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黒ひげの旅人 41歳

「よう、魔法使い」

 魔法使いは顔をあげ、自分が座る椅子の背側から身を乗り出してくる髭面の男を見返した。無表情のまま事実を淡々と告げる。

「長かったな。八年ぶりか」

 ぱちぱちと、赤い炎を揺らしている暖炉の傍。安楽椅子に腰掛け、赤い表紙の、小綺麗な装丁が施された詩集を読んでいた魔法使いに、男は笑いかけた。そうして笑うと、歳を重ねてやや皺の入ってきた目元がくしゃりとなるのだった。

「怒るなって、南の島だけ行って帰って来るつもりが、流されちまってよ。そのままぐるっと回ってきたんだ」

「特段怒っているつもりはない」

 またまた、と男は口髭をもさもさ動かして笑った。漂流したにしては身なりがきちんとして、それから色とりどりの雑然とした服装をしていたから、彼の言うとおり「ぐるっと回って」きたのだろう。

 魔法使いのほうは、そんな男の上から下まで視線をすべらせると、すぐに目線を本へと戻してしまう。男はさして気に留めず、行きとは全く違ったものになっている鞄をごそごそやった。目当てのものを探し出したのか、魔法使いの方に向きなおる。

「俺がいなくて寂しかったろう?ホイ、土産」

「土産?」

 おうむ返しに言った魔法使いの目の前に、ごとり、と置かれたのは、白い甲羅に大きな黒々とした鋏。

 蟹だった。甲羅の大きさだけで、人間の顔ほどもある。

「バラン海のアーボレ蟹だ。呪術師に頼んで保存のまじないをかけてもらったからちと塩味がきついが、きっと旨いぞ」

 北方独特の優美なデザインをした丸テーブルは、そこらの人間が見ればアンティークと名付けるであろう気品があったのだが、今や突如現れた南国の蟹にすっかり支配されてしまった。

 バラン海、という単語について、魔法使いは自身の記憶をたどる。いつか読んだ、南方諸島の海上で船を住処とする民族が、たしか自分たちの暮らす海をそう呼んでいる。アーボレ蟹はその海域でも特に大型の蟹で、海の民にとってはささやかなごちそうだという記述を思い出した。

 魔法使いはテーブルの惨状を横目に、ふむ、と考える様子をみせる。

「やっぱりボイルがいいか?鍋でもいいな」

 男の問いかけに、魔法使いは考えるそぶりを見せたまま口を開く。

「君がシチューにしてくれるなら食べよう」

「おいおい、冗談だろう」

 男はまさか、と苦笑いしたが、夕食のときには男の食べる足ニ本をのぞいて、シチューになった蟹がちゃんと出てきた。




 旅ですり減るほどこき使われたであろう男の身には、魔法使いの居城での暮らしはさぞ極上に思えることだろう。

 あちこちに余るほどあり、実際に余らせてある客室の、懐かしさを誘う揺り椅子やこれ以上ないふかふかとしたベッド。魔法使いもよく使っている部屋の革張りのソファや、ぱちぱちと燃えている生活のための暖かな火、その日の食料に困らない、安らかな毎日。

 ……が、しかし、男はニ週間も経つと、その柔らかいソファへだらしなく寝そべりながらも、すでに地図を広げているのだった。

「次はどこにするかなぁ」

 何気なく呟いた男の言葉を、魔法使いの耳が拾う。そのまま気にも留めずに読書を続けるかと思われた彼は、しかしこの日は顔を上げて相手の方を見やった。

「君はもう41歳になるだろう。人間の身体ではそろそろ無理もきかなくなってくる。迂闊な行動は避けた方が良い」

 ぱちぱち、とひときわ強く薪の燃える音。

 男は、首をそらして魔法使いの座る椅子へ顔をかたむけた。口ひげがにやり、と持ち上がる。

「馬鹿いえよ、今度の俺は旅を愛するように生まれたんだ。暖炉のそばで穏やかに微睡むような暮らしは性に合わない」

 魔法使いは、冗談めかしてそう言う男の顔をじっと見つめた。

「では今回のきみは、私の目の届かない場所で死ぬ気か?」

 男は、しばらくぽかんと魔法使いを見た。次いで、ただでさえぎょろりと飛び出しそうにしている目を、殊更にまるくした。

 ……男は派手に笑い始めた。

「なんだ、なんだよ魔法使い。あんたも随分かわいいことを言うようになったな」

「別に、特段そうした発言をしたつもりはないが」

 不可解だ、という顔をした魔法使いは、今度こそ手元の本に視線を落とし、元の読書へと戻ってしまった。男は勢いをつけてソファから起き上がり、魔法使いの座る安楽椅子の傍らに傍らに立つと、腕を組んでうんうんと頷いて見せる。

「そうかいそうかい。ま、時の流れってやつかね」

「何だ、いきなり」

「そんなに寂しがるなって、魔法使い。また会いに来てやるからよ」

「寂しがる?何を?」

 とうとう魔法使いは読書もやめてしまって振り返ると、滅多に動かない表情を崩し、目の前にいる男にしか分からない程度に眉毛を寄せた。

 男は、見たことのない表情をしている魔法使いの肩をひとつ叩くと、「まあ、本でも読んで勉強しとけって」と言って、しわの増えてきた目元をくしゃりとやりながら、ひとしきり笑ったのだった。

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