第6話「昼の零時」
八時。夜勤を終えて、ほとんど寝ていない体を引きずりながら「ミカド流通・本部」に足を運んだ。
昨日よりも玄関の空気が重たい。曇りガラスの向こうに差す陽光が白く濁っていて、外なのに店内の冷蔵庫の冷気を思い出させる。
応接室に入ると、店長が机に腕を組んで待っていた。
「来たな、蓮。寝てねぇ顔だ」
「寝られるかっての。……“三段目の時間がずれてる”ってどういう意味なんですか」
店長は顎に手をやり、俺をじっと見据えた。
「裂け目の発生時刻は、基本は夜。だが“時間”そのものがズレると、昼にも零時が来る」
「昼に零時……そんな馬鹿な」
「普通は馬鹿な話だ。けど君はもう見ただろう? 夜三時に裂け目が開くのを」
言葉が詰まる。確かに、普通の世界じゃ説明できない。
「今日の正午、“零時”がもう一度来る」
「それって……」
「三段目が開く。夜じゃなく、昼間に」
背筋がぞわりとする。
「昼って……普通に人間の客も来ますよね?」
「そうだ。だから厄介なんだ。表の客と裏の客が同時に入り混じる。君が封じられなければ、店は境界ごと飲まれる」
——飲まれる。
その単語が喉に重く落ちた。
店長は引き出しから封筒を出し、俺に差し出す。中には札と砂時計のほかに、小さなガラス瓶が入っていた。
中身は塩。だが昨日の粗塩とは違い、銀色にわずかに光っている。
「それは“結界塩”だ。常連様が寄越した」
「常連様が……」
「つまり、彼女も今日を危険だと思っている」
ガラス瓶を見つめる俺に、店長はさらに言った。
「昼の零時に立ち会うのは、君だ。夜勤監視員じゃなく——門番候補として」
心臓が跳ねる。昨日カードに追加されたスタンプと同じ言葉。
「門番候補……本気で言ってます?俺、夜勤明けなんですけど」
「俺だって本気で言いたくねぇよ。でも現場に立てる人間は限られてる」
重い沈黙が落ちた。
結局俺は、その封筒を抱えて本部を後にした。
午前十一時四十五分。
昼のシフトは賑やかだ。主婦が惣菜を買い、サラリーマンが弁当を手に取り、工事現場の若い連中がドリンクをまとめ買いする。
俺は制服のままレジ横に立ち、ただ待った。バックヤードには昼番のパートさんがいるが、正午は「俺が対応する」と言ってもらってある。
十一時五十九分。
小鈴が、ちりん、と鳴る。
周囲の客は気づかない。けれど俺には聞こえた。
次の瞬間。
三段目——ラップとアルミホイルの棚の奥が、ゆっくりと暗く染まり始めた。
昼間なのに、影が滲む。蛍光灯が揺れ、床の影が長く伸びる。
「……始まった」
俺はレジ下から瓶を取り出し、床に素早く塩で円を描いた。銀色の粒が、陽光を反射してわずかに光る。
円が閉じた瞬間、空気が変わった。
外から差し込む昼の光が、コンビニのガラス越しに濁っている。まるで水槽の中みたいに。
客の一人が「照明おかしくない?」と呟いた。
常連様の忠告が頭をよぎる——“表と裏が重なる”。
俺は深呼吸し、砂時計を反転させた。
ラップの箱がひとつ、内側から押し出されるように飛び出した。
箱が裂け、黒い手がにゅるりと伸びる。昼の光の下で見ても、やっぱりそれは「影の手」だった。
「いらっしゃいませ——」
口が勝手に動いた。笑顔を作り、札を構える。
影の手は円の縁で止まる。塩がじゅ、と煙を立てる。
背後で、誰かが「あれ、何してるんだ?」と呟いた。
見えている人間客もいる。混ざり始めているんだ。
「落ち着け……俺は店員だ」
札を押し当てる。黒は抵抗し、塩は光を増す。
砂が落ちる。あと二分。
そのとき——。
自動ドアが開いた。
チャイムは鳴らない。
現れたのは、昨日の白紙紙幣の男。
コートを揺らし、深く帽子をかぶったまま、真っ直ぐ三段目に向かう。
「通行」
たった一言。
俺は札を押さえたまま、声を張り上げた。
「お待ちください! 今は“表”の客がいる!」
周囲の人々は驚いて振り向く。
だが白紙の男は構わず歩み寄る。
塩の円に足をかけた瞬間、銀色の粒が激しく火花を散らした。
「っ……!」
札が震える。黒い手が暴れる。
円の内側で、昼の光と夜の影がぶつかり合っている。
砂時計の砂は、まだ残っている。
でも、次の瞬間にも円が破られそうだ。
俺は歯を食いしばり、札をさらに押さえ込む。
「……お客様、順番をお守りください!!」
叫び声が、昼のコンビニに響いた。




