

 ちゃんと手つないでた感じ」


「抽象的だな」


「分かるでしょ。

 噛んだ瞬間に“あ、今日いい”ってなるやつ」


分からない。


「黙ってたし」


「焼肉って三回言ってた」


「小声だよ?

 あれはほぼ環境音」


「全部聞こえてた」


奏はむっとして、雑誌を閉じる。


「……作ろっか」


来た。


「何を」


「焼肉炒め。

 ちょっとだけ、近づけられるか試したい」


「急だな」


「急じゃないよ。

 昼から頭の中でシミュレーションしてた」


「誰と」


「焼肉と白と私」


「急に主題歌みたいにするな」


「ちょっと気持ちよかった」


「弁当買えばいいだろ」


「それは違うの。

 再現って、ちょっとロマンあるでしょ」


「ロマン」


「できたら、ちょっと嬉しいじゃん」


言い方がずるい。



夕方。


スーパーの袋は、思ったより多かった。


肉。

玉ねぎ。

ピーマン。


「タレは?」


奏は小さく笑って、スマホを出す。


「作るよ。

 今日はちょっとだけ、ちゃんとやる」


「その“ちょっと”が信用ならん」


「“家にあるもので焼肉のタレ”。

 ほら、評価も高い」


「数字に弱いな」


「弱くないよ。

 でも信じたいときは信じる派」



キッチン。


フライパンを出しかけて、奏が止まる。


油のボトルを見て、少し眉を寄せる。


「……やっぱ着替える」


「何にだよ」


一度奥へ引っ込む。


戻ってきたとき、

白ジャージはフード付きに変わっていた。


ジッパーは上まで。

フードを、軽く被っている。


「何その装備」


「油跳ね、ちょっと怖いから」


「今さら?」


「目は大事」


フードの影から青い目がこちらを見る。


「防御力上がった?」


「+3くらい」


「微妙だな」


「でも気持ちは+10」


袖を肘までまくる。


白と白。


「よし。いく」


「そんな決意いるか?」


「焼肉は、ちょっと戦い」


肉を入れた瞬間、

小さく油が跳ねる。


奏は一瞬肩をすくめる。


「ほら」


「当たってない」


「気持ちの問題」


じゅう、と音が変わる。


玉ねぎを入れる。


奏はフライパンをほんの少しだけ持ち上げ、

こちらに傾けた。


挿絵(By みてみん)


タレを回しかける。


香りが立つ。


その瞬間、奏の目がきらっとする。


「見て」


「何を――」


つやの出た肉が、照りをまとって動く。


「今、いい感じ」


「近い近い近い!」


思わず一歩下がる。


「跳ねるぞ!」


「跳ねないよ、たぶん」


「たぶん言うな!」


奏は楽しそうに笑って、フライパンを戻す。


「ほら、ちゃんと絡んでる。

 タレと肉、今ちょっと仲良し」


「擬人化するな」


「今だけ」


焼肉炒めが完成する。



「いただきます」


「いただきます」


俺が食べる。


「うまい」


奏が身を乗り出す。


「弁当寄り?」


「普通にうまい」


奏も食べる。


少し考えて、首を傾げる。


「……違う。

 まとまり方が、ちょっと散らばってる」


「散らばってる?」


「弁当のはね、

 もう少し整ってる感じ」


「微調整、してもいい?」


「怖い言い方するな」


火を入れ直す。


「“お好みで”ってあるけど、

 この“お好み”が一番難しい」


もう一口。


「……俺は、結構好きだぞ。

 夕飯としては完成してる」


奏は止まる。


「それはダメ。

 それ、私が探してる場所じゃない」


「場所?」


「うん。

 それは“ちゃんと生活”。

 でも弁当じゃない」


次の瞬間。


焼肉炒めは、なかったことになった。


フライパンは空。

皿も空。


「……おい」


「作るとね、

 焼肉弁当じゃなくなるみたい」


少しだけ、悔しそうだった。



夕食は、焼き肉炒めの感覚はなんとなく残っていたので別のものを俺が適当に作った。


冷蔵庫の残り物。


「どう?」


「うん。

 これはちゃんと普通」


「さっきも普通って言ったぞ」


「あれは惜しい普通。

 これは安心する普通。美味しいよ。」


少し笑う。



翌日。


確認のためか今日の昼も焼肉弁当。


しばらくして、俺が言う。


「焼肉弁当ってさ、

 焼肉が主役じゃないんじゃないか」


奏は箸を止める。


「やっぱり?」


弁当を見る。


白いところが先に減っている。


「……これか」


奏はごはんを一口。


ゆっくり噛む。


「白は、やっぱりいいね。

 静かだけど、ちゃんと全部支えてる感じ」


「昨日の焼肉より?」


「比べない。

 比べたら、夕飯になっちゃうから」


少し笑う。


奏は俺の弁当をつつく。


「ちょっとちょうだい。

 そこ、まだ多い」


白いところ。


「米かよ」


奏は一口取って、満足そうに頷く。


「……米かぁ」


小さく呟く。


そのまま、少しだけ考える顔になる。


青い目が、ほんの一瞬だけ光った。


「ね」


「嫌な予感しかしないな」


「ううん。

 ちょっとだけ、思いついただけ」


「何を」


奏はにこっと笑う。


「白、もう少しだけ“寄せられる”かも」


「寄せるな」


「寄せない。

 ちょっと整えるだけ」


フードを外して、あぐらをかく。


白ジャージ。

青い目。


――焼肉弁当は、

今日は特に白いところが少ない。

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