ランディエルの悪女 19歳
「お久しぶり、魔法使い」
見上げた先には、美しいプラチナ・ブロンドを肩口から零し、飾りすぎず、しかし一目で高級なものとわかる、真っ白なドレスを着た少女が立っていた。
「随分良い格好だな」
魔法使いが挨拶を返すと、彼女は「そうでしょ?」とその場で回ってみせる。ふわり、と上品にレースの裾が揺れた。
「今回は大領主の一人娘をやっているの」
そうして、人形のような青い目をきらめかせて、彼女は微笑んでみせる。魔法使いは、白い椅子に座ったままひとつ質問した。
「領主の娘がこんなところへ来ていいのか?」
「勿論、いけないわ。でも来てしまったの」
少女は、他に誰もいない、何の音もしない真っ白な部屋の真ん中で、わざわざ魔法使いの耳元へ口を寄せ、「王族の方からの求婚を断って、皆さまが大騒ぎしている隙にこっそり出てきたのよ」と囁いた。
「貴族の娘が一人でか」
「箱入りの令嬢にそれが出来ると思って?厩の番をしている子に手引きをしてもらって、馬車に乗せてもらったわ」
「ふむ」
「あの子にも恋心につけ込んで可哀想なことをしてしまった。ばれて叱られていなければいいのだけれど」
「叱られているだろうな」
魔法使いの淡々とした問いに、少女はやや顔を曇らせた。
「そうね……」
空ばかりが広がる大窓の方に目を向けて、外の世界を想っているのか、少女の声は呟くように白い床へ落ちてそこへとどまっているように小さく響いた。
「あの子はまだましな方ね。来ては駄目と言ったのに、召使いの何人かは麓までついてきてしまったの。あれだけの銀貨があれば十分ほかの仕事を探す余裕もあったでしょうに。皆、獣にやられてしまった…」
無音のまま、噴水から液体が流れ落ちていく。
少女は悲しそうに目を伏せて呟いた。
「でも仕方ないわね。私はなにを置いても、ここに来たかったのだから」
魔法使いは、ひとつまばたきをして、ようやく持っていた本を閉じると、少女をまじまじと見つめた。
「君は大して悲しく思っていないな」
少女は心外だとでも言いたげに首をかしげる。
「あら、酷いことを言うのね」
魔法使いは、少し眉を下げ、憂いを帯びたふうの少女に、人間の男なら誰もが騙されてしまうのだろうとそんなことを考えた。
「今の君はあまり悲しそうに見えない」
「…ふふ」
少女は今度は、うなずくような、首を横に振るような、どちらとも取れない仕草をする。そうして、微妙な笑みを口にたたえたまま手を差し出した。
「人間の心って複雑にできているの。あなたに会えた今は、涙なんて流す気になれないわ。さあ、行きましょうよ魔法使い。こんな寂しい部屋にいつまでもいないで」
「寂しいかどうかは分からないが、君が来た以上はそうしよう」
魔法使いは、長身を椅子から離し、少女と共に扉の方へ向かった。いつものように右手で扉へ触れると、するりと扉が溶けた。
階段を降りようとする少女へ手を差し伸べながら、魔法使いが思いついたように尋ねる。
「…そうだな。君の名前を聞いておこう」
少女は、魔法使いの手を取りながら、歌うように答えた。
「ええ。今度の名前は、シューラ・ティ・ランディオルツと言うの」
魔法使いは、少し驚いたように返答をする。
「ランディエルの姫か。国で一番の大領地の娘が嫁入り話を蹴って何処ぞへ消えたとなれば、確かに大騒ぎだ」
少女は、魔法使いの返答に、あるいは表情に、口元に手をやっておかしそうに笑った。
「あのおうちでお稽古もたくさん頑張ったのだけれど、全部無駄になってしまうわね」
ああでもお料理は習ったから材料が揃えばお菓子も作ってあげられるわ、と少女が言う。そんな彼女のやわらかく白い手を取ってエスコートしながら、魔法使いは、「別にものを食べなくても良いのだが」と返して少女を不機嫌にさせた。
「何と言われようと作りますからね。…それにしても、魔法使いが私に名前を聞いてくるなんて、明日は槍でも降るのかしら?」
階段を下りていくうちにとつぜん現れた、台所の扉の前で立ち止まる。それを片手で開けながら、魔法使いは何気なくこう答えた。
「何世紀かあとに、大領主を滅ぼした悪女が出てくる本を読んだとき、名前を知っていれば君のことだとわかるだろう」
少女はそれを聞いて声を上げて笑った。