第4話「人と怪のあいだ」
深夜二時。
夜勤にとっては忙しい時間帯だ。
居酒屋を出てきた酔っ払いがふらふら寄ってきたり、タクシー運転手が缶コーヒーをまとめ買いしたり、工場帰りの作業員がカップ麺を抱えてきたり。
俺はレジ前で「いらっしゃいませー」と機械的に声を出しつつ、手だけはフル稼働でバーコードを通していた。
「お釣り五百円、お確かめください」
こういう瞬間は安心する。
本当に、ただの夜勤バイトをしているだけの気分になる。
昨日、一昨日と“裂け目”だの“常連様”だのと現実離れした出来事が続いていたから、余計にそう感じる。
——だが、この時間帯が“表”の客ばかりだと思うのは、やはり甘かった。
その男が来店したのは、二時三十二分。
背の高いスーツ姿。深く帽子をかぶり、黒いコートを羽織っている。雨上がりの路地を歩いてきたはずなのに、靴には一滴の水も泥もついていなかった。
人影のようで、人ではないような……そんな違和感が背筋を走る。
男は無言で煙草の棚を指差した。
「銘柄は?」
「……赤いの」
アバウトすぎる。だが、たぶんマルボロレッドだろう。俺は一箱取り出し、カウンターに置く。
「五百円です」
男は無言で紙幣を差し出した。
……真っ白な紙だった。印刷がない。ただの紙。
思わず固まる。だが恐る恐るレジに通すと、ピッと音が鳴り、ちゃんと千円として読み込まれた。
レジの数字は減り、お釣りが表示される。俺は五百円玉を差し出す。
男はそれを受け取り、帽子の下で小さく会釈をして、袋も持たずにそのまま煙草をコートにしまった。
ドアが閉まる。チャイムが鳴る。
その瞬間、店内の空気が一瞬だけ冷え込んだ。
「……なんだ今の」
小鈴は鳴らない。つまり、危険な客ではない?
それとも、まだ俺が気づけていないだけか。
考える間もなく、次の客が来る。
タクシー運転手が二人、どかっと入ってきた。
「缶コーヒー三つずつね!」と冗談を言い合いながら、ポンポン商品を置いていく。
普通の、疲れてるけど陽気な人間だ。こういうやり取りは落ち着く。
「夜勤も大変だろ?がんばれよ兄ちゃん」
「ありがとうございます」
客が去り、再び静けさが戻る。
すると、店の隅で妙な気配がした。
雑誌棚の前に、若いカップルが立っていた。
女の子は雑誌をぱらぱらめくり、男はスマホをいじっている。
ただ、それだけなのに……俺の目にはどうしても違和感が映る。
女の子の影が、足元で二つに分かれているのだ。
店の照明は均一で、そんなことは起こらない。
影の一つは、ページをめくる動きに合わせて揺れている。もう一つは、ぴたりと止まったまま、こちらを見ているように感じた。
「……」
背筋に汗が滲む。
俺はさりげなくカウンター下の封筒を確認した。札と砂時計はある。
だが、どう動くべきか分からない。下手に手を出すと、客が人間だった場合にただの不審者になる。
「おにぎり、鮭とツナ一個ずつ」
女の子が持ってきたのは、どこにでもある普通の商品だった。バーコードを通し、会計を済ませる。
差し出された千円札は、今度はちゃんと印刷されていた。
「ありがとうございましたー」
二人が出て行くと、足元の影も一緒に消えた。
だが俺は確かに見た。
もう一つの影は、最後までこちらを向いていた。
「……気のせい、じゃないよな」
神棚の小鈴は、沈黙したまま。
つまり危険ではない、のか?
しかし、さっきの白紙の紙幣の男といい、二つ影のカップルといい……
人と怪の境界は、思った以上に曖昧だ。
俺はホットスナックの残りを数えながら、ふっとため息をついた。
夜はまだ長い。
次にどんな「お客様」が来るのか、誰にも分からない。




