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第7話:とろける熱々ミートパイ ~うっかり者の衛兵と、心温まる奇跡の味~(第一部)

宿屋「木漏れ日の食卓亭」は、日向耕介が来てからというもの、連日活気に満ち溢れていた。特に「体を温める暖炉芋」と名付けられた泥芋のポテトサラダは、鉱夫や衛兵たちの間で大好評だ。食堂は、朝から晩まで、客たちの笑い声と、料理を頬張る音で賑わっている。ベアトリスとリリアも、これまでになく忙しい日々を送っていたが、その顔には疲労よりも、充実感と喜びが満ち溢れていた。


しかし、冬の厳しい寒さは、彼らの体を容赦なく蝕む。特に、夜警や長時間の巡回を終え、宿屋に戻ってくる衛兵たちの顔は、いつも青ざめ、疲労の色が濃い。彼らは、宿屋の温かい料理を求めてやってくるが、食堂の熱気も、凍え切った体には、すぐに打ち消されてしまうようだった。


「日向さん、今日の夜警も冷え込みましたねぇ……。体が芯まで冷えちまって、飯も喉を通らねぇや」


衛兵隊長のガルフが、いつものようにカウンター席に座り、ため息をついた。彼の顔は、夜の寒さに晒されたせいで、いつも以上にこわばっている。


「ガルフ隊長、お疲れ様です。温かいお茶でもいかがですか?」


耕介が湯気の立つカップを差し出すと、ガルフは無言で受け取り、ゆっくりと啜った。その隣には、新米衛兵の**ボーナス**が、震える手で熱い湯を啜っている。ボーナスは真面目な性格だが、どこか抜けているところがあり、よくうっかりミスをするため、隊内では「うっかりボーナス」と揶揄されることもあった。彼の顔色は、ガルフ以上に悪い。唇は青ざめ、肩は小刻みに震えている。


「ボーナス君、顔色が悪いですよ。何か胃に優しいものでも作りますか? 暖炉芋なら、すぐに用意できますが」


耕介が心配そうに声をかけると、ボーナスは弱々しく首を振った。


「いえ……日向さん、お気遣いありがとうございます。でも、最近、どうも食欲がなくて……。それに、せっかく温かい煮込みをもらっても、すぐに冷えちまうんで……。体が温まらないと、どうも……」


ボーナスは、力なく呟いた。衛兵たちの悩みは深刻だった。宿屋の煮込み料理は温かいが、食堂の外に出れば、外気に触れるとあっという間に冷めてしまう。冷えた料理は、疲弊しきった体には何の助けにもならない。むしろ、胃に負担をかけるだけだ。


「なるほど……温かさが持続する料理、ですか……」


耕介は腕を組み、考え込んだ。暖炉芋は体を温める効果は高いが、あくまでサイドディッシュだ。衛兵たちの主食となるような、もっとボリュームがあり、かつ温かさを長く保てる料理が必要だ。


その日の午後、耕介は厨房で、先日狩人が持ち込んできた**「狩人豚かりゅうどぶた」**の肉を捌いていた。この肉は脂身が少なく引き締まっており、煮込みや焼き料理に適している。彼は、この肉を使って、衛兵たちの体を芯から温める料理を考案しようとしていた。


「よし、まずはこの肉を、香りの葉でマリネして、下味をつけておこう。臭みも消えるし、風味も増す」


耕介は、狩人豚のブロック肉に**「香りのかおりのは」(ローズマリーやタイムに似たハーブ)**を擦り込み、粗塩を振った。肉の繊維に沿って、丁寧にハーブを揉み込んでいく。その手つきは、まるで芸術作品を創造する彫刻家のようだ。


「日向さん、すみません! 休憩時間に、少しだけお湯を温めさせてもらってもいいですか?」


宿屋の裏口から、ボーナスが顔を出した。彼は、小さな鉄鍋と、水が入った革袋を手にしている。


「ああ、いいですよ。寒かったでしょう。どうぞ、火を使ってください」


耕介は快く承諾し、ボーナスは宿屋の裏にある、小さな焚き火台に薪をくべ、火にかけた。湯気が立ち上り、ボーナスは冷えた手をかざして温め始めた。


その時だった。


「わわわわっ!」


ボーナスの悲鳴が響いた。彼は、火にかかっていた鍋から目を離し、足元に転がっていた木切れにつまずいたのだ。バランスを崩したボーナスの体が、なんと耕介が下処理を終え、温めるために置いていた**「狩人豚の煮込み」の鍋に激突!**


ガッシャーン!


鈍い音を立てて、鍋は床にひっくり返った。煮込まれた狩人豚の肉と、野菜、そして温めるために底に入れていた**「温熱石おんねつせき」(火にかけると長時間熱を保つ特殊な石)**が、床に散乱する。肉汁が、耕介がパンを焼くために広げていた**「麦穂粉むぎほこ」(小麦粉に似た穀物粉)**で打たれた生地の上に流れ出し、みるみるうちに染み込んでいく。


「ひゃ、ひゃあああ! 日向さん、ごめんなさい! 俺、またやっちゃいました……!」


ボーナスは顔を真っ青にして、震えながら謝罪した。せっかく耕介が衛兵たちのためにと準備していた肉が、台無しになってしまったのだ。彼の瞳には、絶望と、自己嫌悪の色が浮かんでいた。


しかし、耕介は怒らなかった。彼は、散らばった具材と、肉汁が染み込んだ生地をじっと見つめた。その光景が、彼の脳裏に、ある料理の逸話を鮮やかに蘇らせた。


(これは……もしかして、あの時のタタン姉妹と同じ状況じゃないか……?)


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