余命幾ばくの青年 25歳
音もなく、噴水から水ではない何かが流れ落ちる。
やわらかい光が差し込む真っ白な部屋の真ん中に、魔法使いが一人。やはり白いソファに腰かけ、きっちりと伸ばした背筋も微動だにせず、優雅に本を読んでいる。
「やあ、魔法使い。随分と分厚い本だね」
白いページの上に、ふと影が差した。
「君か」
「うん。僕だ」
見上げたそこには、ひとりの青年が立っていた。
「今度の僕は、『セイン』というんだ」
彼は魔法使いが何も言わない前から名乗った。そうして、ふわりとほほ笑む。
「なんとか間に合ったよ。よかった、ちゃんと会いに来られて」
魔法使いは、青年の言葉に返事をするでもなくじっとその顔を見つめ、まるで天気の話でもするかのような声音で無感動に告げる。
「弱っているな。その身体はもう三年ともたない」
「はは…医者は半年って言ったよ。あいつめ、思ったより余裕あるじゃないか」
力なく笑ってうつむいた青年は、そのままうずくまってしまうかと思われたが、しかし二本の足でしっかりと立っていた。
そして魔法使いの方へ、まっすぐ顔を向ける。
「病院を抜けて来たんだ。あと半年で死ぬっていうから、魔法使いのところに行かなくちゃ、と思って。思ったより遠かった——というか、長くかかった。僕は、自分でも驚くほど体力がないらしいな。あるいは、残ってない、という方が正確なのか。……魔法使いの予言は外れないから、本当に三年で死ぬぶんの力しか残ってないんだろう」
彼が言うとおり、青年のくせ毛がやや伸びていて、着ている服もほつれたり破れたり、何よりこの季節にはやや薄着だった。そして、夜に出会えば屍体と見紛うほどには痩せていた。血色がなく青白くさえ見える顔は、頬がそげて、目の下には隈ができてしまっていた。
しかし、藍色の瞳だけは星を散りばめた空のように燦然と輝いていた。
魔法使いは、それを美しく感じた。
「また会えてよかった、魔法使い」
薄く、ひび割れた青年の唇が小さなつぶやきを零した。
「迷惑だったらもう帰るよ」
「いや」
魔法使いは、青年の言葉に軽く否定を示して白い椅子から立ち上がると、右腕を持ち上げて、青年がそれに掴まれるようにした。彼が素直に魔法使いの力を借りるのを見てすこし不思議そうに片眉をあげたが、それに関しては何もいわず、代わりにゆっくりと扉に向かう。
「君が来たなら、拒む理由はどこにもない。好きなだけ居るといい」
「じゃ、そうさせてもらおうかなあ…」
ゆっくり、ゆっくりと歩んで、ようやく二人は扉の前までやって来た。魔法使いが青年に注意をくれて、自分だけ一歩前に出る。
「少し離れてくれ。近いと君ごと無くなる」
左手を扉に溶かす。いつ見てもあまりに重厚な金属製の扉は、いとも簡単に溶けてなくなった。二人は、石造りの階段の途中に立っていた。
「うへえ、忘れてた…これを下りるのか」
「長いと思うから長くなる」
「わかってるけど、正直一段でもきついんだ」
「抱えてやろうか」
「いや、いい。自分で下ります」
魔法使いがやはり不思議そうにこちらを見てくるので、青年はちょっと笑ってみせてから、一段ずつ階段を下りていく。魔法使いはそれに合わせるようにして、同じように一段ずつ足を運んだ。
「そういえば、最初の質問、答えてくれてない…」
「喋ると息があがるのでは?南方の国でつくられた事典を読んでいた。独自の宗教に基づいた記述があって面白い」
「へえ……あ、そうだ、タマネギとか…育てて、くれてる?」
「いらないものを育てる気にはならない。喋ると息があがるのでは?」
「昔から、融通、きかないなあ……」
青年は息を切らしながら、ゆっくりと階段を下りていく。
長い長い階段の先に、扉はまだしばらく見えてこないようだ。