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話は人間界、ミチオの居る森から北東方向に130km少々の場所にある街。傭兵団【火中の栗】が壊滅して数ヶ月後。唯一森から戻ってきた魔法使いのティキだったが気が触れたと噂されていた。傭兵団の所有する建物から出て来る事もなく領都へ伝令に行っていて無事だったもう1人の生き残りハーシルが介護しているという噂も合わせて流れていた。
「ティキ、昼飯が出来たよ」
「……」
ハーシルの声が届いているのか分からないティキは自室で大量の本に囲まれていた。そのほとんどが"呪い"に関する物で、学術的に扱っている物から真偽の怪しい眉唾物まで散乱していた。
「ふぅ〜っ! ハーシル、呼んだ?」
「うん、飯が出来てるよ」
「分かった休憩にする」
部屋から出てきたティキはやややつれてはいるものの街の人々が噂する様な廃人ではなく目には確かに生気が宿っていた。稼ぎの無くなった彼女達は傭兵団の遺産とも言える貯蓄を使い質素ながらも不自由無く暮らしている。
「何か進展はあった?」
「ええ、呪いによる制限と引き換えに一定の能力向上は理論上可能となったわ」
「本当にやるのかい?」
「うん。……でなきゃ、……ううん」
言葉を濁したまま黙り込み食事に集中しだしたティキをハーシルは心配そうに見ていた。
「今度はオレも一緒に行くからね?」
「自殺願望でもあるの? はっきり言って人間がどうこう出来るレベルじゃなかったわよ」
「それでもさ……」
「拒否はしないわ。あんたが決める事だもの」
そう言って手早く食事を済ませるとティキは、またそそくさと自室へと戻っていった。ハーシルはその背中をぼんやりと眺めていたがやがて自分の食事に意識を戻した。
「まずは呪印を特定させる……」
彼女が模索しているのは何らかの制限を自分に課す事で忌まわしきイーヴルゲルへの対抗手段を得るというものだった。決して褒められる行為では無いが、そうでもしなければ全く相手にもされない事は身をもって理解している。
「あの特殊個体にもう一度挑む気持ちになるなんて我ながらどうかしているわ……」
ぶつぶつと呟きながら数冊の本のページを捲っていく。"呪術言語体系"と冠された簡素な装丁の本のとあるページで手が止まる。更に別の本"呪いの本質"のページもパラパラと捲っていく。そうしているうちに徐に立ち上がったティキは履いていたロングスカートを脱ぎ下半身が下着だけの姿となる。誰が見ているでもない自室なので羞恥心は無い。否、目的の為ならば些末なものであった。
「ふぅ……」
緊張した面持ちで机の上に置いてある道具を手にする。鑿の様な物で先端は針を数本束ねた形状になっている。その先端をマナが含有された特殊なインク壺へ浸すと左足の内股へ呪印を刻み込んでいく。
「くっ、ぅぅ……」
どこか艶めかしい声色を漏らしながらも自らに呪いを刻む。一刺し一刺し怨念とも言える感情を込めて。
「ふぅ……、ふぅ……」
額に脂汗を浮かべながら作業が終わると、呪印が淡い光を一瞬放つ。ひとまず成功した様で疲労困憊な様子のティキはドサッとベッドに横たわった。
「効果の程は試してみない事には分からないけど……」
荒い息遣いのまま額の汗を左手の甲で雑に拭う。そのまま寝入ってしまいそうな疲労感を振り払い上半身を起こして左足内股に刻まれた呪印を見つめる。
「後戻り出来ないわね……」
右手でそっと撫でながら呟いた。
「ハーシル?」
「なに?」
「汗かいちゃったからお風呂に入るわ」
「うん、分かった」
自室から出てきたティキはどこかスッキリとした顔に見えた。桶に溜めたお湯を頭から豪快に被る。2度、3度と繰り返し汗を流していく。
「ふぅ〜っ……」
何の因果で生き延びたのか、散々な目に遭いつつも命までは取られていない。仲間達が死にゆく様を何度も何度も繰り返し見せつけらる幻覚にトラウマなんていう生半可な言葉では済まされない程の傷を心に刻まれた。命からがら、本当に奇跡的に人の世に帰って来られたのにまたあのゲルに挑むつもりでいる。ぼんやりと団長ジーマの事を思い出す。
「ジーマ……」
最早敵討ちのつもりは無い。だけど、最愛の人をはじめ苦楽を共にした団員の顔が浮かんでは消える。街の人々は自分の気が狂ったと噂している事も知っている。他人の流言に興味は無いが確かに狂っているのだろうと自覚している部分もあった。
「後はやるだけ……。やるだけ…………」
決意の目は確固たる目標を見据えた力強いものだった。
一方、団員の中でも若手だったハーシルは困惑していた。ティキから話は聞いていたが手練とも言われていた団員達が一瞬にして倒されたというのもそうだが、遺品どころか骨の一片も持ち帰られずに壊滅したというのだ。勿論ティキが嘘を吐いているとも思えず、しかしながら上位種とはいえゲル1匹に傭兵団が手も足も出なかったとは想像出来なかった。帰還したティキはそれはもう酷い有り様であったがハーシルのお陰もあり回復を果たした。しかし、当時の状況を聞くにつれ現実味が無くなっていく。今まで見た事も無い様な動きをするゲル、更にはティキに【念話】で接触してきた事、異常事態の連続としか思えない。そんな状況でもう一度挑むつもりでいるティキの気持ちも分からない。とんでもない目に遭ったのは側から見ていて理解しているが何故再戦する気になれるのか、当事者にしか分からない事情でもあるのだろうか。自殺行為だと自認していてるのに何が彼女を駆り立てているのだろうか……。
ナラン王国カラーム領にある辺境の街ボーツ、住人は10万人に満たない程の規模、数十年前より森の管理を放棄した国の方針により徐々に活気も無くなっていった。戦神フレールの神殿へ向かう巡礼者が利用する最後の宿場として栄えた故の反動である。現国王の方針転換で森の管理を再開する意向だけは聞こえてきたが具体的な行動は未だ無かった。この街の古い住人ですらかつての賑わいを知る者は少ない。そんな街の発展と衰退を見つめてきた寺院がある。多くの人々が出入りし各々感謝や祈りを捧げている。現在の責任者(神父や住職に相当する人物)である男性の指示で女性聖職者ポゥは各種事務処理や日常の雑事を一通り済ませると古い文献を調べていた。森に4つの神殿がある事は知っているし、この国が出来た時に建立された事も周知の事実である。しかしながら、何故森の中にあるのかは様々な文献を調べても分からないままだった。森の事で人々が知り得ているのはせいぜいが外縁部から4つの神殿がある場所程度であった。
「はあー、神に仕えるといっても知らない事だらけだよ」
森の神殿を蔑ろにしてからも特に天罰、災いの類いが起こったという報告は聞いた事が無い。そんな事は起こらないのかもしれないし、そもそも人が勝手に作って勝手に放置した建物に神の関心など無いのかもしれない。それでも四神を祀って建てられた物を捨て置く気にはなれなかった。初代管理者ジルの血筋である自分の代に大きな変革の萌芽を感じてからポゥはやる気に満ちていた。ただ、何をどうすれば良いのか分からずに気持ちだけ空回りしてジレンマを感じていた。それは約1ヶ月毎に出向く森の外縁部にある小さな祠で会う先祖であるジルの霊に散々釘を刺されている事でもあった。
「それにしても、傭兵団を壊滅させた魔物も気掛かりなのよねー。凶暴な魔物が現れたんじゃあ神殿の管理なんて難しくなってしまうし。むむー、前途多難かも……?」
無論ポゥの耳にも傭兵団【火中の栗】壊滅の報は入っている。数人は顔見知り程度の間柄と言って良かった。ティキが森から戻って落ち着いた頃に団員16名の仮の葬儀をし、その時の状況も多少聞いていた。もう一つ溜息を吐いてから席を立ち上がったポゥはお茶を淹れる為に炊事場へと歩いていく。何処かで運命の歯車が音を立てて回り始めているのを本能で感じ取っていたのかもしれない。




