第二十二話「直されない時計」
私は、もう何年も鳴っていない。
正確には、
鳴るべき時に鳴らなくなってから、
数え方をやめた。
ここは時計屋だ。
針の音がする。
金属が触れる音がする。
人の声もする。
それでも、
私の前を誰かが通ることはない。
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最近、白い音が増えた。
布が擦れる音。
椅子が少し軋む音。
紙をめくる音。
最近は、
規則正しいキーの音もする。
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鳴く時計がある。
あれは、後輩の鳩時計だ。
よく鳴く。
正確に、
世界に向かって。
鳴くたびに、
世界は一度だけ、
息を整える。
私は鳴かない。
だから、
世界が整わない瞬間を、
全部見ている。
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最近、仲間が増えた。
箱に入って、
布に包まれ、
順番に置かれていく。
中には、
触れただけで、
時間のほうが先に黙るものもある。
用途は分からない。
役割も分からない。
ただ、
とんでもない力を持っている、
ということだけは、
こちらにも伝わってくる。
白い音は、
それらを一度だけ見る。
それから、
何も言わず、
カウンターへ戻る。
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白い音は、
ノートパソコンを広げている。
画面には、
売上と仕入れの数字が並ぶ。
キーを打つ音は、
一定の間隔で続く。
「今日の分まで入れたか?」
「入れた」
視線を上げないまま答える。
引き出しのレシートは、
日付順に揃っている。
数字の桁も、
きっちり右に並んでいる。
特別なことはしていない。
ただ、
乱れたままにしておくのが、
少しだけ嫌いなだけだ。
それは時間をいじる仕事ではない。
時間を、
きちんと積み重ねる仕事だ。
男はそれを、
当然のように受け取っている。
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男が奥に道具を取りに行く。
店が、
一瞬だけ静かになる。
白い音の足の揺れが止まる。
ほんの数秒。
何も触らない。
ただ、
奥のほうを見る。
足音が戻る。
揺れが再開する。
何事もなかったみたいに。
私だけが、
その間を知っている。
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世界は、
相変わらず、
無理をしたまま回っている。
遠くで、
何かが足りない音がする。
誰かが急ぎ、
誰かが待ち、
誰かが怒り、
誰かが黙る。
それでも針は進む。
少しだけ軋みながら。
それでも、
修理台の前の男は、
今日も手を動かしている。
白い音は、
椅子の上で膝を抱え、
その様子を眺めている。
「雄一 お昼、どうする?」
「さっき食べただろ」
「それ、さっきじゃない」
「……どのさっきだ」
白い音は、
少し考えて、
小さく笑う。
「今より前のほう」
男が笑う。
白い音は、
その笑い声を聞いてから、
ようやく頷く。
後輩の鳩時計が鳴く。
白い音は、
音に合わせるみたいに、
少しだけ男のほうへ体を預ける。
無意識に。
多分、
壊れているのは世界だ。
それでも、
ここにいる人間たちは、
今日も、
ちゃんと時間を使っている。
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「今日は、静かめだね」




