第4話:初めてのまかない ~貧しき食卓の、心温まる救済~(第四部)
その日の宿屋のまかないは、いつもと違った。食堂のテーブルには、宿屋の娘リリア、女将ベアトリス、そして偶然通りかかった衛兵隊長のガルフが座っていた。彼らの前には、いつもの煮込み料理に加え、湯気を立てる真新しい皿が置かれている。皿の中には、鮮やかな黄色のペースト状の料理が盛られていた。
「えっ、これが今日のまかない? 日向さんが作ったんですか?」
リリアが目を輝かせた。彼女の好奇心旺盛な瞳が、皿の上の料理に釘付けになっている。
「フム、妙な匂いがするな……衛兵として、まずは毒見といくか」
ガルフがそう言って、真っ先にスプーンを手に取った。いかにも真面目そうな、そして少し堅物なガルフの表情に、耕介は内心苦笑いを浮かべながらも、自信を持ってその一皿を差し出した。
「はい、どうぞ。今日のまかないは、**『ホクホク泥芋のクリーミーサラダ』**です」
ガルフは躊躇なく一口頬張った。その瞬間、彼の顔の表情が、見る見るうちに変わっていった。目は大きく見開かれ、口角が自然と上がる。そして、まるで夢を見ているかのようにゆっくりと咀嚼すると、ゴクリと喉を鳴らした。
「……な、なんだ、これは……!?」
ガルフは、皿の中の「ホクホク泥芋のクリーミーサラダ」を凝視した。その目は、まるで初めて見る宝物でも見つけたかのようだ。彼の顔から、日頃の厳格さが消え失せ、純粋な驚きと喜びだけが残っていた。
「え、ガルフ隊長、どうしたんですか?」
隣で見ていたリリアが心配そうに尋ねる。彼女も、ガルフの普段見せない表情に驚いていた。
ガルフはリリアの問いには答えず、ただひたすらスプーンを動かした。ホクホクとした泥芋の優しい甘みと、発酵塩塊からくる芳醇なコクと塩味。そして、後から追いかけてくる香草の爽やかな香りが、口の中で複雑に絡み合い、これまで経験したことのない深い味わいを生み出している。何よりも、その温かさだ。冷めやすいはずの芋が、しっかりと熱を保ち、胃の腑にじんわりと染み渡っていく。
「ま、まさか……泥芋が、こんなにも、こんなにも美味しく、そして温かくなるなんて……!」
ガルフはほとんど呻き声のような感嘆の声を漏らした。衛兵隊長として、これまで多くの質素な食事を摂ってきたガルフにとって、この料理はまさに衝撃だった。彼は普段、任務で疲労困憊して帰ってくることが多く、食事は単なる腹を満たす作業だった。しかし、耕介の作ったこの一皿は、疲れた体だけでなく、凍えていた心まで温かく溶かしていくようだった。
「わ、私も食べていいんですか!?」
ガルフのあまりの反応に、リリアはいてもたってもいられず、自分もスプーンを手に取った。恐る恐る一口。
「んっ!」
リリアの瞳が、これ以上ないほど大きく見開かれた。口の中に広がる優しい甘みと、とろけるような滑らかな舌触り。そして、乾燥野実のカリカリとした食感が、楽しいアクセントになっている。
「美味しいっ! なにこれ、すっごく美味しい! お母さんの泥芋料理と全然違う!」
リリアは満面の笑みで、耕介を見上げた。その屈託のない笑顔に、耕介は思わず胸が温かくなるのを感じた。この笑顔こそが、彼が料理を作る最大の理由だった。
「ふふふ、良かったですね、リリアちゃん」
「日向さん! 私、こんな美味しい泥芋、初めて食べました! これは、まるで魔法みたい!」
リリアは感動で目を潤ませながら、次々とスプーンを口に運んだ。彼女の口元は、芋の黄色で薄く汚れていたが、そんなこと気にもせず食べ続けている。
それまで腕を組み、静かに様子を見ていた女将のベアトリスも、二人の反応に驚きを隠せない。眉間に寄せられた皺が、いつの間にか和らいでいる。彼女は長年、この宿屋を切り盛りしてきた。これまでに多くの泥芋料理を作ってきたが、客からこんなにも純粋な喜びの声を聞いたことはなかった。
「……どれ、私も一口だけ……」
ベアトリスはそう言って、おずおずとスプーンを取った。長年の経験から、この宿屋の料理が、決して人々に感動を与えるようなものではないと自覚していたからこそ、二人の反応が信じられないのだ。
ベアトリスも一口頬張る。そして、リリアやガルフと同じように、その顔から表情が消えた。数秒の間。ゆっくりと、その料理の味を噛みしめるように味わい、そして。
「…………こりゃ、たまげたね」
絞り出すような一言。しかし、その声には、深い感銘と、そして長年の苦労が報われるような、温かい響きがあった。
「泥芋が、こんなになるなんてねぇ……あんた、本当に何者だい?」
ベアトリスの問いに、耕介はにこりと微笑んだ。
「私は、ただの料理人ですよ。美味しいもので、みんなを笑顔にしたい、それだけです」
耕介の言葉を聞いて、リリアもベアトリスも、そしてガルフも、再び自分の皿へと目を向けた。皆の顔に浮かんでいるのは、疑念ではなく、純粋な喜びと、満ち足りた幸福感だった。
モグモグは、そんな皆の様子を、耕介の肩から満足げに見下ろしている。彼の小さな耳は、食堂に響く人々の笑顔の声に、楽しそうにぴこぴこと動いていた。美味しい料理が、人々を笑顔にする。その光景こそが、彼らが一番好きなものなのだ。
あっという間に、皿は空になった。普段は無口なガルフが、珍しく「もう一杯……」と呟くほどだ。耕介は笑って、追加の分も用意してあげた。この日、宿屋「木漏れ日の食卓亭」のまかないは、それまでで一番、温かく、そして笑顔に満ちたものとなった。質素な泥芋が、耕介の腕によって、人々の心に深く刻まれる特別な一皿へと生まれ変わったのだ。