第十三話「置いてあるだけ(前編)」
昼の店は、静かだった。
時計の針の音。
工具が金属に触れる音。
ガラス越しの駅前通りのざわめきが、薄く混ざる。
椅子の上の白いジャージ。
あぐら。
雑誌。
奏は雑誌を読んでいる。
ページも、普通に進んでいる。
俺は修理台に向かい、
分解途中の腕時計の続きを拾った。
その時、店のドアがノックされた。
――コン、コン。
「はい」
ドアが開く。
色落ちしたカバーオールの男が、遠慮なく入ってきた。
使い古したリュック。
雑な足取り。
見覚えのある背中。
「よ。まだ潰れてないか?」
「第一声がそれかよ」
父だった。
最後に会ったのは二年前。
その後は、荷物だけが届く。
時計。
値段表。
説明なし。
「いやさ」
父は勝手に店内を見回しながら言う。
「俺が送ってる時計、だいたい訳ありだろ。店、急に消えるかと思って」
「潰れたら、完全に親父のせいだろ」
「だよなぁ」
納得するな。
父は棚を眺め、軽く頷く。
「……ちゃんと回ってるな」
「当たり前だ」
「いや、当たり前じゃない店も多い」
何を基準にしているのか分からない。
「お、アレ売れたか」
父が棚を指でつつく。
「売れた」
「じゃあ次、もうちょい高く書いとくわ」
「やめろ」
「高い方が“分かってる人”が買う」
「“分かってる人”に売るな」
父は一瞬きょとんとしてから、笑った。
「相変わらず、嫌なとこだけ職人だな」
そこで、父の視線が止まる。
白いジャージ。
奏と目が合う。
一拍。
「……誰だ?」
「居候」
「居候?」
父は奏を一度見て、
にやっと口角を上げた。
「彼女か?」
「違う」
「へえ」
興味深そうではあるが、
それ以上は踏み込まない。
奏は雑誌から顔を上げ、軽く会釈した。
「瀬尾です」
「……ああ」
それ以上は聞かない。
「可愛いな」
「余計なこと言うな」
「言いたくなるだろ」
奏は特に反応しない。
雑誌を閉じただけだった。
初対面としては、それで十分だった。
「で」
父が急に話を切り替える。
「最近、この辺ズレてるだろ」
「急だな」
「値段表見てりゃ分かる」
意味は分からないが、父は平然とリュックを床に下ろし、
中から工具を取り出した。
壁の古い掛け時計の裏蓋を開け、
迷いなく手を入れる。
手つきは軽い。
慣れている。
「……直すのか?」
「直せる分だけな」
父はそう言って、作業を続ける。
「この店さ」
ネジを締めながら言う。
「変なのが、ちゃんと残ってる」
「在庫の話か?」
「違う違う」
父は笑う。
「捨てる判断を、後回しにしてるだけ」
「商売の都合だ」
「まあな」
それで十分だ、という言い方だった。
しばらく、工具の音だけが続く。
そして、父の声が少しだけ低くなった。
「……このズレ、壊れじゃない」
秒針の音が、はっきり聞こえる。
奏が、雑誌を閉じた。
父は時計を見たまま言う。
「使われてる」
俺は口を開く。
「あー……そのことなんだけどさ」
説明しようとした、その瞬間。
「いい」
父が被せた。
「言わなくていい」
「……分かるのか?」
「だいたいな」
父は軽い調子のまま言う。
「直してると分かるんだよ。
“誰が触ってるか”」
奏は何も言わない。
肯定も、否定もしない。
ただ、閉じた雑誌を膝に置いたまま、
父の手元を見ている。
「まあ珍しくもない」
父はすぐに調子を戻す。
「世界、広いから」
「便利な言葉だな」
「便利だから使う」
父は最後にネジを締め、
時計を元に戻した。
「今日は、ここまでだな」
工具をリュックに放り込み、
そのまま近くの椅子に腰を下ろす。
「コーヒーある?」
返事を待たずに、父は店の奥へ向かった。
リビングの方から、
ソファーに腰を下ろす気配がする。
昔から、そういう人だった。
俺は何も言わず、作業台に戻った。
正直なところ、
さっきの手つきが頭から離れない。
速い。
無駄がない。
判断が早い。
悔しいが、
俺より早い。
黙々と、手を動かす。
――そのうち、
奥から声が聞こえてきた。
笑い声だ。
父と、奏の声が混じっている。
「雄一、子どもの頃さ」
「白は時間と相性がいい」
何を話しているのかは、
よく分からない。まったく……
ただ、
普通に談笑している。
俺は作業を続けた。




