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下町オールドクロック  作者: イシマ ヒロ


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第十七話 「役所の現場理解が進んでいる?」

昼の古針時計店

 秒針の音。

 工具が金属に触れる音。


 外は、朝から雨だった。


 強くはない。

 だが、止む気配もない。

 諦めのいい雨だ。


 ガラス越しに見える歩道は、少しだけ色が濃い。

 店の中まで、湿り気が侵入してきている気がする。


 なのに。


 呼吸は、重くない。

 むしろ、楽だった。


「……変な天気だな」


 雄一が言う。


 椅子の上では、奏があぐらをかいていた。


「今日は、引っかからない」


「何が?」


「全部」


「雑だな」


「雑で合ってる」


 説明はしない。


 ドアが開いた。


「……失礼します」


 三雲だった。


 両手に持った書類の束が、物理的に厚い。


「多くないですか」


「増えました」


 即答だった。


「減る要素が、ありませんでした」


「怖いな」


 三雲は机に書類を置く。


 ドン。


 音がした。


「報告書の様式が、変更されました」


 嫌な報告の仕方だった。


「こちらです」


 一枚引き抜く。


「……感想欄?」


「はい」


「感想?」


「感想です」


 二度言った。


「これまでの項目に加えて、“所感”が必須になりました」


「誰が書くんです?」


「私です」


「逃げ場ないんだ」


「ありません」


 奏が顔を上げた。


「地獄じゃん」


「感情が見えない、との指摘です」


「三雲ちゃん?」


「はい」


「感情、ある?」


 三雲は一拍置いた。


「……あります」


 もう一拍。


「業務上、使っていないだけです」


「封印してたんだ」


 記入例を読み上げる。


「“現場は緊張感を保っていた”――却下。

 “問題なく完了した”――差し戻し。

 “想定通りだった”――不十分」


「全部正解じゃない?」


「全部不正解です」


「逆にすごいな」


 三雲は続ける。


「“その場にいた人間として、どう感じたか”を

 書け、と」


 奏が、ふーんとだけ言った。


「あなたなら、どう書きますか」


 三雲が聞く。


 奏は答えない。


 雑誌を読み始める。


 椅子に座ったまま。

 ページは普通の向き。


 椅子が、ゆっくり回り始めた。


 半回転。


「……回ってませんか」


 さらに半回転。


「回ってますね」


 三雲は視線を逸らす。


 戻す。


 また確認する。


「……もうそれ、目が回るのでやめて下さい」


「回転読書」


「業務に支障が」


「感想だよ?」


「今は質問中です」


 雄一が言う。


「読む気ある?流行ってないよ」


「ある。流行る。」


「姿勢は?」


「無関係」


 椅子は回る。


「……それで、感想は」

 

 急に椅子を止めて奏は立ち上がり、

 三雲のとなりに来てニヤニヤしながら言った。


挿絵(By みてみん)


「ねえ、三雲ちゃん」


 三雲の眉が、わずかに跳ねた。


「今日は、湿度がちょうどいい」


 三雲が止まる。


「……湿度」


「うん」


「それは……」


「雨だし」


 窓の外では、雨。


「昨日より、動きやすい」


「それは……事象と」


「関係ある」


 即答。


「雨の日は、空気がちゃんとしてる」


「空気が……ちゃんと……」


 三雲は書類を見る。


 見る。


 もう一度見る。


「湿度……

 環境条件……

 主観……

 ちゃんとしている……」


 ペンが、止まったまま動かない。


「具体的には、何が“良い”と?」


「引っかからない」


「何が」


「全部」


「……全部」


 沈黙。


 外で、雨音が少し強くなる。


「……感想とは、難しいですね」


 雄一が言う。


「初めて“人間向いてない”って仕事だな」


 三雲は否定しなかった。


 黙って、感想欄を書く。


【所感】

現場環境は安定しており、

関係者の動きに滞りはなかった。

個人的には、

空気の状態が良好だと感じた。


 書き終えた三雲は、

 しばらくその文章を見つめていた。


「……私は、

 今、何を書いたのでしょうか」


 奏はまだ回っている。


「感想」


「そうですか」



 数日後。


 三雲は、局のデスクで返却された書類を受け取った。


 赤字なし。


 判定欄。


――問題なし。

 現場理解が進んでいる。


「……理解」


 その日の夕方、古針時計店。


 雨は上がっていた。


 空気は、まだ少し湿っている。


 椅子の上で、奏があぐらをかいている。


「評価されたね」


「理解された覚えがありません」


「でも、いたでしょ」


「……いました」


「それだよ」


 三雲は書類を閉じた。


 納得はしていない。


 だが、

 否定する材料もなかった。


 店内の空気は、

 最初からそうだったように、

 静かだった。

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