第6話(幕間)老鉱夫バルドの回想
バルドは、宿屋「木漏れ日の食卓亭」を出ると、冷たい夜風に吹かれた。だが、いつものような凍える感覚はなかった。胃の腑からじんわりと広がる温かさが、体の芯まで染み渡っている。
(暖炉芋……か)
日向の作ったあの泥芋の料理を、衛兵たちがそう呼んでいた。馬鹿馬鹿しい、と思った。泥芋は泥芋だ。貧乏人の食い物で、ただ腹を満たすだけの、味気ない塊。それが、こんなにも心に響く味になるなんて。
バルドの脳裏に、遠い昔の記憶が蘇った。
あれは、自分がまだ小さな子供だった頃だ。冬は特に厳しく、食料はいつも乏しかった。母親は、いつも痩せこけていたが、どんなに少ない食料でも、家族のために知恵を絞って料理を作ってくれた。
ある日、雪が降り積もる中で、手に入ったのは、土まみれの泥芋が数個だけだった。母親は、その泥芋を暖炉の灰の中に埋め、じっくりと焼いた。熱くなった芋を、母親が器用に土から取り出し、熱い息を吹きかけながら皮を剥いてくれた。ホクホクと湯気を立てる泥芋。それに、わずかに残っていた塩を振って、手で潰し、皆で分け合った。
「さあ、お食べ。体が温まるよ」
冷えた指先に、泥芋の温かさがじんわりと伝わってきた。口に入れると、素朴な甘みが広がり、凍え切っていた体が芯から温まるのを感じた。貧しかったけれど、あの食卓には、いつも温かい笑顔があった。あの泥芋は、ただの食事ではなかった。家族の温もりそのものだった。
鉱山での過酷な労働。冷たい岩肌に囲まれ、埃っぽい空気を吸い込みながら、バルドは毎日毎日、ただひたすら石を掘り続けた。体は冷え切り、心も凍えきっていた。食事は、ただの燃料だ。味などどうでもよかった。故郷の母親の顔も、暖炉の温もりも、いつしか遠い記憶の彼方に追いやられていた。
それが、今日、日向が作ってくれたあの泥芋の料理を一口食べた瞬間、全てが蘇ったのだ。
あの、ホクホクとした温かさ。まろやかな舌触り。どこか懐かしい香りが、幼い頃の記憶と重なった。まるで、あの日の母親が、目の前で料理を作ってくれているようだった。冷え切った体が、そして心が、じんわりと温かくなっていく。
(ああ、俺は……こんな味を、ずっと求めていたのか……)
バルドは、宿屋から離れた静かな場所に立ち止まり、夜空を見上げた。満月が、冷たい光を投げかけている。だが、彼の心は、先ほど食べた「暖炉芋」の温もりで、満たされていた。
宿屋の窓から漏れる光が、町を照らしている。あの光の下で、日向は今日も、誰かの心を温める料理を作っているのだろうか。
バルドは、凍える手をそっと握りしめた。明日も、また、あの宿屋に行こう。冷えた体に、あの温かい「暖炉芋」を。そして、忘れかけていた心の温もりを、もう一度味わいに。