第9話:とろける熱々ミートパイ ~うっかり者の衛兵と、心温まる奇跡の味~(第三部)
その日の宿屋のまかないは、リリアとベアトリス、そして衛兵隊長のガルフも加わり、皆でテーブルを囲んだ。目の前に出されたのは、香ばしい焼き色がついた、見たこともない円形の料理だ。湯気が立ち上り、食欲をそそる香りが漂っている。
「えっ、これが今日のまかない? 日向さんが作ったんですか?」
リリアが目を輝かせた。彼女の瞳は、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のようだ。
「フム、妙な匂いがするな……衛兵として、まずは毒見といくか」
ガルフがそう言って、真っ先にナイフとフォークを手に取った。いかにも真面目そうなガルフの表情に、耕介は内心苦笑いを浮かべながらも、自信を持ってその一皿を差し出した。
ガルフは躊躇なく一口頬張った。サクッとした香ばしい生地の食感の後に、口の中に広がるのは、熱々でジューシーな狩人豚の肉と、野菜の甘み、そして香りの葉の爽やかな風味。何よりも驚いたのは、その**温かさの持続力**だった。温熱石の熱がじんわりと全体に行き渡り、食べる間中、料理が冷めることがない。
「な、なんだ、これは……! まるで、腹の中に暖炉があるようだ……!」
ガルフは、ほとんど呻き声のような感嘆の声を漏らした。長時間の夜警で冷え切った体が、芯から温まっていくのを感じたのだ。彼の顔には、日頃の厳格な表情は消え失せ、純粋な驚きと、そして満ち足りた幸福感だけが残っていた。
「わ、私も食べていいんですか!?」
ガルフのあまりの反応に、リリアはいてもたってもいられず、自分もナイフとフォークを手に取った。恐る恐る一口。
「んっ!」
リリアの瞳が、これ以上ないほど大きく見開かれた。口の中に広がる温かさと、肉の旨み、そして香ばしい生地のハーモニー。彼女の顔には、満面の笑みが広がった。
「美味しいっ! 日向さん! これ、冷めない!」
リリアは感動に打ち震えるように叫んだ。
そして、一番驚いていたのは、他ならぬボーナスだった。自分の「うっかり」で台無しになったはずの肉が、こんなにも美味しく、そして温かい料理として生まれ変わったことに、彼は感動を隠せない。恐る恐る一口食べると、その目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「う、うまい……! 俺の、俺のうっかりが……こんなに美味しい料理に……!」
ボーナスは、自分の失敗が、こんなにも素晴らしい結果を生んだことに、心から安堵し、そして感謝した。彼の顔には、もう不安の色はなく、ただ純粋な喜びと、温かい感動が満ち溢れていた。彼は、自分の存在価値を、この一皿を通じて再確認したかのようだった。
それまで腕を組み、静かに様子を見ていた女将のベアトリスも、三人の反応に驚きを隠せない。眉間に寄せられた皺が、いつの間にか和らいでいる。彼女は、日向の料理が、ただ美味しいだけでなく、人々の心を動かす力を持っていることを、改めて実感していた。
「……こりゃ、たまげたね。あんたの料理は、本当に不思議なもんだね。まさか、あんな失敗から、こんなに美味いもんが生まれるとは……」
ベアトリスは、耕介の肩をポンと叩いた。その表情には、感謝と、そして未来への希望が満ち溢れていた。彼女の口元には、滅多に見せない優しい笑みが浮かんでいた。
耕介は、皆の笑顔を見て、心から充実感を感じていた。現代では、完璧な料理を追求するあまり、失敗は許されないものだった。しかし、この異世界では、**「失敗」さえも、人々の心を温める「奇跡」へと変えることができる**のだ。彼の料理は、ただ空腹を満たすだけでなく、人々の心に温かい光を灯している。
モグモグは、そんな皆の様子を、耕介の肩から満足げに見下ろしている。彼の小さな耳は、食堂に響く人々の笑顔の声に、楽しそうにぴこぴこと動いていた。美味しい料理が、人々を笑顔にする。その光景こそが、彼らが一番好きなものなのだ。
あっという間に、皿は空になった。ガルフは、普段の厳格な表情を忘れ、満ち足りた顔で深いため息をついた。ボーナスは、皿に残った最後の肉汁まで、パンで拭って食べ尽くした。
「日向さん、本当にありがとうございます……! 俺、こんなに温かい気持ちになったの、初めてです……」
ボーナスは、深々と頭を下げた。彼の言葉は、耕介の心に深く響いた。
「はい、これで、みんな笑顔!」
耕介の口癖が、宿屋に響くたびに、新しい笑顔が生まれる。