世界
この世界は、どうしようも無く破壊されている。
なんて。終末SFの決まり文句が、ここまで身につまされる現況は、本当に笑えない。では、何故こうなったのか。その理由も笑えない。
だからまず、何も知らないひとりの剣士に向けて、この話から始めなければならない。
この世界を変えた、夢の物質の話だ。
「──『境界物質』、と呼ばれる存在がある。それは新しく発見された素粒子で、その性質は夢のようなものだった」
「夢? ですか?」
「そう。その物質はね、何でも出来たの。人の思考に反応して、固体にも液体にも、燃料にも食料にも成った。望めば何でも叶う、夢を実現させる為の触媒。ひょっとしたら君とわたし達の言葉が通じるのもそのお陰かもね……まぁ、そうやって人の文明を押し広げた、黄金の時代があったのよ。今からもう、10年も前の話」
がたごと、車輪が我鳴る。ゆっくりと進むオンボロトラックの足音、それが数台に連なって進む山道は比較的平坦だ。
人が歩いて進むにも丁度良い。だから重症の者や、足腰の不便な老人以外は歩いて道を進んでもらう。
今はもう、黄金の時代では無いから。燃料も車の容量も限られる。それこそ、『境界物質』があれば話は大きく変わるけど。
「……ってことは、この仕掛け車もその『境界物質』とやらで動いてるんです? 文明ってすげぇ……よくわかんないけど」
と。何かナチュラルに煽ってきた気がする手錠の虜囚は、団体の最前列を歩かせている。
レイチェルはそのすぐ後ろを、ライフル片手に付いて行く形だ。というわけで、些かムカつく黒い羽織の背中を銃口で突く。思い切り。
「痛い! え、なんで!?」
「いや、そこはかとなくムカついたから。それにもう文明は崩壊してるから『境界物質』もおいそれと手に入らないのよ、もっと察しなさい」
「えぇ……何ですかその横暴の極み……」
「ま、気にしないで話を続けましょう」
「それ多分おれが言う台詞……」
悟ったような、状況を理解したような声を上げて、表情の大半が前髪で隠れた顔をレイチェルに向ける。
チバエイジロウ──ようやく、そう名乗ったこの青年は、今の世界について何も知らない。名前からしてアメリカ人では無さそうだけれど、諸外国との連絡が絶たれて久しいこの土地にどうやって現れたのかまるで分からない。
けれど、その登場の段階からして、彼があまりに巨大な脅威であることは理解していた。それに何より、現状だけでもズタボロなアメリカ大陸以外に、人間の生活圏が在るかどうか。
でも、きっとそうじゃない。外からどうにかしてやって来た誰かでは無い。レイチェルは確信を持って言える。
それに恐らく。きっとこの青年の謎は、いまの世界の状況と関わりがある筈だ。
「そも、『境界物質』はこの世界のものじゃない。とある国の、とある実験によって産み出されたワームホールからもたらされた異物が、この物質の始まり」
「わぁむほーる?」
「いわゆる、虫食いの穴の事。服を食い破るみたいに、空間を穿つの。そうする事でここではないどこかへと奇跡的に繋がった。そんな奇跡を担保し、空間の穴を『境界物質』を使って半永久的に保持する機関を、「ワームエンジン」と呼んだのよ。空間の穴さえ開けばあとは『境界物質』が穴を固定するから、機械だけでなく生物にも適用し得る。君のはそれね、きっと」
「ああ! つまり神通力ってことですね! ようは天狗だ!」
「いきなり意味の分からないワードを出すのはやめなさい」
「いやいや、天狗だってすごいんですよ! 空を飛べるし突風を呼べるしおまけに空も飛べる! 人間、一度くらい天狗に憧れるもんですって、いやほんとほんと!」
「ああ、そ。話を戻すわね?…………そんな顔してもテングの話の続きはしません」
閑話休題。森の道は続く。
「丁度この地球も、長年嘯かれてきたエネルギー問題やら食糧問題やらが深刻化しきっていた。『境界物質』はそれら全てを解決することが可能だった。必然、各国は『境界物質』の取得と開発を国是として躍起になり、結果として人類の諸問題の殆んどを解決した」
「なるほど。だから、黄金の時代ですか?」
「そ。永遠に続くと思えたし、実際「ワームエンジン」は稼働する環境を選ばなかった。理論上、空間さえあれば何処でも『境界物質』を引き出せるからね。自由、平等、博愛──現代に至る人間社会の基本理念を、真の意味で体現できる時代になる、筈だった……あの日まで、『大審判』の起こる日までは」
「だ、だい、しん? それは、あれですか? 戦とか?」
「いいえ。その日その時何があったか。厳密には何も分からないの。ただその日、北米大陸は物理的に引き裂かれ、辺りにはグールが溢れかえった。警察も、軍も政府も消えてなくなり、通信は途絶え文明の灯は消え、何もかもが静かに成った……残ったのは僅かばかりの人類生存圏と、弱肉強食が蔓延る原始の荒野だけ」
まるでバベルの塔の逸話だ。極めすぎた栄華は結局、悪趣味な結末を迎えるものか。
レイチェルは言葉を切り、数歩ばかり速度を早める。目の前に森の切れ間、一足早く樹木の天蓋を抜け、視界の開ける位置へ栄次郎を誘う。
遅れて、レイチェルの後を追う栄次郎の視界も開ける。森を抜けた、というのならここは広野の筈だ。草原か湿地かは分からない。
日差しが目を刺す。栄次郎は顔をしかめ、両目が光に慣れるのを待つ。
すぐに視界は整った。眼球の反応が早めなのは、そういう訓練をしていたからだろうか。同時に、草いきれ、今さっきまで自身を包んでいた空気と同じ青いにおいを探して。
──見付けられなかった。
それは当然である。栄次郎の視覚が、正常に、その開けた大地を見遣る。
「え……うわ……」
絶句だった。当然だ。そこは、広野は、大地は、ズタズタに穿たれ引き裂かれていたのだから。
爪を突き立てたような断崖、星を撃ち込まれたような大穴。人はおろか、植物さえ根付くのを拒むような、完璧な荒れ野。
──壊れている。そう言い切るに足る、悲惨な情景。栄次郎はただ、眉を潜めることしか出来ない。
「わたし達の集落はラッキーだった。土地の被害は極小でグールが現れる事も少ない。ボロボロの機械式「ワームエンジン」と細々と暮らせるだけの畑も水源も有ったし、近くの集落と協力することも出来た。けれど医療品や機械部品なんかの貴重な資源は早々に底を突いて、周りの集落との連絡も途絶えはじめ、いよいよ孤立無援に陥ったのが先月の話」
そう考えれば、良くも今まで生きていられたものだ。レイチェルは自らの悪運に感心し、苦笑する。
昨夜の惨劇も、数日前に起こされた襲撃も、ある種のラッキーなのは確かだから。そこで失われた命を思うと、あまりに虫酸の走る事実だけれど。
いや、だからこそ、その虫酸の走る事実と向き合わなければならない。グールを止められない自分の無力、街を放置してエージを縛り上げた自分の無責任。
そのケジメを取らないと。だからまず、彼の事を知らなければ。
「日も傾いて来た……今日はここで夜営ね。夜に、荒野のど真ん中でグールと遭遇なんて考えたくもない」
「え? お天道さん、まだ結構高いですよ?」
「ここから旧シアトル──今は「リンカーン」なんて名乗ってるけど、そこまでは荒野を突っ切れば直ぐ。でも直線距離にして200キロはあるから、この大所帯じゃ無事な夜営地まで間に合わないもの」
「おや、地図とかあるんです? こんな酷い地面なのに……」
「努力と犠牲の賜物よ。『大審判』からこっち、大陸の地形はめちゃくちゃに成ってるからまともな地図は存在しないけれど、それでも当時の有志達が無線と足で取り合った連絡で、極々大雑把な地図は出来てる。ちゃんと先人の努力に敬意を払いなさいね」
「ほほう、分かりました……んん、」
おもむろ、栄次郎は喉を整える。何が出るかと、一応観察の為にしっかりと眺めるレイチェル。
「昔の皆さん、ありがとうございましたぁ。はは~~」
流れるように平伏しだす。レイチェルでも、それがとある島国の礼式に則った作法であると知っている。
そう、DOGEZAである。
レイチェルは栄次郎を無視して夜営の準備を始めた。




